「んん……」
「あ……翔太郎っ?」
翔太郎が警察病院で目を覚ましたのは翌日の18時を過ぎたころだった。北川の護衛にやって来た警察病院で24時間を過ごしてしまったことを自嘲気味に苦笑しつつ、気を取り直して傍らのときめに今日のことを尋ねる。
「旦那さんはここの警備を固めてた。あの北川って子をどこか別の病院に移そうとしても結局向こうには聞こえちゃうからって、外に出たら警官が何人か巡回してるよ。しばらくはずっと電気つけっぱなしだって。所長はフィリップの指示で人に会いに行ったみたい。前の知り合いだーとか何とか。それで、フィリップは……」
「……当ててやるよ。没頭だろ」
「さすが。うん、所長も調査に行っちゃった状態でずっと検索と分析してたら倒れちゃうって言ったんだけど、『悪いが今君がいても気が散る。すまないが一人にしてほしい、翔太郎のそばにいてあげてくれ』って追い出されたんだ。それで私は今日ずっとここにいる」
「なるほどな……ゲホッ」
「大丈夫?」
「ああ、お前が想像するよりはだいぶな。黒焦げになりかけた時だの、背中斬られた時だのに比べりゃあ万倍マシだ」
「……でも、今はじっとしてて。翔太郎がいなくなったら、私……」
「……わーってるって。でも寝たまんまも性に合わねえ。事件の情報でも整理すっか」
事件は5日前に発生した。東風村明夫が率いるメモリ密売グループ・ガーデンの拠点である浜風港のテナントビル地下1階で発生した殺人事件だ。
その場に居合わせたのは南方亮、西野泰治、北川辰実の3人。翌日にメモリの取引を控えていた彼らは、その晩メモリ盗難を警戒する東風村の指示で警護のためにビルに詰めていた。東風村は別件があったため居合わせなかったが、事件発生の直後にわずかではあるが通話していたことを北川が証言している。
事件が起こったのは23時50分ごろ。3人が麻雀で時間を潰していたところに突如として犯人――シャドウ・ドーパントが出現した。シャドウは4人の犯罪歴やメモリの隠し場所である隠し金庫の場所を正確に言い当て、それを材料に3人に東風村に繋ぐよう要求。3人は南方の携帯から東風村にかけ、向こうが応答したことで通話が繋がった。
彼らはこれまでに起こったことを説明し、シャドウの要求である「ガーデンの活動停止・解散」を伝えた。しかし東風村はこれを拒否、3人にシャドウの口封じを命じる。だがメモリを使用するより早く、南方と西野はシャドウの能力により惨殺されてしまった。1人残され恐慌状態に陥った北川はビルから逃げ出し、ホース・ドーパントとなっての逃走を開始した。ここまでが北川の証言や遺留品から判明している事実だ。
その後シャドウは残る2人を殺害するための行動に移った。いかなる手段を用いたかは定かではないが、東風村を朝風丘の日時計広場に誘い出して自らの能力を用いて殺害、そして北川の殺人も図ったものの仮面ライダーと警察の出動によって撤退し、どこかに潜伏している……というのが現在の状況である。
犯人であるシャドウ・ドーパントの素性は未だ不明。だがかつてミュージアムに所属していた構成員、それもかなりの経験を積んだ手練れ、かつハイドープと化していることは明らかだ。そしてその過去から「ミュージアムの後継を気取る若者たちへの粛清」が犯行の動機であることも分かっている。
「犯人の正体には近付いてるんだね」
「そうだな。そしてもうかなり絞り込める段階まで来てる。カギは……フィリップだ」
「え……フィリップと犯人に、何か関係があるの?」
「ああ、間違いない。そもそもシャドウの動機にミュージアムが関わってることが分かってたのはフィリップなんだ。しかも俺には何の説明も無しにいきなりな。恐らくヤツとフィリップの間には、そこにしか分からない何らかの繋がりがある」
「それって……どんな?」
「……帰って亜樹子に聞いてみな。『園崎の屋敷で働いてた人に会ってきたのか?』って」
「そーそー! フィリップくんに頼まれて、昔の知り合いに会いに行ってたのよ」
翌朝、事務所で言われた通りに聞いてみると、亜樹子はウンウンと大きく頷いた。
彼女がテーブルに出した一枚の写真、そこにはキツい印象を与える面立ちの妙齢の女性が写っている。
「この人は杉下克子さん、昔私が園崎のお屋敷に潜入捜査した時にお世話になったメイド長さん。私たちが今唯一持ってる、園崎家との繋がり」
そして亜樹子はもう一つ、今度はA4用紙の紙束を置いた。
「『園崎邸使用人名簿』……これは?」
「竜くんから捜査資料として預かったの。だいたい15年くらい前からお屋敷がなくなっちゃうまでに園崎家で働いてた使用人の一覧。あ、私の名前もお尻の方に載ってるよ」
「15年くらい前……って確か、フィリップがデータ人間になったころ……じゃあ、この名簿の初めの方に書かれてる人って……!」
「ときめちゃんの想像通り。竜くんたちも捜査したけど、多くの人がミュージアムの構成員だったって」
そして亜樹子は新たな情報を語り始めた。
園崎家の使用人は二つに分けられる。即ち、園崎家の裏の顔を知っていたか、否か。
『泉』に落ちてデータ人間と化したフィリップ……園崎来人から地球のあらゆる事象の記憶を抽出したガイアメモリが開発され、風都に流通し始めたのは1999年のことだ。しかし組織の活動自体はもう少し前から始まっている。園崎琉兵衛と関わりの深いL・A・S・Tの四人がその存在を知らされていたように、当時の使用人たちにも組織の発足は伝えられていた。
自らミュージアムについて行くもの、園崎家を後にし口を噤むもの、“魔力”から逃れられなかったもの……使用人たちも三々五々だった。ミュージアムに身を置くことに決めた使用人たちはやがて時が経つと共に“古株”となり、自然と園崎の家族の近くに置かれる主要な使用人は彼ら彼女らで固まっていくこととなる。
かつて一度、園崎家でもメモリ犯罪が起きたことがある。その犯人である佐々木由貴子は園崎家がメモリの元締めなどとは露も知らぬまま潜伏していた。そのようなこともあるほどには、園崎邸内での使用人とは雇用の時期によって隔絶のある仕事だったのだ。
『お久しぶりですね、鳴海さん。探偵としての貴女と対面する日が来るとは思っても見ませんでした』
『はい、ご無沙汰してます、杉下メイド長。それで杉下さんにお伺いしたいことがあるんです。園崎家の使用人、その中でもご家族の方に付くような“古株”の方々について』
『……あの頃、貴女は私をメイド長と呼びましたが、それは正しくなかった。私のそれは所詮お飾りです。他の古株やお付きのメイドから視線を逸らすための“かかし”でした』
『園崎家の裏の顔をご存知だったんですか?』
『いいえ、全ては知りませんでした。ですが奉公が長ければいやでも尻尾くらいは見えるものです。だから私がメイド長の立場を与えられながらも、私より重用されている使用人がいることには気付いていました。それがまさか犯罪組織の一員だったからだとは思いもしませんでしたけれど』
『そうだったんですね……ありがとうございます。それで古株の使用人たちについて知りたいことがあるんです。これを見てください』
『おや……見慣れた名前ばかりですね。これが何か?』
『今私たちが追っている事件の犯人がこの中にいる、と推理されてまして、なるべく人数を絞っておきたいんです。だから杉下さんが覚えてる限り、どの古株使用人がどんな人だったか、教えていただきたいんです』
『それはまた……長くなりそうですね。お茶でも淹れてゆっくりと行きましょうか』
『はいはいっ! だったら私、ご協力のお礼に私がやりますよ、メイド長!』
『……鳴海さんに任せるとあまりいい予感がしないので、自分で淹れることにします』
『ガーン……!』
「ってカンジ。いやー大変だったわぁ、途中から捜査じゃなくて結婚生活の心得とか家事のレクチャーとか始まっちゃってね。もーほんと世話焼きな人なんだから」
「そう、なんだ…はは。それで、犯人の正体は分かりそう?」
「怪しい候補はそれなりに減ったよ。竜くんにも一応裏取りを頼んでるけど、たぶん成果は出ないからこっちで動いた方が早いと思う」
「裏取りがダメって、どうして? 警察の事情聴取だから正確に行えると思うんだけど」
「それはそうなんだけどね? でも今回裏取りのために聴取するのは、ミュージアムがなくなった後に警察に逮捕された構成員なの。みんな忠誠心が高くて絶対に口を割らないから、今回も空振りの可能性が高いってこと」
やれやれと肩を竦めた亜樹子はさらに数枚の資料を取り出した。
「こっちが杉下さんに協力してもらって確認した、連絡が取れる分の元使用人の人たちの連絡先や住所。今日はしらみつぶしに当たって少しでも犯人絞るわよ、ときめちゃん!」
『園崎のお屋敷の話ですか……。あそこで働いていたってだけであの後いろいろ言われましたから、あまり気持ちがいい話ではないですが……それで協力できるなら』
『古株の皆さんは皆只者とは思えない様な雰囲気とか、一芸がありました。園崎なんて大きなお家に長年仕えていたら自然とそうなるのかと思っていたんですが、特殊なメモリの力だったんですね』
『この人は……冴子様のお付きでしたね。神出鬼没というか、どこで仕事をしてるか分からないのに、冴子様がお帰りになると正確に現れてそばにいる方でした。守護霊か何かだったんじゃないかって噂でしたよ』
『若菜お嬢さまのベッドメイクは専属でこの方でした。気難しい方だったお嬢さまも、昔からずっと知っている方だから安心して部屋に上げられたのでしょう。仲がいいというほどではなくとも、信頼はあったように思います』
『…………すみません、名前は確かに聞いた覚えがあるんですけど、どんな方だったか思い出せなくて……ううん、私、こんなに良く知らない人の下で働いてた……?』
「……私が集められた情報はこれで全部ね」
「私のと所長の集めた情報に、似通ってる部分がある……この人が?」
亜樹子とときめの二人で行った聞き込みは一定の成果を上げた。そこにはある情報の一致があったのだ。
「それじゃ、フィリップにこの人のことを検索してもらって――」
「いや。そいつはやめといたほうがいいぜ、ときめ」
驚いて振り返る。少々ガタが来ている事務所の扉を開けて、そこには翔太郎の姿があった。
「もう退院して大丈夫なの?」
「ああ、少し痛むが傷自体は問題ねえ。調査だろうが変身だろうがどんとこいだ」
翔太郎は右腕をぐるぐると回しながら事務所の中を突っ切り、定位置のデスクに陣取った。
「だけど一度あいつと話をしなきゃならねえ。シャドウと決着をつけるために、な」
その言葉が開錠の呪文であったかのようにガレージの扉が開き、そこからフィリップが顔をのぞかせた。翔太郎だけでなく、二人にとってもシャドウとの戦い以後久しぶりに見たフィリップの姿だった。
「お帰り、翔太郎。まずは君が無事に帰ってこれたことを嬉しく思う」
「痛みはあったが傷は大したことなかったお陰で早く治った。……さあて、フィリップ、お前に聞きたいことがあったの、忘れてねえだろうな。正直に答えてくれよ」
「もちろんだとも。……君だけじゃなく、みんなが思ったはずだ、『どうしてぼくにはシャドウがミュージアムの構成員だと分かったのか』と。その理由は、言葉にしてしまえば実に単純なんだ。夢に見たのさ」
フィリップはシャドウとのファーストコンタクトとその後に見た夢について語る。そしてわずかにシャドウから感じた過去の残り香についても、余すことなく、包み隠さず。
「……以上が顛末だ。すぐに共有ができなくてすまなかった。正直に言うとぼくは……ぼくの過去を知っている誰かがまたいなくなってしまうことを、少し恐れている。例えそれが魔道に堕ちた犯罪者であっても……」
思わず力が入った拳を震えさせたのが怒りなのか、恐れなのか、悲しみなのか、それはフィリップ自身にも判然としなかった。
無理もない、と翔太郎は内心で呟く。死仮面事件の際でさえ、それまでに彼自身と関わりの無かったL・A・S・Tの4人と父親との歪な関係を察し自分が平静を保てないことを自覚し距離を置いたほどなのだ。今回はそれ以上、ダイレクトに自分の過去と繋がりのある人物の起こした犯行という事実が重なってくる。フィリップでなくとも、普通に生きていればほとんどが積極的に関わりたくはない話に違いない。
それでも。
「お前の気持ちが分かるとは言わねえ。そんな安っぽい同情なんか求めてねえだろうしな」
罪に向き合い戦い続ける。それが翔太郎とフィリップ、仮面ライダーWの流儀だ。
かける言葉は決まっていた。
「フィリップ。『男の仕事の八割は決断だ。そこから先はおまけにすぎない』」
「……フッ。そうだったね、鳴海壮吉の言う通りだ」
「犯人はお前が検索すりゃ一発で分かるだろう。でも最適な行動が必ず正しいと俺は思わない。お前には時間が必要なはずだ、覚悟のための」
「…………」
「だから犯人の正体は俺たちが突き止める。お前は、覚悟ができたら本を読め」
肩を叩く翔太郎の目にはフィリップへの信頼が満ちている。見回せば亜樹子は『任しとき!』と書かれたスリッパを構え、ときめも静かに頷いた。
「……ありがとう。君たちが仲間で本当に良かった」
「それで翔太郎、どうやって犯人の情報を集めるの? 使用人の人たちに聞いてもみんな覚えてないとかよく思い出せないとかで、人となりには全然近付けてないんだけど……」
「それは多分ハイドープになった影響だ。“影”と、他人から覚えられないって性質……なんかそういうのを表した言葉があると思わねえか?」
「…………あっ、『影が薄い』ってこと!?」
「ビンゴだぜ、亜樹子。犯人はシャドウメモリのハイドープになったことで影が薄くなった、だから使用人は不自然なくらいこいつのことを覚えてないんだ。けどな、メモリの影響なら使い出す前の足跡はどこかに残ってる。ミュージアムに入るにあたって経歴を全部消したとしても、人間の記憶までは拭いきれない」
「てことは……街のおじいちゃんおばあちゃんに聞いて回れば!」
「そーいうこった。さあ、これが最後の聞き込みだ。気合入れていくぜ!」
『おーぅ翔太郎、久しぶりだなぁ。でも茶飲み話に来たってぇ顔じゃねえ。へっへ、亀の甲より年の劫ってぇだろ、言ってみな。ん? ……おお、随分懐かしい名前じゃねえか。ジジイの昔話っちゃあ長くなるが……聞いてくか? 俺たちの懐かしい「番犬」の話』
『壮吉ちゃんの娘さんねぇ、初めまして。……琉兵衛さんの若い頃のお話ならたくさんあるけど、どれがいいかしら? ……まあ、久しぶりに聞いたわ。琉兵衛さんと同じところに行ったのかと思っていたのだけど、そうじゃないのね』
『姉ちゃん、この街に荒くれが多いのはよーぅわかっとんじゃろ。けんどな、おぃらが若ぇころはもっともっと、ぎょうさんいたもんよ。そん中でも、街の爺どもからチビまでみーんな知っとる喧嘩師がおった。それが……こいつじゃ』
『えらい古い資料をお探しですね、課長。俺が生まれたくらいの頃じゃないっすか。え? ああ、俺は別に本物をこの目で拝んだこたァないですけど、親父やおふくろ、上の世代はみんな知ってましたよ。まさかそいつが、今回の事件の犯人だなんてねぇ』
ため息を一つ吐けば真実は違ったことになりはしないだろうか。
無駄だと分かり切った思いを胸中に抱えながら、それでもそう思わずにはいられない時がある。
自分の正体を知った時。家族の真実を知った時。心臓を鷲掴みにされるようなショックに襲われた時、どうしてもため息は漏れた。
何度も何度もため息を吐いて、頭を抱え途方に暮れ、かき乱された心の中を眺めて――それでも真実は変わらない。そんなことで、何も「なかったこと」になど、なりはしない。
だから、大きく息を吸い込んで、真実に向き合って、立ち上がる。ありのままを受け止められるように強くなる。
その強さはいつだって仲間たちがくれた。独りじゃないから強くなれた。
彼らに応えるために、そして街に潜む闇を暴くために、今こそ彼は立ち上がる。
「――検索を始めよう」
翔太郎。ときめ。亜樹子。照井。そしてフィリップ。全員が探偵事務所に集う、それは調査の完了を意味していた。
愛用の中身が書かれていない本を手にしたフィリップの表情に既に憂いはなく、その瞳は凪いだ海面のように穏やかだった。
相棒の芯の強さに内心で拍手を送りながら、一口含んだコーヒーで口を湿らせた翔太郎は一枚の写真を手に立ち上がった。
「……ガイアメモリ密売組織“ガーデン”の構成員の3人を殺害した犯人、シャドウ・ドーパント。同時に、かつてのミュージアムの構成員であり、園崎家の使用人でもあった人物。その正体は……
神田孝介。現在は消息不明だが生きているなら62歳のその男は、曲者揃いの園崎家で執事としての業務をこなしていただけあり、その経歴は波乱万丈なものだった。
今から60年ほど前のこの街――まだ風都という名がつく前の名もなき街――は、戦後という時代性もあって腕っぷしだけで生きているような荒くれたちが闊歩する所だった。そんな時代に生まれた神田は13の頃に両親を亡くし、路地裏で同じような境遇の子供と身を寄せ合って生きて行かねばならなくなった。
『大丈夫だ。俺が守ってやるからな』
そんな彼には幸か不幸か、街で生きていく才能があった。“喧嘩”の強さだ。大人でさえも叩きのめしてしまうほどの強さで以って、彼は自分と、一緒に生きる子供たちを守りながら暮らし、大きくなった。
『お前らみてぇな屑にこいつらがやれっかよ!』
彼は特に子供たちを誘拐し売り飛ばそうとする人攫いを嫌った。共に暮らす仲間を守る――そんな些細な、しかし確かな正義感は次第に彼の中で大きくなっていく。
やがて街が“風都”と呼ばれるようになった頃に、神田は自らに誓いを立てた。
己の強さを己のためだけに使わない事。
カタギに手を出さない事。
カタギに手を出す者を許さない事。
自らの誓いを守り神田は風都のどの荒くれや半グレ、無法者とも組まず、ただ一人孤高に街を見守った。罪のないカタギが泣いていれば、たとえ相手がヤクザだろうが代わりに喧嘩を買って出て一人残らず返り討ちにしてしまう。
『やかましい! お前らんせいで風の音が聞こえねーんじゃ!』
いつも街に吹く風の音を愛する彼は、いつしか街の人を守る「番犬」と敬意を込めて呼ばれるようになったという。そして風都に「“番犬”神田」を知らない者はいないと言われるほどの喧嘩師となった。
そんな彼の人生には3度の転機が待っていた。
1つ目の転機は彼が26歳の頃。誰とも組まずに生きる神田のことが気に入らなかった多くの無法者たちが、徒党を組んで一斉に彼を襲撃したのだ。
『何人でもかかってきやがれやァ!』
神田は一人果敢に戦ったもののやはり多勢に無勢、大怪我を負って倒れてしまう。
『所詮ノラ犬……道っぱたで死ぬのが“さだめ”ってか……』
だが彼は一命を取り留めた。清潔な病院のベッドの上で目を覚ました彼は、自分を助けた人物との出会いを果たす。
『君が噂の番犬か。ひどい怪我だったがしぶといものだねぇ、流石だよ。ああ、名乗るのが遅れたね。私は園崎琉兵衛。初めまして、神田孝介くん』
それが30年以上仕えることになる、神田と園崎琉兵衛との初対面だった。
『あんた、随分と仕立てのいいもの着てるな。間違っても下町のドロなんかつけちゃなんねえようなもんだ。どうやら俺にゃとんと縁のなさそうな御仁に思える。どうして俺を助けた?』
『はっはっは。それは君が傷付いて倒れていたからだよ。伝え聞くところを頼りにすれば、君も同じことをしたんじゃないのかい?』
『違いねぇ。だがあんたはきっと“立場”ってもんがある人だろう。俺みてえな半端もんを助けちゃあ、名前にドロが付くんじゃねえのか』
『私は私の良心に従って人を助けたまでだよ。誰が何を言おうと恥じるところは無い。私の行いを笑う者こそ、私は笑ってやるさ』
『借りができちまったな。何とかして、あんたに返さなきゃならねえ』
『当然のことをしただけさ、恩返しなど必要ない。それに君を助けたのは君自身の行いだ。噂に聞く人柄通りなら、助けるに値する人物だと感じたまでのことだよ』
その面会が最初で最後の会話だと、当人たちは思っていたはずだろう。元々住む世界が違う者同士。時に偶然によってそういった交わりが生まれることもある、それだけのことだ。
退院してから程なく、神田も風の音と一緒に園崎琉兵衛の名前を聞くことが増えた。見立て通り琉兵衛は風都の富裕層の一角の人物で、様々な事業への出資などを通して街に名が知れ渡り始めていたためだ。
第2の転機は3年後、神田が29歳の頃にやってきた。
『兄さん! なんだか街がきな臭いことになってきましたよ』
『そうみてえだな。ここんとこずっと風が騒がしい』
それは無法者たちが集まるだけでなく、ヤクザも何か組織だっての動きを見せている、というものだった。かつて自分が袋叩きにあった時と似た状況、しかしそれよりはるかに臭いものを感じ取った神田は街中を嗅ぎまわり、ついにその企ての真実を掴んだ。
『園崎……琉兵衛……あんときの旦那が!』
街の名士としての地盤と発言力を伸ばしてきた琉兵衛を快く思わない他の有力者が、金にあかせて琉兵衛の暗殺を企てていたのだ。
怒髪天を衝く、とはまさにその時の神田のことを言うのだろう。恩人の身に及ぶ危機に、彼は己の誓いを胸に立ち上がった。琉兵衛は断ったが、命を助けられた借りを命を張って返すべきは今だと。
『おぅ神田ァッ!! 一匹狼気取りの犬っころごときが何しに来たァ!?』
『喧嘩じゃ喧嘩あ!! 金でアホウに尻尾振る牙の抜けた負け犬どもォ、今からぶっ潰してやろうと思ってなァ!! 覚悟しろやボケが!!』
神田は一人で戦った。そして、戦い抜いた。
『手下はもういねぇ……。自首するか、俺に殺されるか、選べ……!!』
有力者にその牙を突き立てた――そこまでは良かった。しかし当時の彼は番犬に過ぎず、人間の悪辣さと狡猾さはその上を行く。
『ふざけるな! 神田の奴が人殺しなんかするわけねえだろ!』
『そうよ! みんな知ってる、そんなことする人じゃないって! 何かの間違いよ!』
なんと逆に神田がその実行犯に仕立て上げられてしまったのだ。大立ち回りは仕事の報酬を独占しようとした彼が暴れた結果、ということにされ、一転神田は窮地に立たされてしまう。
しかし彼はその結果を半ば諦めと共に受け入れつつあった。元よりあの日助けられなければなかった命。恩人を助けることができたのなら、自分にどんな泥が被せられようが、命を失おうが全ては些事、と。
そして第3の転機が訪れる。
『旦那……』
『少々遅くなったがいい休暇になったんじゃないか? いつも吼えていては喉も枯れてしまうだろう。はっはっは』
神田は再び琉兵衛に命を救われた。正確に言えば、この件に関する証拠を掴んだ琉兵衛が逆襲を仕掛けて相手を追い落とし社会的に抹殺したことで、神田にかけられた冤罪が丸ごと無かったことになったのだ。その戦い方からは、後の首領としての片鱗が垣間見えた。
『礼を言いたい。君がいなければ私は死んでいた。そうなれば心から愛するこの街も、どんな腐った姿に変貌してしまうか分かったものじゃない。神田孝介くん、本当にありがとう。君は私の命の恩人だ』
『当然のことをしただけさぁ、礼なんか要らねえ。あんたが助かったのは、あんたの日頃の行いが良かったからだぜ』
『はっはっは。これで貸し借りなし、というわけか。ならば君も自由の身だ、好きに生きるといい』
『だったら俺はあんたの力になりたい。俺の愛するこの街を任せられる男と見込んだ。俺をあんたの下で働かせてくれ!』
二人は固い握手を交わした友となり、主従となった。
風都を改革するために精力的に活動する琉兵衛と、彼を公私ともに支える神田。全ては上手く行くはずだった。
「……翔太郎、それだけでは正確とは言えない。転機は“4つ”だ。そうだろう」
「ああ……。神田孝介に起きた第4の人生の転機……それはお前だ、フィリップ」
『ご当主……そ、その姿は……』
『はっはっはっはっは! これはドーパント、地球記憶の力を取り込んだ“超人”だよ。孝介、私はこの風都を、そして地球を救うための新たな事業を開始した。それがこのガイアメモリを開発・流通させ人類を新たなステージに押し上げる組織……
本能的な恐怖を駆り立てる“怪人”を目の前に、神田の野生の勘はうるさいくらいの危険信号を鳴らしていた。喧嘩の舞台からは離れて久しいが、どんな相手と対峙してもこんな危機を感じ取ったことはなかったと言い切れるほどの威圧感に襲われる。
そして同時に敬愛する主人の凶気の変貌さえも、嗅ぎ取れてしまえた。
『琉兵衛さん……それはまずい代物なんじゃねえのか。なあ旦那、どうしちまったんだよ?あんた……あんたは、そんな冷たく笑う人じゃなかった……!』
『孝介、私は地球の風に混じった声を聴いたんだ。嘆き、悲しむ声を。そしてこの星のために私は人生のすべてを捧げる覚悟をしたんだよ。未来も、愛する者も』
『……来人様は、まさか』
『はっはっは。やっぱり君は勘がいい、手放すのは惜しい……。なあ孝介、私と共に来なさい。君には今まで通り私のそばで計画の成就を手伝ってほしいんだよ。君ほどの男がいてくれるなら、私が恐れるに足る者はいない』
琉兵衛は腹部から金色の小箱を引き抜き、ただの人間へと戻った。しかし身に纏う威圧感はなおも変わらない。それは既に琉兵衛自身が心まで怪物に転じてしまったことを神田に突き付けていた。
その小箱を手放し、両腕を大きく広げる琉兵衛。
『何の真似だ……』
『私たちは主従の前に友人だ。だから強制はしない。私を止めたいと心から思うなら殴りつければいい、今なら君の方が強いぞ。そのまま背を向けて立ち去ってもいい、背中を撃つような真似は決してしない。そこに膝を付いてくれるのが、一番好ましいがね』
『俺、は……!』
血が滴り落ちるほどに強く握り固められた拳。
胸中に過る、かつての「番犬」の矜持。
琉兵衛、そして園崎家と重ねてきた時間の回顧。
全てを捧げてきた男に一瞬で破壊された心境を漠然と眺め、そして彼が出した答えは――現在が、何より如実に物語っていた。
「彼は膝を付いた。……俺の想像だが、彼は負けても、屈してもいない。折れちまったんだ。そして神田孝介は園崎琉兵衛とミュージアムの真の“影”になった。街を守る番犬は主人にとって都合の悪い相手を人知れず闇に葬る
「シャドウメモリのハイドープとなったことで“影が薄く”なり他人から極端に認識されなくなったと言っても、地球上にいる限り本棚に情報はアップデートされていく。書かれていた凶行の数々は番犬と言われた人物のものとは思えなかった。メモリの影響で歪んで行ってしまったのだろう……」
沈黙が場を支配する。
メモリに狂わされる人間は数知れない。どんな善人であっても心持ちだけでは太刀打ちできない魔力がメモリには詰まっている。そんな物によって、街を守り誰からも愛された善き男が、街を歪ませ誰にも知られない非道の怪人になってしまったことが、皆哀れに思えてならなかった。
そんな湿った空気をわざと蹴飛ばすように、デスクの上のダイヤル電話がけたたましく鳴り出す。
「この前は世話になったな、メン・イン・ブラック。いや……神田孝介」
『いやあ大正解、お見事お見事。優秀ですね』
受話器越しに聞こえてくるのは老齢の男のとぼけたような言葉。それは先日戦った時のシャドウの口調とほぼ一致していた。間違いなく、神田孝介という男こそが今回の事件の犯人なのだ。
翔太郎は無言で受話器を差し出し、フィリップはそれを躊躇うことなく手にした。
「これでぼくたちはあなたの出題に全て解答した。報酬はなんだ?」
『相変わらず話がお早いことで……。良いでしょう、報酬は私の現在地情報です』
「! あなたは今どこに?」
『鈴鳴荘です。ご存知ですか……などとあなたに聞くことではありませんね。そこでお待ちしております。一人で来てください、フィリップさん』
「……ドレスコードは?」
『メモリ抜きであれば構いませんよ。別に取って食おうと言うわけじゃありません、あなただって昔話の一つや二つ、したいはずでしょう? それだけです』
「いいだろう。すぐに行く」
受話器を置いたフィリップに一拍置いて全員の視線が集まる。
「神田孝介は鈴鳴荘にいると言っていた。ぼく一人で来るのがお望みのようだ。翔太郎、ハードボイルダーを借りるよ」
「おう」
「ちょ……ちょっと待ってフィリップ。本当に行って大丈夫なの? せめて翔太郎だけでも一緒に……」
「君の言うことはもっともだ、ときめ。しかし相手はわざわざ自分の正体を探らせた上で、ぼくらを圧倒するだけの強さを持っているのにとどめを刺しに来ない。行動が矛盾している。そこに何らかの意図があるとぼくは考えている」
「どのみちヤツとの繋がりはそれしかねえ。リスクは承知で行くだけだ」
翔太郎とフィリップは視線を交錯させ、互いに頷きあった。
フィリップがヘルメットに手を掛けたところで、次は照井がマグカップを置いておもむろに口を開いた。
「俺も行く。ただし仲間としてではなく、警察官としてな。犯人との接触はお前に任せるが、それ以外は俺が現場の指揮を執る」
「構わない、最悪の事態を考えればそれが最適だ。行こう」
「フィリップくん、竜くん、行ってらっしゃい」
鈴鳴荘は風都の中心部からは少し離れたところに建つ高級ホテルだ。風都の都市部の景観を臨むカフェテリアが有名で、特にアフタヌーンティーのセットは風都スイーツランキングで毎度上位入りする人気を誇る。状況が状況でなければくつろいで過ごすのも悪くないところだが、生憎リラックスしていられそうにない。
「ぼくは神田孝介のところへ行く」
「俺は警備と連携する。何かあればすぐ連絡しろ」
照井はフロントで警察手帳を出し一足先に中へと消える。フィリップもやって来たコンシェルジュに声をかけた。
「神田孝介という人物に会いに来た。どこにいるかな」
「少々お待ちください……お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「フィリップだ」
「フィリップ様。お待ちしておりました、ご案内いたします」
正面玄関から奥へ行ったところにそびえる階段を上り切ると、ガラス張りの一面からたっぷりの陽光が注ぎ込む。左へ曲がるコンシェルジュについて行くと、やがて右前方にテラスが見えてくる。昼下がりの陽光を浴びながら優雅に談笑する人々の中から神田孝介の顔を探すも、一致する男性は見つからない。
「あちらの、一番端のテーブルにいらっしゃるのが神田様です」
コンシェルジュが示した男性はこちらに背を向けていて顔が分からない。
フィリップは礼を言ってコンシェルジュと分かれ、一人示されたテーブルに近付いて行く。
男はクロスワード誌を広げていた。
「ご足労いただき感謝します、フィリップさん」
振り返ることもなくそう言い男が立ち上がる。
こちらに向き直った彼の顔は、写真からはいくらかシワが増えているものの間違いなく神田孝介本人だった。
「初めまして……になるのかな、神田孝介」
「この姿ではお初にお目にかかりますね。さ、そちらへおかけください」
神田は白いシャツに黒いスラックスとオーソドックスな服装だ。シワもヨレもないシャツに袖を通し歳の割にまっすぐ伸びた背筋の彼からは品格が感じ取れた。一目しただけでは殺人犯などという予想はまかり間違っても出てきそうにない。
「ああそうだ。これは置いておきましょう」
そんな思考を見透かしたかのように、神田はポケットからガイアメモリを出してテーブルに置いた。見慣れたプロダクトモデルの化石のような外装は相棒のジョーカー以上に深い漆黒で彩られている。その中央には人間と地面に伸びた影から象られたSの文字。
「…………」
「そちらが手を出さない限り、私もここでは使いません。手放しもしませんがね。私が約束を反故にし変身する可能性を捨てることはできないでしょうが、どうか信用していただきたい」
「……分かった」
「ありがとうございます」
神田は薄く微笑み、クロスワード誌をメモリの上に被せるように置いた。
そこへカフェテリアのスタッフがティーセットを所持し現れる。図ったようなタイミングの登場だ。
「あなたが到着したら持ってきてくれるよう、予め頼んでおいたんですよ。紅茶は私が淹れましょう、昔取った杵柄です」
流れるような手つきで準備を整え、蒸らしもしっかり行った紅茶が注がれる。
「ふむ……美味しい。さすがだ」
「光栄です。この頃は人のためにお茶を淹れることもなくなってしまったものですから」
「……あなたは“あの日”以降、何をしていたんですか?」
「何も。光を奪われた影など存在しません。ご当主を喪い、私はただ時の過ぎ去るままに生きていた……いや、死んでいなかっただけです」
「それが突然に行動を起こしたのは、“死仮面事件”がきっかけで?」
「まあ、お分かりですよね。ご当主の後を継ごうとかつての知己が動いたのです、私もただ朽ちるのを待つ日々では顔向けできないと思ったのですよ。私に何ができるか考えた時、浮かんだのはかつての仕事をもう一度やり直すことでした」
神田の視線は街並みにこそ向いているが、焦点が合っていない。それは取り戻せないほど遠く、遠くを懐古する者の目だ。
しばらく二人の間に言葉はなく、周囲の談笑も、絶え間ない風の音も、どこか遠くに聞こえた。
そんな折、神田はティーカップを脇に置き、異なる話を切り出した。
「フィリップさん、チェスはご存知ですか」
「ああ、ルールは一通り覚えているよ」
「それは良かった。どうです、ワンゲーム」
「それはどういう意図があってのことだい?」
「なに、昔話をしたくなりましてね。ゲームで気分を高めた方が会話も弾むと思ってのことです。いかがですか」
「いいだろう。元よりそういう用件で来たのだからね」
「では」
神田は自分の椅子の下からチェスセットを取り出しテーブル上に広げた。
「
「では、黒で」
「かしこまりました。さあ、楽しいゲームといたしましょう」
神田はシャツの袖をまくり、最初の一手を動かした。
「その言葉、初めてぼくの前に現れた時と同じだ。園崎家で働いていた頃から、その言葉をぼくにかけていたんですか?」
「ええ。あなたは覚えていないかもしれませんが、ご家族がいない時の遊び相手は専ら私でした。一番幼い子ですから信頼のおける私が当てられたわけです。チェスも、私が教えたんですよ」
「ふむ。その他にはどんなことを?」
「オセロ、将棋、花札、トランプなどでしょうか。オーソドックスなものは一通り。呑み込みが良く教えがいがありました。真っ当に歳を重ねていれば『打ち方』を教えてみるのも面白そうだと思いましたよ」
「生憎ですね。少なくともカジノでの勝ち方はもう知っている」
「勝負は知力・体力・時の運だ。データや計算だけでは決まらない領分が存在する。だからギャンブルは楽しいものなんですよ」
「ぼくのやり方ではない」
言葉と共に進軍を続けていた互いの駒が一度動きを止めた。勝負は序盤の展開から中盤の駆け引きへ移ろおうとしている。
「あなたは先程、『父さんに顔向けするためにかつての仕事をもう一度やり直す』と言った。だがぼくが思うにそれだけではないはずです。それではぼくたちに挑戦する必要がない。だからあなたにはまだ別の目的がある」
「ほう?」
「ぼくたちへの復讐……組織と主人を奪ったぼくたちを誘き出し、自らの力で打倒することがあなたのもう一つの目的だ。ガーデンの構成員たちはそのためのエサでもあった」
「……。お見通しですか、いやあ怖い怖い。地球上最高の頭脳は伊達ではないですね」
「あなたは……そうまでしなければならないというのか? なぜ、そんなことが……」
「理解されるなどと、端から期待も求めもしていませんよ。だが大切なものを奪われた人間の変貌などあなたには説明するまでもないと思っていただけに、少々驚いています。これまでそんな人間と幾度となく対峙してきたはずでしょう」
「そうだ……だがぼくは……」
「チェックメイト」
「!」
気付けばフィリップの王は既に逃げ場を無くしていた。神田との会話で思考が鈍ったのも原因にはあるがそれはささやかなもので、敗因は一手遅れで理解が追い付く。
「序盤から既に術中だったようだね。ぼくが押しているように思わせ、実際はあなたが一手早く仕留められるよう、全てがコントロールされていた」
「『勝負は戦う前に決まっている』、上手く決まりました。とは言え、あなたがチェスの全てを閲覧していないこと、幼い頃から指し手が変わらないことが条件の殆ど賭けのような戦法でしたがね。フィリップさんほどの知識の持ち主を相手にしても突破口はあるものです。『死中に活を求める』ものですよ」
「…………」
フィリップは盤面を見つめることをやめ、柔らかく微笑む神田を凝視する。下唇に指を当て食い入るように神田を見つめる彼の瞳は、相手を映しながらもより遠く、思考の深淵を覗き込むかのように透き通っていく。
まじまじと見つめられながらも神田の表情は微笑んだまま変わらない。
「どうですフィリップさん、ワンモアゲームと行きますか?」
「……いや、ゲームはしない」
しかしそれは単純な否定にあらず。フィリップはパーカーのポケットからサイクロンメモリを取り出し、神田同様にテーブルに置いた。
「次は“これ”だ。決着をつけよう」
「いいんですか? 私に勝てないのは身を以て学んだと思いますが、同じ轍を踏むだけですよ」
「問題ない。何より勝てないからとぼくたちが引いては誰もこの街を守れない。どんなに強大な相手でも諦めず食らい付く、それがぼくたちの流儀だ」
「いいでしょう。日取りと場所はいかがなさいますか?」
「今晩24時、場所はどこでも構わないが……そこまで選ばせてくれるのかい?」
「バランスですよ。夜中は私に都合がいい、あなた方にも有利な条件でなければ対等でない。何より万全なあなた方を完膚無きまでに打ちのめしてこそですから」
「ではお言葉に甘えて、風都タワーでどうかな」
「かしこまりました。では本日24時、風都タワーでお待ちしております。お分かりかと思いますが、皆さまのみでお越しください。もしくはあなた方が来られなかった場合も……」
神田はにこやかに微笑んだまま首の前で真一文字を描いた。
「一人の青年の命の保証はできませんのでそのつもりで」
「そんなことはしないし、させないさ」
交錯する視線。静かに火花が散る。
「……紅茶も冷めてしまいましたね。お開きといたしましょうか」
「……そうだね」
フィリップは残った紅茶を飲み干し椅子から立ち上がる。
「冷めてもあなたの紅茶は美味しかった。見事です」
「恐悦至極に存じます」
立ち去るフィリップの背中が見えなくなるまで、神田は頭を垂れたままだった。
今夜、決着をつける――帰るなりそう言い放つ相棒に、翔太郎は困惑と頼もしさの入り混じった苦笑が盛れた。覚悟を決めろとは言ったが、決めた後の思い切りの良さは時として彼ですら舌を巻くほどだと、ファングを手懐けた事件を思い出した。
「再戦か。お前からそんなこと言い出すってことは、糸口は掴めたのか?」
「ああ、対抗策は思い浮かんだ。そして恐らくはこの事件に隠された真意も、ぼくには分かったような気がする」
「……聞かせてくれよ、名探偵。お前の推理を」
「いいだろう。翔太郎、ドライバーを装着してくれ」
ダブルドライバーを装着すると――翔太郎の精神に流れ込んでくるのは、フィリップの感じている哀しみ。そして声が聞こえる。
(神田孝介が今回の事件を起こしたのには動機がもう一つある。その動機とは――)