朝……
夕べ、あーだこーだと弄くり倒した挙句余計に壊してしまった何かのイタズラ道具がパォの真ん中に転がり、寝具を畳んでリリの姿はなかった。
ユゥジーンは溜め息を吐いて起き上がる。
(いつもの事だけどさ)
一番鶏が鳴く前に出て行ってしまい、ユゥジーンが目を覚ますともうもぬけの殻。
朝食の湯気と共に爽やかに起こしてくれとは言わないけれど、オハヨウぐらい言ってくれてもバチは当たんないだろ。
坂の上の執務室に一番に来るのは見習いの少年で、彼が掃除を済ませる頃にユゥジーン、次いで大机を預かるホルズが姿を現す。
その日の手紙をチェックして選り分ける作業をホルズが行い、その間次々に出勤して来るメンバーに仕事を割り振って、随時送り出す。
ユゥジーンは、見習い時代からやっているホルズの補佐を一通り済ませた後、自分の仕事に出る。
長のナーガは不定時で、出掛けると何日も戻らないのはザラ。居る時はホルズの選り分けた『要、蒼の長案件』を、ひたすら精査している。
「朝礼とか、ないんですか?」
修練所出たてのヒヨッコが聞くが、いちいち集めて号令を掛けずとも、一人一人が来るべき時間に来て、やるべき事に即座に取り掛かる方が合理的だ。
大昔、ナーガの叔父の大長と三人の弟子から始めた執務室は、半ば伝統的になった形式のまま、ゆるく長く継続していた。
そのゆるさの最たる象徴が、馬繋ぎ場に向かうメンバーの流れに逆らって、今、坂を駆け上がって来る。
「ただいまっ、戻りましたっ」
紫のザンバラ頭のリリ。
毎朝、見習いよりも更に早い時間に出勤し、一足早く一件片付けて来るのだ。
「おかえり、リリ」
珍しく居るナーガ長が、書類から目を上げて静かに言った。
夕べどこに泊まったのか等は、いちいち聞かない。放任主義と言うよりは、扱いの難しいこの娘を三歩退く事でコントロールしている。
「森の宮の峠の案件ね、急ぎだったので助かったよ」
「ふふふん」
リリは文字が読めない。意味のない物の形を覚えるのが、極端に苦手らしい。
なのに、うず高く積まれた仕事依頼の手紙から、緊急性の高い物をズバリと嗅ぎ分ける。
手紙に触れただけで用件が分かる。書いた者の心を読み取れるというのだ。
スゴい! 万能じゃないか!? いやいや、それが、たまに……
「峠の落石は大きかったかい? 一人で処理するのは大変だったろう?」
「へ? 落石で村のヒト、助かっていた筈よ? 税を払えない家の子供がヒト買いに連れて行かれるのの足止めになって。依頼は、宮司の税のピンハネを摘発してくれ、って事だったでしょ?」
「……」
「暗いうちに宮の倉庫を開いて、横領していた穀物を村の広場に積み上げといたわ。それで良かったんでしょう?」
なんて事も起こったりする。まぁそれが、手紙を書いた者の本心だった訳だ。
え――・・
蒼の一族は、風と大地を司る、所によっては神扱いされる存在だ。
便利屋とは違うのだから、依頼をしても聞いて貰えるとは限らないし、何でも思い通りって訳にも行かない。
リリみたいな対処で、本来オッケーなのだ。
「さあ、今日はもう一、二件やっつけられるかしら。泊まりの仕事があったら優先して頂戴」
腕捲りする娘にナーガは苦笑して、ホルズに目配せをした。
「実はリリ、ノスリ殿やホルズと話し合って、決めた事がある。リリにも関係のある事だ。座りなさい」
「なあに……?」
娘はちょっと不安そうに、長椅子に腰掛けた。
ナーガは大机に付いて両手を組み、ホルズは窓際の椅子に移動した。
「先日の騒動…… あの空の十字の光の意味、リリにも話したよね」
「はい……」
「蒼の里が今までやって来た事を否定する光だった。勿論私は、蒼の長として、皆とやって来た事を覆(くつがえ)しはしない。しかし今までを省(かんが)みる必要はあるんだ」
「省みる……」
緊張するリリを助けるように、ホルズが口を挟んだ。
「例えば、今日の森の宮の依頼みたいに、手紙に書かれた本心じゃない方の依頼をそのままホイホイやって、それでいいのか? って事さ」
「ああ、はい」
分かりやすい例え話に、リリは少し安心な顔になった。
ナーガも肩の力を抜いて掌を組み直した。
「そう、それでね、これからは依頼をもっとちゃんと吟味し、絞って行こうと思うんだ。執務室の者も今まで忙し過ぎたからね。この機会に、ただ働くだけでなく、それぞれの才能を磨く事にも力を入れられればいいと思う」
「ああ、それは素敵な事だわ!」
リリは、ユゥジーンがカノンと一緒に歴史の本を読んでいる所とか、ユゥジーンがヤンやフウヤと色んな土地を旅している姿とかを思い浮かべた。
ナーガも娘の賛同を得られてにっこりした。
「その依頼を絞る作業に、リリの力が必要になる」
「は……い」
「手紙の中の大切な事、本当の事を一直線に見抜くリリの能力。その力を一番に発揮出来る仕事だよ」
「あ、ええ、はい・・」
リリは、気の抜けた返事をした。
ホルズが待ち構えたように立ち上がる。
「助かる、明日の分から、早速頼むよ。リリのペースでいいからな。今日の昼は休んでくれていいから、書類の貯まる夕方頃にまた来てくれるか? ゆっくり体調を整えておけ、な」
事務の統括者ホルズに優しく言われ、リリは茫然と、外に出て歩き出した。
えっと・・・・・・??
それって・・どういう事・・?
気が付くと、里奥の放牧地の牧柵に座り込んでいた。
まだ明るい時間にこんな所にいるのは久し振りだ。
「どうした、珍しいな」
声に振り向くと、サォ教官だった。修練所は一限目が終わった時間だ。教官室の窓からリリを見付けて、わざわざ来てくれたのだろう。そういうヒトだから。
「仕事が早く終わったのか?」
「いいえ、ちょっと休憩です。これからまた行きます」
「そうか、身体を壊すなよ」
去りかける教官に、リリは思わず声を掛けた。
「あっ、あの…」
「ん?」
「あた、あたし、今日から、内勤になったんです」
「ふむ、それって?」
「依頼の吟味とか、そういう仕事……」
「おお! ということは、長殿やホルズ殿と共に大机を預かる、大切な立場に付いたのだね。そうかそうか、素晴らしい事だ。うん、あのリリがなあ」
教官は感激一杯の顔で、嬉しそうに頷いている。
・・やっぱり、そういう事なんだ・・
「おめでとう、一歩階段を上がったね。リリならきっと立派にやって行けるよ」
大好きな教官せんせの声を遠くに聞きながら、リリは鉛の中に沈んで行く気分でいた。
今まで一生懸命やっていた外仕事は、結局評価にはならないんだ。あたしに求められるのは、長の跡取りとして一段上の位置に立つ事。
もう、好き勝手はやっていられない、責任を背負わなければならない。
あの情けなさそうだったカノンですら、西風を背負う運命をいつの間にか受け止めて、自分を引き上げる為に、ひと冬を暖炉の前で費やす覚悟を決めている。
彼の側に居ると、踏ん切りが付かず尻込みしている自分の情けなさが際立って、嫌だった。
(もうこの一本道を、歩いて行かなきゃならないんだ)
***
境目のない灰色の空と草原が、地平で溶け合っている。
里の外、レンやカノンと共に遊んだハイマツの丘は、今は白い綿布団みたいな雪に覆われている。
地風に吹き上げられた雪が、紫のざんばら髪に霧氷みたいに掛かり、それを払おうともせずにリリは、もう随分と長い間、ここに立っていた。
「じじさま・・」
呼んだって、勿論、応えてなんか貰えない。
幼い頃、父の叔父、大長と呼ばれるヒトと何ヵ月か過ごす機会があった。
色んな説法を絶え間なく話してくれたのに、馬鹿な自分は嫌がって逃げてばかりだった。
長という物についてとか、世の理とか、大切な事を教えてくれようとしていたと思う。
もっとちゃんと聞いていればよかった、もっと覚えていたかった。
鼻がツンとして目の奥が熱くなったので、頭をぶるぶる振って、雪と共に泣き虫を振り落とした。
もう逃げて終わりの幼児じゃないんだ。
じじさまと一緒に過ごしたシンリィも、この世界の何処かで頑張っている。次に会った時に恥ずかしくない自分になっていようと心に決めたじゃないか。例え、長としての能力が、何ひとつ開かなくたって……
そこまで口の中で呟いて、リリはまた項垂れた。
自分は蒼の長の娘ではあるけれど、母は他所の種族。資質をどれだけ引き継いでいるか、今の所誰にも分からない。
あの、空の十字の光が落ちて来た時。
夢中で外に駆け出て父さまを手伝ったたけれど、反対側で掌を掲げるカノンの力の凄かった事。ガッツンガッツン光を跳ね返していたっけ。普段は虫も殺さぬ顔をしている癖に。
ああいうのを、本当の長の血の力っていうのだわ。それに比べて、自分の力の貧弱だった事…‥
リリは頭を振って顔を上げ、愛馬の若紫を呼んだ。
もう夕刻だ。執務室に行かなくちゃ。
「??」
馬は呼ばれても動かず、丘の端から、遠くを凝視している。
「どうしたの?」
側に寄って視線の先を追うと、草原に複数のヒト影が見えた。
・・?・・
不穏を感じた。
複数の大人が子供を囲んでいる。
大人は他所の種族だが、子供達は草の馬を連れた蒼の妖精だ。
「!!」
リリは若紫に飛び乗って、そちらへ飛んだ。
近寄ると、囲まれて身を寄せ合うのは、サォせんせのハウスの子供達だ。
「あんた達! どうしたの!?」
大人達はリリの登場でひるんで後ずさった。北東の山岳部族の服装だ。
ざっと見た所、馬車があって商人風だが、風采がよくない。
紫の前髪の娘は、旋風を起こして、彼らの前に飛び降りた。
背後には若紫が回って、挟み撃ちにする。
「この子らに何をしようとした! 場合によってはただでは済まさぬぞ!」
「わあ、待て待て! 悪さなんかしていない!」
リリの迫力にただの女の子ではないと悟った男達は、慌てて両手を上げた。
「その子供達に物々交換を持ち掛けていただけだ。対等な取り引きだ。勿論、脅してなんかいない」
「交換?」
リリは、手を取り合う子供達を見た。
子供でも、上級生になると教官の許可を取って草の馬で外乗りに出られる。
もっともあまり沢山は飛べないから、里の周りをチョロチョロする程度だ。
「なっ、坊主、おっちゃん達は、優し~く交渉していただけだよなっ」
引きつった笑いを浮かべる大人に、一番年長そうな子供が答えた。
「うん、その通りだけれど。でも、草の馬を交換なんて出来ないよ」
「なんですって!」
リリは髪を逆立てた。
子供達は味方を得たり! と、リリの後ろに回った。
「そうなの、断ってもしつこくて。小さい子を丸め込もうとするし」
確かに、空飛ぶ草の馬を欲しがって、売ってくれと言う者はたまに出現する。
知らなければ、普通に取引される馬と同じに考えていても、罪ではないだろう。
だとしても、分別付かぬ子供を狙い打ちにするなど、確信犯の疑いは否めない。
紫の前髪の娘は大きく息を吐いて、男達に向き直った。
「草の馬は風の妖精と共にあり、蒼の一族にとって一生を共にする存在です。一人一人にとって代わりの馬なんていないし、手放せるモノではないのです」
「だからあ! こちらも相応の物を払おうって言ってんだ、お嬢さん」
男の一人は余程草の馬に執着があるのか、諦めずに粘った。
「どんなにお金を積まれたって……」
「金じゃねえ、蒼の妖精が金銀で動かないのは知っている。もっと価値のある物だ」
「何を積まれたって……・・ ぇ?」
リリは、男が馬車の荷台から大切そうに取り出した『それ』を見て、大きく目を見開いた。
近寄ってよく見て眉を吊り上げたが、触れてみると、今度は顔色が青ざめた。
「こ、これを、どこで・・!?」