「いいよ」とは言ったが、わからずに何を許してしまったのか怖くないわけではなかった。和人が大きく口を開けたので「噛まれるのっ!?」と怖い想像が頭をよぎったが、意外にもぱくり、と咥内に含まれてしまった指に痛みが走ることはなくて、身構えてしまった分ちょっと肩透かしを食らったように気が抜けたのは最初だけ。
「かっ、和人くん、まだ?」
さっきから薬指を口から離そうとしない和人に明日奈は困り果てていた。
温かな咥内でもっと温かい和人の舌がまんべんなく明日奈の指全体をしゃぶり続けている。最初は果物ナイフの傷の部分ばかりに吸い付いていたからちょっとだけピリッとした痛みがあったけれど、今はぬるま湯に浸かっているみたいに明日奈の身体もポカポカしてきていた。
そしてこの感覚には覚えがある。
これって裏山で花火を見たあの日と同じ……ふかふかの布団に全身をすっぽり包まれ、ゆらゆらとハンモックで揺られてるような、ここが自分の部屋だったらすぐにでもベッドで横になっていただろう誘惑に明日奈はぷるぷると頭を振って朦朧としそうになる意識を呼び戻した。
それに和人の様子もさっきまでと全く違って……なんだか、ちょっと元気になってる?
「和人くん、もしかして、私の指、美味しいの?」
飽きもせず明日奈の指を和人の舌が包み込んでいる。
和人に奪われていない手で目の前の真っ黒な髪をそっと撫で、軽く前髪をはらっていると、チラリ、と和人が上目遣いに明日奈を見た。
「あれ?、和人くんの目、ピカピカだよ」
夜空のような深い黒だった瞳が、今はその空に浮かんでいる金色の月のように静かな輝きを放っている。
「とっても綺麗だね」と笑うと、和人も嬉しそうに目を細めた。
さっきから何をいっても指を開放してくれず、こちらの言葉が通じていない気がしていたが明日奈を傷つける事はしないとわかっていたので大人しくしていたけれど時間が気になる。
「でもね、そろそろおばさま来ちゃうと思うの」
明日奈が許した行為とは言え、冷静に見て他の人に知られても大丈夫な状況には思えない。
和人の眉がしゅんっ、と垂れて唇が緩み、渋々顔が離れていく。けれど出てきた薬指に名残惜しそうに舌を伸ばし、ぺろっ、とひと舐め。
「っう、くすぐったいっ」
外気に晒されたせいか、ひんやりした指に舌の体温は気持ちよささえ感じられた。
ちょうどそこに翠がコンッ、コンッとドアをノックして入って来る。
「ありがとう、明日奈ちゃん。それじゃあタクシー呼んだから和人は……」
声が止まった。
そこにはベッドから身体を起こして「んぅーっ」と伸びをしている息子がいるからだ。血色も戻って肌つやもツルピカになっている。
「え?、どうなってるの?」
「明日奈が来てくれたから元気になった」
声も絶好調だ。
色々と省略しているが間違ってはいないと思う説明に明日奈も薄く笑うしかない……そして、今度は私に「どうして?」って聞かれたらどうしよう、と思ったのは覚えているが、明日奈はそのまま、ぽふんっ、と和人のベッドに倒れ込んだ。
「明日奈ちゃんっ!?、大変っ、和人の病気が移ったのかもっ」
「違うから大丈夫だって」
妙に落ち着いている和人が、うんせっ、と自分のベッドに明日奈をまっすぐに横たえる。
「寝てるだけだから、起こさないで。今日って金曜日?、だったら明日の昼まで明日奈ん家、誰も居ないからそれまでウチにいてもいいし」
「オレはシャワー浴びてくる」と言ってすたすたと部屋を出て行く息子の後ろ姿を見送りながら「なんでそんなお隣事情に詳しいのよっ」とか「明日奈ちゃんていつもそんな長い時間お家にひとりなのっ?!」と問いただしたい言葉の数々が頭の中を巡っている翠は結局「タクシー、キャンセルしなくちゃーっ」と階下へ駆け下りて行ったのだった。
そして、この翌日から明日奈は桐ヶ谷家で和人と一緒に朝食を食べるようになったのである。
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