瘴気の谷の小型モンスター、ギルオスたちは今日も忙しなく獲物を探す。瘴気の谷はろくに草木も茂らない過酷な環境であり生きて獲物になるものは少ない。その代わり天の恵みかのように腐りかけの死体が落ちてくる。餌の少ない環境では取り合いになることが多く、いかに素早く獲物にありつけるかが重要であり一匹一匹はあたりを探る。ウロコウモリが天井にへばりついているが、ギルオスでは届かない高さであり、すぐに興味をそらした。
お腹が空いた。
餌も見当たらずに彷徨う彼らの前に、ぼとりと天井から落ちてきた。腐食され黒ずんだその死体は翼竜のものだろう。いつもの餌に比べればまだ新しいのか食べるが多そうだとギルオスたちは喜んでかじりつく。麻痺牙がひっかからないように顔を傾けながら我先にと頬張る。硬さが残る餌に引きちぎろうと顔を動かした一匹のギルオスが気が付いた。
コウモリたちがいない。
天井にずらりと並んでいたはずのコウモリは一匹残らず姿を消していた。その異変にギルオスはすぐさま仲間たちに注意を促せば、餌から顔をあげ警戒態勢に入る。コウモリたちが驚異の出所を探れば、すぐに発見できた。全てを侵食する黄色の瘴気が、坂の下から迫り上げてくる。瘴気は皆を狂わせる。ギルオスたちは物陰へと姿を隠す。まだ餌にほとんど手を付けられていないが、逃げない者などいなかった。
ヒタリヒタリと王の足音がする。それだけで皆が体を強張らせるのだ。
日課というわけでもない散歩をヴァルハザクは楽しんでいた。餌など山ほどあるし、歩きなれた道は目新しさの欠片もないため滅多に出かけやしないが、たまには体を動かしたくなる時もある。誰一人とすれ違わない道をのんびりと歩く。
「たまには歩かないとなぁ」
意気込むように翼は羽ばたかせれば辺りに瘴気が舞い、どこからか悲鳴が聞こえたような気がしてヴァルハザクは首を傾げるが気にせず散歩を続ける。
道の真ん中に翼竜の死体と思しきものが落ちていた。何かが齧っていたのだろうか、食べかすが床に散らばっているがまだ食べる部分はありそうだ。
「もったいないな」
ヴァルハザクは翼竜をバクリと口に銜える。同時に先ほどと同じような騒めくような気配を感じたが、発生源はわからなかったため気にしないことにした。お弁当を手に入れて、ヴァルハザクは尻尾を揺らしながら歩みを進めた。
物陰でギルオスたちが横取りに腹を立てていることなど知りもしないのだ。
折り重なった骨の山でラドバルキンは自らの体を見て満足そうに鼻を鳴らした。なかなかいい具合に骨を体にくっつけることができたのだ。これであれば邪魔なやつらを体当たりでぶちのめせるだろう。
機嫌よく縄張りの巡回にでも行こうとしたところで、下の階層から瘴気の気配を感じた。
普段とは違う、理性をかき乱すような濃厚な瘴気だ。
ラドバルキンは体を丸めると全速力で坂を駆け上った。
頑強な鎧に身を包んだラドバルキンは自分が強者であることを自覚していた。他の大型モンスターが来ても一方的にやれることなどないし、逃げ出すことは矜持が許さない。
瘴気のないヴァルハザクであればラドバルキンは臆さずに戦いを挑んだであろう。だがそれは鎧に絶対の自信を持っているからであった。瘴気は鎧を貫通する。なんの意味もない。
逃げる以外に生存の道はない。屈辱ではあるが道を譲るしかないのだ。
無力感に苛まれながら、ラドバルキンは逃げ出した。
ゴロゴロゴロと何かが転がっていくような音がする。ヴァルハザクがそちらを見上げれば、白い塊が坂を駆け上っていくところだった。
「今日も元気そうだなぁ」
去っていく後ろ姿をみるとヴァルハザクは寂しい気持ちになった。ラドバルキンが住んでいることは知っているが、一度も会話をしたことがないのだ。忙しいのか、見かけるたびにものすごい速さで転がっている。暇なやつが邪魔をするのも悪いかと思い無理に声をかけようとしたこともないせいで、一言も言葉を交わしていない。残された穴だらけの轍を寂しく眺めていた。
すっかりラドバルキンの姿が見えなくなった頃、ヴァルハザクは思いついた。
「あいつのところにでも遊びにいくか」
いつも来てもらってばかりで本人もそのことを怒っていた。具体的に住んでいるところを聞いたことはないので、聞いた景色を頼りに進んでいくしかないが、たまにはこちらから出向くのもいいだろう。
「鮮やかさをいつも自慢していたから、行けばわかるだろうよ」
レイギエナは陸珊瑚の台地がいかに綺麗で立派な巣があるのだというところから話し始める。そのおかげでヴァルハザクの頭の中では陸珊瑚の台地の景色が思い浮かんでいた。実際に陸珊瑚を見たことは決して一度もない。だがヴァルハザクは自信を持っていた。
口に銜えていたお弁当を一口齧ると、落ち込んでいた気持ちを振り払うかのように意気揚々と坂を上っていく。
「上を目指せばいつか辿りつくだろう」
完全に行き当たりばったりである。
目的地がわからない迷子のヴァルハザクが瘴気をまき散らしながら谷中をうろつく。そしてモンスターたちの悲鳴が次々に上がる。さらにはヴァルハザクが立ち去った後も瘴気によって凶暴化した小型モンスターたちが暴れまわり、何時もの静寂さから一変して瘴気の谷は阿鼻叫喚であった。
こうして、ヴァルハザクの小さな冒険が始まった。
みんなが思った。巣に帰れ!