すらっぎーあにみずむ!!!~動物が人になる現代世界で動物嫌いがヌルヌル生活~ 作:囚人番号虚数番
朝九時の電車。村へ向かう電車の中はいつも空いて人がいない。乗り換えの駅の人の多さの対し下りホームに私達以外がいる事は少なかった。静かな車内には電車の走る音が響く。席もガラガラで隅っこの席に私と海音さん以外には誰もいない。
「……」
「……」
私達の間にも会話も無い。海音さんは仕切りに携帯で草加に連絡をとる。草加は友達の監視の下で自宅にいるらしい。私は窓の外の景色をじっと見ていた。目まぐるしく変わる緑の景色が変わる瞬間を待って、遂に輝く青が目に映る。ああ、私はあそこで生まれるべきだったんだ。夢にまでみた景色を目に焼き付けていると偉守の駅に到着した。
電車から降りると同時に海音さんの携帯が鳴る。どうやら古渡さんが留守電に気がついて折り返し連絡を入れたようだ。
「カツユちゃんが崖から突き落とされたって本当ですか!?嘘だよね!?今草加の家にいるんです、本人に電話渡しますね!」
「いいえ、残念ながら本人を保護して聞き出しました」
「海音さん、電話貸して」
海音さんから携帯を貸してもらう。電話の先に草加がいるなら私で言葉を伝えなくちゃ。電話の先からドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえる。音が止まり大声で古渡さんの声がして、そこに草加の声が混じる。
微かに聞こえた短い驚嘆、だが声が聞こえただけでもどこか心が安らいだ。でもすぐに心臓がバクバクして声が出なくなる。何で?いつものように話せばいいだけなのになぜか怖い。頭を冷静に、落ち着いて、何か話さないと。
深呼吸を一度してから目を閉じる。……よし、頭に浮かんだ言葉を口に出す。
「……なさい」
最初の一言は気の抜けた声だった。もう一声、覚悟を決めて強く言葉を発する。
「許さないで……ごめんね。私のせいで汚れちゃって。今帰るから」
ピッ
これ以上は涙が出そうでまともに喋れなかっただろう。端的に説明してすぐに電話を切る。あの人に話す間を持たせられなかったのは悔しい。しかし合えば分かる。ここに帰ったのなら後戻りはできないのだ。
さて、帰ろう。私の大切な人の家に。
ー--
報いだ。恐れていた過去が僕のすぐそこまでやってきている。何度も忘れようとしたのに過去がそこにはあった。部屋のベッドで布団に包まりながらずっと怯え、何もできずにいた。
古渡は部屋の前で監視をしている。僕が逃げ出さないようにするためだ。きっと杞憂だろう。今の僕にそんな勇気は残っていない。僕の出せる最高の勇気は包まっている布団から出るまでだ。ゆっくりと包まった布団から出る。
クローゼットを開けて古い段ボール箱を取り出す。あれはここに保存していた筈だ。
箱を開くと中には古い何枚かの資料だった。僕がアニマに襲われた事故が小さく載った新聞や当時の日記が数冊。その内の荒れた字のでタイトルの書かれた日記を開いた。拙い字で書かれた単純な文は、だがたった短い分だけでも当時の心傷を如実に表している。
もう一つの資料は僕の怪我の診断書。怪我自体はそこまで酷い物ではない。だが当時の事件から間もない頃に重度のPTSDだと診断された。書類の上では一応1か月程家に籠り表向きには解決したとされている。勿論真相は心の奥底に潜んでいただけだ。
「……よく隠してきたな。いつこうなってもおかしくなかったのに。何でよりにもよって今なんだ」
見ているだけで過去が蘇り辛い。
僕は褪せた紙が破けないようにファイルにまとめる。僕はこれらを彼女に見せるつもりだ。これは僕のけじめの一つだ。僕の過去の闇をもってして彼女に僕をどうするか決めてもらう。僕は本来人殺しだ。警察に連れて行けば法が僕を裁くだろう。
「へくしっ!」
かび臭い匂いと埃が鼻につきくしゃみが出る。誰にも見つからず埃を被った箱を開けたのだ。僕は耐えきれずに窓を開けた。しかし夏の強い日差しに目をやられカーテンだけをそっと閉じる。埃臭い空気が外へと流れ揺れたカーテンの隙間から漏れた光が陰鬱とした部屋を照らす。
「……ごめん」
誰にも聞こえていないような小さな声で呟いた。クローゼットを開いたついでに服を着替える。彼女と合うのは最後かもしれないのだ。今まで隠し通してきたように僕が正気でいなくてはカツユも心配するだろう。
心地の良い風が吹きこむ。まるで僕に彼女に出会えと外に誘うかのようであった。時間的にもカツユらはそろそろ到着する頃だろう。扉の先にいるであろう古渡にカツユに会うと伝えようとノックをする。
その瞬間だった。
「よかった。ここにいたんだね」
吹き込む風に湿り気が交じる。振り返ると閉じられいたカーテンが開いて窓枠に彼女が座っていた。粘液を使って大胆に二階に飛び込んだのだろうか、室内と窓枠に粘液が飛び散り乱反射で輝く。その姿がどこか神々しく、瞳に散った粘液のせいで霞んで見えた。
「草加、おはよう。いい夢は見れた?」
「どうして、また来たんだい。僕は君を……!」
「最後にあなたに会いたかった。自分勝手だけど許してくれる?」
まるで普段朝に挨拶するような当然の再会の言葉に僕は何も返せずにいた。今の彼女は僕の考えていた彼女の像と全く異なる。慈愛に満ちて、儚い。触れてしまえば壊れてしまいそうだ。裏があるのではと警戒するべき所である。にも関わらず勝手に許された気になってしまう。
「僕にそんな権利は無いよ。人を殺しかけて……」
次の彼女の言葉の前に僕は床に跪き頭を下げる。そのまま僕の用意した証拠を彼女に差し出す。カツユはそれらを一度手に取り、読むことなく適当な位置に置く。まるで、それが邪魔な物のように。
暖かい体温と冷えた粘液が僕の頭を包む。
「草加は悪くない。今まで我慢できて偉いよ」
優しく澄んだ囁き。彼女の小さな手のひらが頭を撫でた。年齢も身体も遥かに小さな少女からという異質さも彼女からの安らぎの前では感じる事は無い。多くは語らずとも彼女には僕に向いていると想像していた怒りや、あるいは失望など無いと理解した。
「きっと怖かったんだね。ねえ、教えてくれるかな。私、草加の言葉で聞きたいの」
「僕は……怖かった……アニマが、いつ僕をまた襲ってくるか不安だった。そんなことないのに、勝手に嫌って……」
「うんうん、しょうがないよ。嫌いな物は嫌いって言えなかったんだからすごい勇気だよ。今ここで全部吐き出しちゃおうよ」
彼女のこの言葉をきっかけに僕の中での枷が外れた。
「小さい頃にあの崖でアニマに襲われて、心の傷を隠したまま卑怯にもずっと逃げ続けた。一度ならまだしも今度は君をを突き落とした……!本当に最低だ……!」
ずっと胸の中にあった恐怖や悲しみを吐露し続けた。彼女はその間僕の言葉を遮る事無く相槌を打ち、時には僕の背中を摩ってくれていた。僕は彼女に甘える様に泣き続けながら懺悔を続ける。
「もう謝らなくても大丈夫。私は悪い偶然だった、それだけだよ」
どれくらい泣いたのだろうか。涙も枯れ果て嗚咽だけが部屋に響く。ようやく落ち着いた僕を見て彼女は微笑んだ。僕の目を見つめる瞳はどこまでも真っ直ぐで、僕の全てを包み込む様だ。
……だが、同時に疑問を抱いた。彼女の中に僕の受け入れ先は一体どこにある。彼女の無垢な目は出会った頃のままだ。だが無知ではない。彼女の一番近くで成長を見守ってきた僕には今の彼女は何かしらの変化を遂げているはずだ。
「……どうしてそこまで僕を赦せるんだ。僕は君を殺そうとしたんだよ?それなのに何で……」
僕の問いに彼女は少し考える素振りを見せた後で答えた。
「好きだから」
予想より理由はシンプルだった。彼女は一度捨てた僕の資料を拾い上げ窓枠に座り外を眺める。
「んー、漢字が難しいのは置いておいて新聞はパソコンとおんなじだね」
新聞を一瞥し興味がなくなると読み終えたと振って示し床に置く。
「薄々気がついてはいたよ。昔ひどい目にあったんだー、って。たまに目線は怪しかったし、私も怖かった」
「そんな……隠していたのに……」
「でもそれよりも嬉しそうだったのは知ってるよ。今だって泣きながら幸せそうじゃん」
こちらを見ていないのにも関わらず彼女は僕の今を当てていた。僕は無意識に泣いてしまっている。せめて彼女の前だけでは僕が泣かずに大人としていなければいけない。子供の様に声を上げて泣きたい気持ちを抑え、僕は必死で泣くのをやめようとする。
「あは、無理しないでいいのに。私の前では素直なままでいいよ」
彼女が僕の顔を覗き込み、その表情を見た瞬間に僕は感情を抑える事ができなくなった。再び溢れ出した涙は止まることを知らずに床を濡らす。
「ごめん……ごめん……」
「あなたが幸せなのが私の幸せなの。だから草加の抱えてるもの、全部私が捨ててあげる」
彼女の笑顔に心が満たされていく。彼女の言葉に心が救われていく。今までの苦悩が嘘のように晴れ、だがまだ僕には油断ならない。彼女の言い回しが先程からどこか不穏さを感じて仕方がないのだ。どこか達観した、今までとは異なる覚悟が決まったような彼女には……根拠のない不安感が拭えない。
遠くに彼女は海を見ていた。それはただ単にこの家の窓から見える景色が気に入っているだけなのか、それともこの後の事を考えてなのかはわからない。
彼女はゆっくりと口を開く。
「草加、ありがとう。幸せだったよ」
僕はそこで確信した。ああ、彼女は無垢なだけで似通った者同士であったのだ。勝手な自己犠牲の下で動く愚かさを持った二人。
「待って!」
窓枠に足をかけた彼女が飛び立つ前に僕は彼女に近づき、その小さな身体を抱きしめた。抵抗はない。それから僕から離れないように強く抱きしめ心の内の全てを彼女にぶつける。
「やっぱりアニマは大っ嫌いだ!子供の時のトラウマを引きずっているような弱虫の卑怯者には今も怖いよ!獣耳も尻尾も不快だし人間には見えない。粘液だってもううんざりだ!」
「草加……?」
「けれど……けれど!カツユだけは大好きだ!アニマの中で誰よりも愛してる!だから……だから、お願い……僕ら同士で好きでいよう……」
嗚咽と共に静かになる僕の言葉に彼女はただ黙っていた。だが時間も経たない内に粘液以外の何かが彼女の頬を伝わり僕へと落ちた。
「……私も、怖かった。崖から落とされて、ずっと好きだった人から嫌われちゃったと思って悲しくて、もう誰も信じられなくて……うわぁあああん!」
彼女は向きを変え僕の胸に顔を埋めた。普段の落ち着いていてマイペースな彼女とは違う。年相応の子供らしく泣きじゃくる彼女を優しく撫でた。
「大丈夫だよ。これからはずっと一緒だよ」
「うん、うん……」