学校の帰りに食材等を買って桐ヶ谷家まで辿り着いた明日奈は和人からの着信がなかったかを確認する為に玄関ポーチの隅へ一旦荷物を降ろした。
けれど鞄に手を差し入れたタイミングで背後から「コンニチハ」と声をかけられ、驚き、肩を跳ねかせてすぐさま振り返る。そして西洋のお人形のような金色の髪に白磁の肌を持った少年を見てはしばみ色の瞳を大きく丸くした。
「君がユウキアスナちゃんだよね」
まだ声変わりをしていないボーイソプラノに相応しいあどけない笑顔。身長も明日奈よりほんの少し低いように思える。それなのにどこか違和感を感じるのはなぜなのか、その理由がわからないまま明日奈は問いかけた。
「あなたは…だれ?」
「ふぅん、これが『餐血』の匂いかぁ。確かに、今まで嗅いだことないくらいいい匂い」
「っ!!」
質問の返事ではなかったが、彼の発した言葉で違和感と彼の正体を悟る。
「……吸血鬼…」
「それにその目と髪の色。東に移民した一族の末裔だからでしょ。なんで皆アスナちゃんが『餐血』だってわかんないのかな?」
確かに色については菊岡も言っていた。
家族の中でここまで色素が薄いのは明日奈ひとり……『もしかしたら親御さんは祖先の血の影響を強く感じて極力家から出さないようにしていたのかもしれない』と……単純に虐められると危惧したのか、それともただ資産家の娘だから外出を禁じていたのか、先祖が遠く海の向こうから逃げて来た民だとか、ましてや吸血鬼や『餐血』の話を聞いたことはないが今更親に尋ねても墓穴を掘りそうで、その手の話題には触れていない。
「さっきからアスナちゃん、アスナちゃんって…あなた私より年下よね?」
侮られまいと明日奈は強気に少年をにらみ返しつつ、気づかれぬようそっと鞄の中の携帯端末を手の感触だけで探し求める。
そもそも外国人なら呼び捨てが普通だし、幼い子から『ちゃん』付けで呼ばれるのは微笑ましいが、目の前の少年はどう見てもミドル・スクールに通っているくらいの年齢だ。それになんだかその馴れ馴れしい口調が気に入らない。
『餐血』とは言えただの人間、吸血鬼の子孫たる自分達の方が格上とでも思っているのか、さっきから表情や言葉遣いに強者の落ち着きといたぶるような興奮が交互に見え隠れしている。
「僕知ってるよ。ここはキリガヤカズトくんの家。アスナちゃんの家は隣。カズトくんは?、いないの?…まぁ、いいや。先にアスナちゃんに会いたかったから」
会話は噛み合わないまま少年が足を一歩前に踏み出す。
それに反応して思わず後ずさりしたくなった明日奈は懸命に踏みとどまった。後ろは今誰も居ない桐ヶ谷家、解錠は出来るがそんな事をしている間に少年との距離はなくなる。素早く家に逃げ込めたとしてもやっぱり扉を閉める前に少年の手に捕まるだろう。
そして何よりこの場で騒ぎを起こすわけにはいかない。
前の道から通行人が視線を向ければ桐ヶ谷家の玄関前にいる二人は丸見えなのだ。明日奈は不自然にならないよう、スッ、と足を横にずらした。
「私に会ってどうするの?」
「ねぇ、アスナちゃん、血をちょうだい」
少年がもう一歩近づいてくる。
質問の答えにはなっていなかったが、目的はわかった。
ゆっくりと少しずつ距離が縮まるごとに明日奈はその場にしゃがみ込んで固く小さくなってしまいそうな自分を無理矢理引っ張り上げ桐ヶ谷家から離れる為に足を動かす。
「私の血が欲しくてわざわざここまで来たのね」
「アスナちゃんの血があれば僕はちゃんとした吸血鬼になれるんだ」
「ちゃんとした、吸血鬼?」
「カズトくんはいつもアスナちゃんの血を飲んでるんでしょ。いいなぁ」
いつもじゃないわよっ、とつい反論しそうになるが、そこはぐっ、と堪えて、あともう少し、と自身に言い聞かせもう一歩足をずらした。
「ねぇ、アスナちゃん、どこに行くの?、僕ねすっごく鼻がいいんだ。アスナちゃんの匂い覚えたから遠くに行ってもわかっちゃうよ」
どう見ても十代なのにそこまで嗅覚の良い吸血鬼がいるなんて話、聞いてないっ、と半年に一度やってくる菊岡に対して心の中で怒りをぶつけつつ、もう少し何か聞き出せないかと無理矢理笑みを作る。
「鼻が敏感なのね、もしかして耳もいいの?」
「でもね、匂いだけじゃ駄目なんだ。他の吸血鬼みたいに早く走ったり重い物を持ち上げたり出来るようになりたいんだ」
他の吸血鬼と言うのは彼と近い世代の者達なのだろう、普通なら十代の吸血鬼は主に運動能力において人並み外れた力をみせるのだ。だから消費したエネルギー補充と成長期の栄養摂取として吸血欲求も強くなる。成長期が過ぎればその能力は落ち着き、「吸血鬼」としての身体能力は人より僅かに優れた視覚、聴覚、嗅覚が残る程度だ。個人差はあるが全く血を欲しなくなる場合もあるらしい。
明日奈の前に現れた少年の年齢なら何より人外の運動能力を持っていなければならないはず。けれど少年の言葉は明日奈にとっては朗報だった。
気が急いているのか、鞄の中にあるはずの端末は未だ指先に触れていない。それに少年との会話中、端末に着信があった気配もない。
現状、和人や和人以外の誰か、と考えても頼れる相手はいないが、こうなってみると翠や直葉が不在なのは幸いだった、と少し胸をなで下ろす。だから今は自分一人で何とかしなくちゃ、と明日奈は表情を引き締めた。
それに少年の言っている事が本当なら……スゥッ、と息を吸い込み、いけるかもっ、と予備動作なしで一気に走り出す。
目指すは和人とよく行く裏山だ。
とにかく桐ヶ谷家から、そして人通りのある場所から離れることを第一に考えて明日奈は自分と門の間にいた少年の位置を動かすため移動し続けていたのである。
ただし少年の方も警戒していたからすぐさま明日奈を捕まえようと地面を蹴る。
桐ヶ谷家の門から外へ最短距離で駆け抜けようとしている明日奈に向かって少年の手が伸びてきて、間一髪、腕を掴まれそうになるのをかわした直後、ぐんっ、と引っ張られて上半身が仰け反った。
少年は明日奈の腕を掴み損ねたが、それでも鞄の取っ手に指を引っかけたのだ。
けど、まだしっかりと握られたわけじゃない、と咄嗟の判断で腕を後ろに流して鞄を諦めれば今度は少年の方が体勢を崩して明日奈の鞄を地面に落とし、自身も尻餅をつく。
「こっ、の!」
お巫山戯が消えた声と顔。
けれど既に門の外へと脱出していた明日奈には全く届いていなかった。
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