七時雨   作:西風 そら

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ふたつめのおはなし~後
七時雨~後・Ⅰ


 

 ユゥジーンは、堰堤に立つ子供をまじまじと見上げた。

 真っ直ぐな眼差しは濁りがなく、大人をからかう悪ガキには見えない。

 

「手紙は僕が代筆したんだ。お祖父さんは手が震えるから書いてあげるよって言って。で、こっそりユゥジーンさん宛って入れた。蒼の里の他のヒトは分からないけれど、貴方なら僕を信じてくれると思ったから。ここで二人きりになった時、それを白状して謝ったよね。覚えてる?」

 

 もう、ごまかすのは限界だと思った。

「実は俺……」

 

「忘れちゃったんでしょ」

 

「えっ、いやその……」

「そうじゃないかと思ってた」

「いや、聞いてくれ」

「いいよ、忘れちゃった事すら忘れちゃうんだよね。村の皆もそうなんだ。蒼の妖精の剣士の貴方まで、忘れ病に冒されるとは思わなかったけれど」

 

「ワ、ワスレヤマイ?」

 

「僕がそう呼んでいるだけだから、正式な名前は知らないけれど。とにかく一ヶ月前、村全体がその病気にかかったんだ」

 

「えっ、なになに!? もう一度!」

 

 目を見開いて慌てるユゥジーンの前で、子供は落ち着いて繰り返した。

「一ヶ月前、この村が忘れ病に冒された。ある朝起きたら、村人全員、前の日から何日かの記憶を失くしちゃっていたんだ」

 

「そ、それは本当なのか? 村長も誰もそんな事言わなかったじゃないか」

「だから、気付いているのが僕だけなんだってば」

「まさか? 他の者だって気付くだろ」

「ううん、全員が忘れちゃってたら、意外と気付かないんだよ。僕も最初はまさかまさかって思ったもん」

 

 子供の話によると……

 ある朝、違和感に気付いた。

 些細な事の数々。

 祖父が何故腰を痛めたのか思い出せないでいる。

 妹が、大切に取っておいたお菓子が無いと騒ぐ。

 隣の子が、誕生日に贈り物を貰ってはいるが、誰にどれを貰ったのか忘れている。

 

「贈り物をあげた側も忘れちゃてるから、つじつまが合わなくても気付かない。雪で閉じこもりかちだったせいもあったと思う。僕が、変だおかしいって訴えても、誰も取り合ってくれなかった。だから水門を詰まらせて蒼の里に手紙を出すように仕向けたんだ。ユゥジーンさんならきっと、僕を信じて調べてくれるだろうと」

「……」

 

 子供の言う事は、どうやら信憑性がありそうだ。

 現に、自分もその『忘れ病』とやらに冒されている。

 しかも数日なんて物じゃなく、子供の頃の記憶からごっそりだ。

 以前の自分が、この子供の頼みを聞いて調べている内に、きっとその核心に迫って被害を被っちゃったんだ。

 

 ユゥジーンはブルッと震えた。

 それこそ、自分が蒼の長様に探せと課せられていた答えじゃないか!? こんなに簡単に見つかっちゃっていいのだろうか。

 

「そ、それ…… 俺の少し後、ここに来た蒼の長様に、言わなかったの?」

「ええっ、いつ来たの!? 僕、たまに下の村の教会に行っちゃうから」

 

 胸がドキドキした。

 とにかくこの情報を山にいるあの娘に伝えれば、長様に言われた命令はクリアだ。 偶然とはいえ、俺、大金星じゃん? あの子の鼻っ柱を明かしてやれる。ちょっと小気味がいいぞ。

 

 しかし……

 小雪の散らつき出した寒そうな空を見上げた。

 今からこの暗い空に飛び上がって、雪洞の場所に行き着く自信がない。

 明日、明るくなってからでもいいかなぁ。あの子、一晩くらい平気そうだし。

 

 ユゥジーンが自分の事ばかり考えている間に、子供は石垣を伝って目の前まで降りて来た。

「ごめんなさい、ユゥジーンさん。僕が勝手に頼み事なんかしたせいで、貴方まで酷い目に遭わせてしまった」

 

「あ、いや、気に病む事はないよ。命を取られた訳じゃない。記憶喪失くらい、どおって事ないさ」

 

 子供は、目を丸くして、ユゥジーンを見上げた。

「どおって事ないの?」

 

「ああ、この事については蒼の長様に報告するから、ちゃんと調べて貰える。安心していろ」

「うん…… ね、失くしちゃった記憶、戻るかなあ?」

 

「うーん……」

 蒼の長様はきっと凄いヒトなんだろうけれど、適当な事は言っちゃダメだな。

「記憶は戻るに越した事はないが……たった数日間の記憶だろ? 全員忘れているんだし、差し当たって困り事もないんなら、別にいいんじゃないか?」

 

 子供は一寸の間黙って、ふっと足元に視線を落とした。

 

「牧師様と同じ事を言うんだね。あ、下の村の教会の牧師様。牧師様だから、一応僕の言う事を最後まで聞いてくれたんだ。そしたら、ヒトは忘れながら生きて行く生き物だから、そんなに記憶に執着しなくてもいいんだよ、って。

 そうなのかなあ、でも、ユゥジーンさんもそう言うのなら、そうなのかもね。どんなに大切な事でも、忘れちゃったら、価値も感じないんだもの……」

 

 ユゥジーンは、何だか胸がチクンとした。

 

 

 ***

 

 

「君のその数日に、何か大切な事が交じっていたのかい?」

 

「えっと……」

 俯(うつむ)いたままの子供は声が小さくなった。

「あの…… あのね、前回は言わなかったけれど…… ごめんなさい、ユゥジーンさん。僕が貴方にこの件を調べてって頼んだのは、村の為とかじゃなくて、自分だけの為だったんだ」

 

 ユゥジーンは屈んで、目線を合わせて子供を覗き込んだ。

 記憶を失くす前のユゥジーンも自然にやっていた事だ。

 

「友達がいた…… いた筈なんだ。あの日の少し前にこの村にやって来た子。親の仕事か何かの事情で一つ所に長く居られないから、向こうも僕と仲良くなれて凄く喜んでいた。数日しか一緒に過ごさなかったけれど、僕、その子が大好きになった。谷と雪に閉ざされたこの村で、初めて心からの友達に出会えたんだ。

 なのに、あの朝にはもういなかった。どうやってお別れしたのか思い出せない。最後に泣いていたのか笑っていたのか、何を話したのか」

 

 なるほど、だからこの子は些細な異変に気付き、そしてこだわったのか。

 

「そうか…… それは悔しいよな。女の子かい? 初恋だったとか」

 

「ううん」

 子供は更に悲しい顔になった。

「大好きだった筈なのに、その子が男の子か女の子か、声も姿も思い出せないんだ」

 

 子供の涙声に、何と言っていいのか分からなくなった。

「中途半端な記憶が残っちまったから辛い思いをするんだな。そっくり忘れちまえば楽だったのに」

 つい、思ったままを口にした。

 

 しかし子供は首を振った。

 

「そう? でも、そしたら、その子が可哀想だよ。忘れた方は平気だけれど、忘れられちゃった方はきっと凄く寂しいよ。自分が相手の中から居なくなっちゃうんだもん。だからカケラでも覚えていてあげられて、良かったと思ってる」

 

 ・・・・・・

 ユゥジーンが長い事無言だったので、子供が見上げると、彼は口を半開きにして夕闇の山を見つめていた。

 

「ユゥジーンさん、ユゥジーンさん、どうしたの?」

 

 子供の呼び掛けに、ユゥジーンは呼び戻された。

「あ、ああ、いや、君の言った事を考えていたんだ」

 

「そう? 山の方を見ているから、七時雨のオバケが出たのかと思った」

「ナナシグレ? の、オバケ?」

 

「あ、あの山、昔のヒトは七時雨山(ナナシグレヤマ)って呼んだんだ。そんで僕らは小さい時から、悪さをすると七時雨のオバケが来るぞって脅されて育った。

 これ、前の時にも話したんだけれど、忘れた日の事を思い出そうとすればするほど山が怖くなるんだ。七時雨のオバケが本当に居て、真っ暗な山から怖い目で睨んでいる気がして」

 

「・・・・」

 

 

 

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