「ええっ? ええええー―――!!」
ユゥジーンは顎が外れるんじゃないかという位大口を開けた。
聞き間違いじゃないよな!?
「本当に記憶が戻っていないのか、呆れた……」
男性は膝に乗せたリリの右腕の引っ掻き傷に治癒を施しながら、他人事みたいに投げやりに言った。
「いやっ、なにっ!? それって、どういうつもりでっ? 俺、結構それで苦労してるんっスけどっ!?」
「……ヒトに物を尋ねるにはそれなりの順序という物があると思います」
男性にスンと言われて、ユゥジーンは荒い息を治め、鼻で大きく深呼吸をした。
「事の経緯を、お聞かせ下さいませっっ」
男性はリリの傷に手を当てたまま、魔性のいた場所を視線で示した。今は黒い染みがあるだけだ。
「これは、山の精霊が魔に当てられて変化してしまったモノです」
「マジ? 精霊ってその辺に幾らでもいるんでしょ? ヤバイじゃん」
「…………」
「あ、ゴメンナサイ、黙ります」
「全ての精霊が魔性に変化する訳ではありません。しかしとても低い確率で、相性のいい魔と遭遇してうまい具合に融合してしまう事がある。そうなった場合、精霊の無限のエネルギーを得て、想像も付かない厄介な怪物が誕生してしまい……」
「へえ~~ あの、そろそろ、記憶喪失の話を……」
「…………」
「あ、はい、スミマセン」
男性は息を吐き、座ったまま手を伸ばして、先程の寄生蛇の黒い残骸を拾い上げた。
「手を出して」
「えっ、い、嫌ですよ」
「もう屍です、噛み付いたりしません」
「だから何でっ?」
「説明するのが面倒になりました。直接見て貰う方が貴方には理解しやすいでしょう」
「~~!」
ユゥジーンが渋々差し出した掌に、男性は何か唱えながら枯れ枝みたいな屍を乗せた。
・・・・・・
――??
視界がぐるんと回って、自分が何処にいるのか分からなくなった。
建物の天井?
ああ、あの梁、覚えがある。昨日招かれた、麓の村の村長の家だ。
自分はそこのソファに仰向けに寝ている。
身体が熱く、ねっとり溶けたような感覚。
室内には自分以外にも何人か居るようだ。
「何で一度退治したのに、この子の身体にまた蛇のアザが復活するんですか?」
村長の声。
「他の村人も?」
男性の声。今まで話していた錫杖の男性?
視線を移すと、やはり彼がが立っていたが、服装が全然違う。
あの朗らかだった村長が、今は真っ青で悲壮な表情だ。
「そうです。貴方が怪物の本体を倒しに山に向かった小一時間後、被害に遭っていた全員の手足に復活しました。せっかく綺麗に治療して頂いたのに」
「うん……」
男性は、口を指で覆って考え込んだが、やがて顔を上げ、寝ているこちらに近付いた。
「坊や、少し額を触るよ。ピリピリするけれど我慢して」
そう言って当てられた手の大きさから、今自分の身体が小さな子供になっている事が分かった。
視界を覆われ、何も見えない。熱い掌から頭の中に何かが伸びて来て、確かにピリピリと痺れて来る。何だか怖い、凄く恐ろしい。
「うん、そうか」
男性が手を離して、視界が戻った。
「この蛇は空間を越えて寄生して来ます。一度この化け物の赤い目を見てしまった、恐怖の記憶を目印にして」
「ええっ、じゃあ、あの怪物と目が合った村人全員が、何処にいても寄生されるっていうんですか?」
「そうですね。本体を倒しても、命を分身の蛇に移して避難させ、寄生した者から命のエネルギーを吸って何度でも甦るのでしょう。山で倒した本体も今頃復活しているか」
「そ、そんな化け物相手に、どうすればいいんだ。寄生された小さい子供の中には、もう虫の息の者も……」
「ふむ……」
男性は、再び目を閉じて考え込んだ。
「まずは、『恐怖の記憶を持った村人』達に、消えて貰いましょう」
「……は?」
また視界が薄れて、次に覚醒したのは雪山だった。
寒さはまったく感じなくて、視線が凄く高い。だが身体が痺れて力が入らない。
離れた斜面に、あの男性が錫杖を構えている。青銀の髪を雪風になびかせて、物凄く怖い気を発散させている。
「随分と逃げ回ってくれたね。砂漠から、こんな寒い所まで追い掛けて来る羽目になるとは思わなかった。おまけにこの山の精霊と融合して、厄介な化け物にまで進化してくれて。
でももう終わりだ。村丸ごとの記憶を消し去って来た。あそこにお前を覚えている者はもういない、すなわち命を避難させる宿主は。さあ観念してこちら側の結界へ」
怖い・・観念しなきゃならないのかな? 消されるのはイヤだな・・
その時、別の生命体が近付くのを感じた。
やった! そいつを怖がらせて、寄生してやろう!
力を振り絞って、その命の方に飛んだ。
あれ? 雪原に、ビックリ眼(まなこ)で突っ立っているのは……?
――・・俺じゃん??
また意識が飛んだ。
気が付いたら、目の前に黒い蛇の死骸。
「わわっ!」
慌ててそれを放り出すと、凍った地面にカラカラと転がった。
「戻って来たか?」
錫杖の男性が、リリの額に手を当てながら横目で聞いた。
「何が見えた?」
「何がって、俺が雪原で、間抜け面して突っ立ってました」
「うん、君が見たのは、この魔性の記憶」
「……」
***
男性は、転がった蛇の屍を拾い上げ、ユゥジーンの前でブラブラと振った。
「二度とこの蛇に寄生されぬよう村人全員の記憶を消して、魔性をこの山から出さずに何日も掛けて追い回し、やっと結界に追い詰めるまでに弱らせたかという時に、君がのこのこ現れた」
「へ……へえ……」
「へえじゃない! 簡単に襲われて、あっけなく寄生されて。こちらの何日分もの苦労が水の泡になったんだぞ」
「で、でも、それ多分、村長んトコの子供の依頼を受けて、調査に……」
「調査ね、山で何が起こっているか察知もせずに無防備に踏み込んで、何の調査に来たのやら」
「それ、俺じゃなくて記憶をなくす前の俺……」
「一緒でしょうが!」
額に青筋が浮いて、静かにフツフツと憤っている。
ダメだこの手のヒトは。下手に怒らせたら延々と突っ込んで来るタイプだ。ユゥジーンは一旦黙った。
「君に手を掛けている暇など無かったから、取り急ぎ寄生蛇を始末して、記憶だけもぎ取って放置しました。問題なかったでしょ? 村も近かったし」
「問題アリアリですよ! 俺、向こう二十年分位の記憶がぶっ飛んだんですよっ」
「そんなに・・?」
男性はちょっとだけ申し訳なさそうな顔をした。
「多少手元が狂ったか」
「多少っスかっ?」
つい突っ込んだら、またいらんスイッチを入れてしまった。
「そりゃこちらは君のエネルギーを吸って元気一杯になった魔性を村に下ろさないように必死で押さえながらの作業だったんですよっ。こちとら寒さに耐えて限界近かったから、とっとと結界戦に持ち込みたかったのに!」
「だ、だって……」
まだ口答えをする青年に、男性はグイと顔を近付けた。
「・・では、雪山で蛇のアザに絞められてノタウチ回る君に、トドメを刺して行った方が良かったんですかね・・?」
「……スンマセン……」
ダメだもう、このヒト、どこかの国の外交担当でもやってりゃいいのに。
男性は顔を離した。
「しかし、記憶の封鎖はすぐ解けるように細工をして置いた筈ですが。ナーガ様に報告して貰わなければなりませんでしたから」
「解けてませんよっ」
「ふむ、何ででしょう、余程日頃の行いが悪いのか」
「俺のせいっスか? そんな、何でもかんでも、この子がこんな事になったのも俺のせいっスか!?」
「いえ」
そこは否定されて、ユゥジーンは拍子が抜けた。
「そこは僕の責任です。てっきりナーガ様に伝わったと思って、油断していました。魔性の正体を知らないで山に来てしまったのか…… 姫君には気の毒な事をした」
男性は睫毛を伏せて、膝の上のリリを見た。
こんなに騒いでいるのに、娘はピクリとも動かない。
「その子、大丈夫なんスか?」
「あの巨体が復活する生命力を一人で賄わされましたからね。でもまぁ、ちゃんと回復します。里へ帰ればナーガ様が、僕なんかよりしっかり治癒してくれるだろうし」
「へえ、蒼の長サマって、そんなスゴいんだ」
男性が顔を上げて、しげしげとユゥジーンを見た。さっきまでの怒りと違って、何か別の、憐れみの交じった表情になっている。
「まぁ……すみませんでした。本当に魔性を取り逃がすかの瀬戸際だったので。君がそんな風になってしまうなんて」
「あ、いえいえいえ」
男性が少し折れてくれて、今なら色々答えて貰えるかなと、ユゥジーンは慎重に切り出した。
「え――と、俺の記憶、戻るんスか?」
男性は少し考え込んで、こちらも慎重な感じで口を開いた。
「思い出したいという気持ちはありますか?」
(当たり前でしょ!)と叫びたい気持ちを抑え、青年は大人しく「はい」と答える。今度は多少遠回りな話になってもガマンしよう。
「思い出せなかったのは、過去の自分を否定するような言動をしたからではないかと。心当たりはないですか?」
「……そんな事……」
言い掛けてユゥジーンは呑み込んだ。
やっていたかもしれない。
親身になってくれる執務室のヒト達を蔑ろにして、無責任な女の子やその親族の方にばかり傾いて。
山麓の村で、親しく声を掛けてくれた村人や子供。
過去の俺って、多分、今と全く違う、大勢のヒトに信用して貰える実直な奴だったんだ。
ここでユゥジーンは、今男性の膝で目を閉じる女の子に自分が何をやっていたのかを、怒濤のように理解した。
幼い頃から世話を焼いてくれ、好いて慕っていた者が、まったく別人になってしまったのだ。全力で避けたくなって当然だろう。
「もう一度確認します。過去の自分に戻りたいのですよね」
今度はユゥジーンは心から答えた。
「はい」
「では大丈夫。その気持ちがあれば、術が解ける時が必ず来ます」
「今すぐじゃないんスか?」
「そう遠くないですよ。貴方がその気持ちを持って、この娘と居れば、多分、すぐです」
「??」
リリの肩や腕の傷はある程度塞がり、頬も僅かに赤みが戻って来た。
それでも男性は、もう少し、と、額に手を当てて治癒を続けている。
周囲の灰色の靄は、この男性が作った簡易結界だという。彼の身体は種族的に、長時間の低温に耐えられないらしい。
手を当てながら、ユゥジーンの多少の質問にも答えてくれた。
「あの、リリの記憶は消していないんですよね。この魔物、また復活しちゃうんじゃないスか?」
「大丈夫、この娘は魔物の恐怖に支配されず、恐れずに立ち向かう勇気を持っている。今の君もそうだろう?」
「あっ、はいっ、はいはいはいっ」
イマイチ自信が無いが、また記憶をもぎ取られてはたまらないと、ユゥジーンは良い返事をした。
「あれ? じゃあ今回は何で復活しちゃったの?」
男性は眉を少し下げた。
「僕のミスです。麓の村に記憶を消し切れなかった者がいて、僅かに残った山への恐怖を、何かの引き金で思い出してしまったらしい」
「ええっ」
それ、きっと村長の家のあの子供だ。
水源の堤で夜の山を見て、七時雨のオバケの話なんかしたから……
大変! あの子、今頃蛇に憑かれている?
「ああ、大丈夫」
慌てるユゥジーンの様子を見て、男性は先回りして答えた。
「そちらは対処済みです。村長の坊やの所へは、先に行って処置をして来ました。本体がキチンと滅びた所を見ると、今度は大丈夫だった筈です」
「処置……」
あの子また記憶を失くしたのか。可哀想に。
「本当に不手際だらけですね、記憶を消し過ぎたり消し残したり。まだまだ力不足だ……」
こんな凄そうなヒトが力不足って、執務室、めっちゃハードル高いじゃん!?
職務に復帰する方に傾き掛けていたユゥジーンは、またぞろ不安になって来た。
「後は蒼の長、ナーガ様の領域です」
「えっ、まだ終わりじゃないんですか?」
「はい、結局あの化け物は、蒼の長でないと完全に浄化出来ないのですよ。精霊がベースですから。もしかしたら山全体の精気の流れを根本から洗い直さねばならない。僕なんかには行き届かない次元です」
「ふえぇ……」
蒼の長様……のどかなオジサンだと思っていたけれど。
ユゥジーンは魔性の中にいた時、そういえばそんなに狂暴な心は持っていなくて、むしろ心細かったのを思い出した。
そうか……そういうのも、すべて引っくるめて面倒を見るのが、蒼の長……
「あのぉ……」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとうっス」
「はい、無事で良かったです」