物心がつくと、育った環境の良し悪しがわかるらしい。
ナンバー2ヒーローの子である俺の場合、上の下ってとこか。
兄弟関係は薄弱、親父の独裁にお母さんが磨り潰されて、幼い頃の思い出は両極端に善悪が分かれたものばかり。深く掘り下げたらキリがない数々の根拠を挙げてみると、改めてそう思い知る。
例えるなら、恵まれた土壌を駐車場にしちまったみてえなモンなんだろう。親父は向上心という美徳に、執着心のセメントを塗ったんだ。
この育ちが良かったのか悪かったのか、正直まだ計りかねてる。今から良くなっていくかもしれねえし、これ以上悪くならない保証もねえ。
そんな、中途半端だと言うには大きすぎる温度差が生家を取り巻いてる。
だから一つ言えるとしたら、滅理のことだけだ。
親父が組んだ鉄骨は歪んでた。内側からは手の打ちようがないくらい、爛れ落ちて腐ってた。
そしてあいつは外から、不器用にもその歪みを直した。愚直に向き合い、真摯に付き添い、患部を労わって熱を冷やすみてえに。
それが最悪を避ける一時凌ぎの徒手整復だったとしても、燈矢兄が生きてるのはあいつのお陰だ。
気付けば今は腐れ縁。通ってた学校も電車3つくらい離れてたのに、よっぽど
当時、兄弟と関われなかった俺を「遊び相手が兄弟ではなく私なら問題はない」なんて屁理屈で連れ出して、きちんと門限まで遊び尽くしたのをよく覚えてる。同い年なのに大人びて見えたあいつの背を、今でも。
けど、瀬古杜岳の一件から
原因は心的外傷。トラウマだ。
あの日見たものも感じたものも、全部が火を点けさせないように蓋をした。酸素を絶った。
体には一つの傷も残ってねえのに、火を灯そうとすると全身が凍りついたみてえに動かなくなっちまう。
以来、俺は消し方だけを身に着けていった。いかに早く、無駄なく、安全に、誰一人として火を被らないようにと。
それこそ、恩返しもままならないまでに。
燻ってたんだ。親父譲りの執着に火勢が弱められて、通すべき義理を煙に巻いてた。
その不義理も今日で、終わりだ。
滅多に出さない翼をばたつかせて、必死に追い縋るあいつを見て。
警察の聴取も耳に入らないくらい、静止する声を無視できるほど。
考えるより先に体が動いてた。
「滅理っ…」
広場への階段に氷を張りながら、助走を活かして滑走する。
少しでも速度を増そうと姿勢を潰すと、空気は狭まった受け皿を通り抜けていく。
中腹辺りまで勢いを溜めたら、前方の氷を上に反らして飛び上がった。
無理な前傾姿勢のままスキージャンプじみたことをしたせいか、両足が酷く痛むが気にしねえ。
言い訳なんて後からでも考えれる。
今、救わなきゃいけねえのは滅理だ。
飛んで終わるなら普通のスキージャンプ。まだ、氷は出し続けていた。
放物線を手助けするみてえに、溜めた速度を位置エネルギーに変えて、再び空を滑る。
コスチュームを凝っといて良かった。
多少の減速はあるが、このまま波を作っていけば辿り着ける。
だから、頼む。
「落ちて死ぬな…! 滅理!!」
右の手を伸ばす。
届かせるため。
間に合わせるため。
溺れる子供を、助けるために。
───俺の叫びをかき消して、雷が薙いだ。
思わずつんのめった俺の目と鼻の先を掠めて迸る黄金の奔流。
落雷というには長く形を保った後、それは程なくして完走した。
駆けつけたヒーローの技だったんだろう。
滅理が追ってた
急停止に生成した氷の壁から掌をはがし、氷の土台から身を乗り出して下の森を見下ろす。
木が倒れてる所。あそこに
「…あの木んとこか」
不自然に片側の枝が折れた木に見当を付ける。
あの状態で飛んでたんだ。その前にも
即席の雑な滑り台を降り、目測を信じて森を歩く。
作った氷は後で溶かすからいいとして、
にしても、なんで滅理はあの
いや、その確認の後に事が起きたとしたら? あり得ないことじゃねえ。主犯が去った後を見計らって犯行に及んだ
「早く、聞かねえと」
一本一本の木をつぶさに見ていくが、アタリは出ない。
どこに居るんだ滅理。合図かアピールくらいしてくれ。
「滅理! どこだ! 聞こえるか!」
森の静けさは保たれたまま。返事は返ってこない。
「声が出せねえなら、体揺らして音を出せ!」
言い切ると黙って少し待つ。
やや左側に寄った前方から、葉が揺れる音を耳にした。
見上げると、枝分かれした木の幹に身体を預ける滅理がいる。
「………焦凍か」
「滅理! そこか…!」
聞き慣れたもう一つの、高い声が物語る。やはりと言うべきか、滅理は性別を変えてた。
黒い肌が影になった樹皮に溶け込んで、白い髪も土まみれだから見分けづれえが、微かに浮かんで見える輪郭は痩せ細ってた。
声で返事しなかったことは聞かないほうがいいか。
「悪いが羽織るものをくれないか? この通りだ」
「わかった。待ってろ」
「ありがとう」
氷の足場を滅理の傍へ伸ばし、絡まった枝を払っていく。
「降りれるか?」
「無理だな。抱えてくれ」
「わかった」
こっちに差し出された両手を肩へやり、痩身を持ち抱えて地面に降りる。
あとそうだ、忘れねえうちに確認しとこう。
「滅理、敵に攫われたやつはいるか?」
「いや、私の知る限りではいない」
ためらいのない二つ返事。
その言葉に安堵したからか、俺は思わず与太話が口を衝いて出た。
「…また師匠さんに怒られるんじゃねえか?」
「…だろうな。
「
「あぁ、違いない」
軽口混じりに木の葉や土をある程度落とし、コスチュームの上着を手渡す。
が、滅理は少し眉を寄せた。
「なあ焦凍、このコスチュームはどうにかならないか? 地肌には些か手厳しいというか…」
「確かにそうかもな。次までには改善する」
「次があるとでも?」
渋々羽織ってみるものの、肩を跳ね上がらせて控えめに抗議の目を送る滅理。
性別が変わっただけでこうも感情表現に差がつくなんて、面白いやつだと思う。
けど流石に気の毒だ。戻る道中で氷は溶かすつもりだったが、最初はコスチュームをやろう。
「じゃあ今やる。一回返してくれ」
「なるべく早く頼む、今は特別冷えるんだ…」
袖に通して熱を出す。出火しないギリギリを攻めて、できるだけ早めに。
溶けてく氷は水を通り越し、昇華するものもしばしば。
気化熱が籠った水蒸気がよっぽど暖かいのか、滅理は蒸気に手をかざして暖を取っていた。
「………なあ。焦凍は、…」
ふと呼びかけられる。
珍しく歯切れを悪くして、その眼は泳いでた。
「どうした?」
何かあったのか。
引き結ばれた唇が心配になるほど重たく動く。
「……尊敬する人の後ろ暗い一面を知ったとき、どうやって気分を晴らす…?」
「なんだそれ」
やっぱ何かあったろ。そんな抽象的な質問文、普段のお前からは出ねえだろ。
話の前後も文脈も認識しないでかっさらってくやつだが、その言葉はいつも具体的だ。常日頃から5W1Hを心がけるような頭の硬さがお前の売りだったろ。
「そんなもん…どうやっても気分は晴れねえと思うぞ」
水気一つ無い上着を脱ぎながら、余熱が残るそれと共に答えを返す。
「誰しも生きてりゃ罰当たりなことはするし、聖人君主だって唾は吐く」
差し出した上着に手を付けず、滅理はぼうっと俺の声を聞いてた。
あるいは、手に付いた水蒸気の水滴で受け取るのをためらったのかもしんねえが。
別に濡れたって構いやしねえよ。風邪ひくぞ。
「お前が指す後ろ暗さがどの程度かはわかんねえけど…一方的な尊敬じゃ、失望もただの勝手にしかならねえ…と思う」
改めて言う必要もない当然のことを、慣れない語調で言い聞かせるみてえに話す。
滅理の反応は薄い。さっきまでの素顔を取り繕いでもしたのか、口を横線にしている。
「…そうか。わかった」
変に味気ない。俺の返答が癪に障ったようにも、憑き物がとれたようにも取れる。何だろうとその真偽はわからない。
「皆の所に戻らなくては。案内してくれるか、焦凍」
「おぉ…そうだな」
滅理の豹変っぷりに言及し損ねて、元来た道をただ辿る。
俺と滅理は腐れ縁だ。少なくとも、俺はそう思ってる。
奇妙なこの関係は中途半端な温度差で保たれてる。滅理への恩義が距離を作って、友達とも呼べねえ確執を抱えてる。
昔は違ったのかもしんねえ。純粋に滅理を友達だと思って、何なら同じ被虐待児のよしみすら感じてた。無い傷を舐め合う仲間だと認めてた。
変わったのは、やっぱり瀬古杜岳の火事からだ。
「──どろき君ッ!!! いったい君は何をしているんだ!」
氷を頼りに森の出口まで歩くと、先日クラス委員長になったばかりの飯田が駆け寄ってきた。どうやら後を追って来ていたらしい。
「わりぃ、つい」
「出来心だとでも言うのか! まったく心配したんだぞ!」
「ん? 何かやらかしたのか焦凍?」
「あぁ、黒創君のように単身で敵へ特攻しに……誰だ君!?」
俺の背から顔を出した滅理に飯田が驚く。
容姿が変わって滅理本人だと気付けないんだろう。増強系の面が目立ってるし、確かに説明が無きゃわかんねえな。
「私は黒創滅理だ、委員長」
「ム、黒創君なのか。…黒創君なのか!?」
「そうだ。個性の副産物とでも思ってくれ」
「なるほど個性…」
簡素な言葉でも納得したようで、飯田は指を顎に据える。
「いやそうじゃなくてだな、轟君! 黒創君を救わんとする気概は結構だが、君の出る幕ではなかったんだ!」
目のいいやつが俺の特攻の理由を突き止めたのか、不意に図星を突かれる。
「そうだな…反省してる」
反省はしてるけど後悔はしてない。
ただ、間違いを犯したのは自覚してる。だから俺は頭を下げた。
「ならいい! 繰り返さぬように! …さ、みんなの許へ戻ろう」
潔く問題児を許すと、委員長らしく先頭に立って飯田が歩き出す。
再び左手に熱を籠めてその背に付いていく。発火しないか気が気じゃねえが、これも仕置きだと思えば受け入れられた。
「そういえば焦凍、氷の生成が巧くなっていないか?」
「コスチューム工夫したからな。じゃなきゃお前と…なんでもねえ」
対等にはなれねえ、とは口が裂けても言いはしねえ。
やる前から諦めてたまるか。牛歩だろうとなんだろうと、俺はお前に追いつきてえんだ。
そんな本心を今は飲み込んで、ただただ歩を進める。
「…」
俺はもうずっと、前を向いてた。
背負うものにすら目もくれず、向上心のままに歩むその自己中さが親父譲りなんだ。
だから気付けない。だから歩み寄れない。
助けを求める、ともだちの声に。