仕草と瞳で危惧している事が伝わったらしく菊岡が少年発掘の手を休めることなく緩やかに笑う。
「こんな薄暗い夕方、屋根伝いに走る男子高校生に気付くのなんて吸血鬼くらいだからね。その辺の情報操作はちゃんとしておくから安心していいよ、明日奈くん」
これは菊岡なりの今回の詫びなのだろう、付け足すように「この山の中腹まで一気に飛び上がって、多分そのままこの子の頭に着地したんだろうけど、もちろんそれは僕しか知らない」と片目を瞑ってみせてから「よっこらしょ」と掘り起こした少年はやっぱり情けない顔で気絶していて、顔中の傷の治りが遅いことも少年が本当に嗅覚しか突出してない事の証明になっている。
「菊岡さん、その子…本人が言ってましたけど十代の吸血鬼に見られる特性を持っていないって。吸血欲求も高くないそうだし、それならいっそ普通の人間として生活した方が楽なんじゃ……」
少年が受け入れるかどうかは難しい所かもしれないが幸い菊岡には懐いているようだし、成人するまで抱え続けるには長すぎる重荷だろうと明日奈の気遣いに眼鏡の奥が保護者のような慈愛の眼差しになる。
「そうなんだが……実はこの子の両親は二人とも吸血鬼でね」
明日奈が通っていた一貫校にも大勢いた、親が両者とも医者だったり芸術家だったり、所謂一流の専門家の血を引いている子供というやつだ。そうなるとどうしても次の血脈に期待が高まるのは仕方ないとして、吸血鬼は職業ではないはずなのに、と僅かに明日奈の眉が批難めいた形になったのに気付いたのか菊岡の顔が柔らかくなる。
「ご両親は吸血鬼を特別視している人達じゃなく、どちらかと言うと互いで吸血欲求が解消できるから便利と言っているくらいさばけてるんだが、この子としては出来損ない感が強くあって、だからこんな無茶を思いついたんだろう」
親と一緒に暮らしているとどうしても自分を卑下してしまうので本部での生活も取り入れている事を聞いた明日奈は、裏を返せばそれだけ吸血鬼の両親を誇りに思っているということね、と思考を切り替え和人に触れていない方の手を見た。
「私の血、『番い』でなければその子の助けになれたのかな……」
「明日奈っ!?」
驚きと焦りの声を上げたのはもちろん和人だ。
「あ、ゴメンね。『番い』を後悔してるわけじゃないの。私は和人くんの『番い』になれて嬉しいし、これからもずっと『番い』でいたいと思ってるよ」
一番大事なのはきみだから、と信じてもらうために明日奈が大きな笑顔で頷いていると、「明日奈くんは優しいな」と珍しくも心の底から出したような菊岡の声がその場を漂う。
「随分と怖い目に遭っただろうに……でも残念ながら、と言うべきか、いくら『餐血』の血でも本人が持っていない能力を与える事はないらしい。数は多くないが過去の資料は全て把握しているし吸血鬼と違って『餐血』の血の効果が薄まる事はあるにしても吸血鬼に都合の良い方向へ進化する必要性はないからね」
確かに、ただでさえ突発的に現れる『餐血』は存在するだけで生きにくいのに、更に万能薬にでもなったら自身を呪う人生にしかならないだろう。明日奈のように自分が『餐血』で良かった、などと思えるのは和人という『番い』がいるからだ。
「研究部門の仮設のひとつに上がってるのが、この子は今後の吸血鬼の進化の前兆かもしれないという意見だ。そうなると今後は高い身体能力を持たない、より人間に近い吸血鬼が増えていくのかもしれないが、まずはこの子が自分を受け入れられるようご両親とも一緒に見守っていくつもりだよ。それにまだまだ吸血鬼は秘匿すべき存在だからね、せめて疑似血液の味や成分を改良できないかと和人くんに協力を仰いでいるんだが、これがなかなか上手くいかなくて……」
途端、巫山戯た口調に戻った菊岡だが、その真意が現代の吸血鬼を思ってのことなのはわかった。味だけでなくあらゆる面で今以上に人の血に近い物が出来れば吸血鬼達の在り方は随分楽なものになるはずだ。
「明日奈くんの採血を諦めた理由のひとつもそれなんだ。理想を言えば『番い』になる前の血となった後の血が採取できると良かったんだが」
無理な相談である。
意図して『番い』になったわけではないのだから、自分の意思で簡単になったりやめたりは出来ない。それでも単純に『餐血』の血が分析できれば完全再現には及ばなくても高栄養の疑似血液にはなるので本部の研究部門は諦めきれなかったらしく、菊岡経由で和人に明日奈以外の血の味と比較してもらえないかとお願いをしたそうだ。
当然、断固拒否だった。『番い』以外の人の血を吸うと想像しただけで吐き気がするとまで言われて研究員全員が項垂れた。
気持ち的には理解できるが、普通の料理も飲食している和人なのでその延長線上でなんとかならないかと菊岡に説得を依頼したものの彼の所で却下され、それならばと疑似血液を出してきた。
「で、一度きりという条件で口にしてもらったんだよ」
明日奈の知らない所で随分と交流を深めていたらしい話に「へえぇ」と感心しながらも「どうだったの?」と和人を見れば、その時の味を思い出したのか、うっかり渋柿でも囓ってしまったみたいに後悔一色になっている。
「その時の感想が『タコ足によく似たタイヤのゴム、国産和牛ステーキかと思ったら草履』…だったっけ?…結局飲み込むことすらできなくてね」
食感は似てるかもしれないが噛み切る事も出来ない何か、もしくは、形が似ているだけの全くの別物、総じて口に入れる物ではないと言いたかったらしい。その感想で研究員全員は床に崩れ落ちたが今は『目指せ、タラバガニによく似たカニカマ』をスローガンに日夜精進している。
お読みいただき、有り難うございました。