「ごーはーん! 話聞いてたか?」
「うわっ……。あ、ごめん聞いてなかったや……」
「珍しいじゃん、悟飯が上の空なんてさ」
「えっとさ、最近訓練厳しめだからかな」
「いや、そうじゃないような……」
「確かに! 手の豆がまだ痛いんだよ~」
明らかなその場しのぎの言葉だったが、それに同調するように園子が悟飯の机に倒れ込んだ。
園子の両手にははっきりと血豆が出来ている。それを見せられると、銀も確かにと考えこみ、なんとか話がそれた。
「槍の握り方、変えてみるとかは?」
「変えてもどうにもならないと思うな……」
結局のところ、握るというのを変えなければそれは治らないだろう。ただ、慣れてくれば出来なくなるとは安芸先生が言ってくれていた。
つまりは今はどうにもならないと言う事。
「よしよし、痛いの痛いの飛んでけ~」
「えへへ、飛んでった気がするよ~」
銀に頭を撫でられて園子は満足そうに笑うと、全身の力を抜いていった。大きく振られた尻尾が見えてしまうくらいにはだらけた顔に悟飯も笑ってしまう。
と、同時に悟飯の机に巨大な本が置かれた。
「えっと、須美さんや。こいつは一体……」
「旅のしおりよ」
「し、しおり……? 国語辞典とかではなく?」
あまりの分厚さに、銀が須美と本を見比べながら訪ねた。
ただ、国語辞典ならばまだよかっただろう。しかし、現実はもっと分厚かった。六法全書もはだしで逃げ出す厚みのそれが三つ、机の上にあるのだ。
恐怖である。
「ええ、近々遠足があるでしょう? その為の遠足のしおりを作ったの。既にデータ版は三人の端末に送ってあるわ」
「……九千ページって書いてあるんだけど」
何をどうしたらそこまで膨れ上がるのか疑問でしかないが、流し読みしてみるとしっかり全て内容があった。全体の注意点や、個別の注意点、バーテックスの襲来などの対処などお役目についても書かれているのだが、それでもこうはならないだろうと悟飯は思う。
そうは思っても、現実はなっているのだが。
「と言うか、これをわざわざ作ったのか!?」
「張り切って夜更かししてしまったわ。そのせいで予定よりもずいぶんと量が増えてしまったけれど」
「随分……確かに随分な量だね……」
「わっし~は凝り性さんというか、のめり込んじゃうタイプだよね~」
普段はそうでもないが、カチリとハマると普段の冷静な須美から一転して周りが見えなくなる事が多い。
魅力の一つではあるが、悟飯は流石にやり過ぎだと思った。
「全く、須美の旦那になる奴は幸せだけど、色々大変そうだ」
「ボクのお母さんよりも怖いかも」
「何でそういう話になるのよ!」
須美の母親姿は想像に難しくない。旦那を尻に敷いている姿が目に浮かぶ。
「ま、この三ノ輪銀のような男がいればなぁ」
「確かに、お似合いだね」
「そしたら私とゴッくんがくっ付いちゃお~」
「え、園子さん? 冗談ですよね?」
「え~どうだろう~?」
悟飯の腕に抱きついた園子がニヤニヤと笑う。
銀はちょっと本気にしているのか悟飯を見ると、顔を真っ赤にした。
「ともかく、このしおりを使って遠足の準備を済ませておくわよ!」
「開くのも一苦労だぞ……」
「持って帰るのも大変だ~」
「遅れるとお灸だからね」
――
「よし、と」
自宅のリビングで、遠足用のリュックを閉じて、銀は一息ついた。
旅のしおりは須美が夜なべ作っただけあって、しっかりと役に立った。たったのだが、しおりを入れる程のスペースが確保出来なかった。
どうしたもんか、と銀はスマホを開く。
「遠足の用意が終わりましたわ」
「まぁ奥様、私もですわ」
「ビニール袋も要りましてよ」
「しおりを持っていくのはワシに任せよ」
チャラランと音を連続で鳴らしながらチャットの返信が流れる。
銀の雑な振りに三人が乗ってくれるのだが、大抵良いオチがつかなくなるのも四人のお約束だ。
「ワシって、悟飯の王様観どうなってんだ……。あ、ビニール袋入れてなかったな。汚れた物入れるようだような。あったかな~」
部屋の中を見渡す。心当たりは隣の和室の方なのだが、そこには静かに寝息を立てる弟、金太郎が居た。
満足そうな笑顔の寝顔を見て、銀は自然と口元が緩む。
「何度見てもかわいい奴!」
「なぁ姉ちゃん! お土産頼むよ!」
襖を開けて元気よくリビングに入ってきたのはもう一人の弟、鉄男だ。
鉄男の手にはロボのおもちゃが握られている。
「お土産をくれないと、こうだぞ!」
「ぐえっ」
ロボの蹴りが銀の頭にクリーンヒットする。が、すぐに銀は鉄男を捕まえると馬乗りになった。
「こんなんで勇者を倒せると思いでか! ……それに、お土産とかそんな事ばかり覚えやがって」
「へへへ」
「褒めてないっての。その代わりちゃんと金太郎の面倒みろよ?」
「やった~! 金太郎の事は任せてよ!」
二人が金太郎を見る。
まだ眠っている金太郎だが、その顔を見るだけで、元気が湧いてくるようだった。
「そろそろハイハイするかな」
「だな。楽しみだ」
いつか来る成長を想像して、二人が笑い合う。
一体どんな男に育つだろうか。銀には、それが楽しみでしょうがなかった。
――
そして、遠足当日。
バスの中ではクラスメイト達がワイワイと話す声で溢れている。
今回は銀の遅刻なし、須美の小言もなしで、仲良く四人で集まっていた。
悟飯にとって大人数での行事は初めてであり、ワクワクで窓の外をしきりに気にしていた。お役目だからと許されたスマホでこっそり写真を撮っていた。
「楽しそうね、悟飯」
「こ、こう言うの初めてで……」
前回は訓練の合宿だったから純粋に楽しむ目的なのはこれが初めてだ。
「園子はいつも通りだけどね」
「あはは……」
銀の肩を枕にして眠る園子の姿を見て、三人は苦笑いする。
こんな時でも園子はマイペースだ。
遠足の目的地は香川の県庁所在地にある最大の公園だった。長い滑り台を始めとした様々な遊具が揃っており、クラスメイトの中にも一度行った事のある者もいた。
しかし、それでも全員が遠足を楽しみにしているのはお昼ご飯を班に分かれて手作りするというイベントがあるからだ。
「意外と楽しいねこれ」
「でしょ? 悟飯くんは運動神経良さそうで憧れちゃうよ」
吊るされたタイヤの間を行く、タイヤ飛びを越えた悟飯を見て、大西さんが笑う。
後ろには銀、須美、園子が控えていた。
「勇者なら、これぐらい当然なのさ!」
タイヤ飛びを越えた銀がポーズと共に飛び降りる。
確かに勇者であると自然と運動神経は良くなってくる。現に銀に続いて須美もタイヤ飛びを越えて降りた。
「私ももうちょっと体動かした方がいいかな」
「え、私は滑り台とか行きたいんだけどなー」
「滑り台もいいけど、こうして体を動かすのも楽しいわよ、佐々木さん」
須美の言葉に佐々木さんが微妙な顔をした。
インドアらしい彼女は誰かのを見てるだけで満足だと、いまだに一つも遊具に手を付けていない。
悟飯は少し勿体ないと思う。
「怖いならボクが支えたりするからさ」
「じゃあ、わたしを助けてよゴッくん~!」
悟飯の言葉に反応したのは園子だった。
園子はタイヤ飛びの入り口あたりで未だ苦戦していた。どうやら揺れる足場に怯えて次の一歩が出ていないようだった。そうして迷って体を震わしていると園子が足かけているタイヤも大きく揺れてしまい負の連鎖になってしまう。
間隔は短く、地面との距離も短いが、それでも怖い物は怖いと涙目で助けを求めていた。
「乃木さん、あんまり迷わないでゴーだよ!」
「頑張れー園子さん!」
大西さんと佐々木さんが応援するが、それで越えれたら苦労はない。
「園子がこの手の苦手なのは意外だったな」
「落ちたら奈落の底だと考えると、スリルを越えて、もうホラーだよ……」
「あれは、想像力が豊か過ぎるだなあれ」
「あはは、なんだそれ」
怖い物が苦手気味なのは知っていたが、まさか自分でそれを加速させているとは思わず、悟飯は思わず笑ってしまった。
しかし、その横で須美がわざとらしく咳払いをした。
「五本目のタイヤは踏んではいけません」
「えっ」
「触ったが最後、夜な夜な落ち武者の霊が枕元に立って田んぼを返せと……」
迫真の演技による須美の怪談は、園子の怯えが加速してしまった。
「怖がらせてどうすんだよ」
「スリルを求めているなら提供しようと」
「多分違うと思うな……」
「全く、ほら頑張れ! 勇者は気合と根性だぞ!」
銀がそう言うと、園子は目の色を変えて急にぐんぐんと進み始めた。
全く揺れに動じなくなり、最後のタイヤを踏みつけ大きく飛び跳ねた。
「おおっと、キャッチ!」
それを銀が受け止める。
銀が園子を下ろすと、同時に頭を撫でた。
「うん、よくできました」
「孫くん、あたしも今からやるからあれやって!」
「あ、なら私も!」
「え、えぇー……」
まさかの佐々木さんが走ってタイヤ飛びの列へと向かって行ってしまう。
それを追い掛けて大西さんも行ってしまう。
「なら私達も受け止めて~」
「……え、ボクが?」
「行くよー!」
まさかの悟飯が受け止め係に任命されると同時にまさかのクラスメイトが次々とタイヤ飛びから飛び降り始めた。
かなり危ない行為なのだが、悟飯はそれを完璧に受け止めていく。
園子の方は銀に撫でられて満足気だ。
「慣れたから次はもっとスムーズにいくよ~」
「……むむむ」
それを見ていた須美が二人の間に割り込むように入った。
「何してんだ須美は」
「仲良くしてるから私もって思って」
「犬かお前は」
「きっとわっしーもミノさんに頭撫でられたいんだよ。上手いもんね、ミノさん」
「なんだ甘えんぼか、ほらよしよし」
銀が須美の頭を撫でると少し恥ずかしくはあるのか頬を赤くした。しかし、嫌がらずにそのままなのは撫でられているのが気持ちいいからだろう。
横目に見る悟飯は少し羨ましかったが流石に、と自制する。
「よし、完了!」
「あーよかった。あたしも撫でて~」
「え……。そ、それはちょっと恥ずかしいかな……」
「そんなー……」
トボトボと帰っていく佐々木さんを見送って悟飯が三人の元に戻る。
「次は何処行こうか」
「銀ちゃん! 次鉄棒渡りしようよ!」
「お、行く行く!」
別のクラスメイトが銀を呼んだ。
銀はクラスメイトの中で一番の人気者だ。明るく元気で、運動もできる。一緒に居て楽しい相手だ。
勉強は少し頑張った方がいいが。
「銀は人気者だね」
「元からずっと人気だよ~」
鉄棒渡りを終えた銀の元にそういえば、と大西さんが話しかけていた。
「銀ちゃんのサインが欲しいって妹から頼まれててさ」
「あたしの?」
「そう。大きなお役目についてるって話聞いて憧れてるらしくて」
お役目についているというのは、日曜朝のヒーロー番組のヒーローよりも良く映るらしい。
そして、銀達の頑張りはどうやらそんなにも広まっていたらしく、大西さんを皮切りにあ、なら私もという声があちこちで聞こえた。
出来たら皆のも欲しいけど、と付け加えた大西さんは遠くの安芸先生をチラリとみた。
「駄目って言われたらいやだから銀ちゃんのだけまずね」
「そうか、あたしももうサインをする側の人間だったのか!」
少し嬉しそうに言うとポケットから取り出した小さな紙に銀がスラスラと書き込んでいく。
それを見て、須美が小さく唇を尖らせていた。
「うーん、ジェラシー……」
「違うかな……。それ、須美に言わないようにね」
園子が冗談めかして言う言葉に悟飯がツッコミを入れる。
アスレチックコースを順調に制覇していき、時間的に午前の部最後の場所としたのは壁のぼりだった。
「結構高いな……」
「よーし、あたしが一番乗りだ」
銀が一番に挑む。壁に垂れ下がった幾つかの結び目を使って上に登っていくのだが、銀は今までを余裕で越えてきたからなのか、左手を後ろに当てて片手で登り始めた。
「いやーちょっと簡単すぎるかな!」
「銀、片手は流石に危ないんじゃないか」
「へーきへーき、ほらこうやって」
銀はするすると登っていく。確かに片手でも上がっていく事は出来ていたが、頂上近くの縄を握った時、銀の体が浮いた。
厳しい訓練が最近続いていたのは園子だけじゃない。当然銀もそうであり、目立たないが血豆が出来ていた。それが今になって痛みとして襲ったのだ。
「銀!」
「……悟飯」
「大丈夫、ミノさん!?」
手を離してしまった銀を悟飯が受け止める。
すぐに園子が銀を覗き込むが、銀はただうん、と上の空で返した。
「び、びっくりした」
「楽しむのはいいけど、浮ついてないかしら? お役目の重さ、よく考えて」
「……借りは返すよ。そして反省する」
悟飯に降ろされた銀は流石に反省したのか、俯いてそう言った。
悟飯と須美が安心すると同時に銀が顔をあげた。
「口数を減らします!」
「本当に反省してるのかしら……」
少し呆れつつも、まぁ、銀らしいなと笑うのだった。