Against All Odds   作:錫箱

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屍山氷河/朝なに響く鎚の音

 

 

 

 

 前にいっぺん、重賞を二つ勝った子と併せたことがあるんです。あたしが三バ身くらい先行して始めたんですけど、八百メートル走り終わる頃には向こうが二バ身先着してました。やっぱ凄いですよね、重賞の常連の子って。

 その時ですね、まあある意味諦めというか、自分の気持ちの落とし所が見つかったんです。今後もずーっと走り続けて、もしかしたらいっぺんも勝てないかもしれない。でも、それだって絶対無駄にはならないじゃないですか。練習では、あたしが一緒に走ることで相手の成長に繋がる。レースでは、一つ一つの足運びがお客さんたちの一喜一憂を呼び起こす。ね、学園で強さランキングーなんて作ったら下から数えた方が早いくらいのあたしですけど、きっちりゲームには参加できてるんです。あたしがいないと、レース界は少しだけ様変わりしちゃうんです。

 

 なーんて、チームに入ったときからずーっとシリウスさm……トレーナーからヒントは貰ってたんですけど、その時ようやく理解できたんですよ。あたしがちょっと汗を流すだけで、来年のあの子の着順ががっつり変わったり、ファンの人がウマチューブでレース見てる時間が三十分も伸びたりするって考えると、この世の中も結構面白いじゃないですか。

 けっきょく受け売りですけどね。ははは。

 

 だからあたし、色んな子の併走相手を買って出てるんです。ハンデ貰っても先着する方が少ないですけど。

 追い抜かれて、もう差し返せないのがわかった瞬間はやっぱり複雑ですよ。でも、もうあたしは大丈夫なんです。悔しさを抱えたままでも、相手の走りを客観的に分析できるようになりましたから。あ、あたしが二ハロン地点でちょっと内に寄せたから外に意識が偏ってフェイントに引っかかってくれたな、逆に、坂手前の軽いペースダウン程度じゃ騙されてくれないな、とか。終わったあとに気づいた点を本人やトレーナーさんに伝えると、みんな喜んでくれます。

 

 ああ、ええっと。つまりですね。

 何が言いたいのかっていうと。

 ハンマーソングちゃん、でしたっけ? 畠山先生の言ってる、その子。

 一緒に走るってことになったとき、存分に観察してあげようと思ったんです。初回ですし、隣の枠だったし。

 印象? うーん、見るからに危なっかしい感じですよね。ちゃんと食べてるのかな、みたいな。でも、伸びしろは多分誰にでもあるかなって思って。いつも通り、役に立とうとしたんです。

 

 結論から言うと、あたしではあの子の役に立てないことがわかりました。こんなの初めてです。

 怖くなっちゃいました。

 あの子、走ってたんじゃないんです。

 引っ張られてた。

 腕と足と頭を掴まれて、連れて行かれてたんです。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 明くる日は土曜日であったから、いかな府中トレセン学園といえど人口密度の低下は免れない。というのも土日にこそレースは開催されているのだから、出走勢・観戦勢が学校に顔を出さないのも当然のことである。単純に休養を取っている者も含めてごっそりと人の抜け落ちた構内は、普段の賑々しさを失ったぶんキャンパスデザインの秀逸さを存分に誇っていたりする。

 

 それらの条件はこの、栗東寮一号棟にある食堂も同じはずなのだが──と、この寮の住人の一人であるところのフジキセキは部屋の内装を睥睨しながら少し目を眇めた。

 美浦寮の食堂(昨日フジキセキが訪れたのは食堂ではなく六号棟のキッチンである)が清潔感溢れるベージュ色の壁紙と白いタイルに覆われた洋風の装いであるのに対して、栗東寮の誇るそれは和風の、というか目につく壁面と床面は全て木でできていた。

 渦巻く木目にがっしりした黒褐色の合板の床。壁面に掛けられたメニュー表も木板で、「チキンステーキ」「鯖の味噌煮」「豚の角煮」などと達者な筆文字で書いてあるのだからたまらない。椅子とテーブルも全部樫材。吊り下がっているペンダントライトは全部灯篭風。なぜか奥の方には囲炉裏を完備した六畳分の畳敷き座敷が設えられていて、とどめに厨房へと通ずるカウンターの奥には割烹着のおばちゃん(六十一歳)が構えている。

 

(これじゃまるで小料理屋か居酒屋じゃないか)

 

 フジキセキはあまりこの食堂を利用しない。平日の朝と昼はクラスメイトに囲まれて学園のカフェテリアで食事を摂ることがほとんどだし、それ以外の食事も外食、もしくは居室のある二号棟のダイニングキッチンで済ませているからだ。だからこそ現在、利用者のいない食堂の原風景が十割の破壊力を持ってフジキセキの美的感覚を蝕んでいた。この場所を彼女が愛せるようになるのはもう少し先の話になる。

 

 齢十五にして既に眉目に憂いを湛えた麗人は、おそらく食堂がこのようなデザインのままで存続している原因であるところのおばちゃん(六十一歳)と、現栗東寮長を務める某ウマ娘のことを脳裏に思い浮かべつつ、自らが掛けているテーブルに視線を落とした。

 汚れた食器が山と積まれている。フジキセキの平らげたものではない。

 テーブルにはボールペンの走る音が断続的に転がっていた。これも彼女由来のものではない。

 

 フジキセキは三列に渡って立ち並ぶ眼前の皿の塔をちょっと指で横に避けて、隙間からテーブルの相席を窺った。

 

「書けたかい?」

「はい! チェックお願いします!」

 

 空元気だけは有り余っている風邪気味のトランペットのような音色の返事があった。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 ただでさえ謎の多い駿川たづなという事務員をめぐる話題の中でも、トレセン学園職員たちの井戸端会議で最も議題に上がりやすいのが「一体彼女はいつ休日を取っているのか」というものだった。

 月末にPDF方式で配布される部署ごとのシフト表、その「駿川」の欄には全て出勤を示すマークがついている。額面通りに受け取るならおよそこの世では赦されざる三百六十五連勤ということになるが、実際には平均して週一日のペースで学園に姿を見せない日があった。

 休む三日ほど前には本人から周囲に通達があるため、事務部門の職務に支障が出るようなことはないが、この休日が何を基準にして決められているのかは誰も知らない。

 

 そうして明日、日曜日が彼女の休日であるため、それに備えた調整のために僚友たちが朝早くから次々に事務室の駿川たづなのデスクを訪れていた。トレセン学園イチ人気のあるトレーナーといえば若き天才・奈瀬文乃であるが、個人の仕事ぶりに依存している人間の数を基準にするならば駿川たづなの影響力は奈瀬に引けを取らないレベルだとされている。与太である。

 

 そんなわけで、現在時刻午前九時にして駿川のデスクを訪れた人間は早くも十六人。二杯目のコーヒーカップが干されようとしていた頃合で、十七人目が彼女の前に立った。畠山繁之である。

 

「駿川さん駿川さん。すみませんがちょいと見に来てくれませんか。この間の始末書の件なんですが」

 

 事務室から中庭に通ずる扉から入ってきて、挨拶もなしにそんなことを言う畠山。本来この事務室にたどり着くには応接室か第一職員室(最も大きな職員室で、一般的に生徒が「職員室」と口にするときはこちらを指す)を経由するのが普通なのだが、この男はとある事件の後、トレーナーでありながら第一職員室を出入り禁止になっているためこうやって不審なエントリーを敢行するしかないのである。

 

 やたらデカい声で響いた「始末書」というワードに、入室時に高まっていた周囲の興味が一気に白けていく。この男が機材の不正使用や同僚との諍いで始末書、及び戒告沙汰になったのは一度や二度ではないため、事務員の面々ももはや慣れきっていたのだ。

 一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべた駿川はすぐさま無言で立ち上がり、中庭への扉をくぐる。身を縮めて小走りにあとに続く畠山の背中に、事務室にいるほぼ全員が恨みのこもった眼差しを突き刺した。

 

 四割曇、残りは青空といった調子の天蓋の下、中庭にいくつか並んで設えられたベンチに二人は微妙な距離を置いて腰掛けた。このエリアにある人影は、中庭の反対側に植えられた桜の木の下でセイセイエイヤエイヤと叫びながら正拳突きを繰り返している謎の集団のみで、二人の職員の会話が聞かれる心配はなさそうだった。当代の理事長の下、トレセン学園の校風は自由が第一である。

 先に切り出したのは畠山。深く息をつき、ポケットからオイルライターを取り出しながらスラックスの脚を(本人の価値観の範疇で)ハードボイルドに組んだ。

 

「折り入ってお願いがありましてね」

「そうでしょうねー。いくら出せます?」

「三割。一回分ですが……」

 

 畠山の懐から手のひらサイズのボール紙が一枚出てきた。駿川は「餃子のホクト」と書かれたそれをサッと受け取る。

 

「ご要件をお伺いします」

「……昨日の子。ハンマーソング君ね。彼女の入試の実技記録と内申書、それから選考時のログみたいなもんがあれば引っこ抜いてきてほしいんです」

「なるほど?」

「俺はバレたら次がなさそうなんでね。今日の暮れまでに抜き出せた分だけでもいいんで、よろしくお願いしますよ。モノは全て紙媒体で、三階の俺のオフィスにね」

「はぁい。午後三時半には上げますね」

「話が早くて助かりますよ」

 

 んじゃ俺はこれで、と彼は立ち上がり、スラックスのポケットに親指を突っ込んで肩をそびやかしながら第一職員室の方へ歩き始めたが、途中ではたと立ち止まると事務室に引き返していった。

 

 あとに残された駿川事務員、いそいそと財布の中にクーポン券を仕舞い込んで畠山の去っていった方角を得も言われぬ呆れの表情で見やった。実のところ、畠山に要求された情報のほとんどは学園の指導員および教官なら誰でもアクセスできるエリアにアーカイブされている。内申書だけは現在事務室預かりだが、それにしたって普通に頼めば閲覧できる。

 

「今日はスパイ映画の気分だったんですかねぇ」

 

 独りクスクスと笑った駿川たづなもまた、イージーでポッシブルなミッションをエクスキューションするためにベンチから腰を上げた。

 

 

 ◆◇◆◇◆

  ᓀ ᓂ

 

 

「ここが図書室。といっても、蔵書は寮長の趣味で漫画本と時代小説ばっかりになっちゃったらしいけどね。二号棟の娯楽室の方がよほど図書室って感じがするかも。ここ畳敷きだし。君、本はどれくらい?」

「むむ、八年くらいでしょうか」

「レキじゃなくて月に何冊くらいとか……」

「はらぺこアオムシです」

「そっか……」

 

 ところ変わって栗東寮一号棟。一階の廊下でフジキセキは大絶賛苦戦中だった。原因はもちろん、昨日入寮したばかりの新入生、朝食後のハンマーソング君である。

 事後追認となった今回の入寮にあたり、本来寮母が行うはずだった各種書類の記入作業や寮施設のチュートリアル行為をなんとなく、本当になんとなく引き受けたのをフジキセキは若干ならず後悔し始めていた。この後輩、さすがに一ヶ月半の野宿生活や複数回の所属チーム破門を経験しているだけあって。

 

「あ、横山とみお版三国志。読んでってもいいですか?」

「いいけど、時間大丈夫? 君のトレーナーさんに呼ばれてるんだろう?」

「主はお赦しになられるでしょう」

 

 妙、なのである。

 フジキセキ自身の体験に基づけば、一年強に渡る学園生活で様々なウマ娘と交流するにあたり、この学園を泳ぎ回る人格たちが「外の世界」よりも格段にカラフルでバラエティ豊かな群れを形成していることは明らかだった。文字通り、ほんとうに色んなやつがいるのだ。

 

 負けん気が強く、自分が認めていない相手に払う敬意などないと言わんばかりの跳ねっ返り。

 思春期の少女に特有のトゲが、年相応の無邪気さと美貌によってより強調される薔薇のような娘。

 かと思えば、常に他者の評価を基準に殊勝なセルフプロデュースを行える優等生。

 そして、これは競走能力トップクラスの強者に多い──まるで漫画の世界からそのまま飛び出してきたかのような、豪快で力強いキャラクター性を持つタレントたち。たとえば、「浪人」(フジヤマケンザン)「黒い刺客」(ライスシャワー)「女傑」(ホクトベガ)「ツインターボ」(ツインターボ)「渇望する孤高の怪物」(ナリタブライアン)のような。

 

 目の前の少女は、そのどれとも異なっていた。一言で表すならば、「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり」の句が適用できる存在、といったところだろう。

 要所要所でわざとらしくピンボケする会話、先程から散発的に行われている奇行の数々。初めて来る場所を案内されている時に寝そべって漫画本を読み始める輩があるだろうか。誰も見ていないのに階段を逆立ちで上がろうとする奴があるだろうか。

 居もしない観客に漫談でも見せようとしているかのような。

 

(もし私に栗東寮の役職がついたら、こういう子の面倒も見なきゃいけないんだなぁ)

 

 昨日から未来予想図をチラついているビジョンに目の前のハンマーなにがしを重ね合わせながら、フジキセキはどうにか嘆息を堪えた。家庭環境から培った演劇の素養や趣味の奇術を弄して知己をからかってみるのも昨今では彼女のライフワークと化しつつあったが、ひょっとして自分の行いも冷めた大人たちの目にはこのような映り方をしているのかもしれないと思うとぞっとしない。

 

「シャワーやお手洗いは各部屋に備え付けのものがあるけど、洗濯機はフロアごとに数台ずつで共用なんだ。少なくとも朝八時、夕方六時には出さないと当番の子が困っちゃうから、よろしくね」

「はーい」

 

 図書室でたっぷり時間を食い潰した後、今は廊下の隅のウォーターサーバーを怪訝な顔で観察している新入りを見ながら、「奇術の方はもう少し巧くなるまで生徒会長や役員の前では封印しておこう」と意を固めたフジキセキであった。

 

「ところで、千里のウマは常にあれども伯楽は常にはあらずって言うじゃないですか。呂布奉先ってめちゃくちゃ名トレーナーだったってことですかね?」

「そうかもね。千里はどう考えてもオーバーな表現だけど」

「あ、大陸の一里は四百メートルくらいだったらしいので、ここで謂れるところの千里は四百キロメートルですね。アスコット金杯百回分」

「オーバーだね」

「俗に言うヘロトドス算」

「時間大丈夫?」

「もう過ぎてます」

 

 

 






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