あのスラムの路地裏、見上げた先にある建物の隙間から覗く空は狭かった。
だというのに手を伸ばしても、遠すぎる。
あの白い舟、笑い声が満たされる中で見上げた空は広かった。
それでもやはり手を伸ばしても、遠すぎる。
空の向こう、ずっとずっと遥か先。
あの夜に、三日月に手を伸ばす"お前"を見て、俺もいつの間にか空に手を伸ばしていた。
中身のない真似事はそれでも長い年月を経て確かに芯を持っていたらしい。少なくとも俺の中で何かが
羨ましかったのかも、しれない。
…俺はずっと知っていたよ。
お前の中にある恐ろしいものを。けれどそんなことは些細なことでさ。
それがどんな恐ろしいものであろうと、俺はお前が手を伸ばすありさまを横でずっと見ていた。
その伸ばした手で、"月"を掴めるのかどうか知りたかった。
────珍しく波の穏やかな宵。
奪った
夜の男が俺の元へと訪れた。
あいつが"月"を掴むための一歩目、その爪先は俺の方を向いていた。
…だから俺はあの夜、お前にあの"闇"を明け渡したんだ。
そうして俺は
「────おい、これ、欲しかったろ?やるよ」
一人だけの医務室、その部屋の入口を塞ぐように現れたティーチに向けて、俺は夜のような色をした悪魔の実を放り投げる。
驚きに見開かれた丸い目は、しかしすぐに実を追った。拍子抜けするほど簡単に手の中におさまった悪魔の実を、ティーチはしげしげと眺めて、やがて俺をもう一度見た。
頭に流れ込んでくるのはほんの少しの困惑と、喜び。疑問なんてものは思ったよりも少ないらしい。互いに、きっと長く知り過ぎたんだろう。
そうだ、こいつが図鑑を開くたびに目をつけていた実があったことを、恐らく俺だけが知っていた。
「…!ゼハハハハハ…確かに俺が欲しかった実だが…よく気がついたな?いいのか?せっかくの悪魔の実だぜ?」
"悪魔の実は発見した者が食べてよい"
この白髭海賊団の決まり。
こいつの欲しい悪魔の実を手に入れたのは、俺だった。ならば、ここに来ることなどわかり切っていたことだ。
ああ、ティーチとて、俺がそんなに駄々をこねると思っちゃいなかったんだろう。
長い間求めていた実とは言え、悪癖の
そして当然、俺がお前の考えを理解していることを、お前も気が付いていたはず。なんて互いに言うことすらしないまま。
「お前に殺されたくないからな。だけど、あぁ………そうか、そうだな…その代わり"交換"ってことにしよう」
「あぁ?"交換"?」
俺のたった今思いついたかのような呑気な言葉に、やつの"声"は呆れの方が大きくなっている。
事実その通りであるし、俺も
他人の声は聞こえて来るのに…いやだからこそ、自分の内に気が付けていなかったのだろう。
「………空を飛びたいんだ。別にどれでもいいが、出来ればうんと長く飛び続けたい」
マルコに影響されたんだろうなぁ。
漠然と、悪魔の実を食うならそういうものがいいと思っていたのかもしれない。
どうにか悪魔の実を取ってやろうと意気込んで来たティーチの前で、ふんぞり返った良い年した男の発言がこれである。
さしものこいつも今度は盛大に、隠すこともなく呆れ返ざるを得なかったようだ。
「ゼハハハハハ!!おいおい、お目当ての悪魔の実じゃなかったってだけか!?トリトリの実が欲しかったのかよ!」
「いいだろう?俺もここから飛び出して、旅でもしたいのさ」
「そんなもん一つでいいんならこっちとしては歓迎さ!…だが、俺が約束を守らなかったらどうする?」
「そん時はそん時だろ?それに、そういう所は真面目だって思ってんだが」
「真面目って言葉は俺たちの間柄からは程遠い言葉だろ!…だが、いいぜ。昔からの付き合いだからな」
"昔からの付き合い"
どうにも不思議な言葉だ。
初めてスラムのゴミ捨て場で出会った時から、どれくらいの年月が経ったものか。
あの頃から、利害の一致という一点以外で向き合ったことがあったかどうか、疑問に思える。
そりゃぁどうでもいい話もしたし、あの
そしてお前の中にある種火が静かに
お前はそれを黙って受け入れていたが…そのせいかずっと何か見えない"壁"があるような感覚を持っていたんだ。
昔からの付き合い。
なるほどこんな適当な仲の俺に使うには、まぁお前らしい言葉だったのかもしれない。皮肉が効いている。
「ハっ!違いない」
思わず、俺は鼻でそんな考えを笑い飛ばした。
考えたところで、どうにもなる話ではないだろうに。
「じゃぁ俺はさっさと行くぜ!なんせ、やるべきことはごまんとある!」
その瞬間。"壁"が崩れた。
ようやく正しく理解する。
少なくとも俺の特異な見聞色を警戒してはいたらしい。溢れ出すのはこの夜の海ぐらい暗い、炎のような野心。全て吞み込まんとする大きな大きな"夢"だった。
こんなものをこいつは俺にすらわざわざ隠し続けていたらしい。
無駄な努力をしたものだな。なんて言おうとした口を押し留め、代わりに"昔からの付き合い"のこいつに、心ばかりのはなむけの言葉を贈ることにした。
「あぁ、行けよ。ようやくお前が本当は何をしたかったのか、これからわかるんだろう?」
「ゼハハハハハ…見てりゃわかるさ…だが、"何をしたいのか"って話はお互い様だろう?まぁたまには飲みに来な!歓迎するぜ?」
おや、と思う。
こいつには、俺が"底"に何かを隠しているように見えていたらしい。
合点はいく。力ある者は誰もが何かを得ようとする。こんな海であるならば、尚更に。この見聞色が"力"と見えたのなら、こいつがそう考えても不思議ではない…が、これもまた無駄な警戒をしたものだと小さく笑った。
俺にはない。
なんにも、ない。
ただこの与えられた
それでもより
────だからお前が手を伸ばそうとしている様が、羨ましかったのかもしれない。
そんな
訂正は一度だけする。
それ以上は、無意味だから。
「俺は俺の欲しかったもの探しに行くだけさ。吉報を待ってる」
「期待すんなよ!!またな!ゼハハハハハハ!」
「またな」
そうしてあいつは白い船を降りた。
今にして思えば、血の一滴も流れなかったことは喜んでよかったことなのだろう。
────面倒なことだが、こうなると事情を説明するのは俺の役割なもんで。
エースのやつは「あの恩知らず!」と怒っていたが、親父がグララと笑えばしぶしぶと矛を収めた。だが、次の言葉は少しだけ重さがある。
俺の見聞色を知った上での、意図的な"重さ"を混ぜ込んだ言葉だ。
「で?ティーチはなんて言ってた?」
『親父にはよろしく言っといてくれよ!!ゼハハハハハ!!』
という去り際の言葉をそのまま伝えれば、はぁとデカい溜息一つ。
それはあいつの
親父は悩んだ末に、ティーチのことは一旦置いておくことに決めたらしい。そして今度は俺に対してこう言うのだ。
「お前はどうするんだ?」
「………────」
俺が船から降りる時は、盛大に祝ってくれたということだけは一応言っておこう。
やがて俺はあいつから悪魔の実を受け取った。指定された島に、宝探しの様に隠された宝箱。茶目っ気と嫌がらせを両立した"受け渡し"は、丸二日もかけるはめになった。
文句は当然、笑って流される。
灰色の翼。
どこまでも飛ぶための、力強い翼。
あぁ、そしてやっぱり目的などなく、ただ月を目印に上昇する。
人が鳥の形を真似て飛ぶ。目指したものは翼程度で届くわけもなく、それでもあまりに飛び過ぎるはばたきで昇り続けた。
あてもない上昇の最中で、俺は彼女を見つけたんだ。
まるで月の様に綺麗な瞳の彼女を。
刃物や細い針…或いは糸のようなものを見ると落ち着かなくなる、恐怖が込み上げる。モネは俺にそう伝えてくれた。
「 限局性恐怖症…ざっくり言えば尖端恐怖症の類だと思っている。刃物恐怖症の方が近いか」
「思っている」
「俺は外科なんだよ、心の病は専門じゃない」
「…船医だったのよね?ならば臨床医療のスペシャリストのはず。精神科も普通は貴方の領分のはずよ」
「所詮海賊だ」
俺は肩をすくめた。そう、所詮海賊である。しかも不死鳥が船医として乗っている船の。良くも悪くもマルコが優秀すぎた。
モネもまぁ海賊だものね、とすぐに思考を切り替える。
「────思っている、と言ったのも、何も自信がないからだけじゃない。お前、俺のパレットナイフを持ってもなんともなかっただろう。刃物ではないが、大分近い見た目だ。つまるところより具体的な対象に対して反応してるんだろう」
「そう言えば」
「あれは真っ二つに折れていた」
「…ごめんなさい」
「よし」
俺はさっさと許し、手元のカルテに視線を向けて続ける。
このカルテには、彼女の症状が記されていた。しかし一番上に書かれた文字列、彼女の名前が書かれているはずのそこには、
"アリス"
まだモネが目覚める前、名前もわからぬ彼女に名付けた仮の名。未だにそこだけはちょっとした理由から彼女本人を正しく表現していないままである。
「だが先端が微妙に丸まってるパレットナイフが例外なだけかもしれん…ともかく、そこあたりの症状があるというのだけは確かだ。俺の刀と打ち合っても平気だったのは、興奮状態だったから参考にはならないな」
「…恐怖症、ね。刀で頬を浅く切られたのと、背中。もう一つは…
「覇気なしの斬撃。それでも、その出来事がお前に死を強くイメージさせた。理由としては十分だ…その後の心臓への一突きも加えてな」
「…」
麦わらの一味、"ロロノア・ゾロ"に受けた斬撃。その男は随分と優しかったらしい…見事殺さず、彼女を完全に無力化して見せた。それでも心に傷を追うのは避けられなかった。そいつだって、まさか過去のトラウマとリンクするなど思いもしなかっただろう。
そして誰がやったかもわからない、彼女の抜け落ちた心臓への刺突。何度考え直しても生きていたのは奇跡でしか無い。
目の前の当人は努めて無表情を
強がっている。そのことを、以前よりも心の奥底へ隠そうとはしていなかった。これを俺への信頼と見るべきか判断はつかない。
「光過敏の類もありそうだと思ったが、どちらかというと
「…」
「この続きは、また今度にするか」
これ以上は、今はよすべきだ。
小さく息を吐き出し、"アリス"と書かれたカルテを挟んだ厚い台紙をベッドの上、彼女の膝の上へと置く。
しかし彼女はそれを見ようとはせずまだ俺の目を見ている。俺もただ、その美しい目を見つめ返した。
「まだ一度も、ちゃんと言えてなかったわ。助けてくれてありがとう、ルート」
「やっと、心からの礼を聞けたな。言えない程育ちが悪いかと思っていた」
「所詮海賊ですもの」
相手の隙を
しょうもない冗談には、先ほどの俺と同じ言葉で返される。
「…それにお前を引き上げたのは俺じゃない、チューイだ」
「あの子にはまた後でお礼をするわ。…それに、私が言いたいのはそのことだけじゃない」
「それは────」
「全部よ」
パンクハザードの件から、当てはまりそうな事柄の全てを連ねようとした俺の言葉を
全部とは、どういう"全部"なのか。
「出会ってからの、全部」
今まで一度も彼女から感じなかった、俺に向けられた"声"が聞こえる。
「この真っ暗な白夜から、私を引き上げてくれた」
「それは違う」
それでも勘違いだけはして貰いたくなかった。
俺がモネ。お前を引き上げたのは、
「お前が生きたいと、抗ったからだ」
だからあんな状態でも心臓は生きていた。
偶然なのだとしても、抗わなければ拾い上げることもなかった奇跡。
「あなた、こういうのは素直に受け取るものよ」
「なら礼は受け取る。だからモネ、お前ももっとお前を認めてやれ。思うよりもずっと、お前は壊れてなんかいないんだよ」
「………私は…」
"誰か"のために生き続けてきたモネ。
彼女の罪も何もかも消えやしないが俺も所詮は海賊。そんなものは知ったことではない。
…割と
そして全てを失った。
かなり甘めな判断だが、もう、いいだろう。
俺は何も知らない他人でしかない。だから、他人らしく無責任に許してしまうことにした。
「もういいんだよモネ。少なくとも今、この島でだけは…」
────思っていたよりもずっと穏やかな声が出たことに、俺もモネも内心驚く。
彼女は視線だけずらす。
赤くなった彼女の顔は、何故か不服そうに眼を細めるばかり。落ち着きなく、その視線は俺の顔や手元を往復していた。
古い記憶までまとめて思い出してしまった彼女。剥がれた仮面の下には幼少の経験のせいで自分を卑下する心が隠れていて、そんな自分の中に生まれているかつての自分とのギャップに、色々と追いついていないのが現状なのだろう。
そこは、ゆっくりと埋めていけばいい。
とはいえやはり強かなもので、ふぅ、と息を吐き出し呼吸を整えた彼女は、またいつも通りの姿を取り戻しつつある。
それが見せかけでも、今はそれに付き合った。
「────ところで、どんな海賊団に所属していたか聞いていいかしら」
「気になるか?」
「私だけ知られてばかりは不公平」
「確かにそうか」
もう俺たちはただの患者と医者の関係とは言えない。
それに今までの探るためではない、純粋な俺への興味。なんの警戒も必要ない雑談。そういうのであれば幾らでも話してもいいなと、そう思えた。
「今はもうない、大きな海賊団にいた」
「有名?」
「とびっきりな。船長が寿命で死んじまってな…大往生さ、あんな幸せな死に方できる海賊はそういやしない」
「…!…それって、まさか…────」
『プルプルプル』
当てはまる海賊など、一人しかない。
その名をモネが言うより前に、電伝虫が鳴った。
…俺は受話器を取ろうとして────手を触れた直後に動きを止めた。
電伝虫が鳴く気の抜けた音が響く中、不自然な間が生まれる。それに、ついに彼女は耐えられずに一言だけ。
『プルプルプル』
「…」
「…とらなくていいの?」
嫌な"声"が
受話器の先、その"声"が通話に出るよりも前から、電伝虫の念波を介して俺に僅かに流れ込み
だからと言って、出ない理由はない。
今度は、いつも通りに体は動いてくれる。
『プルプルプル。ガチャ』
「────あぁ、ティーチか」
「…っ!?」
相手はティーチ…"黒髭"のティーチ。
相手が誰なのか正確に理解したモネが、小さく息を呑む音が聞こえた。
白髭、そして黒髭。
彼女の中で、確かに俺が白髭海賊団に所属していたのだと確定した瞬間である。
『ようルート。えらく出るのに時間かけたじゃねぇか、間が悪かったか?』
「妙な言い回しをするな。お前んとこまで繋がる電伝虫は家にしか置いてねぇんだよ」
『ゼハハハ…!そりゃぁ悪かったな!!じゃぁやっぱり今は諸島にいんだな』
やはり妙な言い回しだった。
同時に、この通話に応じたこと自体が間違いだったと思い始めたが…最早どうしようもないので、俺は諦めて話を聞くことにする。
「で?用件はなんだ?」
『ああ!返してもらうことにしたのさ!』
「何を」
『悪魔の実さ!!』
俺の中で、点と点が繋がる。
先ほどの妙な言い回し。そして"返してもらう"という言葉。
能力者、狩り。
モネと、目が合った。
「…成る程。今近くか?道理で、"声"が妙に入り込んで来たわけだ」
『ゼハハハハ!!いなかったらどうしようかと思ってよ、確認したかったのさ!』
「だがわざわざ
『とぼけんなよルート、一人じゃぁないだろ?え?』
まぁ、ばれてるか。
心の中で舌打ちをする。
そも唐突にパンクハザードの件の詳細を求めたのは俺だ。
こいつは島で起きた出来事を、事細かに調べ上げていた。最悪なことに意外にマメなやつなもので、気がついたのだろう。モネの存在を。
そのモネは、噂の黒髭が自分を追っている可能性を想像し、小さく身震いした。
『俺にも俺のツテってのがあるのは知ってんだろ?そこで知ったわけよ!一人足りないとな!裏切り者のヴェルゴ中将は口を割らなかったらしいが、G5の海軍は
「それで確信したわけか?ここにいると」
『ゼハハハハ!逆におめェんとこにいなかったらおかしいだろ!?』
「あぁ、いるな」
「あなた、人の心は?」
誤魔化す努力はしないの?というモネのジトっとした目を他所に、俺は考えを巡らす。
まだカマをかけている段階の可能性はあった。
だが、どう答えようと遅い。
有用な能力者が二人。
それは動き出すきっかけに過ぎない。
ここまで来たならば、例え俺一人だろうが行動に移すだろう。
こんな小さな諸島で、まだ快復してないモネが一人で逃げ切れるとも思えない。
「それにしても、やはりわざわざお前が来る理由がないだろうに。もう一度言うが、買い被りすぎだ。お前の得意分野は油断と慢心だろ」
『ヒデェな!?ゼハハハ…計画にまで油断は混ぜねぇよ!その後はまぁ、天任せさ!!』
「…どうやら今日のお天道様はお前にの方についたらしい」
晴れだ。雲一つない。
長い嵐は昨日、去ったばかり。船が嵐で難航することは期待できない。
『住民を人質にするのもいいかもな!ゼハハハハハ!!』
「隣島の中央にピンク色の気色悪い店を構えてる旦那がいてな。そいつならいいと思うぞ。なんせ女物の下着を履く変態だ、世のためになる」
「あなた人の心は?」
『お前が逃げられないようにするための人質に決まってんだろ!?海軍を呼べよ!?』
ガチャリ。
俺が脈絡なく受話器を置いたせいで唐突に静けさが訪れる。
モネの困惑を無視し、少しだけ頭の中を整理した。
「よし、逃げる準備をするか」
じゃぁなんで律儀に教えたの?と思わず聞こうとしたモネに、誤魔化してもどうせもう場所も全部既に割れてると説明してやった。
「受話器を取った時点で居場所を確信された。あいつがかけてくる電伝虫は、家に常住している一匹だけだと向こうも把握しているからだ」
「選択肢はそうないみたいね…」
あいつは正面から来る。
人質なんて回りくどいやり方をする時は、どうしようもなく面倒な相手をする時だけだろう。それこそ、海軍を相手取る時など。
「そしてこれも憶測だが、あいつは一度逃げられたらもう、追ってこない」
「…そんな都合のいいことがある?」
「今回ばかりは、大いにあり得る」
ティーチのやつが拠点にしているハチノスのある"楽園"からは、
…その手段がなければ、航路を考えるならばここは最も楽園から遠い島だ。
そうでなくとも、マリージョアのあるレッドライン、そしてニューマリンフォードからとても近い位置でもある。もちろん、
まぁこれに関しては、間違いなく
インペルダウンから奪ったらしい軍艦ならば、それが可能だからだ。
だが考えて見ればわかることだ。
果たして、"黒髭"の位置を、海軍が把握していないことなどあり得るだろうか?
「無理ね。一時的に撒くことは出来るかもしれないけれど、海軍だって監視は厳重に行ってる」
「
ニューマリンフォードも、マリージョアも比較的近いここを、だ。
そのリスクを承知で、あいつは来た。
何があいつを突き動かしたかは知らん…いやあまりそこは考えてはないかもしれないが、あいつはもう"四皇"。
そんな大物がここにいる"誰か"を狙った。その事実だけあれば、今後海軍が嫌でもここを気にしなくてはいけなくなる。例えこんな辺境の島々でも。そうなれば如何にティーチとて、何度も来れるはずもない。
「だから"一度"と」
「前向きに考えるならば、人質をとって悠長にする時間すらも向こうはないかもしれない」
「使い捨ての部下だけ向かわせてる可能性は?それならば仮説は全て白紙よ」
「ないとは言い切れないが、あいつに限って可能性の低いケースだ」
「根拠は」
「長年の付き合い」
「そういうことなら、それで十分だわ」
他のケースはいくらでも考えられるが、考えても仕方ないことは無駄と割り切り、ティーチの性格だけを切り取って結論を出す。
極論、逃げ回ればいい。それで話は終わる。時間はこちらの味方だ。
────…そう、一人ならば。
今は、モネがいる。
チューイもだ。
時間がないのを理解している上であいつは来た。
ならば逃げること自体難しい状況を既に作っている。
キリリ
遠くから、何かが空に飛び立つような音が風切り音が連続していた。急ぎ窓から様子を確認すれば、白く細い糸のような何かが青空を覆い尽くしつつある。そしてこの、張り詰めた弦のような音。
キリリリリリ…
「どうやらもう遅かったようだな────モネ…?」
彼女はベッドの上から動いたわけではない。
しかし、この音を聞いた途端に…再び怯え切った子供の彼女のイメージが入り込んできた。目の前の彼女もまた、か細い息を吐きながら震えていた。
そして静かに、金色の瞳が俺を見上げる。
「………ルート、お願い、教えて…────まだ、私に隠していたことがあるでしょう…?」
「…ああ」
「言って」
「…」
「お願いよ」
外では変わらず、俺たちを閉じ込めるための包囲網が築かれ始めている。異変を察知した鳥たちは飛び立ち、それによって島中の木々が騒めいていた。
それを無視して、俺はベッドサイドのマホガニーの椅子へと腰を下ろし、彼女の
「深呼吸しろ…そうしたら、言う」
「────…」
「… よし。二週間前だ」
今日の世界経済新聞は、ビッグマムが娘の結婚式を開くと話題になっていたのを思い出しつつ、記憶を辿る。
「私とあなたが地下室でぶつかった日のことね」
「そうだ。万が一にも見られるとまずいと思って、その新聞だけは燃やしていた」
震えは止まっていなかった。それでも彼女の金色の目には既に諦めの感情が宿ったことを、声を聞くまでもなく理解する。
美しい金の瞳が伏せられる。
それに俺の心がズキリと痛んだ。
対してキリリと、彼女の中からはいつかの音が鳴った。まるで今青空を白い檻で閉ざそうとしている何かのような音。
「ドレスローザを発ったドフラミンゴの護送船が襲われた。他のファミリーとは分けて護送していたらしい。下手人は百獣海賊団、"早害のジャック"…────そしてそれに便乗した、黒髭ティーチ」
「………そう…そう、なのね」
「モネ」
"ドフラミンゴ"。彼女にとってはいまや複雑な相手だろう。
早々に、全てを割り切ることなど出来やしない。だからこそ、まだ伏せていた。流石の俺も
「続けて」
「…その襲撃で、ドフラミンゴの死亡が確認された」
海軍側の主要な戦力は"センゴク"、"藤虎"、"おつる"。この一国をも滅ぼせるメンツを前に怯まなかったジャックもジャックだが、その隙を見事についたティーチもティーチだ。
連れ出すことは諦めたのか、元々その予定がなかったからなのか。あいつはドフラミンゴを殺害した。そして…その理由の答えが、今の
能力者狩り。
イトイトの実が奪われた。
「大丈夫」
「…」
「大丈夫…今は、忘れるから」
キリリ…リ………
彼女の中から音が止む。
目に、光が戻る。
「あれは"鳥カゴ"。若様の────ドフラミンゴがその一帯の人間を逃がさない時に使う手段」
「突破は?」
「今まで能力者本人が解除する以外で消えたことは一例も知らない…ドレスローザでは、わからないけれど」
「能力者の練度不足を期待するのは止めるべきだな。あいつの船員は選りすぐりだ。何より、"レベル6"の囚人もいる可能性が高い」
インペルダウン襲撃。
一人だけでも海軍にとっては頭が痛いだろうに、それが何人も、だ。今の俺たちにとっても頭が痛い。
「触れるだけで相手を傷つける、刃の檻よ」
「俺たちは文字通りカゴの中の鳥か…。まるで"
「あら?懐かしい絵本の名前…もしかしたら海の中なら、糸は届いていないかもしれない」
「確信は?」
「ないわ」
「範囲はかなり広いが…このクルモア島と、周辺海域だけのようだな」
糸が走る風切り音が止み、ただうっすらと遠くに白い線が延々と立ち並ぶ。少なくとも、他の島の住民のことは考える必要はなさそうだ。
彼女の中から聞こえた音と同じ、キリリと軋む糸が絶えず海を騒がせる。状況は理解した。
「俺たちの勝利条件は能力の解除だ」
「レッドラインすら見えるここを、海軍が見逃すはずがないということね?」
「鳥カゴは海軍も知っているのだろう?なら、ここにいるのが黒髭海賊団なのだと、嫌でもわかるはずだ」
ならば来る。
大将が飛んできてもおかしくはないだろう。…それはそれで恐ろしいのだが、モネさえ見つからなければ俺はノーマークだ。少なくとも手配書は二年前のティーチと同じく存在していない。
「問題は、何度も言うがティーチもそれらを理解した上で、これをしているということ。ならばここで黙って迎え撃つことは得策ではない」
「相手の思惑通りにことが運べば余計不利になるわね。向こうが速攻を心がけるならば」
「それよりも先に仕掛ける」
「"いじっぱりな少年"を追い返しましょう」
そのための灰色の翼が、俺にはある。
遠くに、軍艦の帆だけを海賊旗に挿し替えたティーチの乗る船が見えていた。
何度でも言いましょう。このような長年更新していなかった作品を読んでいただきありがとうございます!
いただいた感想も大変励みになっております。些細なことでもなんでも放り投げて貰えれば大層喜ぶので、遠慮なくどうぞ。
完結まで残すところ2話となりましたが、どうか最後までお付き合いください。
■ルート
ティーチにヤミヤミの実を渡した張本人。そこを起点に
もし悪魔の実を渡さなければ、ルートの生死はともかく間違いなく奪い取られていた。
代わりにトリトリを手に入れ、それでもその先に明確な目標などなく、ただ白い雲の上を漂っていただけでしかない。
そのツケは、ここで襲いかかってくる。
■モネ
幼少から今までの間、精神に大きな負担がかかり続けていたことにずっと本人が気が付けていなかった。
ルートは、モネの四肢が鳥類のものに置き換わってるせいで見逃したが、転換性障害等の、精神的トラウマによって手足が動かしづらい症状もあったらしい。
モネがローの能力で手足を変えて貰ったのはそういった理由があるとか。
今まで持ってすらいなかったものたちは、これから少しづつ取り戻せば良いと彼は言うが、残念ながら世界はそれを許してくれない。
追い討ちをかけるように、かつて彼女の人生の全てであった男の力が立ちはだかる。
■ティーチ
グラグラが手に入らなかったために、能力者狩りに本編以上に力を入れている。
その一環として、ユキユキを匿ってるであろうルートに狙いをつけた。
ドフラミンゴ襲撃の後、比較的近い距離で明確に把握できている能力者だったからでもある。
■ルートとティーチ
友情はちゃんとあったが、奇妙な関係だった。
元々ティーチの考え方が白髭海賊団と根本的にズレているというのがあるが、ルートもまた自身の見聞色の影響で妙にドライな一面があるため、結果として長く付き合えていたのだろう。
ただルートには熱意がほとんど存在してなかったため、ティーチは(一応)気を遣って船に誘うことはしなかった。ぐらいの関係性はある。(ルートの真意がわからなくとも、薄々その無気力を勘付いてはいた)
ルート本人が船に乗ると言い出したのなら歓迎したのかもしれない。
■ドフラミンゴ
死亡。
悪魔の実は奪われ、黒髭海賊団の誰かがそれを食べた。
メラメラが失われることはなく、代わりにとでも言うようにイトイトが抜き取られることに。
歪んでいようとも、ちゃんと彼なりの"愛"というものはあったのだ。