黒いムチが赤い粉を撒き散らしながら、へっぴり腰のユゥジーンの正面に、シュルシュルと伸びて来る。
「ひぃい」
――相手から目を離すな!
あの大きいおっさんに言われた言葉が閃光みたいに蘇った。
相手をしっかり見たら、思うほど早くない。
狙って振り下ろした右の剣が当たって、手は引っ込んだ。
次は反対から来た。
――大振りするな、相手の動きを利用するんだ!
左の逆手の小刀が当たった。
おっさん、ありがとう~~
その後も、次々と襲って来る手を全部退ける事が出来た。
俺、凄いじゃん。
リリも後ろで感心していた。
記憶を失っても習った剣は身体が覚えているって本当だったんだ。
でも……
(ムチの動きが鈍い。こちらの数と力量を伺っているだけだわ)
リリはユゥジーンの後ろ姿を見上げた。
剣の腕は確かだが、力が入り過ぎて、もう息が上がっている。
破邪の剣なんてとても使えないだろう。
魔性が本気の早さを出したらひとたまりもない。
「ねえ」
「何だよ、今忙しい!」
「まだ自由な左手で、相手に気付かせないように、溜めなしで術を撃つわ。威力はないけれど、本体を一瞬出口から引き剥がせると思う。その隙に外に飛び出すのよ」
「あ、ああ、君は?」
ユゥジーンは触手を剣先で払いながら、リリの側まで来た。
「風を放つ反動を利用してジャンプする。別々に両側から脱出しましょ。その方が、外で馬を呼ぶチャンスが作れるわ」
「ん! 了解!」
「貴方は右、いい? 行くわよ!」
リリは、さっと左手を上げて、素早い風つぶてを放った。
小さい風だが出口に張り付いていた目玉に当たり、意表を突かれた魔性は退いて、隙間が開いた。
「今よ!」
リリの声にユゥジーンは地面を蹴った。
すれ違うように黒い手が一直線に洞穴の奥に伸びる。
(大丈夫、あの子、左に飛んでる筈!)
リリの両目は、自分に向けて伸びて来る黒い手を映していた。ジャンプしようとした瞬間、凄い早さで黒いアザが足に下がって転ばされたのだ。
――!!!!
視界に光が走った。
目の前に、振り下ろされたユゥジーンの剣の軌跡。
「あ、あんた、バカ!! 折角のチャンスを!」
「バカはどっちだ!!」
黒いムチが連続して襲って来るかと思いきや、攻撃は止まった。
魔性は出口に戻って貼り付いている。用心しているのか? 力を溜めているのか?
「同じ手はもう使えないわ。今出来る最善の方法だったのに」
リリは押し殺した声で言った。
「最善? 君を置き去りにして自分だけ逃げる事がか?」
「そうよ」
「…‥」
「こいつが欲しいのは術力の高い生命力だわ。今の所あたしにだけ集中してる。だから貴方はマークされていない内に、逃げ延びて里に報告しなきゃいけない。それが今やるべき事なのよ。理解しなさい」
ユゥジーンは剣をシュッと振って、リリに背中を向けた。
「蒼の里なんかクソ喰らえだ」
「何を……」
「そうだよ、俺はバカだよ。理屈の前に身体が動いちゃうんだからしようがないだろ。悪かったよ、命がけの計画台無しにして」
「……」
「君は立派だよ、いつだって長娘で」
リリの返事がないので、ユゥジーンは振り向いて、ビックリした。
地面に転がっていたリリが、ゆらりと立ち上がっている。
足の蛇が身体の中で突っかえ棒みたいに伸びて彼女を立たせているのだ。
顔が蝋人形みたいで目の焦点がおかしい。
「おい、どうしたんだ」
出口の魔性を見ると、赤い目を不気味に明滅させている。
「あ、あ・あ・・」
喉からか細い声を出して、リリは右手を挙げた。
黒いアザが手首に伸びて、意志と関係なく操られている。
キン! と音がして、掌に黄色い火花が出現した。
「ダダダメ!」
カッと目を見開いたリリが叫んで、左手で右手を掴んで押さえようとした。
「あ、あたしの身体を使って、あんたを攻撃しようとしている」
「何だって! そんなの卑怯だろ!」
リリの右手は別の生き物のようにいう事を聞かない。
「逃げてぇ」
「そんな事言ったって……」
出口には魔性が覆い被さっているし、こんな狭い洞穴で飛び道具を避ける自信なんかない。
右手を食い止めようとする左手の爪が、皮膚を突き破って肉に食い込んだ。
それでも黄色く光る掌は、ガンとユゥジーンに向けて突き出されている。
「イヤだ、イヤイヤイヤイヤ」
リリは、今までにないクシャクシャな顔をして、腕をガリガリ引っ掻いた。
「お願い、この腕、切り落として! 早く!」
「でっ出来る訳ないだろ!」
「あんたを手に掛けるなんてイヤだ、この世で一番イヤだァ」
「イヤイヤ言ってないで踏ん張れ! 長娘だろ!」
ユゥジーンは剣を投げ捨て、リリに向かって両手を開いて突進した。
「やれるもんならやってみろ!」
「バカァ!」
次の瞬間、素早く身を落として、リリの懐に飛び込む。
「頑張れ、長娘!!」
そのまま、彼女の身体を出口に向かせた。
「うんっ・・うぐぐ・・!」
リリは渾身の力で、爪を喰い込ませたまま、左手で右手を引っ張った。
「あああ――っ!!」
溜めに溜めた黄色い衝撃波が、出口に陣取っていた黒い魔性に一直線に飛んだ。
ただのカマイタチじゃない、光は途中から翡翠色に変わる。
女の子の身体を乗っ取る事だけに集中していた赤い目は、それをまともに喰らった。
***
衝撃音、大きな体積が崩れるドザザッという音、と共に、洞穴内に光が射した。
いつの間にか雪がやんで、朝陽が顔を出している。
「やった、やったぞ!」
ユゥジーンは抱き付いていた女の子から離れて、顔を除き込んだ。
「??」
リリは目を閉じている。
そしてぐにゃりと二つ折りにしなだれた。
「あっ!」
あの黒いアザがまだ右手に残って震えているではないか。
動きは幽かになっているが、腕を巻いて上へ移動しようとしている。
「冗談じゃない!」
大慌てで彼女を背負って、マントで自分に縛り付けた。洞穴を出ると、魔性は黒い干からびた山になっている。
(もう蘇ったりしないだろうな)
一刻も早くこの子を里へ連れ帰らなきゃ。
馬を呼ぶ右手を挙げた。
なかなか反応してくれない。
ああ、もっと真剣にやり方を聞いときゃよかった。
その時、魔性の残骸が僅かに動いた気がした。
(いや、ないないないない!)
怖いと思うから、そんな風に見えちゃうんだよ。
やっと上空に二頭の馬影が見えた。
よかった……
次の瞬間ユゥジーンは絶望の底に叩き落された。
干からびた黒い山の中にいきなり赤い目が光り、馬に向けて長いムチを放ったのだ。
二頭は慌てて上空に取って返した。
「ど、どんだけしつこいんだよ!」
残骸は欠片(カケラ)を撒き散らしながら立ち上がり、みるみる元の魔性へ戻って行く。
ユゥジーンは口をぎゅっと結んだ。
背中のリリを背負っているマントをギチギチと縛り直す。
そんなにこの娘が欲しいのかっ?
ぜってーやらねぇ、クソッタレ!
開き直ったら震えが止まった。
腰の剣を抜いて構える。
真っ黒い小山のような魔性が身体をもたげる。
―― リィン ・・
澄んだ音が響いた。
目の前の魔性が雷に当たったみたいに硬直し、動きを止めた。
――リン、リン ・・
音に連れて、周囲の山の景色が薄れ、薄暗い靄に包まれて行く。
同時に魔性が外側からバラバラと剥がれ落ち始めた。
今度は落ちた破片は、地面に付くと湯気を上げて溶けて行く。
「あ? え?」
背中のリリを振り向いたが、相変わらず目を閉じている。
頭上で、ザァッと風の音。
朽ちる魔物を背景に、灰色の靄(もや)に包まれて空から誰かが降りて来る。
鈴みたいな音は、そのヒトの持つ錫杖から発せられているのだと分かった。
――リン、リン ・・
ピィンと空気が張り詰める。
一瞬ナーガ長が来てくれたのかと思ったが、違う。
全然知らない男性だ。いや、あの青銀の髪色だけはどこかで見た記憶がある?
――リイィンン ・・
彼の足が地に到着し、錫杖が凍った大地をひと打ちした途端、魔物の残っていた部分がバシャリと崩れ落ちた。
シュウシュウという湯気の中、男性は二人に向いて急いた感じで口を開いた。
「どちらです? 憑かれているのは」
ユゥジーンはリリを背負ったまま茫然と突っ立っている。
「あっ、この子、蛇みたいなのが」
「下ろして、急いで!」
「えっ、えっ?」
泡喰って、言われるままにマントをほどいてリリを下ろすと、同時に彼女の肩口から小さい黒い蛇がパッと飛び出した。
「ひっ!」
のけぞるユゥジーンの目の前で眩しい光が炸裂し、蛇は干からびてカランと落ちた。
男性が鋭い表情で錫杖を突き出している。尖端に残った光が少し瞬いてから消えた。
「あ、あの……」
ドギマギしているユゥジーンの横を通り過ぎて、男性は女の子の横に屈んだ。
「おや、蒼の長の姫君だったか。随分と綺麗になられて」
知り合いなのか? いや、じゃあ、そんな事より。
「この子、この子っ、魔物に操られた後、意識が戻らなくなって、あの、起きないんです」
このヒト何か凄そうだし、きっと何とかしてくれる。
「ふむ、ん? 素肌に男物のシャツ一枚って……何をやっていたんです? ナーガ様に消し炭にされますよ」
「そんなんじゃないッス! か、川に落ちて服が凍ったからで、俺は別に……」
焦るユゥジーンを尻目に、男性はさっさと、女の子の腕や足首の蛇の這い跡に手を当てて調べている。
周囲は、男性の連れて来た灰色の靄に包まれたまま。しかし山の冷気を遮断しているのか、じっとしていてもそんなに冷えない。
「冗談ですよ。貴方にそんな度胸があるとは誰一人思わないでしょうからご心配なく」
「……」
ユゥジーンは口をカエルみたいに閉じた。
ご心配なくって、それはそれで馬鹿にされてる気がする。
そもそも誰なんだ? リリの事も俺の事も知っていそうだけれど、蒼の妖精っぽくないし。
男性は這い跡を丁寧に調べた後、衣服の肩を開いた。
今しがた蛇が飛び出した所の肉が痛々しく裂けている。
「ひぃ」
自分の身じゃないのにユゥジーンは冷や汗をかいた。
男性の掌が傷を覆うと、そこがぽぉっと光る。
しばらく口の中で呪文を唱えてからそっと離すと、まだ黒ずんではいたが、開いていた傷口は線を残して閉じていた。
「すっげえ、それが治癒の術って奴? 初めて見たぁ。それを出来るヒトって少ないんでしょ?」
「治すのは彼女自身の力です。術はそれを引き出すだけ。そこまで凄くはありません」
「へ、へえ~、そうなんだ」
「??」
男性は顔を上げて、まじまじとユゥジーンを見た。
「まさかとは思うけれど…… その記憶どこまで飛んでいます? しかもまだ戻っていないのですか?」
「戻ってませんよ、っていうか、俺の記憶喪失について何か知っているんスか?」
ビックリ目のユゥジーンに、男性も灰色の目を見開いた。
「知っているも何も、君の記憶を封じたのは、僕ですから」