ポツンと残された少年。
「い、行かなきゃ……」
元より一人で行くつもりだったのに、今更心細くなっている。
ピルカになんて会わなきゃよかった。
夜闇の中馬を飛ばすが、既に身体の芯から怖じ気付いていた。
馬はそれを敏感に感じ取って、カチャカチャと苛つき始める。
主殿の住まい、棘の生えた大木が見えた所でますます逆らって、首を大きく下に振るった。
「あっ」
ガクンと手綱を持って行かれ、前のめりになった瞬間、懐の書状がスルンと落ちた。
うそっ? 腰帯にしっかり挟んでおいた・・はず・・つもり・・あぁっ・・
「だめっ」
叫んだって聞いてくれる筈もなく、皮筒はあっさりと闇の森に落ちて行く。
……!!
冗談じゃない、何でこんな事が起こる。ピルカと会ったのがケチの付きはじめだったんだ。
今から引き返してホルズさんに書き直して貰うか? 誰かが帰っていたら代わって貰えるかもしれない。でも、こんなお使いでしくじっていたら、それこそ当分外に出して貰えなくなる。
少年は唾を呑み込んで、書状の落ちた暗い森に馬を降下させた。大丈夫、落としてすぐだし皮筒は大きいし、きっと見付かる。
そんな甘い考えは、地面に着いた瞬間踏み潰された。
書状を探そうと馬から降りるや否や、森がざわっと揺れた。
月夜に黒い木々が一斉に伸び上がり、音を立ててグワリグワリと揺れ始める。
(((誰だあああっ)))
空気を揺るがす怒声。
「あ、あの、僕、蒼の里から……」
(((出ていけ!、出てけ出てけ!)))
少年のか細い声など微塵も聞いて貰えず、森の声はどんどん大きくなって行く。
馬はビビって棒立ちになり、口から泡をたらし始めた。
「あ、あのあの、お使いで、手紙を……」
怒鳴り声の次は、太い枝が鞭みたいにビュンビュン飛んで来た。こんなの聞いてないよ。
馬は完全にパニックで、ぜったいに言うことをききそうにない。でも跨がって尻を叩けば空に逃げてくれるかもしれない。
確かに逃げてくれた。少年が乗る前に。
「ばかあ――っ!!」
情けない悲鳴をおいてけぼりに、我を失った馬は雲の上に消えて行った。
名馬の魂を宿した草の馬といえど、あくまで馬は馬。ベースは臆病な草食動物なのだ。
それが分かっている蒼の妖精のベテランならば、何かあったらまず馬を逃がす。怯えさせる前なら、呼べば高確率で戻って来てくれるからだ。
そういう裏技も教わっていた筈なのに、今の少年の頭からはすっ飛んでしまっていた。
***
いよいよ地面まで揺れだした。
立っている事も出来ずに、土に這いつくばって半泣きの少年。
・・不意に、後ろから肩をギュッと掴まれる。
「ひっひぉあっ」
「なっさけない声」
さっきも聞いたトーンの高い声が響いた。
振り向くと、荒ぶる木々を背景に、ヒラヒラリボン。
「ピルカ?」
「これを探していたんじゃないの?」
ウサギ娘の白い指が差し出すのは、さっき落とした茶色い皮筒。
「えっえっ、ええっ!」
なんでっ、どぅしてっ? ヘイムダルさんはいない、ピルカ一人だ、一人で来たの??
「とっとと大事な用事とやらを済ませに行けば?」
「なんっ、そっ、だっ……」
「私の馬を貸してあげる、はい」
森の喧騒は相変わらずなのに、ピルカとお揃いリボンの馬は、どこ吹く風でスンとしている。
「ほら乗って」
「いっ、あっ」
「なによ」
「き、君はどうすんの」
ピルカはさっさと少年の鼻先に馬を押し付けた。
「ここで待っているわよ。他にどうしろって言うの」
「あ、う、君をこんな所に置き去りには……」
「はぁ? そんな一人前の口を聞けるご身分な訳?」
何が何だか分からないまま、ピルカの馬に押し上げられて尻を叩かれ、少年は一人でそこを脱出した。
地面のピルカは何食わぬ顔で手を振っていた。
当初のお使いは無事に務め上げられた。
七つ牙の主殿は寝所にさがる直前だったが、少年使者はギリギリ間に合って、手紙を読み上げる事が出来た。
驚くべき事にひとつもトチらなかった。怖い目に遭い過ぎて、一周回って肝が座ったのだろうか。
主殿は見かけは猛々しいが、既に半目を閉じて睡眠に入っていた。使者が小僧っ子だとかよりも眠気が勝っている感じだった。
横のお付きの者に了を告げられ手形を貰い、少年は呆気なくそこを離れる事が出来た。
(初仕事……終わった……)
慌ただし過ぎて全然実感が湧かない。
さっきの場所まで戻ると、ピルカが少年の馬とポツンと立っていた。
森はもう騒いでいない。
「おかえり」
手に持った麦草で馬を遊ばせながら、うさぎ頭は振り返りもせすに言った。
「あんたの馬、ビビりしいよね。主人にそっくり」
何食わぬ顔でピルカに甘える馬。いつ戻ったんだよ、お前……
「来た者を驚かして面白がるヒトなんて僅かだわ」
馬を睨んでいた少年は、いきなり言われて「ふぇ?」と間抜けな声を出した。
「この森のヒト達よ。落ち着いてよく見れば、話の通じるヒトも、落とし物を教えてくれる親切なヒトだって、ちゃんと居るのに」
「……」
「執務室で働いているのにそんな事も知らないの?」
「……」
「じゃ、あたし、帰る」
返事の出来ない少年に呆れたように言って、ピルカは自分の馬を引き寄せた。
跨がる前にイヤミったらしく鞍をバッバと手で払った。
「ぼ、僕も帰る」
少年も慌てて自分の馬に近寄る。
「バカなのっ!?」
怒鳴り声に鐙を踏み外した。
振り返ると馬上のピルカが唇をふるわせながら睨み付けている。
「失敗したら次は失敗しないように考える物でしょ? そんなの執務室でとっくに習ってると思ってた!」
怒鳴り声を置き去りに、ピルカは馬を駆って乱暴に飛び上がって行ってしまった。
ポツンと残された少年。
「何なんだよ」
確かに助けて貰ったんだけれど……
「まだ引き返して手紙を書き直して貰った方がマシだった。あんな、門限も守れない奴に偉そうに説教される位なら」
ざわっ。
頭上の梢が揺れて、少年はびくっと身体を強張らせた。
後ずさりして、馬に手をかけ……ようとして空ぶった。
馬も少年と同じだけ後ずさりしたからだ。
くそっ、ピルカにはイイ顔してすり寄っていた癖に。
「んぉ・・」
ささやくような声。
小さな声なのに、妙に周辺に響く。
見上げると、目前の梢からふわふわと白っぽい物が降りて来る。
シャボンみたいに体重がない感じの、半透明な丸っこいヒト型。多分樹木か花の精霊だ。
少年の半分くらいの身長で、目の下が桃色でちょっと可愛らしい。
(よかった、あんまり怖くない)
「んぁ、かぇってしまったか。久し振りにゆっくり話ぃしたかったのにぃぉ」
精霊は変なイントネーションでつぶやいた。見開いたどんぐり眼をパチパチさせながら、突っ立っている少年には見向きもしないで森に戻ろうとした。
「あ、あの、親書……革筒を拾ってくれたのはアナタ、ですか?」
「んぉ?」
精霊は振り向いたが、激しく面倒くさそうだった。
「しらん、ワシではなぃのぉ。あの娘を好いちょるモンはこの森に仰山ぉるからの」
好かれてる? あいつこんな森にまで愛想ふりまいてんのか。顔と外面だけは良いから、それでヘイムダルさんも取り込まれてるんだけれど。
しかし陰では、自分の利益にならない者には氷のように冷たい。修練所時代にそれで散々被害に遭って来たんだ。僕みたいな地味な者がどんない頑張ったって、あいつら派手な連中がサクッと横取りしちまう。
いっつもそうなんだ。
感情の堰が切れた少年、つい乱暴な言葉を口走った。
「へえ、あんた達もあいつに騙されてんだ。バカみたい」
いきなり、可愛らしかった精霊の頭が縦に割れ、ギザ歯の口がガッと開いた。
「帰ぇれ、蒼の妖精の質も落ちたもンだ」
でかっ! 頭のほとんど口。
少年はあとずさったが、意地で踏ん張った。
「帰るよ、付き合うのもバカらしい。弱い者いじめの癖に偉そうに」
また森が暴れるか? もういい、思いきり悪態ついてから逃げてやる
しかし精霊は形状を元に戻し、代わりに両手をひゅるんとゴムみたいに長く伸ばして来た。
「情けなやぁ、あの娘とは大違ぃだなぁ」
「ぼ、ぼく、可愛いだけでチヤホヤされて生きて来た女の子と違うし。ちゃんと中身を努力してるし。あんた達みたいな節穴目にはそういうの分からないだろけど」
少年は頑張って言い返すが、ゴムみたいに伸びた白い手が薄く広がって顔を両側から包んで来た。怖い、でもビビったら悔しい。負けるもんか、言い返してやる、負けるもんか。
「な、七本牙の主の森って偉そうにしてるけど、ただの寝坊助のお爺ちゃんじゃん。結局薄っぺらい奴の集まりじゃん。可愛い女の子にだけ態度を変えて、肝心の使者はないがしろで。バカじゃないの、程度低い、もうウンザリ、本当にウンザリ!」
「ぬぉん!!」
思わず目を瞑ったが両頬をぐにゅっと摘ままれただけだった。
「ワシが手で音を塞いでおらんと、周りのモンにクビリ殺されておる所じゃろがぁ」
精霊がもう一度だけギザ歯の口を見せ、少年は今更腰が抜けて震えが来た。
「のぉ、お主、カワイイカワイイと拘っちょるよぅじゃが、ワシらとお主らの見え方が、何で同じと思うんじゃぁ?」
「…………」
頬を引っ張られたままなので少年は返事が出来ない。
「ワシから見たら、あの娘もお主も、貧弱でヘンテコリンなイキモノでしかなぃわ。カワイイもナカミノドリョクもワシらには関係ぬぁいからの」
「…………」
「あの娘はぁ、最初に来た時はこんまぃ童での、馬に乗り始めたばかりじゃと。森のモンが驚かしても、真っ赤な頬ぉっぺたに鼻水たらして、負けん気が強いのは一緒じゃったがぁ」
「ひゆかぁころものこにょ?」
少年は頬を引っ張られたまま呟いた。蒼の妖精の馬に乗り始め……六つか七つ?
「お主と違ぉたのは、きちんと挨拶をして、あと、諦めンかった事、耳をそばだてた事じゃぁ」
精霊は少年から手を離して、自分の中へヒュルンと引っ込めた。
「そりゃ最初はだぁれも相手にせんかったぁ。だけどあの娘はぁ、懲りずに何回も何回も来た。大きい声の中に混じる小さい声を一所懸命聞こうとしておった。そしてある時やっと、ワシの声を聞き分けられるよぉになったんじゃぁ」
「…………」
「何でこんな所に来たんかと聞ぃたら、ここの他にも色んな所に出かけてぉると。どこの種族のヒトとでも仲良くなれる術(すべ)を身に付けてぇ、将来シツムシツで働く時に役に立てるんだぁと」
「え……」
「家族の者がシツムシツとやらで働いておるそうで。その手伝いをやりたいと、目ぇをキラキラさせて話しておったなぁ」
「…………」
そんな話聞いた事もない。
「じゃがその内来んよぉになった」
精霊の目の下のピンクが水色に変化した。
「しばらくぶりに顔を見せた時は、すっかり大きくなってぇ……シツムシツで働いとるかと聞くと、あぁそんな事もあったわねと、あんなに笑ぅてた娘が、クスリともしないでぇ」
「…………」
少年は自分が執務室に採用された時の事を思い返してみた。
教官からの話を誰かが持って来て、仲間内は誰も手を挙げなくて、じゃあ僕でもいいのかなとボソッと言ったら簡単に決まった。
同い年のピルカがやりたがっていたのなら、何でそっちに話が行かなかったのだろう。
理由は少年にだって分かる。求められていたのは、扱いやすく気を使わなくて済む男の子だからだ。
「なぁんでじゃろぉね。わしらは光のある方にただグングン手ぇを伸ばすだけじゃのに、あんたらぁは複雑なんじゃの」