お詫びにちょっと長くなっております。
グラスを受け取り、少し持ち上げ灯りに翳してみる。
ランタン型の照明の光が、エメラルドグリーンに染まり揺らめく。
「……少し癖があるけど……美味しいわ」
「よかった。そのクセが苦手な人もいるからね……ここで『ホサのセンスは私とは合わないみたい』なんて言われたら、バーのオープンが1週間は遅れてたよ」
「ふふっ、そうかしら……カクテルは90点、モノマネは10点……200満点中100点で、サラのtestは落第ね」
「手厳しいねぇ」
お互い、ふにゃりとした顔で笑い合う。
肘をついたままボトルを拭く彼の表情が、今はとてもはっきりと見える。
「……そういえば……ここでは煙草は吸わないのね」
少しだけ酔っちゃったかも。
なんて、できるだけ顔を赤くしながら、お酒の勢いで口から零れたように。そう、訊ねる。
「いやあ……正直吸いたいねぇ……吸わないけど。怒られるのはもう嫌だよ」
「嫌いじゃなかったの?」
ああ、踏み込んでしまったわ。
それを認識すると同時に、緊張が体を巡る。酔いがすっと醒めてゆく。
かかっていた曲が遠のく、世界がモノトーンに変わったような錯覚さえ覚える。
まるで海の中のよう
突っ伏して逃げてしまいたいけれど、彼の瞳が、その深く仄暗い色を称えた瞳が私を捉えて離さない。
「…………そうだねぇ……ごめん、撤回するよ。嫌いだし、吸いたくない」
瞳が閉じらる。
同時に、ピンと張った空気が霧散した。
彼は頭を下げ緩やかに振った。
まるで、何かを払うように。
ことり
静かな音と共に、眼鏡がカウンターに置かれる。
「ふぅ……正直気は進まないんだけどね……一応確認しておこうかな。どうしてオープン前のバーに来たんだい?」
「そうね……胸のつかえが取れる気がしたから、かしら?」
具体性のない雲のような言葉。
言葉足らずもいい所だけれど、きっとそれが伝わっていると信じて口を開く。
「そっか…………でも、私から君に言えることは無いなぁ。強いて言えばその悩みは正しいって事くらい」
「……それは……」
どういう事かしら……?
瞳で問う。見つめる彼の瞳には優しい色が灯っていた。
「そもそも、人にアドバイスできる程私は人間ができてないっていうのと……その悩みは、悩んで、悩んで、最後は結局自分で飲み込むしかない……そんな悩みだと私は思ってるから」
「そう……」
ーーやっぱり、ホサは変わってるわ。
親密な人に相談した事はあった。
皆サラの悩みにまっすぐ向き合って、解消しようとアドバイスをくれた。励ましてくれた。
これだけ捻れた視点で、投げやりにすら聞こえる言葉は初めてだった。
ーーなんだか不思議な気持ちね。
言葉だけ聞くと雑な返答。
人によっては、もっと真剣に考えてと不機嫌になってしまう程。
なのに何故か、その言葉はストンと心に落ちた。
味の変わってしまったカクテルを取り、中身を一気に空にする。喉が少しあつくなる。
「ごめん……ただ、ここで上っ面だけの言葉をかける気にはなれなかったからさ。私なりの誠実さだと思ってくれると嬉しい」
申し訳なさそうに彼は言う。
「Don't worry about it」
なんにも入っていないグラス。
その表面の水滴をぼんやりと見つめる。
「ただ……いや……」
「言っていいわよ。気にしないわ」
彼が言葉を取り消そうとするの、初めて見たかも。躊躇うくらいなら言ってしまえばいいのに。
何を言おうとしていたのか、少しの興味で先を促してみる。
「はぁ〜……こういうの、趣味じゃないんだけどなぁ…………君なら私のアドバイスなんてなくても、ちゃんと折り合いをつけていい方向に進めるよ。サラさんなら大丈夫……少なくとも、私はそう思う」
「……ふふっ、Thanks」
不器用ね……
けれどきっと、これが彼なりの励ましなのだろう。
予防線だらけで遠回し。お世辞にも良い励ましとは言えないけれど、きっとそれは嘘偽りの無い本音だから。
「やっぱキャラじゃないなぁ……」
ぼやく彼。
カクテルグラスが下げられ、新しいタンブラーが机に置かれる。
「Are you sure?」
「いいのいいの。こういう時くらいカッコつけさせて」
後ろの棚からドライジンのボトルが宙を舞う。
「なんだか凄い今更だけど、提督とかアイオワ辺りに聞いてもらった方が良かったんじゃないか?」
「聞いたわ。その上でここに来たの」
「物好きだねぇ……もっといい言葉をかけられる人は沢山いるだろうに」
「『自分で飲み込むしかない悩み』ホサのセリフでしょう?」
「クサい台詞を復唱するのはやめてくれ……絶妙に似ている分、余計に頭が痛くなる」
「ふふふ……わかった、言わないでおくわ」
「助かる。出来ればそのまま忘れてくれるとなお助かるんだが……」
「それは無理な相談ね」
会話の一段落するタイミング。それを見計らった様に差し出されたのはロングのスラリとしたタンブラーだった。
クリアな氷と液体の中を気泡が次々と登っていく。
「……ジンフィズです」
「あら……」
材料で察してはいたけれど、本当にジンフィズだったのね。
「こういうの、苦手じゃなかったの?」
「まあねぇ……こういう時じゃないと作りたくはないかな」
なんだか嬉しいわね。
透明なグラスの中の透き通った液体は、まるで鏡のように私を映し出している。
グラスを傾けると、ほんのりとした甘みと共にレモンの風味が抜けていく。度数に見合わずとても飲みやすい。
なんとなく言葉にするのは野暮な気がして、彼にそっと微笑んでみる。
彼の口角も少しだけ上がった。
「……」
「……」
お互い言葉は無かった。
流れる曲に耳を傾けつつちびちびとグラスを傾ける。
ただそれだけの時間が、ゆったりと流れていった。
しかし心地のいい時間は長くは続かないもの。
グラスの中身は有限だ。
レモンと氷だけになってしまったグラス。
くるりと中身の氷を回してみるけれど、それで中身が元に戻る訳もない。
傾けて口に入るそれは、味気ないただの水だ。
ゆっくりとグラスを机に置く。
二度と来れない訳じゃないのだから、そこまで惜しむ必要も無い。
「今日はありがと」
日本語でお礼を言ってみる。
なんとなくそっちの方が感謝が伝わる気がした。
「ほんの少しでも寛げたなら良かったよ」
椅子から立ち上がり、扉の前まで歩く。
ホサもカウンターから出てついてきた。
「あら、そんな事しないでもいいのに」
「イレギュラーではあるけど、お客様第1号だからね……お見送りくらいするさ」
ベストやネクタイを直しながら彼は言う。
「そう……また来るわ」
「今度はオープンしてからでお願いするよ」
「それは保証できないわね。考え事は静かな場所でしたいもの」
「もっと良い場所あるでしょ?」
「ホサはサラの悩みを放置したのよ?折り合いをつける為の場所くらい貸してくれてもいいんじゃないかしら」
ああ、なんて迷惑で面倒くさい事を言っているの。
自身への呆れをそっと棚に上げておき、苦笑も微笑の仮面で覆い隠す。
そもそもこれはボランティアの様なもの。
ここで受けても見返りはないわ、ただ彼の負担が大きくなるだけ。
普通ならここでYESとは言わないわよね。
けれどこの人は、ホサは……
「はぁ……全く、そう言われると付き合わない訳にはいかないじゃないか」
「I knew you were going to say that.」
やっぱり、そう言うと信じてたわ。
「ここに来たくなったら連絡して。開けとくから」
「Yes, I get it. Thanks.」
ドアノブに手をかけ、回す。
消灯時間はとっくに過ぎている為、扉の先は真っ暗だ。
そんな暗闇に足を踏み出し、ふと、バーの雰囲気が恋しくなってしまう。今日初めて来た筈なのに、どうして離れるのが惜しかった。
このまま部屋を出てしまったら、そのまま扉を閉じてしまったら……この扉が消えて、もう訪れられなくなってしまう様な。そんな儚さを感じる扉だった。
振り返ると、ホサが微笑みながらこちらを見つめていた。
「またおいで」
また……ね
私はその言葉に微笑みで返し、そっとドアノブから手を離した。
リアルで締切という魔物に追われ、遅くなった事をここに謝罪します。
しかも書いてなかったせいで雰囲気が迷子になるおまけ付き、齟齬があったらすみません。
それでもなおここまで見てくださった方々には頭が上がりません。