くもりくもらせ 作:aru
「神標千鶴。頼みたいことがあるのだけれど」
メリーさんと初めて出会ったのは一か月前の夕方だった。木の影にたたずむ彼女を見つけ、鏡を向けようとしたが、するりとかわされ続けどうにも捕獲できなかった。
数分ほど鏡による捕獲を試みてそれが無理だと悟ったころ、再びメリーさんは口を開いた。
「追いかけっこはもう終わっていいかしら。私は取引をしに来たんだけど」
知性があると言っても、怪異は人間に害をなすものだ。取引などするつもりはなかったのだが、彼女が投げてよこした写真を見て、神標は驚いた。
自分の恋人が捕まっていたからである。
「この人から聞いたんだけど、貴女が恋人なんでしょ? 助けたくなぁい?」
「どうしてお前が」
「私が飼ってる野槌ちゃんに吐き出してもらったの。ね、取引したくなったでしょう」
メリーさんは憎らしいほどに自信たっぷりだった。そして実際、彼を見捨てて頼みを断ることは神標にはできなかった。メリーさんの言われるがまま、職員の情報や戦闘計画を流した。
「そう。七人ミサキと戦うために丑三が出てくるのね。チャンスだわ」
そしてミサキがやって来た時、メリーさんはアクションを起こすことにしたらしい。ミサキを倒すためやってきた職員たちをまとめて殺す、という。それが終われば、人質を解放してくれるという約束だった。
しかし、神標は土壇場で踏ん切りがつけられなかった。メリーさんと丑三課長が対峙したとき、彼女はウインクして課長を背後から襲えと合図してきていた。課長が河童の攻撃を防いでいる間に神標がナイフで襲い掛かる算段だったのだが、それを躊躇したため作戦は失敗した。
「今回は許すけど、次はきちんと仕事をしなさい」
そう言い残してメリーさんは去っていった。それから彼女からの連絡はなく、恋人の無事を案じる神標のもとに現れたのが、真白だった。
突然あかりの家に現れた異類。怪異課に潜り込んできた少女は、神標にはメリーさんの新しいスパイにしか見えなかった。許すと口では言っていたが、メリーさんは神標を見切るつもりなのではないか。真白はチョーカーで動きを縛られているとしても、少なくともこのタイミングでやってきた者がメリーさんと無関係なわけがない。
彼女の目的を聞きださなくては。
「あなたがメリーさんの手先だったんですね」
そう言って真白は「鎌鼬」を向けてくる。「だったんですね」などと言っているが、真白には神標=内通者だということが分かるはずはないのだ。それこそ、彼女自身がメリーさんに送り込まれた者でない限り。
「あなたもでしょう?」
「いいえ。私が疑われやすいのは分かっていますが、違いますよ」
「あくまでしらばっくれるつもり?」
「何を勘違いしてるのか知りませんが、おとなしく捕まってください。うっかり首を飛ばしたくないので」
つまり神標をスケープゴートにして、真白がスパイを務めるということらしい。神標は舌打ちした。
「……さんざん使っておいて、この仕打ちか。やっぱり私、怪異は嫌いね」
「いや、だから本当に違うんですけど」
「『雲外鏡』」
神標が呪具を使った瞬間、真白は嫌な予感でもしたのかさっと飛びのいた。直後、真白のいた場所に自動車が落下し、派手な音をたてた。
「勘がいいわね」
「殺す気ですか。自動車って」
「もちろん。あなたたちが私を切るなら、私も怪異の味方をする必要はないから。死んで」
言うや否や、真白の目の前に捕獲していた人面犬を2体転送した。呪具を構えている真白を敵と認識したらしく、人面犬たちは歯をむき出して彼女に襲い掛かる。
「鎌鼬」
しかしその歯は真白に届かなかった。呪具発動から1秒後、高速斬撃によってずたずたに引き裂かれ肉塊になった人面犬は地面に血をしみこませた。
「神標さん。無駄な抵抗はやめてください」
巻きあがったチリの中から真白が姿を現した。彼女はその気になれば人面犬たちと同じように神標を殺せるはずだが、降参させたがるのはチョーカーによる制約のためだろう。
(だったら、最初にしかけたトリックを使う余裕がある)
神標はポケットからナイフを取り出し、自分に雲外鏡を向けた。
「雲外鏡」
次の瞬間、神標はさきほど転送した車のサイドミラーの前――すなわち真白の背後にいた。無防備な彼女の首筋めがけ、ナイフを振り下ろした。
「あっ……ぶな!」
しかしその直前、真白は首を右にそらした。完全に虚をついたはずの攻撃を見切られ、神標は目をみはった。
必殺だったはずの一撃は急所を外れ、真白の左肩に突き刺さる。刃渡りがないせいで、致命傷にはほど遠いダメージしか与えられていない。
慌ててナイフを引き抜こうとしたその瞬間、真白は振り返り神標の頭を鎌の柄で殴りつけた。
「なんで、わかったの?」
膝から崩れ落ちた神標に、真白は苦笑いを浮かべた。
「死ぬほど不意打ちを受けてきたので。慣れです」
あかりは捕縛されている神標を見て、絶句していた。怪異課に集まっているのは丑三課長、小坂部、浜矢、そして肩をかばっている真白。
「神標さんが怪異に情報を流してたって……嘘ですよね?」
「私もにわかには信じがたいけど、真白はチョーカーを巻いてるからね。私たちの害になる嘘は吐けないよ」
小坂部の言葉に、真白はそうだそうだ、とでも言いたげにうなずいた。
「なんで……」
「もうさっき話したでしょ。私は彼を助けたかったから皆を売った。そのほかに話すことはないわ」
「あのときも……七人ミサキのときも情報を流してたんですか」
「ええ、そうよ」
淡々と話す神標。その様子を見て、あかりの心を満たしていた動揺がすっと引いていった。代わりに押し寄せてきたのは、煮えたぎるマグマのような激怒。
「凛を狙ったのはメリーさんの作戦ですか」
「たぶんね。あの子が死んだのはたまたまだと思うけど。だって私が伝えたのは鏡を割ることで……」
「あなたは凛が死んで、どう思ったんですか」
神標は表情を変えずに答えた。
「……気の毒だと思ったわ」
乾いた音が響いた。あかりは衝動的に神標の頬を叩いていた。
「ふざけないで! どのツラ下げて!」
「……真白君、時雨君を押さえて」
あかりは神標に飛びかかろうとしたが、後ろから真白に羽交い絞めにされた。
「離しなさい! 私は!こいつに……!」
「殴ってもしょうがないよ」
「あなたに何がわかるの! こいつのせいで! 凛は!」
「あかり。落ち着いて」
「邪魔しないで!」
あかりが突き飛ばすと、真白は派手な音をたてて床に倒れた。あかりがはっとして真白の方を見ると、神標にやられた傷が開いたらしく、じわりと彼女の上着に血の染みが広がった。
「あっ……ごめん」
「大丈夫。気にしないで」
真白は怒りもせず、ただ傷をかばっていた。神標の捕縛で傷を負った真白に追い打ちをかけてしまったことに罪悪感を覚え、あかりは黙った。
一瞬の静寂。それを破ったのは、小坂部だった。
「しかしどうしましょうか、丑三さん。神標さんを逮捕します?」
「……うーん、そうだねえ。彼女を逆スパイとして利用できないかな。まだこっちは相手の本拠地も分かっていないわけだしね」
「私には利用価値は無いと思いますよ、丑三課長。私は見捨てられてます。たぶん」
そのとき神標が口を開いた。
「君の後釜が真白君だと思ってるわけか。それは心配しなくていいと思うけど」
「なぜです」
「君みたいに人質をとるなり金で釣るなりして職員を協力者にするほうが手っ取り早いし、発見される危険も少ないだろ。少なくともこんな簡単に首輪をつけられるようなヘマはしない」
そのとき机の上に置いてあった神標の携帯に着信が入った。相手の名前は「メリーさん」だった。
「なんで……今」
「聞かれてたんじゃねえの」
「神標君、とりあえず取ってみなさい」
縄を解かれた神標はそろそろと携帯に手を伸ばし、電話に出た。
『はぁい。私メリーさん。元気にしてた?』
「おかげさまでね。なんでしばらく連絡しなかったの?」
『忙しかったのよ~今どこにいるの?』
「怪異課」
『そう、じゃそっちに行くのはやめて、電話越しで話そうかしら。周りに人はいる?』
どうやら先ほどまでの会話を聞いてはおらず、周りの様子が分かるというわけでもないようだった。浜矢と小坂部が首を縦に振るのを見て、神標は返答した。
「近くにいる。けど、話す分には大丈夫」
『ならよかった。そちらで何か変わったことは?』
「異類が怪異課に入ってきた。白髪で16、7歳くらいの真白って女。これはあなたのお仲間と考えていい?」
神標は真白の方をちらりと見てから、メリーさんの反応を待った。
『なにそれ? 知らないけど』
「そう。てっきり私の代わりと勘違いしてたわ」
『ふふ、ないない。こっちはあの方の世話が大変だから、また新しくスパイを送るなんて面倒な真似はしないわ』
「あの方って?」
『おっと、何でもないわ。余計なこと喋る癖、治さなくっちゃ』
あの方。あかりは河童のセリフを思い出した。メリーさんや河童を従えている者。きっとそれが怪異たちの頭なのだろうが、一体何者なのだろうか。
残念ながらメリーさんはそれ以上「あの方」についての情報を落とさず、教えてももいいと課長が判断した真白や怪異課についての情報を聞いていた。
『ありがとう。真白とかいう異類についてはこっちでも調べとこうかしら。あと、狩人たちは殺生石の所在を知ってる?』
「殺生石って……観光地にあるアレのこと?」
『違う。あれは確かに九尾の狐の一部だったけど、魂は入っていない。私が欲しいのは、その力が宿ってる核よ。対策本部の奴らが探してたような気がするのだけど』
『妾を探しておるのか。どうせ妾を復活させて力を貸せとかいうんじゃろなあ』
「知らないわ。……そんなもの何に使うの」
『ひ・み・つ」
メリーさんは神標の探りをまともに取り合う気はないようだった。
『知りたいことはだいたい聞いたかしらね……あ、そうだ。最後に一つだけあったわ。七人ミサキと戦ったとき、あかりとかいう狩人がいたでしょ。あの子結局、相棒の子を殺したの? それとも両方死んだ?』
「……殺したそうよ。泣きながら」
『プふっ』
電話の向こうでメリーさんが吹き出したのが分かった。あかりは心配そうに見てくる真白に、大丈夫だと目で答え、怒りを押さえつけていた。次に出会ったら絶対に殺してやる、と思いながら。
『ふふ、その場面見てみたかったわねえ。……今日はこれくらいでいいわ。また今度もよろしくね』
メリーさんはそう言い残すと電話を切った。すると課長がほっと安堵の息をはいた。
「ろくな情報はなかったが、ヤツが九尾の狐を追ってるってことが分かったのは収穫かな。……それにしても、浜矢君とあかり君が耐えてくれてよかった」
あかりは隣にいる浜矢に目をやった。彼は額に深い縦皺を刻み、不機嫌さを隠そうともしていなかった。
「胸糞わりい奴らが喋ってて気分はよくないですがね、さすがに自重しますよ。それで神標はどうするんすか」
「当然野放しにするわけにもいかないけど、刑務所送りにする前に仕事はしてもらわないといけないし、個室に入ってもらう」
「わかりました」
神標は観念していたようで、あっさりうなずいた。
「……もし彼が生きてたら、助けてくれますか」
「生きてたらな」
「ありがとうございます。……今までのこと、本当にすみませんでした」
神標は小坂部にうながされ立ち上がった。そしてあかりの方を見て、くしゃりと顔を歪めた。
「ごめんなさいね」
先ほどと違い彼女の心からの謝罪のようだったが、あかりは何も言えなかった。
裏切っていたのは許せない。許せないが、もしあかりが父や母、光紀、そして友達を人質に取られていたら同じことをするかもしれない。冷静になってそう考えると、彼女を責める言葉を見つけるのは難しかった。
あかりはそのまま、小坂部に連行されていく神標の姿を見送った。
「わ、もう治ってる」
私は自室として与えられた時雨家の和室で、左肩をはだけて傷の具合を確かめていた。異類の再生能力は人間よりもはるかに強いらしく、ぱっくりと開いていたはずの傷は跡形もなくなっていた。
(これなら怪異退治に行ってもよかったかもなあ)
私が受傷していたので、今日は課の仕事をせず帰ってもいいと言われたのである。無理に使って私が故障したら困るし、バディのあかりに被害が及ぶのは避けたいから、と小坂部は言っていた。
「それにしても、殺生石を探してる……ねえ」
私はメリーさんの言葉を思い出してひとりごちた。
足につけていた小さいホルダーから、黒く光る殺生石を取り出してまじまじと眺める。欠片と言ってはいるが、おおもとの大きな殺生石とは明らかに石質が違う。メリーさんが言ったように、「核」と表現するのが正しいのかもしれない。
これこそが私の生命線であり、絶対に渡せないものではあるが、なぜメリーさんはこれを探しているのだろう。「あの方」とかいうボスに献上するのだろうか。
『彼奴らの頭か……。妾と同時代の者だとは思うがわからんなあ』
うむむ、と考え込んでいると、廊下の方から足音が聞こえてきたので、私は慌てて殺生石をホルダーに仕舞う。それと同時に、ふすまを開けて誰かが和室に入ってきた。
「まし……って、なんで服脱いでんの」
光紀は顔を赤くして目を背けた。そういえば服を着直すのを忘れていた。
「おっとと。……でも光紀君はこの前私の裸見たんだし、今更って感じよね」
「あのときは緊急事態だったから! てか早く着てよ!」
「はいはい」
私は服を着ながら、光紀に尋ねる。
「で、なに? 覗きにきたわけじゃないでしょ」
「それなんだけどさ。この前風呂場で倒れてたのって姉ちゃんのせいだよな」
「なんのこと?」
「右腕見せてよ。やばい薬打たれてるんだろ」
ああ、と私は気づいた。彼はこの前あかりに薬を打ってもらったのを見ていたのだろう。私が腕をまくると、見た目の悪い注射痕が露わになる。それを見て、光紀の眼に少し怒気がこもった。
「なんで姉ちゃんはこんなことしてるんだよ」
「私を逃げられないようにしないといけないからかな。ずっと監視するよりは効率がいいし」
「真白はそれでいいのか。こんなの奴隷だろ」
「そうだよ。でも、生かしてもらって、人なみの生活をさせてもらってるだけでもありがたいから」
どうも光紀は人扱いされないということがよくわかっていないらしい。法の保護がない以上、「真白」を誰かが犯したり殺したりすることは何の罪にも問われないし、文句も言われない。いつでも使いつぶせるゲームの駒なのだ。
そう説明すると、光紀は納得できないというような顔をした。
「やっぱりおかしいだろ。なんで真白は普通に受け入れてんだよ」
ああ、善良。きっと彼も優しくて、芯があって、他人のために悲しんだり怒ったりできる人間なのだろう。そういう人ほど、私のこじれ切った内面を見通すことはできないのだが。
「もう慣れたから。それに心配してくれるのは嬉しいけど、私、もうお薬なしじゃ生きられない身体にされちゃった。手遅れ手遅れ」
「……そっか」
私が笑うと、光紀は憤懣やるかたないといった様子でつぶやいた。彼は自分の近くで不幸な目にあっている者を放っておけないたちなのだろう。そういうところは、本当にあかりに似ている。
きんこーん。
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「今日、誰か来る予定でもあるの?」
「……いや、ないけど」
時雨家の両親が帰ってくる時間ではない。トラックの停まる音もしなかったから宅配便でもない。私と光紀は顔を見合わせる。
その瞬間、猛烈な勢いでチャイムが鳴り始めた。外で連打しているらしい。
「あーもううるさい! ほんと何!?」
和室から出た私と光紀は、あわてて階段を降りてきたらしいあかりとはちあわせた。
「あかりの知り合いでもないの」
「チャイム連打するような友達なんていないわよ」
そのとき、ばき、と何かが壊れる音が聞こえてきた。ドアを壊して入ってこようとしているらしい。私たちが玄関に到着したときには、すでに訪問者はドアの取っ手部分を破壊して侵入してしまっていた。
「ボオォン ソワー!! マドモアゼル!」
その人物は私たちの姿をみとめると、ハイテンションな声で叫んだ。
彼が人間でないことは一目でわかった。身体は礼服を来た普通の男性のようだが、頭はヤギの頭蓋骨がそのまま乗っており、中には目の代わりに2つの青白い炎が揺れている。そして極めつけに、彼のつま先は床ではなく天井を踏んでいた。
「……光紀。ここから離れなさい」
あかりは天井に立っている男を見上げながら言った。光紀は一瞬だけ心配そうに私たちを見たが、うなずいて家の奥へ走っていく。それを見て男は残念そうに首を振った。
「おや残念。怖がられてしまいましたか」
「もっとまともな挨拶をしたらよかったんじゃない」
私は鎌鼬を元の大きさに戻しながらそう答えた。あかりも手袋をつけ、臨戦態勢に入っている。
「確かにそうですね。まあ逃げられたのはしょうがないので、彼の血はデザートとして頂くことにしましょう。今日の主菜は真白さんですから」
「私?」
「はい。「混じり物」の血をいただくのは初めてなので、今日は楽しみにしていました。……ああ、もう一人の狩人も処女のようですね、実に好みです。こちらは前菜でいただきましょう」
口調は紳士的だが、発言はすこぶる気色が悪かった。しぶい顔をしている私とあかりに、男―「吸血鬼」はうやうやしく一礼した。
自分が傷つく/死んだと思われることによって罪悪感を味わわせるタイプの曇らせって明確なジャンルとしての名前が分からないから検索しづらい……被虐曇らせ、傷になりたい系、罪悪感押し付けモノ?