蒼の里の修練所。
里の子供は、おおむね七つ位から通い始める。
まず生きていくのに必要な理(ことわり)を習い、その後読み書き計算、個々の特性に応じた講義に進み、だいたい七、八年で修了する。
多少の決め事はあるがノルマはアバウトで、とっとと終える子もいれば、他の事をしながらたまに通ってのんびり卒業する子もいる。
サォ教官が主任の一人に就いてからは、数字の決め事が更に柔らかくなった。
柔らかくなったからって楽になる訳ではなく、自分で決めねばならない事が増えた。教職員は個々の生徒をより綿密に見なければならなくなり、子供達はサボるとすぐ自分に跳ね返る。
決め事って、誰かが楽チンをする為にあったんだ。でも学び場に楽チンは要らないと、熱血教官は頑張っている。
そのサォ教官が、山のような書類を抱えて放課後の廊下の角で、走って来た数人の子供とぶつかりそうになった。
「おっと」
避けた弾みに散った書類を、先頭の子から順番に受け止めた。ハウスの子供達だ。
「はい、せんせ」
「おおご苦労。廊下を走るな、その分外で走れ」
「走ってないよ、早歩きだよ」
「両足地べたに着いてたもーん」
「ヘラズ口ども、次にぶつかって来たら撥ね飛ばすぞ。それはそうと今日は外乗りに行ったんじゃないのか? 随分と早いな、誰か怪我でもしたか?」
「ううん、え――、えっと、用事を、頼まれて」
子供達の歯切れが悪くなったので、教官は何かがピンと来た。
「んん? 校舎に用事か?」
「うん、そう、図書室に用事なの!」
「書物を借りるの!」
「なに? お前達がか?」
「違う違う、カノンに持って行くの」
子供の一人が、カノンのきっちりした文字のメモ書きを、ヒラヒラさせた。
「ふむ」
しかしそれはリリの日課だった筈だ。
毎夕書物を届けては、翌日のリクエストのメモを受け取っていた。
「そのメモはリリの持ち物だよな。リリが、お前達に頼んだのか?」
「うん、あのシツムシツの女の子から、さっきたのまれたの。あの子はキュウヨウができたからって」
「こら、しっ! せんせ、さよーなら!」
ウッカリ者の小さい子の口を塞いで、子供達は団子になって、廊下を『早歩き』で駆けて行った。
「う――ん」
サォ教官はちょっと迷ったが、子供達を追い掛けて問いただすのはやめた。
誰かとした口止めの約束を律儀に守ろうとしているのなら、それを破らせるのは可愛そうだ。
それより、もしリリが、子供達と約束を交わせるような間柄になったのなら、喜ばしい事だ。
その時のサォ教官の判断が、その夜の騒ぎに繋がるのだが……
***
蒼白なユゥジーンに案内されて、サォ教官と子供達が、執務室入り口をくぐった。
「遅くにお呼び立てしてすみません」
奥の大机から、ナーガ長の急いた声がした。執務室には彼一人だ。机上に大きな石板。
「いえ、こちらこそ。この子達が、長殿に直接でなければ話さないって頑固に言い張る物ですから。申し訳ありません」
サォ教官も青ざめて、困った顔で数人の子供達を振り返った。
「あの、ナーガ様、何か分かりましたか?」
ユゥジーンが机の前に進んで、石板を覗き込んだ。
「いや……」
ナーガの長い指が、石板に刻まれたこの辺りの地形を辿る。
いつもならこの方法で、同じ血を持つリリの所在を知る事が出来た。
娘が里のどこで夜明かししようと、たまに里から家出しようと、こうして居所を把握出来ていたから、長殿は安心していられた。
リリもそれを承知していたから、ある意味『心配をかける心配をせずに』好き勝手出来ていたのだ。
「気配が消えてしまったって、あいつ、いったい……」
「存在しているのだけは分かるから、無事ではあるのだが。何処に居るのか分からなくなってしまうなんて、今までなかった。本人がやっているのか、何か他に原因があるのか…」
「長さまから『隠れる』って言っていたよ!」
小さい子が叫んで、皆が顔を上げた。
「バカ、順番があるだろ! 約束通りにしなきゃ」
大きい子がその子の口を塞いだ。
「順番なんかいいから全部話すんだ!」
怒鳴るサォ教官を制して、長が机の向こうを回って、子供の前に来て屈んだ。
「順番通りに話しておくれ」
「えっとね、まず、これ、です」
一番大きい子供が、上着のポケットから紫のスカーフを引っ張り出した。
今日リリが首に巻いていた物だ。
「皆が自分の居ないのに気付いて心配し出したら、長さまに渡してくれって」
長は黙ってスカーフを受け取って、掌を当てた。途端、リリの高い声が響く。
『父さま、ごめんなさい。あたし、どうしても解決しなきゃならない用事が出来たの。執務室に穴を開けてごめんなさい。帰ったら倍働くから、許して』
「それだけ?」
シンとなった後、ユゥジーンが叫んだ。
「あいつ、説明は? 用事って何だよ! そんな勝手な事・・!」
「ユゥジーン、取り敢えず事故ではなく、自分の意思だというのが分かっただけでもよかったよ」
ナーガ長がスカーフを見つめながら言った。
「こうなったら洗いざらい喋って貰うぞ。昼間外で何があった?」
ユゥジーンは気炎を吐いて、子供達に迫った。
「言えないよ、約束だもん」
「そんな事を言っている場合じゃないんだぞ」
サォ教官もたしなめるが、子供達は目をキョロキョロさせながら口をつぐんでいる。
「言え!」
ユゥジーンが一歩前に出て、大きい子の胸ぐらを掴んだ。
「ユゥジーン、よしなさ……」
ナーガ長が手を伸ばしてやめさせる前に、隣の子が叫んだ。
「ジーン! 自分の胸に手を当てて!」
「??」
ユゥジーンは大きい子から手を離して、そちらの子を見た。
「何だって? どういう意味だ?」
「分かんないよ。あのオンナノコが、『ユゥジーンが誰かの胸ぐらを掴んだらそう言え』って」
「……」
ユゥジーンは呆気に取られながら、自分の胸元に手をやった。
「あっ」・・思い出した。
そこには、リリとお揃いの小袋のペンダントが掛けられていた。中身は、半分コにした緋色の羽根だ。
そう、リリが何かピンチになった時は、この羽根が震えて教えてくれる仕組みになっている。
今まで一回も震えた事がないから忘れていた。
「今は心配には及ばない、危険になったらちゃんと伝えるから、という意味だろう」
ナーガ長が、ユゥジーンの肩に手を置いて落ち着かせながら言った。
「伝言はそれだけか?」
サォ教官が心底困り顔になって、子供達を見回した。
それまでじっと教官の顔だけを目で追っていた子が、スイッチが入ったように叫んだ。
「センセ、この子達を叱らないでね! 約束を守る、とてもいい子達だわ!」
「そ、それも伝言か?」
「うん、『サォせんせの眉が、この角度になったら言いなさい』って」
その子は両手を合わせて、八の字より急な角度を示した。
大人三人は目をまん丸にして顔を見合わせた。
子供達の中にまだスイッチの入っていない子が、口を膨らませて大人の様子を凝視している。
「あ―――・・」
ナーガ長が、沈黙を破るように言った。
「とにかく、リリは大丈夫なようだ。この子達に伝言を割り振る余裕がある位だから、切羽詰まった事態でもないのだろう。帰りを待とう。サォ教官、ユゥジーン、心配をかけて申し訳なかったね」
「いえ、そんな、……んん??」
言いかけて教官は、喋るタイミングを逸して口をパクパクさせている子がいるのに気付いた。
「今の、5つだった?」
「4つ位だった気がする…」
「何だ? リリの言った合図は、何だったんだ?」
「長さまが、5つ数える以上長い『あ――』を言ったら、言いなさいって」
蒼の長は、その子の前に屈み直して、両肩に手を置いて大きく口を開いた。
「あ―――――」
指折って数えた子達は、満足の表情で順番に叫んだ。
「もうバレていると思うけれど!」
「あたし父さまの術から隠れる事が出来るの!」
「ナイショにしていてゴメンね!」
一番小さい子まで喋り終えて、子供達は肩の荷を降ろした表情でニッコリした。