非番の一日。朝食を摂っていた加賀は、提督からの指令で、深海棲艦の遺骸がうちあがったという近隣の海水浴場に向かうこととなる。

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紅葉狩り

 鎮守府内食堂。

 四人掛けのテーブルが整然と並ぶなか、窓際の席に加賀は腰掛けていた。時刻は午前七時半。いつもより遅い朝食。盆に乗った朝食には手を付けず、彼女は窓の外を見ていた。

 夏の暑さもすっかり過ぎ去った神無月の中頃。よく晴れた空は高く澄んでいて、まばらな雲の合間から覗ける中天は、中秋と程なくして訪れる冬の気配が混じりあう藍色だった。

 盆の上から湯飲みを手に取り、湯気を立ち昇らせる緑茶をひと口啜る。熱い緑茶を飲み込むと、熱の塊が食道を下り、空っぽの胃に広がるのがわかった。鼻腔をよい香りが抜けていく。お茶の美味しい季節になった。窓から差し込む朝日が湯飲みの中でかすかに揺れる様を見つめながら、そんなことを考える。

 

「お待たせしました、加賀さん。ささ、いただきましょうか」

 

 湯飲みから顔を上げるのと、赤城が加賀の対面に腰掛けたのは同時だった。

 

「ええ、いただきましょう」

 

 加賀が箸に持ちかえると、二人はいただきます、と朝食を摂り始めた。

 この日二人は揃って非番だった。朝食が遅くなったのは、朝の混雑を避けてのことである。食堂には他にも非番の者たちがちらほらといて、めいめいに朝のゆったりとした時間を過ごしている。

 二人の間にこれといって会話はなかった。向かいに座った赤城はほんのりと頬を綻ばせつつ、どんどんと食べ物を口に運んでいく。時々流れるように垂れ下がってくる黒髪を耳にかける仕草が、見ていてなんだかおかしく感じられる。

 

「ヘアゴムを貸しましょうか」

「へ? ああ、いや、大丈夫です。ありがとうございます」

 

 赤城は言うと、気恥ずかし気に笑った。

 ふと赤城はそこで箸を止めると、加賀の後の方へと視線をやった。

 

「もうすぐ紅葉の季節ですねぇ」

 

 加賀は赤城の視線を追うように背後を振り返った。視線の先に、一台のテレビがある。テレビの画面は天気予報を映していて、気象予報士が全国の天気とともに、紅葉の情報を発信していた。北海道をはじめとして、東北や北陸の方では、徐々に紅葉が見頃を迎えつつあるとのことだった。

 

「ついこの間まで暑いと思ってたのに」

「この辺りも朝晩は肌寒く感じられるようになりましたね」

「もうすっかり秋ね」

 

 赤城は再び箸を動かしつつ言った。

 

「秋と言えば栗ご飯が楽しみだわ」

「花より団子、ですか」

「あら、それは加賀さんも一緒でしょう?」

「それは、その……」

 

 ふふっ、とおかしそうに笑う赤城の視線を誤魔化すように、加賀は少し冷めた味噌汁を口に運んだ。

 ジジ、と。脳裏で小さくノイズ音が鳴った。すっかりリラックスした様子だった赤城の面が、誰よりも早く、僅かに、すっと引き締まる。そのノイズは、無線の受信によるものだった。赤城と加賀が二人揃ってそのノイズを聞いたということは、無線は公開(オープン)回線で鎮守府内全隊へ送られているに違いなかった。

 加賀が無線を聞く際のいつもの癖で視線を斜め上に向けるのと、聞き慣れた高い声が脳裏に響くのとはほぼ同時だった。

 

《空母・加賀、提督がお呼びです。至急執務室へ。繰り返します――――》

 

 今日の秘書艦を務める阿武隈からの通信だった。

 

「全隊通信でお呼び出しだなんて、ふふっ」

 

 すっかり元の調子に戻った赤城が笑う。

 

「な、なんですか。執務にかかわる用件だから公開回線を使っただけでしょう」

「ふうん?」

「個人的なことであれば秘匿(プライベート)回線を……」

「無線でプライベートなお呼び出しをされることがあるんです?」

「――――――」

 

 加賀の右手が閃いた。盆の上に残っていた食べ物が、次から次へと口に運ばれていく。それはまさしく、目にも留まらぬ早業。最後に緑茶の残りを一気に飲み干し、湯飲みを盆の上に置くコンッという音が、静かな食堂に一層高く響き渡った。

 

「冗談ですよ、加賀さん」

「わ、わかっています」

 

 加賀は席を立って盆を手に取り言った。

 

「そういうことですから。ゆっくりできると思っていたけれど、ごめんなさい」

「ううん、気にしないで」

 

 にこりと笑って小さく手を振る赤城を窓辺に残し、加賀は執務室へと急いだ。

 

 

――*――

 

 

 執務室にて提督から指示を受けた加賀は、その足で鎮守府内の駐車区画へと向かっていた。

 屋外に出ると、未だ早朝と言っても差し支えないだろう時刻の空気はつんと冷たい。日陰と日向の寒暖差はこの季節すでに明確で、建物の影を歩いてるとひやりとした空気が足元にまとわりつくようだった。だがその分、日向に出ると日差しの柔らかさが肌に優しく感じられる。ほんのひと月ほど前までは肌が痛いほど暑い日も多かったというのに、と。袖から晒した腕を、そっと彼女は撫でた。

 駐車区画に着くと、一台の業務車が暖機状態で加賀を待ち受けていた。彼女はそちらへ駆け寄り、セダンの後部ドアを開いた。乗り込む。エンジンの低い唸りが足元を微かに揺すぶる。彼女が後部座席に腰を落ち着けると、車は滑るように走りだした。

 車は鎮守府を出て、海岸沿いの道に出た。運転席との会話はない。加賀は防弾仕様のスモークガラス越しに空を見た。海原を覆うように広がる空を。

 波間を駆けながら見上げる空よりも、それは大きく感じられた。こんなにも空とは広いものだっただろうか。タイヤのアスファルトを舐める音が、なおさら彼女のそんな気持ちを掻き立てた。空はあまりに高かった。

 海岸沿いの道をしばらく走ると、やがて海水浴場の砂浜が見えてきた。そこが加賀の目的地だった。

 間もなく車は海水浴場に到着した。砂浜を囲う防波堤の脇には、既に鎮守府からの車両が数台停まっていた。加賀が乗る車もまた、先にやって来ていたそれらに並んで駐車する。

 後部座席から出ると、真っ先に波の音が聞こえてきた。ほう、と小さく息を吐き、大きく吸う。冷たい潮の香で肺を満たすと、頭の中心がすうっと晴れるような感じがした。

 海水浴シーズンを終えた海辺は静かなものだった。辺りに人影は見当たらない。季節外れの観光客の姿はもちろんのこと、地元住民の姿さえ。防波堤越しに海を望むよう建ち並ぶ売店は無人で、付けっぱなしのテレビに映る番組の音声だけが、波の音に混じって海風に揺れている。不気味なほどの静寂とも言えた。だがそれには理由があった。

 加賀は砂浜に降りていった。そこにも当然のように人の姿はない。だが完全に無人というわけでもなかった。波打ち際に人だかりがあった。

 そして人だかりから少し離れた位置に、海から流れ着いたのであろう、大きな流木が転がっていた。一人の少女が流木に腰掛け、波打ち際の様子を眺めている。加賀は人だかりの方へは向かわず、少女の方へ足を向けた。

 

「お、加賀さーん」

 

 砂浜を踏みしめる加賀の足音に、少女がくるりとこちらを振り返った。黒にピンクのインナーカラーが特徴的な長髪が風になびいている。長波は加賀の足元を見やり、にっと笑った。

 

「歩きづらくないの?」

「問題ありません」

 

 長波のもとに辿り着いて加賀は言った。一歩進むごとに草履が砂に沈む感覚は、歩きづらいと言えばその通りだったが、そこまで問題ではない。それよりも砂が草履と足の裏との間に容赦なく雪崩れ込むことの方が厄介だった。加賀が砂を追い出すように足を振りふりしていると、再び長波は笑った。

 

「加賀さんのそれは()()()()みたいでまだ良いよ。あたしはもう諦めた」

「ビーサン……」

 

 流木に腰掛けたままゆらゆら揺らす長波の足元には、履きならされた黒の革靴が。その中の惨状を想像し、加賀もまた、砂浜へのささやかな抵抗を諦めた。

 加賀は立ったまま長波の隣に並び、同じく波打ち際の人だかりへと目を向けた。そこでは鎮守府から派遣されてきた調査班の人員たちが忙しなく動き回っている。

 

「海風が身に沁みますなぁ」

「年寄りのようなことを言うのね」

「寒さに歳は関係ないっしょ。それに、普段は艤装を着けてるからさぁ。なんか余計寒いような感じがするよ」

「そう」

「加賀さんは平気なの?」

 

 横目に海の方を見やった。沖合に白波がちらりちらりと立っていたが、比較的波は穏やかだった。しかし時折二人の間を吹き抜ける風は確かに、彼女の知るそれよりも、一段と冷たさを増しているように感じられる。風に洗われたうなじをそっと手で触れる。じわりと温かかった。

 

「ありゃきっと打ち上がったばっかりだね」なんてことのない世間話をするような調子で「モノに損傷はなし。あんな綺麗な状態の深海棲艦の死骸なんて、明石さん喜ぶんじゃない?」

「報告では駆逐艦と聞いたけれど」

「イ級だと思う。後期型だったりしてね」

 

 長波はそう言うと、砂浜と町とを隔てる防波堤の方向を振り返った。

 

「そりゃ皆引っ込むよなあ。ま、人払いは楽に済んで良かったけどさ。何かちょっと悪ィことした気分になるね」

「市民の安全が第一よ」

「ごもっとも。ま、巡回組からは敵艦発見の報せもなし、この辺は平和そのものだけどね」

「そのようね」

「で? 何だって()()()()()()()がわざわざお出でなさったのさ」

 

 加賀は体の前で組んでいた手をさっと背後に回した。そして傍らの長波を見下ろす。長波もまた防波堤から視線を外し、ふいっと加賀を見上げた。

 

「あなたを見張るため、と言ったら?」

 

 長波の瞳を真っ直ぐ見つめて言う。すると長波は咽せたように咳き込んだ。

 

「ちょっ、あたしはちゃんとやってるよ!? けど海の巡回は清霜たちの仕事だしさ、陸の警戒つったって、やることないんだって。あそこに混じったって邪魔だろ?」

「そう。まあ、冗談よ」

「……ごめんって。ほんと冗談に聞こえないんだよ、加賀さんが言うとさ」

「今日はちょうど非番でしたから。提督が、私も現場の様子を見ておいたほうが良いだろうと」

「ま、それが正しいかもね。こんなこと、そう滅多にあることじゃないし」

「けれど長波、警備はあなた達に一任されているわ。ちゃんとして欲しいというのは本当よ」

「だーからちゃんとやってるって」

 

 暢気に言う長波だったが、一瞬の間を置き、ぎょっとしたような表情を浮かべると改めて加賀を振り仰いだ。

 

「丸腰?」制服の上から脇の下を、そこに吊されているモノの存在を確かめるように手の平で抑えながら「何もお持ちでない?」

「そうよ」

「ひえー! そりゃ艦載機積んでこいとは言わないけど」

「艦娘ですもの。私たちを武装()()()と言うことはそれだけ大変なことなのよ」

「わかっちゃいるけどさ」

「あなたも信頼されているということね」

「ひー、こいつは責任重大だ」

 

 よっ、と声を出して長波は流木から立ち上がった。猫を思わせるしなやかさで大きく伸びをして、軽くスカートを払う。

 

「んじゃまあ、もちっと近くで様子を伺ってみますかね」

 

 長波の後に続いて、波打ち際に集まる調査班のもとに向かう。二人そろって砂を蹴り上げるような歩みだったが、そのことに関してどちらも何も言わなかった。

 調査班の面々には既に連絡が入っているためか、彼らの関心が加賀に向けられることはほぼなく、班の何人かが軽く挨拶を寄越してきたが、ほとんどは自らの仕事にかかりっきりだった。そんな彼らから一歩引いた場所から、二人の艦娘は深海棲艦の遺骸と対峙した。

 その黒い身体は鉄のようでありつつも、鈍く光沢を放つ様が鯨や海豚といった水棲の哺乳類の肌の質感を連想させる。脚部と呼ぶべき箇所は胴体の大きさに比して妙に小さく、陸上で自重を支えることはできないのではないかと思わされる。ヒトのそれによく似た歯の並ぶ口はだらしなく開いたままとなっていて、常ならばこちらを怪しく睥睨するように光る瞳も、今は陽の光を僅かに反射するのみとなっている。海上で出会えば素早く波間を滑るその体躯が、ぴくりとも動かず波打ち際に横たわっている。一点の疑いようもなく、それは死んでいる。散々命のやり取りをしてきたからこそ、加賀にはそのことがよくわかった。

 

「普段ボコスカやりあってる相手だけどさ。こういう形で見ると、なんだかなぁ」

 

 長波が言った。歯切れの悪い調子で。その細い腕を、つい先日衣替えで冬服になったばかりの制服の袖の上から、そっとそっと撫でている。まるで寒さを紛らわすような仕草だったが、加賀には、疼きを堪える仕草に見える気がした。

 

「どうしたの?」

「いや、なんかさ。なんだろう。エグいって言うのかな」

 

 エグい――――果たして、長波はどういった意味でそう言ったのか、加賀には一瞬測りかねた。

 酷い、恐ろしい、醜い、生々しい、気持ちが悪い、汚らわしい、穢い。

 あらゆる表現が脳裏を駆け巡って、そのどれもがどこか違う気がした。長波の言わんとすることが理解できるようで、うまく言葉に出てこない。この感情は深海棲艦という存在に対する敵対心から発するものだろうか。はたまた、死に対する忌避感によるものだろうか。そのどちらもが胸のうちに存在するのを加賀は確かに感じていた。だがそれとはまた別の思いが、複雑に絡まりあって混在しているのも事実であるように思えた。

 

「……哀れ、ね」

 

 ぽつりと、そんな言葉が唇の間から零れた。何かがすとんと胸のうちに納まるような感覚。長波がこちらを見るのがわかった。

 哀れ――目の前の怨敵を、自分は哀れんでいるのだ。加賀はそう自覚した。そして長波もまた同じだろうと思った。

 これまで幾度となく水底に沈めてきた敵。沈めなければこちらが沈められる、そんな白か黒かのはっきりとした関係。水上で出会えばそのことに疑問を感じることなどなかった。そしておそらく、それは絶対的に正しいことだった。何故なら自分は艦娘で、敵を沈めることが役割であり、存在意義であるのだから。そしてそのことについて今後疑問を抱くこともないだろう自信が、彼女には確かにあった。

 けれど、それなのに、眼前で横たわる遺骸を哀れに思う。

 

「ヒト同士の戦争なら、線香の一本でもあげてやるものなのかね」

 

 長波が言う。彼女はその視線を、海の方へと向けていた。穏やかな波間、その先の暗い場所を見ていた。

 

「どうでしょうね」

「ま、あたしらにそんな資格はない気もするけどね」

「それくらいでちょうど良いのよ」

 

 私たちは兵器――ヒトに許された武力なのだから。それ以上のことを考えても、仕方がないだろう。

 

 

――*――

 

 

 海水浴場での状況調査後、件の深海棲艦は回収され、工廠へと運び込まれた。この後あの深海棲艦がどのように扱われるのかは知らされていない。それを知るのは恐らく、鎮守府の中でもごく限られた者のみだろう。長波は加賀がその極秘事項の内容を知っているのではないかと勘繰っていたが、もちろんそんなことはなかった。

 同じ業務車に乗り鎮守府へ戻った加賀と長波の二人は、駐車区画で車を降りると、報告のため共に提督の執務室へ向かうこととした。

 そして庁舎へ戻る道中、彼女たちは手押しの一輪車を押す駆逐艦に出くわした。

 

「おー、初月。また畑かー?」

 

 長波が手を振って声をかける。すると作業服を着込んだ初月が立ち止まり、二人の方を振り返った。長波が面白がる調子で初月のもとへ歩み寄る。ここで別れても良かったのだが、何となくの成り行きで加賀も長波のあとを追うことにした。

 呼び止められた初月は、長波をじとっと睨むと腕組みして言った。

 

()()って言うのはよしてくれないか。今日はたまたま姉さんの手伝いをしてるだけだ」

「あー、そうかぁ? なーんかお前らっていっつも土いじりしてる印象が――――」

「長波、お前……!」

「じょ、冗談だって。なあ加賀さん?」

 

 急に話を振られ、加賀は言葉に困った。今にも飛びついてきそうな様子の初月の視線が突き刺さる。

 

「……作業服、似合っているわよ」

 

 そんな言葉が口をついて出た。フォローにも何にもなっていない。言い終えたその瞬間から、流石にこれはおかしい、という恥ずかしさが湧き上がり、ふっと視線を逸らしてしまった。

 ぽかん、とする長波。その背中に、小さく溜息を吐いた初月が容赦のない平手打ちを食らわせる。よく澄んだ秋の空に悲鳴は高く高く響いた。

 

「今日は南瓜の収穫をするんだそうだ」一輪車の持ち手を握りなおして初月が言う。「暇なら二人も手伝ってくれないか」

「いやぁ、ちょっと無理」

 

 背中をさすりながら長波が言う。

 

「働かざる者なんとやらだぞ」

「いやいやほんとに。これから提督のところに報告に行くんだよ」

「そうか……」

 

 そちらは? と言わんばかりに視線を寄越す初月。加賀はどう答えるか逡巡したが、首を縦に振った。

 

「え? 加賀さんも報告しに行かなくていいの?」

「少しくらい後回しになっても問題ないわ」

 

 加賀が深海棲艦の遺骸の漂着現場に赴いたのは、ほとんど提督個人の希望によるものであって、長波のような正式な出動とは少し訳が違った。もちろん報告が早ければそれに越したことはないだろうが、別に緊急を要する用事でもない。非番の最中に全体回線で呼び出しを食らった、その意趣返しとでもしておけばいいだろう。

 

「あっそう。まあ一応あたしから一言伝えておくよ」

「そうしてちょうだい」

 

 初月が微笑んで言う。

 

「今晩のおかず、加賀さんの煮物は倍にしよう」

「本当ですか?」

「長波の分は無しだ」

「えー!?」

「冗談だ」

 

 初月が一輪車を押して歩きだした。加賀は長波と別れ、初月の隣に並ぶ。そうしながら、今日は駆逐艦と過ごす時間が多いなと、そんな風に考えた。加賀が出撃以外でこうして他艦種の艦娘と接することはあまり多いとは言えなかった。非番の日となるとなおさらだ。

 基本的に一人で過ごすことが苦にならない性格の彼女だが、気が付くといつも誰かが側にいる。鎮守府内での生活圏が寮を中心としているため、そうすると自然と集まってくるのは空母の面々に限定されがちなのだ。非番の日となると、いつもは寮の中で大人しくしているか、外出するにしても、赤城をはじめとした空母の面々を連れ立つことが多い。だから今日のような日は新鮮だった。こんな日も存外悪くないと思っている自分がどこかにいるのを彼女は感じていた。

 

「正規空母の馬力があれば百人力だな」

 

 初月が一輪車を押しながら言った。

 

「私、畑仕事はしたことがないのだけれど」

「大丈夫だ。僕だってそんなに心得があるわけじゃない」

「そう」

「そうだ。プロがいるから安心するといい」

「そう……」

 

 畑は庁舎をぐるっと周った裏手にある。それは主に園芸を趣味とする艦娘達の希望によって確保されたスペースだった。そこは一部の艦娘の憩いの場になっていたし、少量ながら鎮守府内での食糧の自給自足を実現する場として活用されてもいた。加賀が畑を訪れる機会はほとんどない。去年かその前の年か、夏場、畑の一角に立派な向日葵が咲いたとちょっとした話題になったので見学に行ったことくらいしか、彼女の中で畑に関する思い出は存在しなかった。

 そうこうするうちに二人は畑に到着した。そこでは、初月とおそろいの作業着を身に着けた涼月が待ち構えていた。

 

「お初さん、ありがとうございます。それはそうと、どうして加賀さんが?」

 

 一輪車を運んできた初月を労いつつ、涼月が心底不思議そうに言った。

 

「僕が捕まえたんだ」

 

 加賀は首肯した。確かにこの場合、捕まったという表現が最も適切であるような気がした。

 

「そうですか。加賀さんがいればきっと仕事も捗ります。よろしくお願いしますね!」

「お手柔らかにお願いするわ」

 

 姉妹揃って似たようなことを言うので、少し気後れする。

 満面の笑みを浮かべていた涼月だったが、加賀の服装を見て少し困った顔をした。

 

「でも、制服が汚れてしまわないかしら」

「問題ありません。足はすでにじゃりじゃりですから」

「じゃりじゃり……?」

 

 涼月は首を傾げたが、本人が言うならと納得したようだった。

 

「ずいぶん立派なものね」

 

 畑では、部分的に花壇のように整備されて花卉(かき)が育てられている区画を除いて、その大部分で野菜の栽培が行われている。畑とは言ってもあくまで鎮守府の空き地を活用しているだけであるため、規模としてはたかが知れているが、それでも素人が趣味の延長線上で管理するには十分な物のように加賀は感じた。そしていくつか立てられた畝のうち、三本ほどの畝で南瓜が作られているらしい。蔓と大きな葉が地面を覆い、ところどころから南瓜が顔を覗かせている様は加賀を感心させた。

 屈み込んで、すぐ足元に成っていた南瓜に触れてみる。ひんやりと冷たく、そしてすべすべとした肌触り。とんとん、と軽く叩いてみる。野菜の目利きができるわけでもなかったが、きっと美味しく出来上がっているに違いないと思わせる音と感触だった。南瓜から離した手を見てみると、少し触れただけだったのに、手の平が土で汚れていた。訓練の時であればいざ知らず、この様に手が汚れることがこれまであっただろうか。手の平のざらざらとした感触を確かめつつ、しかしそれを不快に思うことはなかった。

 

「無農薬栽培なんですよ」

 

 涼月が加賀の隣に屈み込んで言った。どこか誇らしげに聞こえた。

 

「そう。身体に良いのね」

「身体にも良いですけど、虫たちにも優しい菜園ですね」

「虫……」

「虫たちも、生き物ですから。できることなら、殺してしまいたくはないんです」

「そう……。そう、ね」

「だから、忌避剤となるような物で、虫が寄ってこないようにするんです。それでもこれが結構大変で、お薬を使ってしまったほうが楽なんでしょうけど……。でも、やり甲斐もあります」

 

 よく南瓜の様子を見てみると、確かにその葉には虫食いの跡が散見された。加賀の預かり知らぬところでは、もっと他にも害が出ているのだろう。しかし、それでも南瓜はこうして立派に実っている。それは虫との共存を選択した涼月たちの、努力の賜物であるのだろうと思えた。そしてきっと、涼月自身もそれを誇らしく思っているのだ。だからこうして、自分に話して聞かせている。とても彼女らしい。加賀はもう一度、南瓜を撫でた。

 

「虫の忌避にはお酢が使えるんですよ。知ってましたか、加賀さん」

「お酢が?」

「そうなんです! 今の時代は良いですね。欲しい情報が簡単に手に入りますから」少し熱の入った様子で「お酢にはですね、蛎殻石灰を混ぜたりするんですよ。その上澄み液を五百倍に希釈して――――」

「姉さん……」

 

 涼月の言葉を初月が遮った。傍らに立ったままの彼女を振り仰ぐ。腕組みした涼月が、やれやれと言いたげな調子で続けた。

 

「そんなに熱弁したところで困らせるだけだ。それより、早く仕事に取り掛からないか」

「そ、そうですね。ごめんなさい、私ったら」気恥ずかしそうに笑って「ええっと、ひとまず、加賀さんの分の軍手を用意しなくちゃいけませんね」

「私はこのままでも良いのだけれど」

「軍手はしておいたほうが良いぞ。怪我をするかもしれないし、土に触れると結構肌も荒れるんだ」

 

 立ち上がり、土で汚れた手の平の匂いを嗅ぐ。土の匂い。この匂いも嫌いではなかった。

 涼月から軍手を借り受け、作業は始まった。加賀の仕事は、涼月と初月が蔓から切り離した南瓜を拾い上げ、一輪車に積み込むことだった。非常に単純な作業ではあったが、中腰になっては南瓜を拾う動作を何度も繰り返せば、それはそこそこの体力仕事と言えた。涼しい時季になったとはいえ、そうなれば自然と汗ばんでくる。さわさわと、野菜たちの枝葉を時折揺らす優しい風が心地よかった。

 

「うわっ、出た!」

 

 黙々と南瓜の蔓と格闘していた初月が突然大きな声を上げた。一体何が起きたのかと加賀は手を止めた。しかしそれとは対照的に、涼月は気にする様子もなく作業を続けている。その悲鳴とも言える声を無視して良いものなのか戸惑う加賀だったが、彼女が声をかけるよりも先に、初月のほうが言葉を継いだ。

 

「姉さん、芋虫だ。南瓜に張り付いている」

 

 涼月が困ったように笑った。

 

「ええ、まあ、畑ですからね」

「これはどうすれば良い?」

「手で取って、えいっ、と」

「くっ……!」

 

 初月はそれこそ、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。そして自身の目の前に転がる南瓜に手を伸ばすと、おっかなびっくりといった調子で芋虫を摘まみ上げ、地面に転がし、そして踏んだ。

 

「これだから畑仕事は嫌なんだ……」

 

 初月は虫を踏み潰した方の足をじたばたさせつつ、絞り出すように言った。その様子を見ているほうまで、手足がむず痒くなってくるようだった。

 

「……意外ね。虫なんて平気そうだけれども」

「そうですか? お初さん、私たちの中では一番の虫嫌いなんですよ」

 

 人は見かけや雰囲気にはよらないものだ。加賀は心底そう思いながら、南瓜の前に屈み込んだ。

 

「殺虫剤は使わないのに、結局殺してしまうのね」

 南瓜を撫でながら言った。

「そうですね」

「……意地の悪いことを言ったかしら」

「そんなことないですよ」頬に薄っすら笑みを浮かべて言う「可能な限り生かしてあげたいですけれど、目の前に現れてしまったら……。どんな悪さをするかわからないですから。その時は、見逃してはあげられないんです」

 

 私たちのエゴですね、と。涼月は付け足した。

 加賀は南瓜をじっと見つめた。日光を受けて(つや)やかに光るその肌を。そして畑を見渡し、今朝、ゆっくり味わう暇もなく平らげた朝食のことを思い出した。

 

「きっとこの南瓜は美味しいでしょうね」

 

 南瓜を抱え上げ、一輪車へと運ぶ。両手に抱いたそれは、ずっしりと重かった。

 

 

――*――

 

 

「南瓜の煮付け、美味しかったですよ、加賀さん」

 

 夕食後、寮の自室で緑茶を啜りながら赤城が言った。

 

「育てたのは秋月型ですし、調理したのも私ではありませんから」

 

 部屋の片隅に小さく設えられた畳のスペース。寮のルームメイトである加賀と赤城は、座卓を挟んで就寝前の時間を過ごしていた。

 

「それはそうだけど、収穫も立派なお仕事ですよ」

「……そうですね。その通りです」

「加賀さん、ドロドロになって戻ってきたらしいじゃないですか」

「そ、それはあくまで足元だけですから」

「提督に怒られませんでした?」

「……笑われました」

 

 遅めの報告のため執務室に赴いた際、秘書官の阿武隈の視線も気にせず、提督は大笑いした。それなりに頭に来たのは確かだったが、いい歳をした娘――人間の感覚で言えば、だが――が突然幼児のように泥だらけになって現れれば、笑われもするだろう。むしろ叱責を食らわなかっただけ、温情があったのかもしれない。そのことが理解できたため、加賀は提督が笑い終えるのを待つことができた。いま赤城にその時の怒りや羞恥心が掘り返されたわけだが、彼女は熱い緑茶とともにそれらの感情を嚥下した。

 

「まあ、いろいろ考えさせられる一日ではありました」

 

 興味深げに赤城が眉を吊り上げた。

 

「食事は美味しく頂くべきということです」

「え、どういう意味です?」

 

 加賀は右手を握り、指を揉み合わせた。入浴を終え、ハンドクリームを塗った後の手にはもう、畑で土に触れたとき感じたざらつきはない。

 

「私たちは命を頂いているんだと、改めてそう思いました」

 

 日々口にしている米も肉も野菜も。それらの命を奪うことで生きている。時にはそれらに寄ってくる虫を踏み潰してまで。果たして、たった今日一日を生きるために、どれだけの命が費やされたのか。そんな考えても仕方のないことを、当然のこととして顧みられることすらない事実について考える。しかし――――。

 

()()()食べ物って美味しいと感じるのかも」

「確かに、そうかもしれません」

 

 しかし、そこに罪悪感を覚えると言えば、それは嘘になった。

 奪いたいから奪う。それが行動原理であるような気がした。ヒトという生き物の。それを悲しいと否定してしまえば、それは自分達の存在をも否定することになるような気がする。何故ならば、自分達艦娘は、そうしたヒトの行動原理の極北であるのだから。

 ――――あたしらにそんな資格はない気もするけどね。

 駆逐艦の言葉が思い返される。その通りだと思った。私たちは摘み取る者。生かすために殺す。それを理性で理解したうえで、命を選択する者なのだ。それが役割であり、存在意義。

 だから、どうしても、敵を沈めたときに胸が高鳴ることを禁じ得ない。

 ジジ、と。脳裏で小さくノイズ音が鳴った。すっかりリラックスした様子だった赤城の面が、誰よりも早く、僅かに、すっと引き締まる。そのノイズは、無線の受信によるものだった。

 

《緊急通信》

 

 大淀の声だった。

 

《夜間航行中の貨物船より、近海海域に正体不明の船団発見との通報あり。以下の者は――――》

《提督、聴いているかしら》

 

 大淀の通信を遮った。赤城が目を真ん丸にする。この様な緊急の通信に割り込むことなど、本来であれば有り得ないことだからだ。恐らく、鎮守府中の人員の多くが同じような反応をしていることだろう。

 通信の向こうで、大淀が押し黙る。加賀は構わず続けた。

 

《私にも行かせてちょうだい》

 

 一瞬の沈黙。そしてすぐさま、脳裏に聞き慣れた声が響いた。

 

《第二型戊種兵装の使用を許可する》

 

 再びの一瞬の沈黙の後、大淀による通信が再開された。

 すぐさま立ち上がる。赤城がこちらをじっと見つめているのがわかった。いったいどうしてしまったのだろう。視線がそう、問うでもなく問いかけているのがわかった。しかし加賀にも、自身の行動のわけを説明できる気がしなかった。

 素早く身支度を整える。そうして部屋を出ようとドアのノブに手をかけたとき、ふとすぐそばの壁に掛けられたカレンダーが目に入った。

 一分一秒の時間が惜しい状況で、しかし加賀は立ち止まってしまった。本当に、今日の自分はどうしたのだろう。頭の片隅には、そう首を傾げている自分がいる。そして彼女は赤城の方を振り返り、言った。

 

「今度、紅葉狩りに行きませんか?」

 

 きょとんとした赤城の顔。そしてこくりと頷き短く応えた。

 

「いいですね、それ」

 

 赤城の言葉を聞き届けてから、ノブを回し、ドアを開けた。足元に夜気を感じる。加賀は一人、小さく笑って部屋をあとにした。

 

 

 






夏場、部屋に鬼のような数の蟻が押し寄せ、それらを殺さずに外へ放り出すという日々を過ごす中で着想を得た作品です。
なので本来は夏真っ盛りで蟻が登場する話だったのですが、筆が乗らず放置した挙句、やっぱり書き上げようとなって内容がかなり変わりました。
さすがに夏の物語を投稿するには気候が涼しくなりすぎました。
それでも、「いつ海」で艦娘観が変わる(かもしれない)前に完成できてよかったです。

ここまで拙作にお付き合い頂き、ありがとうございます。
今回は加賀さんを主人公としましたが、また別の娘を主人公に一つ書きたい気が薄っすらしているので、もしも機会がありましたら、またお付き合い頂ければ幸いです。
それでは。

twitter:https://twitter.com/chiharugame1122

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