鳰紫の贖罪   作:常世さん

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 日が昇って朝が来る。それはここ、箱庭の世界でも変わらない。

 

「リリ君。こちらはこの味付けで大丈夫ですか?」

「失礼します!……はい!とっても美味しいです!」

 

 満面の笑みで頷く二つの尾を持つ狐の少女を見下ろして、鳰紫(かいつぶりむらさき)は笑みを返した。

 常に着ていた南蛮渡来の外套を脱ぎ、襷掛けをした彼は狐の少女、リリを伴って厨に立っている所。

 因みに時刻は、朝の六時前後。まだまだ、朝としては早い時間帯だ。

 二人が並んで朝食の準備をしているのは、何も特別な事があってのものではない。

 ただ、紫が朝の探索と本拠の中を散策していた際に出会ってそのまま。

 

「それにしても、紫様はお料理をされるんですね」

「ええ。と言っても、手慰みの様なものですよ。それほど、熱意を持って取り組んでいた訳ではありませんから」

 

 スープの入った鍋をゆっくりと混ぜながら、紫は笑った。

 付け加えると、スープにしたのは彼の提案だったりする。

 温かな汁物は煮込めば具材も柔らかくなり、尚且つスープ自体にも具材の栄養価が溶け出しており飲むだけでも栄養摂取がある程度可能。

 何より、零細コミュニティである“ノーネーム”にしてみれば水もそうだが食材も貴重品。余すことなく使うならば、どうしても丸々食べられるようにする必要があった。スープの水分は、食材の分と元の水の分で1:3といった所か。

 仄かに塩気の利いた優しい味わいのスープが出来上がった頃、厨に繋がる廊下の方から足音が近づいてくる。

 

「おはようございます、リリ……っと、紫さん!?」

「あ、おはよう黒ウサギのお姉ちゃん!」

「おはようございます、黒ウサギ君。朝食の準備は出来ていますよ」

「む、紫さんがお作りになられらのですか?」

「リリ君の手伝いをしただけですよ」

「お姉ちゃん!紫さんって、とっても手際が良いんだよ!」

 

 こうやって~、と嬉々として紫の手際を表現するリリ。

 微笑ましいその姿を横目に、紫も襷を解いて近くの棚に置いていた外套を羽織り直した。

 

「さて、と、黒ウサギ君」

「は、はい。何で御座いましょう?」

「朝食の後で良いので、少し時間をいただけますか?出来れば、ジン君も一緒に」

「そ、それは構いませんが……紫さんはどちらに行かれるんですか?」

「私は、少しやる事があるので席を外します。あ、汁物に関しては全て食べてもらって大丈夫です。私の分は、無理に残すようなことはしないように。良いですね?」

 

 それだけ言うと、彼は颯爽と厨を出て行ってしまった。

 その背中を見送った黒ウサギとリリは顔を見合わせる。

 

「リリ、紫さんは何かおっしゃっていましたか?」

「ううん、何にも」

「そうですか……」

 

 どんな用事なのか気になる所だが、その前に黒ウサギは寸胴鍋に乗せられていた蓋へと手を伸ばす。

 蓋を開ければ、湯気が昇り同時に食材の煮込まれたいい香りが、黒ウサギの鼻腔を擽った。

 思わずゴクリと喉が鳴る。

 

「こ、これをリリと紫さんが?」

「うん!スープなら、栄養を余さず取れるからって」

 

 リリの言葉を受けて、お玉で具材の一つを掬えばほろりと崩れる程度には柔らかく煮込まれている。

 これならば小さな子供でもスプーン一つで食べきれるだろう。

 至れり尽くせりの朝の一品。準備を始めながら、心中で黒ウサギは感謝を伝えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ノーネーム”居住区格。

 風化している場所ではあるが、一定の広さがあるそこで手を後ろで緩く組んで空を見上げる紫は人を待っていた。

 

「紫さん」

 

 そんな背中に掛けられるのは、声変わりしていない少年の高い声。

 紫が振り返れば、だぼだぼのローブを着た少年と、それから少年に続くようにやって来た黒ウサギの姿があった。

 

「おはようございます、ジン君。すみません、態々呼び出してしまって」

「いえ、それは良いんですけど……あ、朝ご飯ありがとうございました。とても美味しかったです」

「それは良かった……と言っても、調理したのはこのコミュニティの食材ですから、お礼は言わずとも良いんですがね」

 

 微笑を浮かべる紫に、ジン=ラッセルは何処かむず痒い様な、落ち着かない感覚を覚えていた。

 純粋な善意で、尚且つ大人な相手と言うのはここ二年でかなり減った。親切にしてくれる相手もいるが、大半は“ノーネーム”に対して一種の差別意識を持っている。

 だからこそ、

 

(…………いえ)

 

 そこで首を振る。決めるのは、紫だ。

 改めて目の前の青年へと目を向ければ、穏やかな笑みのままに組んでいた両手を放して下ろしている。

 

「実は、折り入ってお願いがあって今回は時間を作ってもらったんです」

「お願い、でしょうか?」

「はい。単刀直入に言えば、私をこのコミュニティに在籍させてほしいんです」

「「え……」」

 

 思わぬ申し出に、二人は固まる。

 昨日から考えていた事を、まさか相手の方から切り出されるとは思ってもみなかった。

 だが、返事をする前に紫は制止をするように右手を前に突き出していた。

 

「待ってください。このままだと、私は君たちの人材不足に付け込んで取り入る害虫になってしまいます」

「え、いや……僕らは別にそんな事は…………」

「ま、聞いてください。私自身隠し通すの不義理だとは思っていたんです。それにここは、修羅神仏が跋扈する土地だという話。力を持っている者は、ある程度喧伝する事も必要でしょう?」

「ッ……!この気配は…………!」

 

 黒ウサギが気付く。

 目の前に居る青年の気配が変化していた。馴染みがあり、同時にただその場に居るだけでも分かる力の奔流。

 

「――――っと、まあこういう事なんですよね」

 

 鮮やかな四枚二対の巨大な蝶の翅を背負った紫は曖昧に笑う。

 これは紫の判断だった。というか、世話になるというのに長々と力を隠し続けるなど出来るはずないと考えたのだ。

 何より、いざという時そつなく助けようと思うのなら、力の秘匿は寧ろネック。

 目の前の光景に白目を剥くジン。息のを呑む黒ウサギ。

 

「む、紫さん……い、いえ!紫様は、し、神霊なのですか?」

「様付けは、やめてください。私は単なる人でなしでしかないので……そうですね、神霊とは少し違います。神の力を振るえますが……まあ、亡霊、と呼ぶ方が正しいかと」

「ぼ、亡霊……で、では、人間ではない、と?」

「うーん…………私の年齢が凡そ、千と百年少し、といった所なんですよね。人、と名乗るにはいささか歳を重ねすぎてまして」

 

 苦笑いを浮かべて頭を掻く紫に、ジンも黒ウサギもあんぐりと口を開けてしまう。

 ただ、この言葉に嘘はない。彼は、鳰紫(大生部多)という男は、日本書紀に記されている様な存在なのだから。

 しばらく間をおいて、大きなショックの波が引いたのか慌てて口を閉じるジン。その口の端から垂れた涎を拭って再度問う。

 

「そ、それで……紫さんが、その事を明かした理由を、聞いても良いでしょうか?」

「偏に、信頼の為です。ジン君も黒ウサギ君も、それから子供たちも。善人である事は分かります。だからこそ、私も誠実に臨みたいと思ったんです」

「ッ、で、ですが!紫さんもご存知の通り、“ノーネーム”は風前の灯火の様なコミュニティです。神霊同然の力を振るえる貴方なら、もっといい場所を提示するコミュニティも多々あると思いますが…………」

「そこは、単に私の我儘ですよ」

「わ、我儘?」

「はい。今ここで、君たちを見捨てたくない。そんな我儘。憐憫、同情その他諸々。安っぽい心傷ではありますが、動くにはそれだけでいい」

 

 一晩考えた結論。そもそも、ここまで踏み込んで見捨てられるほど紫の心は冷え込んでいない。

 これもまた、一つの贖罪の形。偽善だろうと何だろうと、今度こそは自身の心に従って彼は今日を生きると決めたのだから。

 かくして、“ノーネーム”に一柱の神が顕現する事になる。

 それが、蝶の羽搏きとなってしまうのかどうか。少なくとも、今はまだ誰も知らない。

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