二人は急いで裏山の道を上った。
和人と明日奈が結城家の前で話していた時も花火の音がしていたから、一番豪華な最後の花火までそう時間がないからだ。
それほど高くなく地元の人間しか知らないような山だから山道と行っても人が踏み固めただけの幅の狭い道で、周囲は大きな岩がゴロゴロしているし、両脇には低木、高木を含め様々な植物が無秩序に生い茂っており、当然月明かりしか頼りにならない。
和人は何度も来ているけれど、明日奈は初めての道で、ついでに言うと舗装されていない山道というのも初体験だ。
和人が先を歩いて、ずっと手を引っ張ってくれているから頑張れているようなものである。普段は文明の利器に囲まれて暮らしているせいか、それともさっき名前を知ったばかりの男の子とずっと手を繋いでいるせいか、夜の山道はもの凄く心細いのになんだか別世界に迷い込んだ気持ちにもなって、明日奈はふと自分の手を握っている和人の手を見た。
自分と同じ位の小さな手……でもなんだか安心できる温もりがある。
「もうちょっとで着くから」
前を歩いている和人が少しだけ振り向いて明日奈に言う。「うん」と返事をした瞬間、気が緩んだのか足がもつれた。
「きゃっ」
「わっ」
互いにすぐ手を離さなかったせいで和人もバランスを崩して坂道の途中で尻餅をつき、隣では明日奈が四つん這いになっている。
「ご、ごめんねっ」
「オレは平気。明日奈は?」
「私も大丈夫」
気を取り直して立ち上がり、薄暗い中二人揃って手や服に着いた土を払っていると、和人が鼻をくんっ、と鳴らした。
「なんか良い匂いがする」
「え?、そう?……私はさっきから葉っぱの匂いとか湿った土の匂い、かな?、山の中の匂いって初めてで…」
「なんだろう。花かな?」
「それより行こう、和人くん。もうすぐなんでしょ?」
促されて和人は匂いを断ち切るように頭を振り「そうだな」と言って再び明日奈の手をとり歩き出した。
それから一分も登らないうちに目的地である山間の開けた場所に到着する。位置的には麓からの三分の一程度の高さだったが幼い二人が手を繋いだまま夜道を休むことなく足を動かしたのだ、和人が「着いたっ」と言った時にはお互い随分と息が上がっていた。
それでも眼下見える街の灯りがまるでイルミネーションみたいで明日奈が「わぁっ」と喜びを露わにすると、ちょうどドンッという音と共に花火が上がる。
「間に合ったな。明日奈、こっち」
ちゃんと約束通り花火が終わる前にたどり着けた安堵感もあるのか、もう「明日奈」と呼ぶのに緊張もないし、ちょうど見える方向に設置してあるベンチに誘うのだって普通に手をとって引っ張って行く和人だ。
大人二人用のベンチだから幼児の彼らなら余裕なのに、なぜか当たり前のように真ん中にぴったりとくっついて、おまけに手も握ったまま夜空を見上げ、花火が大きく咲く度に「すごいね」「きれいだね」と笑顔を向けてくる明日奈から目が離せない和人は、だから全然花火を見ていなかった。
花火が見たくてこっそり家を出てきたはずなのに、隣の家の女の子と一緒に見たらもっと楽しいだろうな、と思っていたのに、花火よりずっと綺麗でずっと見ていたいモノを見つけてしまったからだ。
それになんだかさっき嗅いだ甘い匂いがもっと濃くなった気がして、その根源が知りたくて鼻をすんすん、としながら無意識に明日奈に顔を近づける。
甘いお菓子や果物に似ているけど、もっともっと美味しそうな匂いで……その時、大会のフィナーレに相応しく、巨大花火が連発で打ち上がり、まるで昼間のような明るさに明日奈が興奮して和人に振り向くと今まで見えなかった側の頬に一線の赤が引かれていてマッチの先端より小さな血が溜まっているのに気付いた。
きっとさっき転んだはずみに葉で切ったのだろう、少しずつ血が滲み出て集まったごく微量の一滴は真っ赤な宝石のように輝きを放っている。
ごくり、と生唾を飲んだ和人の真っ黒な目に僅かな金が混じり始めていた。
「明日奈、血が……」
その囁くような声が花火の音にも消されず耳にとどく距離に和人の顔があって、問い返す間もなくぺろっ、と頬を舐められる。
知らない間に出来ていた傷を舐められたのだと理解すると身体が暖かくなって、気持ちもふわふわと頼りなくなってきた。
「あれ?、和人くん、なんか私、ぽかぽかする」
「オレもヘンな気分」
気持ち悪いわけじゃない……だけど元気がありすぎて余分なエネルギーが身体の中で出口を探して駆け巡っているみたいだ、と思った和人だったが既に花火大会が終了している事に気づいて急いで明日奈と下山したのでその時の感覚を深く考える暇はなかった。
そしてお互い大人達には気付かれずに帰宅した後、和人はその夜に熱を出し翠に「ほらっ、やっぱり夏風邪を甘く見ちゃダメね。花火に連れて行かなくて正解だったわ」と言われるのだが、同じ頃やっぱり明日奈も熱を出し、帰宅した母の京子に発見され、二人とも「熱が下がるまでベッドで大人しく寝ていなさい」と言われたので互いの体調不良を知ることはなかった。
お読みいただき、有り難うございました。