Against All Odds   作:錫箱

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Where she gallops,the earth sings.(上)

 

 

「けっこう降りますねぇ」

「ん」

「マヤノさんは重とか不良とかって得」

「キライ」

「……意ではないですよねぇ」

「こんなの、女のコ走らせていい地面じゃないよ」

 

 

 六月もそろそろ半ばに差し掛かろうかという頃であった。

 水滴が連打するトタンの屋根の下、連日の雨でクチャクチャのビッチャンビッチャンになっているダートコースに向かって足元の小石を蹴り飛ばす、濡れ髪の美少女がマヤノトップガン。その後ろでベンチに腰掛けて顔やジャージの泥を拭おうと務めている浅黒い物体がハンマーソングである。

 ところは例の小さなグラウンド、シリウスシンボリ一党の根城と化している練習場だ。

 

 数十分前に急に降り出した雨は、今シーズン四度目となるまとまった量の降雨として練習中の生徒たちに襲いかかった。ただでさえ水はけの劣悪な老朽コースはあっという間に水田の如く泥水を湛え始め、こりゃたまらんとシリウス門下生たちは一目散に部室棟の方へ走っていった。今頃シャワー室が凄いことになっているに違いない。

 現在グラウンドに残っているのは、深緑色のレインコートを羽織って練習器具を回収しているシリウス本人と、その近くで傘を片手にどこかへ電話をかけている背の高いスーツ姿の男が一人のみとなっている。

 

「これくらいスペースがあればシリウス先生に教わったストレッチできるかなぁ。よっ! あ゛っ! どうですかマヤノさん! ちゃんと伸びてますか!!」

「……何やってるの」

「あ゛っ! あ゛たた! 長座体前屈ですよ! やった! 膝裏着いた!!」

 

 それ長座体前屈って呼んでいいんだ、という言葉をどうにか飲み込んだ少女は、もしかするとこういうちょっとした気遣いの体験も、オトナへの階段のワンステップに含まれているのではないか、という考えに至ったそばから少し嫌気が差してきた。

 やっぱり雨はキライ。空に路を描いて遊ぶことすら許してくれないから。

 

「──はぁ。私の身体が超硬いのは、わかってるんです。お二方(シリウスと畠山)も、まずはそこから改善しないとデビューもできないよって言ってましたから」

 

 ……指導者二人が言う「ハンマーソングの身体は硬い」という言葉は、単に柔軟性の改善が必要であるという意味ではない。

 少し勘のいい者や、そうでなくとも競走に関する適切な知識を持つ者なら誰しも、ハンマーソングの走行フォームを見ると気づいてしまう。

 二週間ほど前に彼女が一度だけ見せたあのスーパー・ロケット・スタートの話ではない。あれ以来、彼女は一度も異常なスプリント能力を見せることはなかった。

 もっとそれ以前に、彼女はただ駈歩(キャンター)のように軽く走るときでさえ、実に不自然で……という話である。

 

「マヤがちょっとずつ背中押すね。それっ」

「ピッ」

「しんじゃった」

 

 足首や膝、股関節の可動域は一般ヒトミミ以下。その硬さから繰り出されるシャカシャカカクカクとしたぎこちないピッチが産み出すのは──信じがたいことに──ごく普通の、府中トレセン学園で走るにふさわしい滞空時間を持つ「跳び」。

 その動作が孕む矛盾は襲歩(ギャロップ)ともなると更に大きくなり、もはや着地寸前のタイミングで身体全体が数十センチずつ前へスライドしているかのような、不条理極まりない動きになった。

 明らかに中央レベルではない身体能力を補うように、説明のつかない力がハンマーソングのストライド幅を広げている。

 

 今、畠山とシリウスは、この矛盾を埋め合わせようとしている。つまり、ハンマーソングの関節可動域を広げ、フォームを見栄え良く矯正することによって、彼女を「外見上説明できる存在」にしようとしているのだ。

 

 

 S:フォームをまともにしたとして、それでもまだ「滑って」たらどうするんだ? 

 H:その時は腹をくくるよ。

 

 

 何にせよ、日常生活を送っているだけでも怪我をしそうな脆い体躯を持つ少女に必要なものは、坂路やウッドチップを使用した走行トレーニングでも、腕の振りや背筋の強化を期待するウェイトトレーニングでもなく、ただただ入念なストレッチと駈歩だった。明らかに良好でない栄養状態については──寮の食事が改善してくれるといいのだが。

 

 早々にストレッチを諦めて「夏も近づく八十八夜」とか言いながらそのへんの雑草を引っこ抜いて雨降る泥濘に植え替え始めた後輩の背中を、彼女はじっと眺めた。

 どうでもよかった。

 ただただ、この脊椎の浮き出した痩せぎすの背中が、自分の視界から完璧に消えてしまうその時を──恐れなければならない。そんな奇妙な予感と切迫感だけが、マヤノを彼女のそばに居させていた。

 

「おーいお二方。残念だけど屋内どこも空いてなかったよ。今日の練習は終わりです」

 

 畠山が傘を振り振り戻ってきた。その手に小石が一つ握られているのを見てマヤノは眉をしかめる。

 

「つまんない。体育館くらい用意しといてよ」

「仕方ないでしょ先着順なんだから。岡澤のおっさんになんとか融通してもらおうとしたんだけど、あそこも枠足んなくて半分帰らせたらしい──ハンマー君は何やってんの」

「あれに見えるは茶摘みじゃないか……」

「シンボリの鼻摘まみモンだよ。君らのために残って片付けてくれてんだから後でお礼言っときなね」

 

 彼は空模様と腕時計とスマートフォンを順番に数秒ずつ見遣った。

 

「埋め合わせってんじゃないけど、ご飯でも行かない? こういう日でもないと席空いてなさそうなお店知ってるんだよね」

 

 

 相対する二人はそれぞれ正反対の意味を持つ返事をしたが、結局五分後には着替えを取りに部室棟の方向へ連れ立って歩いていった。それを見送る畠山の背後から、レインコートを羽織った人物が声をかける。

 

「──ある種の蟻には、自重の百倍の重量を持つ荷を運べる能力があるらしいな? 奴らはそれを自覚していないが、それでも自分が『やれる』ことを前提に振る舞う。遺伝子に刻まれたプログラムに従い、何も知らないまま、死ぬまでな」

 

 フードの下から現れた一等星某(シリウス)の端正な顔には、数条の雨滴といくつかの泥撥ねが散っていた。苦虫を何匹か口に含んでいそうな表情の彼女に、畠山はポケットから取り出したウェットティッシュの梱包を手渡す。

 

「俺が彼女を哀れむとでも?」

「アンタも私もまだヒト気取りだな──ま、ゲノムの奴隷同士仲良くしようぜ。天才アリンコさん」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

海浅蜊(かいじゃり)ラーメン一つ。ライスは小で」

「ほい海浅蜊ね」

「濃厚にんにく牛骨麺お願いします! トッピング全部多めでご飯も大で!」

「ほい牛骨全部載せね。ライス大」

「……タンタンメン」

「タンタン」

「なんで誰も餃子頼まないんすかね。餃子【竹】一皿おねしゃす。ライスの中も一つ」

「よっしゃあ餃子【竹】いっちょ!!!」

 

 注文を受けたおっさん店長が叫び、厨房が無駄にぶち上がり、それと比例するようにマヤノトップガンのテンションがだだ下がっていく夕方の六時半。

 学園正門から徒歩十五分ほどの立地にあるいい感じの料理店に一行はいた。一行、というのはシリウスシンボリ傘下の郎党とチーム畠山のこと。いい感じ、というのは独身壮年男性であるところの畠山にとっていい感じの店、という意味である。

 

 オモテ看板に堂々とでかい字で「餃子」と書いてあるにも関わらずラーメン食ってる奴しかいない店内。四分の三ほどのテーブルがトレセン学園の生徒たちと思しい若いウマ娘で埋まっており、それだけ聞くとたいへんかしましく良い香りのしそうな雰囲気が想像されるが実態は異なる。ハードな練習帰りに集団で麺をば啜りに来るような連中は、性別を超越して全員どこかしら、むさいのである。加えてシリウスの門下生には外見上若干ヤンチャな感じのアレが多かった。

 

 そんな世紀末スターバックスの壁際。畠山繁之とその同伴者三名が同じテーブルを囲んで品が来るのを待っていた。

 

「私ラーメン屋さん来たことないんですよね。なんか作法ってありますか?」

「まずそのぬいぐるみ君をしまう」

「はい……」

「無意味に卓上調味料を握らない」

「口ざみしくて……」

「まああとは君の常識の範囲内で振る舞えばなんとかなると思うよ。お箸の持ち方とかはそんなに気にしなくていいからね。それとここ、餃子屋」

「わかりました。あ、マヤノさんこれなんですかね。この蛇口みたいなの」

「マヤ知らないよ。帽子ちゃんにききなよ」

「足を洗うところすね」

「足を!?!?」

 

 椅子の下から足を引き抜こうとするハンマーソングの膝を全力で押さえ付けながら、畠山はぼんやりと「興行には違いないんだよなぁ」と内心妙に納得していた。

 実際のところ数十年遡れば、レース場の観客席はそういう裏稼業の人間がうろつく後ろ暗い場所であったし、今でも人付き合いの中でその名残を感じないこともない。学園内部はともかく、生徒たちの父母親族が怪しかったりもするのだ。

 最近になってようやくURAと現生徒会長がそれら黒い霧を取り除いたと思ったら、今度は「ウマドル」だ。けっきょく悪い虫がタカりそうな界隈であるのは、今も昔も同じだ。

 しかしながら、生徒を強く大きく育て上げて「出荷」する自分たちも、また別の形態を持つ寄生虫には違いないのだろうなぁ……と、先程のシリウスとの会話を思い出してげんなりする男であった。「俺の足も洗ってくれよ」とは口が裂けても言えない。彼女らの前では。

 

「……っていうか君なんでいるの?」

 

 はたと正気を取り戻した畠山が、彼の向かいに座っている「よその子」に問うた。

 部外者でありながらもはや毎度おなじみとなってきた「野球帽ちゃん(現在は帽子オフ)」が、すでに運ばれてきていた餃子皿に伸びかけた箸をピタッと止め、もう片方の手で癖のある栗色の頭髪をくるくる掻き回した。

 

「──体験入部? すかね」

「岡澤のおやじに殺されちまうよ、おれ」

「トレーナーちゃん一人の命で済むならマヤ賛成だよ。よろしくね帽子ちゃん」

「あっはは……いや、違くて。畠山トレにちょっとお願いがあるのと、単純に今日は(ウチ)の食堂が機能してないんで。夕飯食いに来たんで」

 

 寮が? なんかあったっけ? ときょとんとする面々に説明をする手間は必要なかった。

 

「店員さーん! テレビのチャンネル変えてもらっていいー? もうすぐエンプレス杯が始まるんだー!」

 

 店の反対側の席で大柄な青毛の生徒が声を張り上げた。すぐさま、いっけね忘れてたぁ、というおっさん店長による返答があり、厨房奥から若いウマ娘の店員が走ってきて壁掛けの大きなテレビへリモコンを向けた。

 

【バ場状態は不良──雨の中ゲートインが進んでいます。出走選手は七人、今、大井のアクアライデンが入りました。残るはマフィン、目下七連勝中──そして、一昨年のエリザベス女王杯を勝ちました、中央のホクトベガを待つのみであります】

 

 

 画面いっぱいに映し出された夜の闇をつんざくカクテルライト。陰影が作り出すモノクロームにも似た風情に包まれ、雨の川崎レース場が白く浮かび上がった。もともと騒がしかった店内がさらにけたたましくなる。

 野球帽抜き野球帽ちゃんが少々煩わしそうに目を細めながら語を継ぎ直す。

 

「……これなんすよ。ヒシアマの姐さん、今日いっぱいはマトモに寮の仕事できないと思うんで」

「なるほどね。しかし彼女、そんなに気になるんなら見に行きゃよかったのになぁ。そもそも登録はしてあったくらいなんだから。距離的にも日帰りでしょ」

「そこは『留守預かったからにはしっかりやんなきゃね!』つってましたから。まあ、出る前に台所覗いてみたら、テレビ見上げながら同じ食器を十分くらい磨いてたんで。メシは諦めました」

 

 運がないねぇと適当に返す畠山。訳知り顔で頷くマヤノトップガン。ハンマーソングはようやく届いたデカ盛りラーメンの丼に意識を誘引されて別世界に行ったらしく、この輪からは外れてしまった。代わりに厨房にほど近い席からシリウスシンボリがつかつかとこちらに歩み寄ってきて、畠山が背にしている壁にもたれかかってテレビを見つめ始める。その際に尾で若干はたかれたのでおっさんは椅子をハンマー君側に寄せてスペースを作った。

 

「ゴチになります」

「手前は手前で払えよ。……先月、アイツ(ホクトベガ)にウチのコースを一週間提供してやった。あれは正直、野芝より軽めの砂の方がフットワークが素軽い」

「君んとこはちょうど水はけも最悪だし条件も近いね」

「つまらん。で、何バ身差つくと思う?」

 

 直前に天才とおだてられている以上下手なことは言えない男は、ごまかすように手元のお冷を煽った。

 

「ケーエフネプチュンの追走力しだいかな。ホクト君は外目からでも先行するだろうが、そもそも中盤で相手がついてこないようなら、彼女もさほど集団から差をつけて逃げようとはしないはずだ」

「だろうな。ついてきた場合は?」

「酷いことになる」

「シャムとセクレタリアトすか」

 

 口を挟んできたよその子に、畠山はぎこちなく微笑んでみせた。

 

「スケールは違うが、似たようなものが見られると思う。正直勉強にはならんと思うけど──はは、ショー(見世物)としては面白いレースになるはずだから、君たちもしっかり見ときなさい。ほらマヤさんケータイしまって。ハンマー君。ハンマー君。その手のラーメンのスープは無理して全部飲まなくてもいい」

「ズゾゾゾゾ」

「うわきたねぇな」

 

【──降りしきる雨の中、いよいよ第四十二回エンプレス杯、地方交流GI競走の発走であります】

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「──その日を境に、『ホクトベガ』という名前の意味は大きな転換を迎えることとなった。同時に、同年から新設された多くの地方交流重賞なる存在も、一種出鼻を挫かれたというべきか、少なくともある一点においては変節を迎えざるを得なくなった。それは(興行的には成功を収めたものの)肝心の『交流』が当初想定されていたニュアンスを違えてしまったということである。

 

 なにぶん、関東地方レースシーンにおけるティアラ路線に該当するレース群で当時最強格とされていた二人を、重賞戦線の常連とはいえここ一年ほど勝ち星から遠ざかっていた──しかもダートでの実績があるとは言い難い──中央の生徒が負かしたのだ。それも一通りのやり方ではない。十八バ身という着差は本邦の歴史を遡ってみても『史上最も極端な決着の一つ』であったことは疑いようもない。

 あらゆるメディアが、圧勝、完勝、粉砕という三つの語句のうちどれか一つ以上を用いてその勝ちっぷりを称えた。轢殺、殲滅などと書き立てるライターも少数ながら存在するほどであった。それら過剰な表現の数々にいっそう煽られるようにして、人々はある思いを強くしていった。

 

『中央と地方の実力差はこれほどまでに大きいのか』と。

 

 地方校でウマ娘たちを指導していた者は揃って萎縮ムードにあったという。喜び勇んで府中に泡を吹かせようと画策していた陣営の多くが、振りかざした拳を静かに下ろしてしまったのだ。当時はせいぜい『一と四分の一流』といった立ち位置であったホクトベガに四秒近いタイム差で負けたとあっては、条件戦をふらついているような層にすら勝てるかどうか怪しい、というわけだ。

 

 結論から言えば、この推論は『半分は正解で、半分は主語の範囲が広すぎたゆえに誤り』とすべきである。

 確かにこの時点でも彼我の実力差は歴然と言えたが、件のエンプレス杯から今日に至るまで、中央トレセン学園所属のすべてのウマ娘が地方勢を上回る実力を有していたかと問われれば、答は明らかであろう。よしんばトップ層のみに焦点を当てたとしても、やはりこの十余年間において、ホクトベガほど長期に渡って交流重賞戦線を無敵のまま蹂躙し続けた選手は一人としていないのだ。

 この三年後に岩手から現出した新星のことを思えばなおさら、『中央勢の強さはホクトベガが撒き散らした風評に恥じないものである』……などとは言えなかった。

 

 砂上の彼女は最後まで不敗であった。

 なんのことはない。ホクトベガはただ単に、強すぎたのだ」

 

 ──二〇〇X年九月、とあるクラシック級生徒が夏季休暇明けに提出した自由作文より







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