ユゥジーンは、おっかなびっくり一人で飛んで、ようよう麓の村までたどり着いた。
剣のような峰の直下に張り付く、建物が二十ばかりの小さな村。
雪に閉ざされる冬は出稼ぎに出る者も多いのだろう、板打ちされた家がちらほらある。
別れる時も女の子は、背中を向けたままだった。
仕方がない、あんな雪の中で夜明かしなんて、拒否して当たり前だ。無理に強行しようとするあの子がおかしい。
知らない村を一人で訪ねるのは不安だったが、ユゥジーンを見止めた村人の方から大きく手を振ってくれた。
真ん中の広場に馬を降ろすと、厩係らしき男性がニコニコと寄って来て、慣れた感じで馬を預かってくれる。元々、この村はユゥジーンの受け持ちで、普段から親しく付き合っていたのだ。
「ユゥジーンさん、こんにちは」
「あっ、ユゥジーン兄ちゃんだあ!」
「あら、ユゥジーンさん、いらっしゃい」
道行く村人も親しげに挨拶してくれる。
(俺って好かれていたんだな、サンキュ、過去の俺)
自分で自分に感謝しつつ、勧められるままに村長の家に招かれた。
来村の理由を訪ねられたら、『先月修理した水門を点検に来た』と答えた。
記憶喪失の件は、外では言ってはイケナイ事になっている。その位の言い付けは守れる。
「先月は大変助かりました。ご覧の通り、うちの息子をはじめ、力仕事の出来る男手は、皆、冬の間は出稼ぎに出ておりまして」
熱い飲み物を勧めながら、身体の丸まった村長が言った。
「あ、大丈夫、大丈夫。そのくらいお安いご用でしたよ」
腕をぐるぐる回して見せるユゥジーンは、台所の方から視線を感じた。
十歳ぐらいの男の子が、御簾の隙間から顔を覗かせている。
「こら、失礼じゃぞ」
叱られたが、子供は逆らって、部屋に一歩踏み込んだ。
「点検って今から行くの?」
「え? ああ、うん、そうだね。行くとするか」
ユゥジーンは慌てて立ち上がった。
「今日はもう暗くなります、明日にされれば?」
「いえいえいえ、今日中に行っておきますよ」
何だか自分だけ暖かい思いをしている後ろめたさもあって、仕事の真似事ぐらいはしておこうと思ったのだ。
「お祖父さん、近道を行ったら半分の時間で行けるよ。僕が案内する」
言いながら、子供はさっさと自分の外套を羽織って、ランタンを持って先に出た。
外に出ると、子供はもう先の辻で手招きをしている。
「お――い、待って待って」
走りながら上衣を引っ掛けるユゥジーンに構わず、子供はスタスタと歩き始める。
やれやれ、今日はマイペースな子供に翻弄される日だ。
雪の道をえっちらおっちら追い掛け、ようやく、村外れの水門の前に着いた。
子供は水門脇の石垣から上へ駆け上がって、振り向いた。頬が膨らんでムスッとしている。
「ね、ユゥジーンさん、前に来た時、ここでしてくれた約束、覚えてる?」
「えっ?」
困った、この子と何か約束をしていたのか。
ここで子供を傷付けるような言動をしたら、過去の俺に申し訳ない。何とか上手く聞き出せないかな……
そんな事を考えながら近付くと、子供の方から喋り出してくれた。
「あの後来てくれないから、忘れられたかと思ったよ。大人達は相変わらず僕の言う事なんか信じてくれないし。ユゥジーンさんだけが信じてくれて、調べるって約束してくれたから、ずうっと待っていたんだよ」
「うむ」
どうやらお土産を約束した程度の軽い物ではなさそうだ。
「すまない、あの後、身体を壊してしまってね、延び延びになっちまった」
あながち嘘ではない。
「もう元気一杯だから大丈夫だ。所でその件だが、もう一度順序立てて、詳しく話してくれないか」
この位なら疑われないだろう。とにかく、聞き出さない事にはラチがあかない。
子供は、ちょっと上目でユゥジーンを見やってから、話し始めた。
「一ヶ月前の事、覚えている? 村から蒼の里に手紙が行ったよね」
「ああ」
この水門が壊れて村に水が来なくなったという内容で、普段から懇意にしているユゥジーンに助けを求めて来た、って内容は、長様に聞いている。
ユゥジーンは水門を見上げた。
太い木材を積んで水流を調整する方式の物で、高さも幅も結構な規模だ。俺、よくこんなのを修理したなあ。
「あの時も、ユゥジーンさんが着いたらすぐ、僕が案内したんだ」
「ああ」
「修理は簡単だった。溝に引っ掛かった樽木を戻すだけだったから。ユゥジーンさん、何でこれしきの事で自分を呼んだのかって不思議がっていたよね」
「う、うん……」
「そりゃそうだ、溝はわざと僕が詰まらせたんだもの。お祖父さんに手紙を書かせて、貴方を呼び出す為に」
「・・!!」
***
夕闇の蒼の里の執務室。
カンテラのオレンジの灯りのもと、蒼の長が、くしゃくしゃの手紙を眺めている。
外から戻ったホルズが声を掛けた。
「それは?」
「雪洞のユゥジーンの懐にあった手紙です」
「ああ、例の水門の修理ってやつか」
「今から考えると、ちょっとおかしいんだよね」
「何が?」
「本来なら、村の水門なんて物は、その村で面倒を見なければならない。自分達で扱えない地形のねじ曲げはするべきではないからね。だから、こういう依頼は後回し……どころか、ふるい落とされる種類の物なんだ」
「そういえばそうだな」
「でも、あの朝リリは、この手紙を『最優先』に選り分けた」
「…………」
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