「ちゃんと話を聞いてっ。私が言いたいのは…」
「僕はアスナちゃんとお喋りがしたいんじゃない。血だよ。血がホシイんだ」
少年から笑みが消える。
楽しいから、ではない愉悦の笑みは得体の知れない印象が強かったが、それが消えれば消えたでその下にあったのは純粋な欲望の熱だった。
飢えた獣が涎を垂らしながらひたひたと近づいてくるような、多分、今、背中を見せたら即座に襲いかかってくる空気を纏って一瞬も視線を外さず近づいてくる少年を前に明日奈の足がもう半歩後ろに下がった……途端足元にあったこぶし大の丸石を踏んでしまったと理解したのは重心がぶれて「きゃっ」とひっくり返りそうになる体勢を持ち直そうと身体を捻った後だ。
少年は虚を衝かれたように一旦足を止め、トン、と地面に座り込んでしまった明日奈を見下ろしている。
だが、明日奈の方は横座りのような状態で地面に着地したまま、色々とまずい状況になったと顔をしかめた。
まず、咄嗟に地面に手を突いたせいで手の平を擦りむいた。
丸石が原因で足を滑らせた後、更に無理に体勢を変えたせいで片方の足首が早くもジンジンと痛みを訴え始めている。
そして最大の失態は自分でもわかる、口の中に広がる鉄の味……どうやら、うっかり口の中を切ってしまったようだ。
少年の様子を確かめようと視線を上げたはしばみ色に映ったのは炙られるようにじわじわと色を変えていく少年の瞳と鼻から息を深く吸い込んだ後、驚喜に膨れあがった笑顔。
「…これが『餐血』っ!?、すっごいっ、なんだこれっ、匂いだけで身体が軽くなったっ」
少年は奇跡でも見ているかのように震えている。
「これなら絶対みんなと同じになれるっ」
舞台の幕が下り、客は観覧席から立ち上がって冷めない感動の熱を賛辞の拍手と共に送りカーテンコールを待つ、そんな熱狂的な興奮を持って少年の金箔を被せたような薄い瞳は明日奈を捕らえた。
「チヲチョウダイ、アスナチャン」
少年から何度も浴びたその言葉。本心には違いないが親しみを込めてねだっているわけでもなく、相手の気持ちを尊重してお願いしているわけでもない。明日奈に近づく理由付けみたいなもので彼女の返答いかんで意思を変える気も無いお飾りの言葉……その言葉が今、最後通牒のように吐き出される。
未だ地面に座り込んでいる明日奈に出来る事といえば匂いが漏れ出さないよう両手を強く口元に押し付けてフルフルと顔を横に振り続けるだけだ。
「チョウダイ…チョウダイ……チョウダイ」
それは赤子が乳を求める無垢な一途さに似ているが瞳の金には狂喜が混じり、壊れたように同じ単語が生産されている口の端から見えるのは鋭利な牙と零れた唾液。抑えきれない渇欲が加速度的に息づかいを荒くしていく。
明日奈は左右に揺れる視界のまま「ん゛ーっ、ん゛ーっ」と唸り声に近い音を上げ足の痛みも無視して少年から逃れようと地面を掻き続けた。もうヒトの言葉は通じない、それはわかっていたが本能が全身で抗う。
陽の光のない空の下、それでも少年の形をした薄い影が明日奈を頭からすっぽりと覆った。
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