うちのウイポが10になりました。まさかネヴァーベンドが初期確立してないとは思わなんだ
「トレーナーちゃん」
「ダメ」
「トレーナーちゃん」
「ダメっつってんだろ」
「やだ!」
「やだじゃねぇの!」
(カレーを食う音)
「やだ!」
「うるせー!」
不毛を通り越してツルツルの赤児レベルの問答を繰り広げているのは例によってマヤノトップガンと畠山繁之である。
場所は例の練習場裏から変わって、学園の食堂の片隅。放課後の自由時間ということもあってかそれなりの人出があり、半ギレ長身成人男性と絶賛駄々捏ね中のスーパーミニマム美少女、無限にカレーライスを食っているブカブカジャージのみすぼらしい痩せぎすという妙ちきりんな三人組の座っているラウンドテーブル(カレー満載)もさほどには目立たない。さほどには。
実を言うと屋内練習場裏からここに移動してきてかれこれ二十分はこうしているわけであったが、ここにきてついに、自分が若干の衆目を集めていることに気づきもしていない栗毛の美少女がキッと畠山の顔を見据え、
「だったらいいもん。出てっちゃうよ」
「おう、奈瀬んとこでもあの筋肉デブんとこでも行けばいいだろ。どーせ一週間で飽きて戻ってくんだろが」
「パヒュームちゃんも連れて行くし〜?」
畠山がピタッとフリーズした。唇を最大限とんがらせてコーヒーフロートのストローを吸っているマヤノの隣、先程から一切言葉を発さずにカレーとカレーとカレーをがっつき続けているよくわからんウマ娘。華やかな青春渦巻く放課後の食堂の喧騒。
「アイドルいなくなっちゃうね〜。っていうか、マヤも一緒に抜けたらもうトレーナーちゃんのとこ誰もいなくなっちゃうじゃん。かわいそ〜」
「…………それは勘弁してください」
「うわ。まあいいや、じゃあ決定!」
マヤノはカレー食ってるやつに向き直って破顔した。
「キミ、今日からうちのチームね!」
渦中の人──上記のやり取りの間無言でカレーライスを食い続けていた『ハンマーソング』は皿から顔を上げた。若干ひん曲がった鉤鼻の上、鈍色のギョロ目とギョロ目の間あたりに少々の困惑と飴色のタマネギが付着している。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【資料:畠山トレーナーによるハンマーソングへの事情聴取 その一】
以下は、屋内練習場裏で「発見」されたハンマーソングに対して畠山繁之が行った聞き取り調査の書き起こしである。会話はすべて録音され、後日、本校生徒会及び職員会が合同で設置した特設委員会に提出された。
畠山トレーナー(以下、T):名前は?
ハンマーソング(以下、H):ハンマーソングです。ジュニア級在籍です。
T:所属寮は?
H:入寮していません。
T:実家から通ってるの?
H:校内に住んでます。
T:住んっ、えっ、どういうことよ。
H:寮費、払えなかったので。実家も遠いし、こっそり住んでました。はい。
T:(絶句)
H:校則違反、ですかね?
T:それはそうなんだけど、学園がこの状態を把握してない事の方が大問題かな。まさかとは思うが、あのドラム缶の中で寝てるとか言わないよね。
H:あれは今日いただ、見つけてきた物なので、あの中に住んでたわけではないです。
T:じゃあ入学以来どこにいたの?
H:南門のそばにある用具倉庫で寝てました。鍵が壊れたまま放置されてるのはあそこだけなんです。でも──四月末だったと思うんですけど──うっかり寝過ごしちゃって、倉庫の中にいるところを用務員さんに見つかっちゃったので、使えなくなりました。
T:職員さんもまさか生徒がそこに住んでるとは思わんよな。いたずらの類だと思われたのか──それからはどうしてたの。
H:ドラム缶を見つけました。
T:さっきドラム缶には住んでねぇって言ってたじゃん……
H:今のは三つ目ですから別の缶です。
T:(不適切な言葉遣いが見られたため議事録から削除)
H:すみませんドラム缶に住んでて……
T:いや、いや、これはどっちかというと僕ら学園側の責任だよ。何でもかんでも自治だ自主性だと言って、生徒の事情すらしっかり把握していないからこんなことになるんだ。本当に申し訳ない。
H:…………
T:ハンマーソング君だったね。えーっと、結論から言うと、お金がなくても寮は使えるんだ。
H:は、はぁ。
T:詳しい手続きについては後で説明するけど、簡単な書類をいくつか書いてもらうだけでいい。察するに、奨学金制度は利用してるよね?
H:はい。母ちゃんがそんなこと言ってたと思います。
T:本当はその辺の説明と一緒に、寮費の補助金についても案内があったはずなんだけど──最近学園に来る娘のご家庭は皆(不適切な表現のため削除)、いや余裕があるもんでね。学園としてもしつこくプッシュはしてないんだよな。世帯収入が一定以上の家庭には関係ない制度だから。
H:はあ。
T:詳しい話は後でね。質問に戻ろう。さっきはあそこで何してたの?
H:いじけてました。
T:うん?
H:チームを追い出されたばかりだったので、いじけてました。
T:追い出された……えっ、どこ所属だったの。
H:あの、ムキムキの。
T:あそこかぁ。えっ、あいつが追い出すって、君いったい何したの。野良の不良を勧誘したら返答代わりに回し蹴り食らって腕が折れたのにスカウト続行したようなヤツだよあいつ。
H:私からお願いしました。
T:んん?
H:その、あまりにも居心地が良かったので、私にはふさわしくない気がしてきまして。ちょっとうるさくしてみたり、物を壊したりしてみて、追い出してもらおうとしたんですけど……駄目だったので、最終的には『私を追放してください!』って。
T:(絶句)
H:感謝してます。
T:感謝で腹が膨れるならあいつも仕事してないよ。とりあえずマヤさんがヒマすぎてむくれ始めたから場所変えるかね。
H:お腹が空きました。
T:はい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
畠山からしてみれば訳がわからない。
いわゆる体育館裏に本校の女子生徒入りのドラム缶があったことはもちろんだが、聞き取り調査の通り色々と問題だらけのその中身を自分のチームに引き入れようとしているこのマヤノトップガンというウマ娘も分からなくなってきていた。
さんざん内外から言われてきた通り、マヤノは気まぐれな少女である。
しかし畠山が半年の間その気まぐれに付き合ってきた結果として、彼は気まぐれの正体を掴みつつあるという確信を得ていた。
マヤノトップガンは自らの興味の対象に向かって「のみ」動く。そしてその対象とは「キラキラ」である。
キラキラというのは単純にカッコいい/カワイイという、外見や属性の優れたものを指す場合もあったし、有名人になって世間からの羨望と称賛を受ける立場となることへの憧れを表現する語句でもあった。
ここまでは比較的普通の感覚といえるが、彼女の場合はそれに加えて「自らの直感と能力によって難題を攻略する、その瞬間訪れるスパーク」もキラキラの範疇にあるらしい──と、そこまで畠山は掴んでいる。
なるほど、カッコよくて素敵なナリタブライアンを「ひらめき」で倒して、最強最高のウマ娘になれればそれは一番の「キラキラ」だろう。それが叶うかどうかは別として、マヤノトップガンという存在は学園の他の教員たちが思っているほど難解でどうしようもない存在ではないのだ。
(で、これは何なんだろうな)
畠山の真正面で、口の周りをカレールーでベタベタにしながら「マヤノさんのチームですかぁ?」(おれのチームだっての!)などとほざいているウマ娘は、どう見てもマヤノの興味を強く引けるような存在には見えなかった。
というより、キラキラなどというバイアスの介在しない畠山の視点から見ても。
(──この子、駄目だな)
そんな感想が自然と湧き出るような印象を、ハンマーソングというウマ娘は見る者に与える存在だった。
『ほとんど全ての人間がそうであるように、一般的なウマ娘の身体には百の欠点を見い出すことができる』
と宣ったのは米国の著名な医師だっただろうか。本当に百もあげつらうことができるかどうかはさておいても、欠点のない肉体など存在しないということは、十年余りのトレーナー活動を通して畠山も実感していた。どんなに優れた競走能力を持ったウマ娘でも──骨格のどこかしらに、究極の走りに近づくには不適当な歪みや偏りがある。個体による内臓機能の相違や、筋肉の付き方と質もそう。医学的な知識を携えて観察すれば、誰にでも欠点は見つかるということが、その医師は言いたかったのだろう。
だが目の前のウマ娘はどうだろうか。おそらく5歳の子供が見ても「足が速そう」とは思うまい。
まずは姿勢が悪い。やや前傾の背骨、首にはストレートネックの兆候が見られる。先程から重心がニュートラルになったタイミングがないことにも畠山は気づいていた。
次に骨格がよろしくない。百四十センチ半ばという身の丈はともかくとしても、肘や膝の先端が痛々しさすら感じられるほどに突出している。いとも簡単に炎症の類を起こしそうな危うさがあった。食堂に来るまでの道すがら見た歩様はややX脚気味で、時折膝の鳴る「パキッ」という小さな音さえ聞こえた。
とどめにまるで筋肉がついていない。入学間もないジュニア級という条件を差し引いても肉がない。隣に座っているマヤノも十分華奢な方に入るが、プロポーションという点で比べてみると差は歴然といえた。制服から覗く手足は痛々しいほどに細く骨ばっているし、胸よりも腹の方が前に出ている。
畠山にも指導者として十数年の経験がある。重賞の二つや三つは間違いなし……と言われた筋骨隆々かつ聡明な生徒がついに一勝クラスを抜けられずに学園を去ったのを幾度となく見てきたし、逆にあらゆる成績が真ん中より下をさまよっていたようなヒョロヒョロの生徒が不朽の名声を築いたシーンも見届けてきた。初見の印象や入学前までの評価は必ずしも、競走成績とは一致しないものだと重々承知している。
それにしたってこれは──と畠山をして思わせる程の欠陥を、ハンマーソングは備えてしまっていた。
何十年か前の田舎の農村を探せば、これくらいの不健康児童はごまんと見つかったかもしれない。しかしここは天下の府中ウマ娘トレーニングセンター学園である。
「……ってわけで、退屈はゼッタイしないと思う! 今はちょっと人少ないけど、これからキミみたいな新しい子をどんどん──ユウワク?」
「勧誘ですか?」
「勧誘! 勧誘できたらもっと楽しくなるから。入ってくれるよね! いいよね?」
「え、えー……そこまで言われるなら。んへへ」
会話を聞いているとそこまでおかしな部分はないものの、ジュニアタレントじみたマヤノトップガンの明朗さと比べると魅力に欠ける。繰り返しになるが、ここは天下の府中ウマ娘トレーニングセンター学園である。
「じゃあいちおうアイサツしとこっ。こんなんでもこれからキミのトレーナーだからこのヒト」
ハンマーソングがマヤノの方からこちらに顔を向けて真面目な顔を作った。
「えーと、田畠さん」
「畠山だよ」
「ハタケヤマさん! フツカモノですがご指導のほどよろしくお願いします」
「漬物か何か?」
わざとやってんだろうな、と畠山は思った。顔や体格は悪い意味で幼いが、言動や語彙は年不相応に大人びている。ともすればまろび出そうになるため息を抑えながら、彼はどうにか返事を絞り出した。
「まぁ……今ウチは手空きだし、このまま君を放っておくのも後味が悪い。指導のやり方が合わんとかそういうことはあるかもしれんけど、とりあえず寮のことが片付くまではウチにいるといいよ」
「ありがとうございまーす。よろしくお願いしまーす」
ハンマーソングは席から立ち上がり、空のカレー皿に頭をくっつけんばかりの礼をした。そのままシームレスにトレーを持って食堂のカウンターの方へ歩いていく後ろ姿を見送りながら、畠山は傍らで頬杖をついてグラスの中のストローをくるくる回している最中のマヤノトップガンに疑問を投げかけてみることにした。
「マヤさんさ」
「〽ぐる──ーびんまーじーっ♪ よりそーえばいーつでもー♪」
「マヤさんがあんなに積極的というか、楽しそうに他の子と話してるの初めて見たわ」
「〽きつくむっすんだくつひもーがー♪」
「理由、説明できる? あの子をウチに引き入れた理由」
愛らしいハミングがプツッと止んだ。食堂の喧騒の中に消えたハンマーソングの後ろ姿をぼんやりと追う畠山の視界の端で、軽い苛立ちに口を尖らせた少女がしばし顎に指を当てて考え込む様子が見える。
「んー。わかんないけど。『ダメだな』って思ったの」
「ダメってのは……放っておけない、みたいな?」
「ううん」
畠山と会話している時のマヤノは例外なく不機嫌であるのが常だったが、今この瞬間の彼女は不機嫌というより真剣に、切実な問題を抱えている人間の顔をしていた。
「ダメなの。なんか、あそこで声掛けてなかったらね、ダメだったの」
「何がダメになるの」
「……わかんない。でも、危ないトコだったと思う」
壮年の指導員は自らの頭髪を軽く掻き回した。奇しくも彼がハンマーソングという生徒に対して抱いた感想とマヤノのそれは表現こそ一致していたものの、その含意は大幅に異なるようだった。
あの脚で硬い芝を走らせ続ければ半年と保たないだろう。かといってふかふかのダートを掻き分けて前進する力に優れているとも到底思えない。いずれにせよ、中央レースシーンに適合すべく強い負荷を掛け続ければ──すぐに「その時」は来るだろう。畠山の目の下の皮膚がわすかに痙攣した。
しかし──「危ないところだった」とはどういうことだろうか。単にケガが心配だという意味ならばどんなに気が楽だったろう……と、指導員たる彼としては一抹の不安を覚えざるを得ない。
「おっかねぇなぁ」
「何がですか?」
その声に振り向くと、いつの間にかハンマーソングが畠山とマヤノの卓の近くまで戻ってきていた。手にはまたもや大盛りのカレーライスが乗ったトレーがある。
「おかえり。カレーそんなに好きなの」
「あ、はい。メニュー表、名前は知ってても食べたことない料理ばっかりなので、これでいいかなって。マヤノさん、食堂パスありがとうございます」
「いいのいいの。マヤダイエット中だから今日のぶんは全部使っちゃっていいよー」
今のままでも十二分に素敵なのにダイエットなんて凄いですねぇと感服した様子で頷きながらハンマーソングが着席する。満面のニヤつきを浮かべているマヤノに、担当指導員としていっちょ釘を刺してやろうとした畠山が「アスリートなんだからしっかり食え」というような内容を数十秒に引き伸ばして講釈したものだからあっという間にご機嫌斜めに戻るわけである。
「トレーナーちゃんみたいなむしんけーなヒトにはわかんないよね。大人のオンナには譲れないモノがあるの」
「へぇぇ〜〜〜マヤさんオトナぁ〜〜〜」
「小学生男子じゃん……」
畠山繁之という人間に関わった者たちが後に口を揃えて言うところの稚気が存分に発揮されている。
「じゃあさっきのもオトナの勘ってやつなのかね?」
「…………」
この空気を作り出したにも関わらずマヤノは押し黙ってしまった。これはいよいよ何かがあるなと畠山の心に季節外れの寒風が渦を巻く。
「え、さっきのってなんですか?」とハンマーソング。すでにカレーが半分以下に減っているあたりそれなりの健啖っぷりであった。
「マヤさんすげー頻度で自販機のアタリ引くのよ」
「えーすご」
「まぁね」
ちょっと緩んだ口元にコーヒーフロートのストローが挿し込まれる。秋の空模様どころか日経平均株価と同じくらいには移ろいやすい少女のご機嫌がどうにか戻ったのを確認した畠山は、ここらが一つ前向きかつ建設的な話題を提供するタイミングだと踏んでいた。
「さてと。ハンマーソング君、ね」カレー皿をガッガカッカやっている鹿毛のウマ娘の方に向き直る。相手はただでさえギョロっとした目を更に丸くギョロつかせて畠山を見た。
「この学園に来てるからには、こう、目標路線みたいなものはある? 僕は今君のデータなんも持ってないから何とも言えないんだけど、まずは君の希望を聞かせてほしい。芝、ダート、短、マイル、中、長。どこでやっていきたい? あぁ、『こういう戦法で行きたい!』とかもオッケーだよ。好みはマジで大事」
「ふくすー回答可!」とマヤノが茶化を入れる。お前の脚質も未だにわからんぞと畠山は思ったが口にはしない。
(さて、あまり無茶言わんでほしいが……)
ダートのマイル〜ミドルとかであってほしいなと念じながら彼はハンマーソングがスプーンを皿に戻す様子を見守った。その願いはこれ以上ないほどの暴力で木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
「んー、自分の向き不向きはよくわかんないんですけど」
実に事もなげに、彼女はまるでそれが既に定まった「予定」であるかのように言った。
「私、三冠ウマ娘とマッチレースをするんです」
畠山はゆっくりとハンマーソングの顔から視線を移動させ、食堂の南側に並ぶ窓から外を見た。バカみてぇにいい天気だなぁ、という台詞を彼は脳裏で読み上げる。そうとも、バカしかいない。彼の日常には時折、この学園には狂人しかいないのではないかと感じる瞬間が備わっていた。
(今、マヤさんどんな顔してんのかなぁ)
彼にはそれを確かめる勇気が足りなかった。