Against All Odds   作:錫箱

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これ書き始めたころは崩壊スターレイルも学園アイドルマスターもやってなかったんですけど、半分エタってるうちにゴミ箱女と篠澤広さんが追突してきたのでそっちに引っ張られた感もありますし、引っ張ってもらった感もあります。第一部終了です。ウイポ2025やってください。





Where she gallops,the earth sings.(下)

 

 畠山が暖簾をくぐって頭上を見上げると、雲間から半欠けの月が覗く雨上がりの空模様が彼を迎えた。

 時刻は八時をとうに回っている。今から学園に戻っても開放されている練習場など一つもないし、第一彼自身が最初の降雨の段階で「今日はもういいや」とぶん投げていた。そういえばマヤさんの二勝クラス昇格祝いもまだだったし、などとこじつけた面もある。その割に四人分の食事代を払わされた気がするが、うち一人分に関してはあの岡澤に恩を売れたということにしておこう。

 誰にも祝われていないのに人一倍食い散らかした新入りに関しては……

 

 

「ひゃーお腹いっぱい。さよならラーメン屋……あっ、雨上がってますよマヤノさん。正門まで競走しませんか」

「食べてすぐ走るとまたこないだみたいになっちゃうよ」

 

 まあしばらくは好きに食わせておくかと、やはり投げやりの境地にある畠山だ。基礎能力がすべて底辺にピッタリくっついて離れないハンマーソングではあったが、幸い「食べる能力」についてはそこそこ程度の水準を示していた。アスリートは食えないことには始まらない。そして、摂食にも努力が存在し、そこでもまた才能の有無が物を言うのである。

 

 例の野球帽ガールが店から出てきた。どこか虚を見つめて魂が抜けたような顔で数歩歩き、畠山の隣で立ち止まる。

 

「……ゴチんなりました」

「大丈夫?」

「えっ、ああ。大丈夫す。ただ、思ったよりヤバいの見せられちゃったなって」

 

 エンプレス杯のことだろう。本当にセクレタリアトみたいになっちゃったねぇと返しつつも、もう彼女(ホクトベガ)は今までどおりの競走生活には戻れないのだろうな、と一人やや暗澹たる気分になる畠山である。

 大勝して有名人、などという外聞上の話ではない。あれだけの着差をつけてしまえば、今後ハンデ戦に出走する際の選択肢が相当狭まってしまうはずだ。「見込まれる」というやつである。

 

 畠山は「とりあえず帰るか」と呟き、先に行ってしまったマヤ&ハンマーを追いかけるように歩き出した。帽子を後ろ前に被り直した彼女もすぐさま追従し、やがて並ぶ。

 

「でも、カッコよかったからってマネして格下相手に無理はしないようにね。いくら能力があっても、うわべだけ上澄みを模倣したひとり相撲になると一番脆い」

「『一にマーク相手、二に体内時計、三にポジション』でしょ? 基本すよ──でも、まぁ」

 

 彼女は思い出したようにジャージのポケットからガムのパッケージを取り出した。

 

「あれは『気概』ですって。寮長──あの人のことだし、上だとか下だとか、そういう打算一切ないと思いますよ。地方のコにつまんない馴れ合い見せないようにって、マジで全力出したんだと思います」

「……どうにも学生スポーツってのは難しいね。僕がマヤさんに嫌われるのはその辺の空気の読めなさなのかもなぁ」

「ペパーミント味。食います?」

「手厳しいね」

 

 ほっそりした親指と人差し指に挟まれて差し出されたのは暗緑色の板ガム──というより、その隣の指に挟まれた四つ折りの紙片だった。受け取って開いてみれば、

 

【夏期郊外学習参加申請書(特殊)】

 

 などと一行目に書いてあるA4の紙切れだった。

 けっこうとんでもない代物である。ジュニア級の生徒には原則として夏季合宿への切符が与えられない。ごく一握りの優秀な希望者のみが、この申請書に認可を受けることで上級生に混じっての帯同を許されるのだ。選抜の仕組みはやや変則的だが、単純に倍率として表すと百倍を超える。

 畠山は慌てて頭上を再度確認する。雨粒は落ちてこないようだ。

 

「頼みごとってこれかよぉ。あーあー折り目が……」

「別にいいっしょ。えーっと、担任印、保護者印、あとうちのトレの印まではもうありゃす。あとは任意の指導員の許可が二つ要るんで、おねしゃす」

 

 街灯と道沿いの商店のほろっとした灯りを頼りにしつつ居並ぶ朱印に目を眇めてみれば、彼女の主トレーナー岡澤の押印続く指導員の欄には「吉良」と刺々しい印が押してある。

 内心うぇーっと舌を出したくなった。先方も畠山の印鑑を見たら眉間に皺を寄せるであろう。そういう関係だった。

 

「僕じゃないとダメかな」

「まぁバランスとネームバリューすね。岡澤、吉良、畠山ってぇ御三方の名前並んでたらいくらなんでも理事長サンも通すかなって。三人で合計何勝させてんすか? 重賞だけでも百じゃ利かないしょ」

「そこはこう、僕より奈瀬とかの方が……」

「いーから押してください」

 

 この学園の生徒は大人のハンコをなんだと思っているのだろうか。というのも、昔から妙な書類への捺印を迫られる経験に覚えがありすぎるからである。詳細は割愛するが──まあ、いつぞや誰かに握らされた養子縁組関連の書類よりはマシかなぁ、と彼は自らを納得させた。

 

「……君の地力は十二分に承知しているつもりだけど、だからといってここでポンと許可をあげるわけにはいかないよ。だけんこれは一旦こちらで持ち帰って、今学期の君の成績や模擬レースなんかの内容と照らし合わせてから判断させてもらいます。そうだな、水曜日まで待ってくれ」

「しゃー」

「まだ決定とは言ってない。まー許可すんだけどね多分」

「えへへ。ガムあげちゃいます」

「俺のネームバリューってフーセンガム一個分くらいの値打ちなの?」

「パキッとはんぶんこ」

「はんぶんこ!?」

 

 そこへ、なんの話してるんですかー? とわざわざ戻ってきたのはハンマーソングであった。二メートル先からでもわかるほどニンニクをはじめとした香味野菜の香りを夜道に振りまいている。

 

「うおくっせ。何食ったんすか」

「ラーメンの、名前が一番長いやつです」

「喰らえキシリト──ール」

「もがんぼぼ」

「……夏合宿の話。まあハンマー君にはまだ関係ないよ」

 

 口に詰め込まれた粒ガムを頬袋に移動させ、刺激臭を放つ少女は目を輝かせた。

 

「え、合宿ってあの合宿ですよね。私も行きたいです」

「ジュニア級の生徒は成績最上位の希望者のみ参加可能、って朝礼かなんかで言われたでしょ」

「聞いてないです。行きましょう!」

「心の強さだけでルールは曲がんねんだよな。君、中間試験何位? 総合ね」

「千三びゃ」

「無理だって。五十位以内とかでも普通に蹴落とされたりすんだから……」

「でもでも、帽子さんもマヤノさんも行くんですよね? 置いてけぼりは寂しいです」

「ウチ学年二位なんで」

「キエエエエエブルジョワジー」

 

 ここまで頭ごなしに否定していた畠山の脳裏にふと、新たな選択肢の萌芽が芽生えてきた。

 いっそ、連れて行ってしまってはどうだろうか。

 

 夏の間はシリウスに土下座してでも預かってもらおうかと思っていたが、数十人規模の門下生を擁するかのチームでハンマーソングの「暴発」を、これ以上外部から隠し通すのは難しいだろう。ここ一ヶ月で何度冷や汗を垂らしただろうか。ふらっと見回りにやってきたちびっこ理事長の前で彼女が粗相を働かないように、それこそドラム缶の中に押し込めたことすらあった。

 まあ、あれ以来危惧していたような走りを見せたことは一度もないのだが、それでももし自分が不在の間に事が起こったらと思うと気が気でなくなるのは確かだ。であれば自分で監視したほうがまだマシなのではなかろうかというわけである。少なくともストレスを抱える大人が一人は減る。

 

「んー、えっと、そこまで言うなら行って……みる? 色々クリアしないといけない条件もあるから約束はできないけど」

「いいんですか!? 浮き輪の色はメタリックシルバーでお願いします!」

「カナヅチだけに?」

「せいかーい。カンカーン……」

 

 プロペラのように両手を広げて回転しだしたハンマーソングはそのまま「マヤノさ〜ん〜」といつものひょろひょろしたダミ声で呼びかけながら前方へ飛んでいってしまった。そのいかにも頼りない足運びを見ながら、合宿行きの最大の障害となるであろう「そもそも普段の成績(パフォーマンス)が非常に悪い」という難題を乗り越える術を畠山は思慮の海に浮かべていた。

 あれでは真っ当なトレーナーの印は貰えないだろう。シリウスシンボリはあらかじめ抱き込むとして、もう一人は岡澤か俺の後輩(水原という男)のどちらかに「何も聞くな」と言いながら頼み込むか……それにしても担任をどう誤魔化すか……

 

「──ウチのトレには、ジブンから言うときます。カナヅチちゃん推薦しろって」

「え?」

 

 傍らに立つ野球帽の少女が呟いた言葉に畠山は耳を疑った。

 

「畠山サンが見込んだんなら、多分『正解』しょ。それにあの子、結構イケてると思います」

「……どうして、そう思う?」

「や、ウチのチームにいた頃、あの子に結構追いかけ回されてたんすけど、いつの間にか差ー詰めて来るんすよね。足音が重なって距離感測りにくくなったタイミングとか、振り返ったタイミングとかで。ふっとすぐ後ろにいたりしてビビらされました。小細工のセンス、あると思います」

 

 走る秀才少女の背後で本当は何が起こっていたのか、畠山は知りたくもなかった。いずれ知らねば、なるまいが。何にせよこの子にマヤノトップガン並みのシックス・センスが備わっていなかったことと、岡澤家時代に一度も『暴発』はしていなかったことに感謝を捧げたいところである。

 

 ありがとう、頼んだ、とだけ言い渡して畠山は再び思索の海を脳裏に描いた。そもそもこの夏は、マヤノトップガンの菊花賞に向けた仕上げに彼が持つトレーナーとしてのリソースを全てつぎ込むくらいの心意気でいた。というより春先に起きたマヤノ関連のいざこざで教え子たちが全員どっか行ってしまったので、もはやそれしかなかった。そんな覚悟を決めた矢先に眼前に現れたのが、ハンマーソングという名の時限爆弾にも等しい存在だ。

 一ハロン九秒〇。あの数字が意識に焼き付いて離れない。

 幾度となく想像した──あの痩せぎすで、上半身と下半身がまるで噛み合っていない走り方をする少女がだ。大衆の面前で、札幌だか小倉だかのレース場のラスト一ハロンを九秒〇という「素晴らしい」タイムで駆け抜けるのだ。どうなるだろうか? 

 おそらくは、不可逆的な亀裂が歴史に刻まれるだろう。シンボリルドルフやナリタブライアンがレースシーンに刻んだそれよりも、もっと惨い傷跡になるかもしれない。強く在るべくして在った彼女たちが付けたその傷は陶酔をもたらしたが、ハンマーソングが代わりにバラまくのは困惑と恐怖になる。

 最初に月に行くのはサターンとアポロでなければならない。そのへんで拾ってきた壊れかけの三輪車であってはならないのだ。

 

 秘密を守り通す──その三輪車の見てくれを、どうにかして空飛ぶデロリアンあたりに改造し終わるまで──自分の選択に信ぜられるものはないが、一つだけ確かなことがあった。自負や目標というより、自己定義である。

 

 畠山繁之が教え子を見捨てることはない。

 二度と。

 

 なんとなく何かを察してくれた他所の子が一礼して足を早め、前方五十メートルほど前を歩いているマヤノとハンマー君のもとへ去っていく。彼女をハンマーソングの友人と定義していいのかどうかは傍から見ても甚だ微妙だが、同世代からまったく孤立してしまっているわけでもなさそうで、そこは一先ず安心だ。

 

(……競走のことは──目を逸らすのは難しいが──追々考えていくとして、まずはあの子の周辺環境を探ったり整えたりが先決なんだろうなぁ)

 

 クラスメイトを掴まえてハンマー君の暮らしぶりを訊いてみるのもいいが、クラス担任や家庭環境という、もっと根源的な部分を掌握しておかねばなるまい。

 前者についてはさほど難しい話でもない。基本的にクラス担任の教員というのはスポーツ指導に当たるトレーナーとはまったく別の存在で、お互いの生息域は全くもって干渉しないのが普通である。とは言っても同じ教育機関の職員同士であるから、面会の機を設けて探りを入れてみることくらいはできるだろう。

 後者に関しては……「気が重い」というとてつもない障害が、あるにはある。

 あの世間知らずっぷりと特異な感性に加え、栄養失調三歩手前の肉体と空っぽの財布を醸造した家庭である。家庭訪問の類はただでさえ苦痛だというのに、今回は一体どのような藪を突かねばならないのだろうか。

 

 

「なんとかなるさ」

 

 

 口に出してそう言ってみる。たかが面談二つ、教え子をあのナリタブライアンの前に挑戦者として放り出すことに比べれば何ということもない。

 目下の問題はハンマーソングを合宿に連れていくための算段である。

 

(今のハンマー君にポンっと許可印が出るわけない)

 

 繰り返しになるが、トレーナー連中や生徒会、理事長の認可を得る前にまず、クラス担任の許可が必要なのだ。

 いくら競走技術に詳しくない一般教員でもこの学園のルールは承知しているはずで、下の中から下の上あたりを彷徨っているらしい成績の生徒に高負荷トレーニングばかりの夏合宿へのGoサインを出すような真似をする者はいないだろう。いたとしたらそいつは自覚・無自覚を問わず「悪」ではないか……とすら畠山には思える。

 

 ともかく、「バレる」にせよバレないにせよ、夏の間誰が彼女の身柄を預かるかという問題にせよ、誰かが責任を負わねばならない。この貧乏くじを手放してしまうことのないよう、まずは一つ一つ障害を緩和していくことを決めた畠山であった。

 

 はずだった。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「行ってきなよ」

「え?」

 

 

 それは二日後の暮れ、ひとけのない放課後の教室でのことだった。

 教卓の前に呆然として立つハンマーソングの目の前で、A4の紙切れの最上部に朱印が捺された。

 

「えっ、あっ、えっ、でも」

 

 額や脇から妙な汗を噴出させながら不審な挙動をし始めた少女の泳いだ視線の先で、印の主であるウマ娘──クラス担任の牧原某──は、紙マスクの下で軽く微笑んだようだった。

 そのまま俯向いて瓶底眼鏡をジャージの裾で拭き始めた教師の前で、ハンマーソングは教卓の上の書類や天井や自分の胸板などをランダムに指さしながらボックスステップを踏むという奇妙な行動に出ながら、おおよそ次のような内容の発言をした。

 

「私、成績悪いですし、今回のご相談もその、別に許可をいただく必要はなくって、ただ単に……私みたいな子でも通った前例とかあるのかなって、ちょっと知りたかっただけで。あは、あはは」

 

 教師は、失笑するでも呆れるでもなく、レンズを拭う手を止めもせずに、ただもう一度穏やかな語調で痩せた少女の脊髄を撫でた。

 

 

「行ってくればいいじゃない」

「でも……」

 

 ふいにスツールから立ち上がった教師の後ろ姿を、ハンマーソングは操り人形のような空虚さで眺めている。

 いつも現代文の授業の半ばでそうするように、教師は窓を開け放ってその枠に腰掛けた。栗色の尾がかすかな風にきらめきながら窓外へと流れ落ちていく。

 ──普段学内で見かけるときはあんなにもみっともない猫背。だのに、今の彼女の姿勢はそれ自体が窓辺の鳥を──

 

「物語は好き? キミ、いつも休み時間に漫画とかノベルを机に積んでるよね。スペースオペラ、大河、ハイファンタジー、あるウマ娘の物語」

「…………」

「ふふ。『主人公』みたいにさ、誰も見たことのない道を歩いてみたい。果てすら存在しない荒野を冒険したい。そう思ったこともあるんじゃない?」

 

 そんな。

 そんな甘い話は。

 

「──あります。けど。でも、ちょっとばかり力があったとしても、そんなオハナシみたいに上手に行くはずはないと思います。みんな、どこかで角を曲がって消えていくんです。天命ってたぶん、そういうものです」

 

 窓辺の影はゆるゆるとかぶりを振った。

 

「『主人公』が船を漕ぐのをやめる理由にはならない。自分の手を加えてこそ、運命だよ」

「えー……なんか、大袈裟な話ですねぇ。へへ、へへへ」

 

 

 なんとか茶化そうとしたのは、いっそ防衛反応だったろうか。いつからかハンマーソングは、窓辺に腰掛ける女の顔から目を離せなくなっていた。大きく不格好なマスクは半ばずり下げられて、自然の造物にしては少々出来の良すぎる造形の鼻筋と上唇が露出していた。

 何より、双眸。

 

 

「正解。大袈裟も大袈裟だね。だって、この世界は隅から隅まで、未だ編まれていない詩と物語でできてるんだから」

 

 

 その眼は、懐かしかった。

 どこか遠い国の草原で迎えた朝の、存在しない記憶に宿る草露と同じ色をしていた。

 

 

 

 

【1st verse fin.】

【So you can(not) escape it now.】

 

 

 







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