Against All Odds   作:錫箱

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うきぶくろをもって

 

【七月二十六日】

 朝五時半から宿舎を抜け、缶を叩きながら海浜を行進しているところを捕縛。ここ数日生徒間で噂になっていたため張り込む羽目になった。数十分間叩いたら満足して宿舎に戻り二度寝していたようだ。遅刻の原因か。

 体格を考えれば大食のうちに入る摂食量だが、朝食はあまり量が入らない。入学前は納豆やスナックパンで済ませていたとの談。今日から主食を雑穀米に切り替えて様子を見る。

 午前中はストレッチの後20─20で海浜を走らせる。中程度のインターバルを挟みつつ、合間で適度に泳がせる。ビート板扶助アリでも想定の半分以下の時間しか息が保たない。離岸流に捕まって流されかけたところを高等部生徒らによって救助される。褒められる点は叫び声がけたたましいことくらい。一応離岸流対策をマヤノトップガン共々教える。安全配慮を徹底しなかった点は反省。

 消耗を鑑みて午後からは全休。膝回りは念入りにアイシングしなければ翌朝まで熱が引かない。

 

【七月二十七日】

 無許可で同級生たちの早朝ロードワークに参加していた。途中で捕縛し宿舎に連れ帰る。他人と同じように頑張っても他人と同じ結果が得られるわけではない旨を諭したが、理解したかどうかは不明瞭。案の定アスファルトの負荷に耐えきれておらず、膝と足首に軽い痛みを訴える。

 六時間休憩の後、近郊の市営レジャー施設で水遊びと湯治。ビート板代わりに用いた複数人用のフロート板を沈めようと試みた際、浮力に負けて水底から水面上二メートル以上の高さに飛翔していた。その瞬間を捉えた写真が施設の広報誌とウェブサイトに掲載されるらしい。来月が待ち遠しい。

 マヤノトップガンは潜水したまま五十メートル以上の距離を苦も無く泳ぐようになった。すごい。

 

【七月二十八日】

 肌荒れがいつにも増して酷い。雑穀の消化不良が原因か。数日は粥に切り替える。量は段階的に増やすべきだった。ウマ娘の体力についてのコモンセオリーは通用しないといっていい。校医の立ち合いの元でビタミン剤の静脈注射。個人的にあまり好かない療治ゆえに短期間で経口摂取に戻す予定。

 20-20で海沙を走らせてみるが、蛇行が酷い。接地面への力の掛け方がバラバラに見えるが、骨格の問題も鑑みると一遍通りのやり方では矯正不可能か。明日から徐々に探るとする。

 奈瀬と少し話す。少しやつれている。最近父上の話をしなくなったのはいい兆候か。

 ものは試しにハンマーソングの練習風景を見せてみる。どうして引き受けたのかと訊かれた。それだけは考えないようにしているとだけ答えた。一ハロン九秒だとか、マヤノトップガンが怯えていたから、などとはとても言えない。

 

 夕方宿舎に戻ると、懇意にしている医師が遥々羊蹄山から回診に来ていた。某家の差し金だろう。向こう一週間はこの海岸に滞在するらしいので折を見て連れて行くことにする。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 海浜トレーニング自体は、トレセン学園の生徒に限らずとも一般的な鍛錬方法として知られている。走るにせよ跳ぶにせよスクワットするにせよ、整地されていない砂浜への接地から得られる反応はダートコースなどよりも更に変化に富んでおり、通常の運動では得難い負荷を競技者の身体の隅々まで掛けることができる。

 もちろんそこからシームレスに遠泳や各種レクリエーションに移行することも容易い。練習環境そのものは学園に及ぶべくもないが、このあたりの柔軟さや解放感が生徒たちに与える好影響を鑑みれば、

 

 こうもなろう、と畠山はウマ娘まみれの砂浜の波打ち際をジタバタ歩きながらため息をついた。

 今日は夏合宿七日目。早くも一週間だ。正午の炎天にも関わらず浜辺にはおそらくこの合宿地に来たウマ娘がほとんどフル出撃しているかのような光景が広がっている。

 こんなに大勢を一気に浜へ送り込む必要も理由もないのだが、トレセン学園が普通科校としての側面も併せ持つことを考えると夏季休暇中に行うしかないというのもまた道理だ。

 

「あーあーあー。今どきウサギ跳びはない。まぁじで無い……」

 

 他人のチームの練習風景を横目に見ながら小声でぶつくさ呟き歩いている。「じゃあ何がいい練習なのか」を教える気は毛頭ないので、つまり単に陰湿な人間が歩いている。

 

「柔軟性や瞬発力のピークが十四〜五歳だからといって、未来ある学生の身体を入学から二年、三年で使い潰すような場所になるようなら、トレセン学園自体解体(バラ)しちまえ」くらいの過激な持論を持っている彼は常々、「クラシック級以上の生徒は全員夏季に海辺で強化合宿」と決めてかかっている一部のトレーナー連中などは全員✕✕✕で✕✕✕になっちまえと思っている。

 学園の職員に一割しかいないとされる畠山の理解者たちが聞いても苦笑する類の思考であろう。とことん、世間との折り合いがつかない男であった。

 

 そんな彼でも、寄せては返す波の音の前では穏やかな心持ちでいた。というより、風をきって歩きながら潮騒を聴いていないと頭がおかしくなりそうなくらい暑い。

 

『では第二問です。持病の慢性関節炎を治』

『(ブザー音)レッドラム』

『 で す が 』

(司会の岡澤にスイカが投げつけられる音)

 

 どういうわけかバカどもがクイズ大会をやっている脇を通り抜けつつ、口笛のための選曲を脳内で繰り広げていると、傍らを歩いているハンマーソングが話しかけてきた。

 

「あの話ってまじまじなんですかね? 障害王者のレッドラムが海水でソエ(関節炎)を治したっていうやつです」

「因果関係が認められんから話半分に聞いといたほうがいいよ」

「えっ、おもんな……」

「急に口悪いな……」

 

 この暑さの中でもカッターシャツとスラックスで徘徊している畠山はいつものごとく相当目立ったが、陽に熱されてアチアチのドラム缶をズザズザ引きずって歩いているハンマーソングにはロック具合で負けていた。彼にしては珍しい。

 

「畠山さんも中学生の時はこう、失われた歴史の闇を暴きたくなったりしたでしょう。イル……」

「俺んときはファーラップ暗殺事件とかベンドア替え玉疑惑とかだったね。どっちもマジっぽくて逆にフェードアウトしちゃったけど」

 

 学研の学習まんがにすら載ってますよそんなの、と今世の若者らしくおっさんを一蹴した彼女の出で立ちはしかし、周りの生徒達が着用している学園指定のアレではない。十年以上前の校指定品であり、今は十着ばかりのレンタル品を除いて学園から姿を消しているスクール何とかは、ハンマー君の貧相で尖った体躯との相乗効果で非常な古臭さを醸し出している。

 

「人生における必須栄養素が足りてませんねぇ。一緒にヤギを投げたりヒナギクを摘んだりドラム缶に住んだりして浪漫筋を鍛えましょう」

「……はい、後ろ振り返ってみて。『何があっても真っすぐ歩け』って指示して三百メートル歩いたわけだけど、どう?」

「波打ち際に向けて見事なイン突きを披露できました」

「ね、真っすぐ歩行走行することでさえ、ちゃんと体幹鍛えて意識しないと難しいんだよ。わかったら浪漫筋より先にインナーマッスルと内腿鍛えてこうね」

 

「まっすぐ走る」もとい「事前に思い描いたコースを完璧になぞる」。言うは易し産むは難しといった具合で、これが非常に難しい。というより、明確なアンサーを返せない難問としてウマ娘とトレーナーの前に永年立ちはだかる障壁、それこそが「まっすぐ走る」ことである。

 わずかな骨格の歪みや筋肉の偏り、そして走者が長年無意識下に培ってきた「癖」が、数千メートルというゴールまでの道程において、目には見えづらい細かな斜行や蛇行という形で現れ、徐々に最適解を蝕む。

 まして、実戦では他の走者たちの動きに細やかな反応を返し続けなければならない。後手後手に回って選ばされたコースが負債を蓄積させ、そうして生まれたメートル単位のロスは、流した汗の量だけでは埋まらないものとなる。

 

「ハイペースに巻き込まれてさ、しかも外目を回させられてさ、それでも勝った子がいるとするじゃない? 解析する側からすると『強かった』以外にないんだよ。学びがない。キャリアに余裕がある間の未勝利や条件戦なんかじゃ、そういう勝ち方するより後ろの方からバ群眺めて負ける方がよっぽど学びはあると思うね。まあ、どっかで勝ち上がる必要はあるんだけど……学習は楽しいよ。それこそ目先の勝ち負けよりも大事な場合も多い」

 

 コース取りについての畠山の意見はふんふん頷きながら聞いていたハンマーソングだったが、最後に付け加えられたこの御高説には首を傾げた。

 

「でも、たくさん勝たないと私たちの足跡は歴史に残りませんよ。歴史は勝者が作るんです。せおりー? を無視して勝つような圧倒的強者に、畠山さんの言う『学習』は塗り潰されちゃうんじゃ?」

「だからってこのまま行けばハンマー君は『学ばない敗者』だぜ。理想は自分で持ってていいからさ、まずは学び方から学んでいこう。ボコスカ勝つにしてもまずはそれからだ」

 

 

 

 そうすれば、と畠山は心の裡に付け加えた。

 そうしてくれれば、彼女を型に嵌めることさえできれば、何も壊れずに済むかもしれないから。

 

「うーい」と気のない返事をしたハンマーソングは、おもむろにドラム缶を砂浜に横たえると、その円筒の中に身体を潜り込ませた。そのまま、ゴロンゴロンと波打ち際を転がっていく。学習に向き合う姿勢としては歴史上最悪の部類に入るであろう。

 

「『歴史』になるつもりなのか?」

 

 聞こえていなさそうなのをいいことに畠山は呟いた。やはりまっすぐ進めていないドラム缶はついに海水へと突入し、中身の生物は「オ゛アア゛ーッ」とアザラシの佃煮のような声を上げた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 故障まで常に秒読み状態の身体、歪んだ骨格や訓練不足から来る走路の蛇行、一分でストップウォッチを止めろと言われて五十秒強で止めてよこすほどのペース感覚の欠如など、畠山の前にはハンマーソングが抱えている問題が山積みになっていた。

 何から正すべきかと問われれば間違いなく体質からだ。そんなわけで、彼女にはこの夏の間ひたすら飯を食わせて速歩とストレッチと体幹トレーニングをさせ、たまに一ハロン二十秒程度の駈歩。そのうえで定期的に整骨医に診せるという、一種リハビリテーションのようなメニューに従事させることになった。

 楽観視できる材料としては、砂浜の上を軽く走らせている時にはあの「着地寸前で前方にスライド移動しているように見える」不可解なフォーム、というより現象──が、一切起こらないと判明したことがある。ダートコースよりも更に不規則な浜辺がその発動を防いでいるのか、その外の原因があるのかは不明だが、人前で空をぶっ飛んで行くような事態にはならなさそうだ。それだけでおっさんの胃も痛まずに済むというものである。

 時々ビート板を借りてテトラポッドに赴き(現状彼女はこれ無しには泳げない)、表面に貼り付いている海藻や貝の類を収穫しては嬉しそうにドラム缶で煮ようとするのを見ていると畠山の頬も自然と緩む。もう何をどこから矯正すればいいのかわからん。

 

 問題はマヤノトップガンの方である。

 世間体的には三勝クラスに在籍する一介のダートウマ娘でしかない彼女ではあったが、その実、既に芝のクラシックディスタンスで戦っていくための準備が完了しつつある。

 キツいからスクワットとか長距離ランニングはイヤ! とか抜かしている絶賛反抗キャンペーン実施中のマヤノを、畠山は特に咎めなかった。「しょうがないなぁ」と言ってその場を離れ、上級生たちがビーチバレーや遠泳競争などをやっているエリアを眺めながらどの娘が凄い、どの子が速い、などと呟いていると勝手にそのエリアへ突撃して競技に参加してくれる。

 

 その辺の生徒を軽く蹴散らして一等目立っているマヤノをサングラス越しに眺めながら、畠山は最後の一、二ピースをどのように定義し、そして埋めるか思案する日々を送っていた。

 そう、スピード能力と長い息を使う能力は既に完成したと言っていい。唯一の不安材料であった膝関節の緩さが消えるまでダートを使いながら待った甲斐があった。今のままでも十分に「選抜された十数人のうちの一人」たり得る能力を有している。

 運が良ければ勝ちを拾えるレベル。ないことは、ない。そんな立ち位置。

 

 これを「勝ちを掴む」ところまで持って行くために、彼女には変わってもらわなければならない。

 気分次第で大人たちの言うことを無視し、誰を相手にしても面白くない、と言わんばかりの態度で頬を膨らませている彼女をどう変えるか。難題ではあったが、畠山は既にマヤノに「ひらめいて」もらうべくさまざまな種類の種子を蒔いている。

 もはや彼女の学びは実戦の中にしかない。二度のトライアル重賞という刺激の後に、土の中から顔を出すのはハナかムシかキノコか。いずれが飛び出してきても楽しくはなりそうである。

 

「マヤノさんってキノコなんですか?」

 

 その日の夕暮れの林道にて、畠山のたとえ話の半分もわかってくれていなさそうなハンマー君の問いに彼は「もうそれでいいや」と返した。彼とて話し相手は欲しいのだが、マヤノが日本のレースシーンに一泡吹かせてやろうというこの時において、岡澤らトレーナー連中などは商売敵に等しいわけだし、あれからちょいちょいヘルプ兼息抜きに来てくれるようになった帽子の子だってその門下生には違いない。秘蔵っ子を秘蔵っ子のままで居させるため、畠山にとっての安全な話し相手はこの変なのにほぼ限定されていた。

 

「要はね、マヤさんにはもう少しムキになってもらう必要がある。それはなんでかって言うとだ。三千メートル百八十五秒間の中に、無限の学びと楽しさを見出してもらうためなんだよ。今まで何をやらせても初手で九割九分がた正解の手を引けてしまっていたあのコに、残りの一分を潰すことの難しさを楽しんでもらうためなんだ」

 

 蝉の鳴き声がびっしりとたかる木々の間を歩きながら、畠山は半ばヤケクソ気味の声量と早口でそう言った。

 

「えーと、菊花賞を勝つためとか、ナリタブライアン? 先輩? に追いつくためではないんですね」

「そこを飛び越えればもっと面白くなる。今後二年だけじゃない。一生を通して、マヤさんの選べる選択肢をいくつか多くできるはずだよ」

 

 ハンマーソングははたと足を止めた。

 

「あれ。それってお昼に私に言ったことと似てますね。学びそのものを学ぶ? みたいな」

「ヒト科の本領だよ。スタートラインや進む速さに違いはあっても、矢印の向きはそんなに違わんと僕は思うね」

 

 コテージのある丘の上までのんびり歩く二人の側を、同じく練習帰りらしい駆け足の生徒たちが通りすがっていく。その後ろ姿を見送ったハンマー君がちらっと畠山の顔を窺ったが、彼は首を横に振った。彼女自身は余力を残しているが、歪んだ脚がこれ以上の負荷を許していない。

 この子はいつまで学習を楽しめるだろうか、と彼は苛烈な木漏れ日に目を眇めながら頭上を仰いだ。学びの機会すらも、天は平等に与えない。やはり、加護をくれる女神なんてものは居やしないのであろう。

 

「まずはできることを増やしていこう。技を増やしてるうちが一番楽しいからね。技に身体が追いついて、何も考えずとも動けるようになれば自ずと心も整う。【心技体】、ありゃ順番が違うんだよな」

「あー、ヤングドーナツ食べる時って穴から食べますもんね」

「全然違ぇよ。穴……穴から!?」

 

(中略)

 

「──なるほどわかりました。つまり『マヤノさんはすごい!』ってことですね」

「……うん? うん、うん。普通は長い時間掛けて技・体、心と組んでいくもんなんだけど、あの娘は他人を一瞥しただけで技を『奪えちゃう』わけだからね。でも楽しむということに関しては、それが仇になっていて……」

 

 そんなことをグダグダ話しているうちに二人は木立を抜け、丘の中腹に開けた芝地の広場に足を踏み入れていた。生徒たちが寝泊まりするコテージ群に付随する公園施設であるというこの場所では現在、数人から数十人ずつの大小さまざまな集団が浮島のように点在してワチャワチャやっている真っ最中であった。ワチャワチャの内容はお友達同士の球技であったり、今日一日の練習を振り返るミーティングであったり、でっかい蛾を持って友人らを追いかけ回したりなど多岐にわたっている。

 

「マヤさんどこ行ったんかな」

「今夕焼けで視界がオレンジ色ですから、迷彩ですよ」

「……あっ、俺グラス掛けてるから誰が誰だか分かんなかったのか。道理でハンマー君いつもに増して茶色いなって」

 

 浜辺から先に帰ったマヤノトップガンがそのへんをウロウロしていやしないかと二人は辺りを見回した。

 夕焼け色の視界の中でオレンジ色のちっちゃな猛禽類を捜す難易度より、広場のど真ん中で首をグルングルン回しているリーマン崩れ風の男とチビガリ田舎少女の二人連れが衆目の的になる方が圧倒的に容易い。探し始めて三十秒もしないうちに、彼らは逆に「発見される」こととなった。

 

「おーい、そこのヒマワリ二人組ー」

 

 聞き慣れた大音声のする方に振り返れば、数十人規模の集団がいくつものコンロやグリルを囲んでバーベキューに興じている一角が目に入る。数名の若手トレーナー、二十人あまりのウマ娘、一柱の岡澤浩一郎から成るその集団の中に、よく見るとマヤノトップガンも含まれていた。

 

「あーっマヤさんが俺らに黙ってタダメシを」

「人間って立ったまま食事していいんですか!?」

 

 意味のわからないことを口走りながら接近してくる二人組を見て、その集団の半数近くが一瞬顔を強張らせるなどの弱い拒否反応を示したが、やがてそれぞれの食事シーンに興味を戻していく。彼ら彼女らが頼りにしている岡澤の元を二週間で辞めたヤツと変人で有名なトレーナーの組み合わせなど、放っておくのが吉ではある。

 

「お疲れ。お前ら二人とも肉が足りとらんから食うがいいよ。学園の金で食う焼肉が一等旨い」

「……余計な世話ですよ。ハンマー君は食べるべきですがね」

「私牛肉が焼けてるの初めて見ました」

 

 あながち嘘でもないらしい。わざとらしく鼻をすすりながら肉をどっさり金網の上に載せていく岡澤とギョロ目を輝かせながら喜びの舞を開始した元・欠食児童をよそに、畠山は再度マヤノトップガンの方へと顔を向けた。当の本人はこちらのことなど一切意に介さず談笑に興じている。お相手はどう見ても育ちの良い混血児といった風体、黒髪地黒の大柄な少女で、眉と目尻をハの字にしながらマヤノのハイテンショントーク(現在の内容は尾毛のケアグッズについてである)に応対していた。その困惑顔が彼女の生来の造形なのか、マヤノのテンポに気圧されての結果なのかは判断できない。

 それにしても売れっ子中の売れっ子フェイスである。前二走は安田記念三着に宝塚記念二着。岡澤のチームには毎年、何なら学年ごとにこんなのがチラホラ在籍しているのが恐ろしい。

 まあ、マヤさんが親友を作るチャンスは多い方がいいよな、と畠山は傍観を決めた。己の天才性を相手へ一方的にぶつける虚しい関係性がマヤノを今の「つまらない」状態にしてしまったのなら、こういった格上の相手との交流こそが処方の一つとなるだろう。

 これから向かう舞台では、彼女の放ったボールを撃ち返して来る相手が──ついに現れる。そうして返ってきたモノをしっかりと受け入れるための心の持ちようを、半年掛けて刷り込んできたつもりだ。あとはどう刈り取るか……

 

「食べないんすか」

 

 ふと気づくと目の前にホイル皿と箸が差し出されている。見慣れた癖っ毛の天才児の姿が彼の前にはあった。アレの上にオーバーサイズ気味のジャージを羽織り、トレードマークの野球帽をサンバイザーに換装するという夏季エディションだ。

 恐る恐る畠山は皿を受け取った。「五等級すよ五等級」とトングがカチカチ言い、すぐさま分厚いロースが皿に乗る。

 

「つか食ってください。そのカッコで黙って金網凝視はサイコサスペンスなんで」

「ありがと……なんか、焼肉とか久しぶりでさ。食い方忘れちゃってね」

「普段何食べてんすか」

 

 彼は数秒間フリーズした。ここ数年、どこで何を食べたという類の記憶がほとんどない。決まった時間になると購買やコンビニ、馴染みの定食屋のような場所に赴くのは確かだが、その内容は、はて。一体自分は何を食べて生きているのだろうか。

 

 ああ、でも、先月この子らと食べに行ったラーメンは覚えてるなぁ。

 

「夏ミカンとか……」

 

 全くウケなかった。

 

「そういえばシゲよ、お前さん明日はどうすんだね」

 

 明らかに生焼けの肉に向かって突撃しようとしているハンマー君を軽く片腕で押し留めながらの岡澤の一言である。内心、助かったと思えた。

 

「午後から雨ですね」

「うん、日付越えて朝まで降るらしい。過去にゃ落雷事例もあったから、ここらの浜や総合公園は使えんぜ」

「少し遠いですが公民館を押さえました。廃校になった小学校の体育館建屋です。他のチームからの子も何人か委託されてるんで……」

 

 聞いてないぞと言わんばかりに突き刺される視線が痛い。マヤノトップガンというやつはこんな時ばかりヒトの話をきちんと聞いている。

 

「……のんびり球技でもさせますよ。マヤさん以外はどいつもこいつもオーバーワーク気味だ」

「うちは早朝ロードワークが終わり次第自由行動にした。ほら、雨降ってるとなんかこう……『来る』だろ。文系科目の宿題でも消化させようかなって」

 

 およそ夏季合宿中とは思えないゆるいメニューでサボり提案合戦を繰り広げている学園リーディングトレーナーどもの間に、これまたゆるい感じのノリで帽子の子が滑り込んでくる。

 

「あ、そしたら一年(ジュニア)は俳句やります。国語のセンセから課題出てるんすよ」

「hike? 明日は雨だよ」

「発音キモ。人生は三十一文字しかないのによくそんなクソくだらないボケで空費できますね」

「ねぇ最近この子口悪いんだけど。シゲ、おめぇの影響か?」

「教え子に辞世を促されるなんてそうそう体験できることじゃないですよ。潔く引退してください」

 

 うるせー定年まで十年あらぁ! と拳を振り上げる岡澤の陰で、ハンマーソングは人知れず「三十一文字もあるならドラム缶詰め放題なのでは?」と齧っている高級肉に相応しいサイズの野心を巡らせていた。一体この少女のインベントリというかキャパシティはどうなっているのだろうか。

 

 その内容物を彼ら彼女らが思い知るのはもう少し先のこととなる。今日という日もまた、夏の前日にすぎない。

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

【七月二十九日】

 そもそも三分と真っすぐ歩けないことが判明する。集中力に欠け、注意散漫。活路はダート・スプリントくらいしか思いつかない。学園に戻ったらハードル走で集中力を切らさないための訓練をさせることに決めた。

 マヤノトップガンは順調の極み。京都や中山の二千二百メートル以上でシニア級の三勝クラスと勝ち負けになるレベルの力はあるはずだ。あとは両新聞杯を楽しんでもらうのみ。

 夕方、意図せずして立食会に参加。岡澤の派閥は膨らみすぎている。これでは『大鍵谷』の時代と変わらないではないか……

 

 

 

【七月三十日】

 

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【七月三十一日】

 

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