気付けば、滅理は今日の三度寝を終えていた。
「っおお黒創! 起きたか!」
快い鶏の一声が右耳の鼓膜に染み入る。
この快活さ、身に覚えがあるのは足並み、ではなく上鳴だ。
眼輪筋を働かせて目だけを右に動かすと、やはり金髪の男子が座っている。
「脈薄かったから心配したよ。良かった」
頭上から降りてきた安堵の溜息が薄幸の鼓膜を労わった。
落ち着きのある低めの音調は児童、もとい耳郎のもの。
滅理の胸骨に寄り添っていた
「つい先程先生方が到着しましたわ。それと左腕、簡易的な処置ですので再生を勧めます」
起床時から痛みを訴えていた左腕について八百長、改め八百万が言及した。
「すまないが、再生は使えない。それより──
級友の身を案じる彼らの話を遮り、滅理は。
──何か食べ物をくれないか」
食い意地を張った。
意図や計らいが無いわけではないのだが、半分以上は本心の空腹である。
「食いしん坊かよ!? 飯食って怪我治すとかゴム人間じゃあるまいし」
あまりの脈絡不足に上鳴がよくわからない指摘を飛ばす。
言い換えるなら、付け入る隙を与えた。
「ゴム人間とは何だ。ヒーローか?」
話の腰折り水差し名人こと滅理が口を出す。
「あぁいやただの例え話だけど…ヒーローってキャラじゃないんじゃね…?」
「キャラクターなのか」
「まぁ、そうだけども…」
「ヒーローではないキャラクターのゴム人間、ということか?」
「その、みなまで言うとアレだから…」
事情を知らずば弁えも知らぬ。
造語だが、仮にそんな諺があればオシドリ夫婦の如くお似合いだったかもしれない。
「歯切れが悪いな。なぜ後ろめたがる?」
「そこまで。脱線してるよ黒創」
舌戦に負けたような面持ちの上鳴へ耳郎が助け舟を渡す。
我に返った滅理は酷く内省するが、一欠片とて表に出ないため傍からはしたり顔に見えてしまうのだった。
ごほんッ
勝ち誇ったような顔のまま、自分勝手に話を戻そうと滅理が咳き込む。
それに耳を傾けた3人の姿は、棺桶の遺体を覗き込む遺族を彷彿とさせた。
「申し訳ない。これ以上個性を使うと、私には副作用が出てしまうのだ」
その双眸が見間違いを疑うほど僅かに細まる。
「“副作用”、ですか…?」
「分かりやすい呼び方をしているだけで、本質は少し違う。言い換えるなら“反動”だろうか」
前触れもおざなりに曝された他人の弱みを軽率には飲み込めない。
無敵にも思えた滅理の個性、その弱点を知った3人はそれぞれが言葉を返す。
「強ぇ個性だけどなんでもアリじゃねーってことか」
「反動っていうと、上鳴のアホ化現象と似たものってこと?」
「アホ…っ!?」
「現象、というより反応ですわね。上鳴さんの場合」
「なんでノるの!? 戻れよエーs」
「強個性といえど身体機能。相応の対価は付き物ですのね…」
「無視じゃん…」
「上鳴ちょっとうるさい」
「扱いひでぇって!」
先のレスバの敗北者を弄びながら。
勿論、その真意は単なる嫌がらせではない。
ドームの明かりに目を伏せた滅理が、3人には萎縮したようにも見えたのだ。
衰弱した病人に千羽鶴を折るように、気休めを用意せざるを得なくなった。
個性の副作用以上に対人関係を弱点とする滅理には、こうして場を和ませる彼らの気遣いなど知る由もないが。
「起キテイタカ黒創。我ノ分身ガ戻リ次第、ココヲ離レテ正面玄関ニ移ルガ、歩ケルカ?」
数学の授業で数回ほど関わったエクトプラズムが、3人の輪の上から照明を隠すようにして顔を出す。
彼の個性は『分身』といい、名の通り分身を生み出すというものだ。
山岳ゾーンに来た彼の分身は5体。その内2体は別のヒーローとゾーン全体を隈なく調べて残党の有無を確かめている。
そして2体が雑兵らを拿捕して一纏めに囲み、残る1体が滅理たちの許に来たのだ。
他のゾーンも同様に分身を向かわせており、本体は中央の広場にて情報分析に努めている。
「いいえ。今動くのは口だけ、です」
滅理は重々しい瞬きで答えた。
「ソウカ、了解シタ。動ケル者デオマエヲ運ボウ。多少ノ揺レハ覚悟シテオケ」
「はい」
簡潔にそう伝えると、エクトプラズムは顔を引っ込める。
再び光が網膜に届いた。
「なんで口は動かせるんですかぁ~?」
変顔を近付け恨みがましく文句を垂れる上鳴に他2人が距離を置く。
「でなければどこから物を食べるのだ」
微塵も動じず、凪いだ声色で答えた滅理。
まるでそれが自然の摂理だと言わんばかりの口調に、ただ調子づいただけの上鳴は縮こまる。
「…分身ノ帰リガ遅イナ。足ヲ滑ラセタカ?」
「そういや先生、あのヴィランどうやってムショまで運ぶんですか?」
輪から離れたエクトプラズムの呟きは霧散し、代わりに上鳴の質問が聞き届く。
「心配ニハ及バン。拘束ト移動ニハ我ノ必殺技ヲ用イル」
「必殺、技…!?」
「ほう」
年頃の男子にはデカい釣り餌だったのだろう。
ザ・男子高校生の上鳴はともかく、滅理まで反応を示したのは意外の一言に尽きる。
叶わないと諦めかけた滅理の感情の発露がこんな幼稚なことで賄われるとは、女子2人揃って思いもよらなかった。
「何気にプロの本気見れんの初じゃね!? なぁ黒創どんなのだと思う!?」
「分身で袋叩きにする、とかだろうか。いや、それではインパクトが弱いか…?」
「俺わかった! アレだ、本体を分身と入れ替えて緊急脱出!」
「素晴らしい発想だ、並盛」
「アイ、アム、カ・ミ・ナ・リ。リピートアフタミィー」
「あいあむかみなり」
「何やってんの…ていうか、それだとあれ運ぶの無理じゃない?」
お喋りの末、耳郎の指差す方を一同は見向く。
岩壁を見たとき線対称となる位置。脱力した掌で例えるなら、親指側の広い箇所。
崩落した地面に下半身を囚われ、敵地で熟睡する
ということは、あの姿が素なのである。
空恐ろしいことこの上ない事実だ。
恵まれ過ぎた体躯が祟り
異形型
そんな
あと、その体でどうやって地面に潜ったのか。滅理にはこれが最も謎深く感じられた。
「こう…敵の分身を作ってなんか、上手いことできなぃ…?」
「無理があると思いますわ」
きっぱり。そう表すのがしっくりくる八百万の返答。
なんの遠慮も無い台詞に項垂れた男子2人を見兼ねて、エクトプラズムが一応の終止符を打つ。
「追々見レル。ガ、過度ナ期待ハ禁物ダ」
若干の生気を取り戻し、2人は目を見合わせ輝かせる。
片方は雰囲気だけで語っているため、肉眼なら伝わるがカメラでは分からないという逆心霊写真的なことになりそうだ。
そうして人心地つくと、4人は互いに身の無事を祝った。
あの時はどうもありがとうだとか、その時のあれは何だったんだとか、他愛もない冗長な会話。
どうにもそれが4人には、勝利の美酒か何かだと錯覚できた。
一種の未成年飲酒だ。酔うにはまだ時期尚早。
早とちりと言ってもいい。
「…? 3人共、なにか臭う」
唐突に、いつもの調子で滅理が告げる。
「臭う? ……いや、特になんの臭いも…」
「待って耳郎、確かになんか臭うわ。なんだこれ」
「菌類のような…あまり好ましくない臭いですわね」
呼ばれた3人は律儀に応え、各々なりに分析を下す。
「濃くなっ──────…………うそだ」
「え? いや嘘ではないっしょ。実際臭うし」
忙しなく鼻先を回して臭いを探る上鳴は、八百万と耳郎の2人が黙り込んでいることに気付けなかった。
滅理は地面に顔が近かった。臭いは地面を這って広がっていたから、一早く気付けた。
滅理は嗅覚が鋭かった。幼少期の個性訓練で五感を鍛えていたから、嗅ぎ分けられた。
「なんで、まさか、ちがう、」
引き攣った滅理の顔。
後から見た上鳴も、腑に落ちるほど悲痛な表情。
「いやだ」
滅理は臭いを知っていた。
ズアアアァァァァァァァ………
岩壁の崖上より、黒紫の靄が垣間見える。
「ワープの敵!? まだ居たのかよっ!!」
不吉はやがて零れ、至る所に滝壺を形作る。
「っ違います上鳴さん!! 新手ですわ!!」
一際大きな雫が落ち、光蝕む絨毯が敷かれる。
否。
雫ではない。
「何、アレ…?」
外套を思わせる飛膜。
凹凸のない額。
肩を掴む誇大な爪。
その正体を知るは、滅理ただ一人のみ。
嘗て幼龍の巣を発った、滅理の義兄である。
「生徒ハ下ガッテイロ!!」
「ハウンドドッグヲ倒シタノカ…!」
「道理デ分身ガ戻ラナイワケダ」
靄に肺を侵され、倦怠感が滅理を苛む。
心臓を引き絞られるが如き激痛に、呼吸が浅く弱っていく。
「ああゴメン!! 体起こす!」
はたと気付いた耳郎を皮切りに3人が滅理を起き上がらせる。
咳き込む力すら無いのか、顔色を悪くしたまま顔を伏せる滅理。
「龍、成」
力なく囁き声を発し──
「何!? オレ上鳴!!」
──「違うッ!!!」
衝動性を露わに、設けていた力の制限を保身と共に破り捨てた。
「あれは兄ではない…! 『
慟哭。
脇目も振らず、外聞を捨てて、己の身すら省みず。
ひしゃげた左腕で地を付き、遅々として歩を進める。
ブオッ
射程に入った獲物を狩る白身魚のように、即座に翼と化した腕が振るわれる。
すぐさまエクトプラズムが滅理を庇うものの、軽量級相手に差異は無い。
諸共弾き飛ばされ、ただ無為に帰すだけ。
どころか、場に留まることをも許されず。
3体のエクトプラズムは大柄な滅理の体を巻き添えにし、崖下へと投げ捨てられた。
『シャ゛ア゛ァァァァァァァァアア!!!!!!』
地の底からせりあがって来るような、悍ましい咆哮が木霊する。
土の掌には、転がされるだけの原石が残った。
「…お2人とも、目を閉じて下さい…っ!」
言い捨てるような忠告を経て、八百万が投擲したのは“閃光弾”。
極めて照度の強い閃きが辺り一面駆け巡る。
腕で隠そうとも筋肉を透かし通すほど強烈な光は、根本から的外れの失策だった。
効かないのだ、目が無ければ。
「そんな…! どうして…」
名状に苦しむ非情は無い目を凝らすかのように首を擡げると、獣竜に矛先を向け突進する。
もはや見境など知りもしないのか。
と思えば、四つある前脚で獣竜周りの土を掘り返し始めた。
事情は分からないが回収されているのは明白。
即刻止めなければ、初の敵退治は水の泡だ。
「いいえ、考えるのよ百。今できる最善は………!」
幾ばくかの時間を要し、翼を除く四肢が獣竜を掴み上げる。
はためく外套が空を掴むと、巨体は徐々に浮き上がった。
「せぇいっ!!」
またもや投擲。
風圧に間引かれるだけだと誰しもが思う中、その玉は吸い寄せられるように獣竜へと着弾した。
「え、当たった!?」
「運良く風に巻き上げられただけですわ!! ですが棚ぼたで結構!」
『ボアァァァ…!!!』
恨めしそうに原石を眺め、しかし何もし返さずに飛び去る。
果たしてこれが吉と出るか、凶と出るか。
見届けるのは──
──滅理だ。
火事場の底力を絞り出し、心臓に追い討ちをかける。
エクトプラズムの分身3体が滅理を落下の衝撃から守ったのだ。
その甲斐あって滅理はこうして飛んでいられた。
とはいえ、一から探し出すほどの余力は残っていない。
獣竜の
導き手たる明滅が誰の計らいかは言うまでもなかった。
さりとて。
決死の飛行に精一杯な滅理と異なり、現実は如何なる時も常温を保つ。
黒く濁された靄の塊が、熱くなった滅理を冷淡に拒んだ。
「ぐあっ…」
追いすがるだけの半端な形態では防ぎようがなかった。
唯一生やした翼を盾に直撃は免れたが、それは飛行を代償とした。
兎を負かす亀に、滅理はなれなかった。
滅理は。
───ビシャアァァァアァァァン!!!!!!!!!
空間を裂き轟く落雷が、まるで一本の束のように光の柱となって行く手を阻む。
いきなりの横槍に体勢が崩れる。
その際、急な回避が災いして抱えていた獣竜を取り落とした。
「外れたか。偏差撃ちなんざやるモンじゃないね」
目撃者の驚きを硝煙に、雷獣の一閃は終わりを告げる。
八百万が獣竜に当てたのは、発光塗料を混ぜたカラーボールだったのだ。
微かな輝きを捉えた雷獣ヒーロー
「全く…」
落下した敵がまた暴れ出すかもしれない。
それを仕留めるのは誰だというのか。随分と他人任せな策じゃないか。
飛び出してった生徒も、考え無しが過ぎるんじゃないか?
喉を掻き、昂子は数々の苦言を飲み込む。
悪いのは
あと。
「そういうのは消太がすりゃいい」
十年来の信頼に水を差すわけにもいくまい。と。
滅理は森林ゾーンの木に引っかかることで、辛うじて一命を取り留めていた。
今日で4度目の不幸と幸運だ。
喜ぶべきことだ。
天秤の傾きさえ考えなければ。
後出しの、矮小な幸運などでは覆らない現実。
後戻りも取り返しも効かない、事実の入れ墨。
「…龍成が…………
使い物にならなくなった翼を退化し、幾つかの枝から脱する。
胃の腑が窄む気分だった。
突き付けられた実相はただでさえ限界を訴える身体を蝕む。
自棄に走り後先を一切合切捨て去れるのなら、一体どれだけの千辛万苦を無視できたことか。
滅理は己が力のためにそうした逃げとは無縁に生きてきた。
今更現実から目を背けたとて、待ち受ける結末には一片の狂いもない。
現に、個性の副作用が始まった。
「私は弱い。私は弱い。私は弱い。弱者とは私のための言葉。この世で最も勝ちが無ければ価値も無い半端物。でなければならない臆病者」
決まり文句をつらつらと並べて副作用に耐えながら身体を変容させていく。
頑健な筋肉は萎み、太く角張った骨格は丸みを帯びて縮こまる。
「“それ”が私で黒創滅理」
一つ一つ確かめながら錠をかけるように自分を暗示する。
不快なまでに甲高くなった声色を煙たがりながら、滅理は取り繕う。
怪物の目覚めを遠ざけるために。