夜明け前の薄水色の放牧地。
ヒトも馬も寝静まった里で、小さなランタンの光に浮かぶ影が二つ。
「話してくれてありがとう、リリ」
蒼の長は、話を終えた娘の、冷えた肩に手を置いた。
さっき、二日振りにいきなり気配を現した娘を察知して、ランタンを灯して急いでここに来たのだ。
「ごめんなさい、父さま。こそこそ呼び出すような真似をして」
「いや、難しい問題だ。リリが他の誰にも聞かせたくなかったのも分かる」
「うん……」
「しかし、ナユタ……あの子、母親に似てぶっ飛んでるなあ」
「勘当……するの?」
「する訳ないだろう。私とは違う考え方だが……いやしかし、ぶっ飛んでるよな」
「うん……」
父の反応が、蒼の長としてより、父親として少し嬉しそうですらあるので、リリはホッとした。
「ラゥ老師にだけは知らせておかねばね。あの方なら解って下さる。風露の集落その物をも良からぬ輩から守りたい、ナユの気持ちを」
「あ……」
「世間の風露に対する評判は落ちるだろうが、それしきではあのヒト達はブレない。その為に外界と厳しく隔絶しているのだから」
「……」
「ま、でも、他から耳に入ってしまう前に、迅速に報告に行かねば。私が直接伺おう。今から出れば朝の音合わせの頃だろう」
「あの、父さま」
リリは急にかしこまって、一歩進み出て背筋を伸ばした。
「あたしも同道させて下さい」
長は、黙って娘を見た。
「そして、この件はあたしに預けて下さい。あたしが、一生、この件に関して責任を持ちます。ラゥ老師にそう話を通して下さい。お願いします」
紫のざんばら頭が、初めて、蒼の長にピシリと礼をした。
「『責任』の意味は分かるね、リリ」
「はい、父様」
リリは、顔を上げて父を見た。
「あの子が背負った荷物は、同じく風露の子であり風露を出奔したあたしも、分けて背負うべきだわ」
「うん、分かった、任せよう。行く先の祝福を」
長はリリの額に掌をかざした。
本当は存分に誉め千切ってやりたい衝動に駆られたが、我慢した。
もう子供じゃないんだ・・
***
夕方の執務室前の坂。
呼び止められて、ユゥジーンは振り向いた。
「リリ! 帰って来たのか!」
「当ったり前でしょう。ちょっと出掛けていただけじゃない。それよりこれ!」
突き出した手には紫のリボン。
おまじないに半分に裂いて、カノンが持っていた方の奴だ。
「なに勝手やってくれてんのよ。これ、お気に入りなのよ!」
「だ、だって、うちのカマドの裏に引っ掛かっていたんだぞ」
「だから、探していたの! ユゥジーンちがカオスだからイケナイんでしょ!」
帰って来たと思ったら、もういつもの自分勝手なリリだ。
「カノンには十分お灸を据えて来たわ。兎に角、あと半分返してよ。縫い合わせるんだから」
「あー・・・」
困惑顔で冷や汗をたらすユゥジーンに、紫の前髪は眉間にシワを寄せて詰め寄った。
「な、何よ! これえ――!!?」
掴みあげた左手首には、紫の、元リボンだった筈の糸が数本、捩(よじ)って結ばれているだけだった。
「えーと、ごめん」
「何だってのよ、リボンは!?」
「どうした、またリリを怒らせたのか?」
ユゥジーンにとって、救世主の声がした。
「あっリリだ!」
「リリお姉ちゃんだよ」
「いつ帰ったのぉ?」
子供達を引き連れた、サォ教官だ。
「お帰り、リリ」
「は、はい……」
リリはたちまちシオらしくなり、ユゥジーンはホッとした。
「僕達、約束どおりちゃんと黙ってたよ。伝言もちゃんとした!」
「そう、ありがとうね」
「ねえねえ、リリお姉ちゃん、無事に帰ったの、これの効き目?」
「え?? きゃああっ!!」
子供達の小さな手首のそれぞれに、やはりリボンの成れの果ての捩り糸が、ぐるぐる巻きになっていた。
サォ教官がニコニコしながら皆の頭を撫でる。
「物の持ち主を守護する『逆お守り』なんだって? 分けるヒトの数が多い程効きめがあるっていうから、この子達が引き受けてくれたんだ。ほら、私も」
袖まくりした逞しい手首にも、皆と同じ紫の糸。
「…………」
「レンの蹴り玉チームの連中や、何故か厩番さん達も貰いに来てね。聞いたら噂の末端では、君が偉く危険な所に赴いている話になっていたよ。ホルズ殿まで『リリのお守りあるか?』って駆け込んで来たぞ。分けている内に、すっかり糸だけになってしまった、ははは」
「…………」
うつ向いて黙ってしまった紫の前髪に、ユゥジーンが恐る恐る声を掛けた。
「あ、あの、リリ、ごめんね…」
前髪は動かない。
「えと…… み、みんな、リリが帰って来たから、お守りは回収~~」
引きつって叫ぶユゥジーンに何かを察して、子供達は手首の糸をほどいた。
「リリ、残りの糸も必ず集めて、三峰に持って行って、な、何とかして貰うからっ」
サォ教官も事態を把握して、気の毒そうにユゥジーンを見た。
これだけ、やる事なす事裏目な若者も珍しい。
「いい……」
リリがやっと喋った。
「リリ?」
「それ、返してよ!」
白い指がびゃっと伸びて、ユゥジーンの集めた糸の束を引ったくった。
サォ教官が屈んで何か言い掛けたが、彼女の顔を見てやめた。
「こ、これ、あたしンだから!」
掴んだ糸の束を胸に当てたまま、リリは踵を返した。
そうして雪の坂を、階段を二段飛ばしに昇るみたいに、一気に駆けて行ってしまった。
彼女の立っていた足元の雪を、ふたつみっつのしずくが溶かすのを、サォ教官は見ていた。
その夜の内に総ての糸を回収し、教官はカノンの所に届けた。
翌日から執務室で働く娘の髪はざんばらではなく、器用なカノンが綺麗に編んだ紫の紐で、美しくきっちりと結われていた。
~雪のきざはし・了~