くもりくもらせ 作:aru
責めるような視線を投げかけてくるあかりの母親の生首を見て、私は歯を食いしばった。あの交通事故のとき、綿がはみ出ていたぬいぐるみと、母親の首が重なって見えた。
私からまた奪うのか。私を1人にするのか。
悲しみと怒りが沸騰し、目の前にいる化け物への殺意が胸の中に充満した。殺す。私の家族を奪う者は殺す。私は顔を上げて「鎌鼬」を元の大きさに戻し、即座に斬りかかった。
「ああああああっ!」
真正面からの縦切り。酒呑童子の面は唐竹を割るように両断される。そのまま追撃をくわえ、ずたずたに引き裂いた。私が肩で息をしながら酒呑童子の首を見下ろしていると、光紀は震えながら口を開いた。
「真白。その光に触れちゃだめだ。母さんはそれで殺された」
「わかってる……」
おそらく霊力のない光紀には、酒呑童子が光の塊のように見えているのだろう。憎たらしい鬼の顔を見なくて済む彼を、少し羨ましく思った。
私の目の前でずたずたに切り裂かれた酒呑童子の肉片と仮面のかけらが集まり、元に戻る。首だけで生きているからもしやとは思っていたが、やはり生命力が段違いだ。
酒呑童子は私を見て舌なめずりをした。
「活きがいいな。わざわざ喰いに来たかいがあった」
「私を……喰いに」
「そうだ。狩人たちがやってきたとき、お前を食い損ねたからな」
屋敷に突入したときに目をつけられていたのだ。つまりヤツがここに来ているのは、私がいるから。そしてあかりの両親が死んでいるのは、私が眠っていたから。
(……また、私?)
私は左手を握りこんだ。爪が食い込み血が流れだす。
家族を守ってくれと頼まれたのに。私が守るべきだったのに。どうして私はのうのうと眠っていた?
いいようのない自己嫌悪と怒りが湧いてくる。目の前に敵がいないなら、光紀を守る必要が無かったら、その場で首をかき切ってしまいたかった。
酒呑童子はわなわなと震える私を見てにんまりと笑うと、歯をかちかちと鳴らした。
「ここにいた奴らはまずかったが、その表情はいいな。がぜん食欲がわいてきた」
「……返せ」
私から奪った人を。命を。たとえこの鬼を殺しても戻ってこないことは分かっている。だが認めたくなかった。私は大鎌を振りかぶり、酒呑童子に襲いかかった。
轟音。
鎌は酒呑童子を斬り捨てるのにとどまらず、そのまま壁をぶちぬき、ダイニングを揺らした。私は酒呑童子を巻き込んで庭に出てしまっていたが、気にもとめず追撃を見舞う。
「死ね! 死ね! 死ねええぇぇ!」
地面に落ちた鬼の首に鎌をふるい続ける。理性は吹き飛び、ただ目の前にいる仇を惨殺することだけを考えていた。
「殺され続ける趣味もないからな。食わせてもらう」
その瞬間、酒呑童子はがちん、と歯を鳴らして口を閉じた。その瞬間に私の左腕が消失し、鮮血が舞った。浜矢のときと同じ「食べる」力だった。
「濃いな。お前は相当強い怪異の混ざりものだろう。力がみなぎる」
私の腕を食べた酒呑童子はダメージを受けて弱るどころか、出会ったときよりも力が増しているように見えた。発する瘴気はますます濃くなり、目は爛々としている。
そのとき、光紀が家に空いた大穴からこちらを見て叫んだ。
「真白! 腕が!」
「来ちゃだめ!」
駆け寄ってくる光紀を見て、酒呑童子はにやりと笑った。
「そうだな、せっかくだしこの女を食ったらお前も食ってやろう。一人は寂しいだろうからな」
酒呑童子は私の右足を「食った」。片足になったせいでバランスを崩し、私は尻もちをついた。機動力を削がれ、攻撃もできない。こうなってしまえば、私の辿る運命は一つ―「死」しかない。
激痛に耐えながら、私は振り返った。
「光紀君……逃げて」
その瞬間、私は喰われた。身体を失い、大鎌をもった右腕と首だけがゆっくりと落ちていく。視界の端で光紀が茫然としているのが見えた。何をしている。逃げろ。そう言いたかったが、声は出なかった。
ぼとり、と私の首が地面に落ちたとき、酒呑童子が光紀に瘴気を吹き付けるのが見えた。霊力の少ない人間は瘴気を吸うだけで意識を失う。光紀は昏倒した。
(……助けないと)
絶命し魂魄の存在となった私は、即座に身体の精製を始めた。何でもいい。今すぐ作って光紀を助けなければ。
新しい肉体を精製すると、私は落ちていた「鎌鼬」を拾い、光紀を食べようとしていた酒呑童子の背後から襲いかかった。鬼は横薙ぎの攻撃で鬼はずたずたになったが、すぐに再生して振り返った。
「誰だ?」
「今、お前に食われた者よ」
泥沼の戦いが始まった。私が酒呑童子を切り刻み、酒呑童子は私を食い返す。しかし私は死んですぐ殺生石で復活し、また襲いかかる。その繰り返しだった。
いくら殺しても
「なぜ蘇る。お前は何者だ」
私は答えず、酒呑童子を斬り捨てた。
(絶対に攻撃はやめない。永久に戦い続けることになっても)
ああ、自分が死ぬのは、なんて楽なのだろう。私はもう何度目になるか分からない死を味わいながら、そう思った。私が何千回と死んでも、光紀が助かるのならそれでいい。むしろそうでもしないと私の命と人1人の命は釣り合わないのだ。
私は自分のために死んだ男のことを思い出し、唇を噛んだ。
死と再生を繰り返して戦いを続けるうち、私は妙なことに気がついた。
身体が人外のものへと変貌を遂げつつあるのだ。その証拠に、喰われて生命活動を停止した瞬間、身体の残った部分がチリとなって消える。最初は「私」が死ぬと死体が残っていたが、今はもう何も残っていない。
ここでようやく私は殺生石の求める代償を理解した。「真白」が異類になったのは偶然ではない。おそらく、一定の限度を超えて殺生石を使うと、構築される身体が怪異へと変化していくのだ。
真白の頃は半々だった人と怪異の割合が、急激に怪異へと傾いていく。
まあ、浜矢を死なせ、家族も守れず、あかりを苦しませ続けた私にふさわしい末路だ。私のような下衆が、歪んだ者が、人間でいられるわけがなかった。
「報いね」
自嘲の薄笑いを浮かべて蘇生した瞬間、私を中心に凄まじい瘴気が膨れ上がった。それで自分が完全に怪異になってしまったことを悟った。
今までの復活と違い、豪奢な着物を身にまとっている。眼は、闇も心も近い未来さえも見通せる千里眼に。黄金の長髪は、先分かれして九つの尾のように。声は、国を傾かせるほどの甘い響きを伴うものに変化していた。
死と蘇生を繰り返し、ついに怪異になり果てた私―「白面金毛九尾の狐」は、目の前にいる酒呑童子を睨みつけた。
「そういうことか。お前が狐だったのか」
酒呑童子の心を読むと、「驚嘆」と「畏れ」の感情が見て取れた。
「らしいわね」
今まで九尾の狐と呼ばれてきた者の正体も、私のように限界まで殺生石を使い続けた人間だったのだろう。ヒトでなくなったことになぜか寂しさを覚えたが、今だけはこの殺生石の仕様に感謝するしかなかった。
この鬼を殺すだけの力を備えることができたのだから。
「真白」の頃は強敵のように思えた酒呑童子も、九尾の狐の眼から見れば赤子のようだ。私が一歩踏み出すと、酒呑童子は一歩後退する。彼の感情は「狼狽」に変わっていた。
「……在りし日の姿と違ったものでな。謝る。いったん矛を収めてくれ」
「嫌だ。お前はここで殺す」
もう攻撃を呪具に頼る必要はなかった。教えられずとも呼吸できるように、九尾の狐に備わっている神通力の使い方は分かっていた。
「雷鳴」
私が天を指すと、酒呑童子は降り注いできた稲妻に打たれた。黒焦げになった仮面を再生させながら、鬼は口を大きく開け私を食おうとする。
「盾」
しかしその瞬間、こちらの張った結界によって酒呑童子の攻撃は阻まれた。そのまま火焔を、稲妻を、吹雪を、毒霧を、私の使える術を酒呑童子に叩きつける。
「ぐう……」
酒呑童子はうめき声をあげた。辺りに散らばっていた「私」の死体が完全にチリとなって消えるほどの猛攻を喰らいながら、まだ生きている。さすがに大妖と言われるだけあって頑丈なようだが、それでもかなり弱ってきていた。
私がさらに火炎を放とうと両腕を広げたとき、酒呑童子は叫んだ。
「メリー! 来い!」
その瞬間、酒呑童子の傍にメリーさんが現れた。彼女は私の姿を見て、ひっ、と小さく声をあげた。それからおそるおそるといった感じで聞いてくる。
「貴女は……ひょっとして九尾様でございますか?」
メリーさんの感情は、「期待」に変わっていた。
「それがどうしたの? 横にいるやつを差し出しなさい。殺す」
「おそらく行き違いがあったのだろうと思います。いったん話を」
「いらない。差しださないなら死ね!」
「……なんなんですか、貴女は」
私が燃え盛る火焔を放った瞬間、メリーさんは酒呑童子とともに姿を消した。おそらく、地下ケーブルか何かを伝って移動しているのだろう。
「逃がさない」
行き先は分かっている。隠れ屋敷だ。私は飛翔した。
腕時計を見ると、もう11時半だった。真白にはすぐ戻ってくると言ったが、かなり遅くなってしまった。夜道を歩きながら、あかりはため息をついた。
あかりが課に戻ってみると、神標が殺されていた。裏切りを知ったメリーさんの仕業だと思われ、死因は執拗に腹を蹴られたことによる内臓破裂。彼女は絶望の表情を浮かべたままこと切れていた。
凛が死んだ一因でもある彼女には思うところがあったが、このような殺され方をするべき人ではなかった。あかりは彼女の瞳を閉じ、短く黙祷した。
神標の遺体が搬送されてからは課長たちとともに市役所の内部に怪異が入り込んでないかを確認し、結界を強化した。五幣が死んで広範囲の結界が張れなくなったため、かなりの時間がかかった。
(……真白、大丈夫かな)
浜矢の死が悲しくないというわけではない。凛の遺品整理に付き合ってくれたり真白のお見舞いに行ってくれたり、一緒に行動することは多かったし、話し方は乱暴でもいい人だった。
だが彼にかばわれた真白は、あかりよりももっとつらいはずなのだ。いつも能天気な真白が茫然としていたのを思い出した。あかりが学校に行っている間はともに行動していたらしいし、たぶんあかりが舞を失ったときと同じような悲しみの中にいるだろう。
少し小走りになった。早く帰ってあげなければ――
そのときだった。時雨家の方角から、輝く何かが夜空へと駆けあがっていった。
思わず見上げたあかりが目にしたのは、飛行機雲のようにたなびく黄金色の軌跡。遠すぎて飛翔していくものの正体は分からなかったが、それが遺していった光の跡はまるで九つの尾のようで、あかりは会議で話の出ていた怪異の存在を思い出した。
「九尾の狐……」
酒呑童子と並ぶ大怪異。それと思わしきものがよりによって自分の家の方角から現れた。嫌な予感がした。
(私の思い過ごし……よね)
だが、こういうときの予感は的中するものだ。祈りながら帰ってきたあかりは、庭が荒れ果てているのを見て息をのんだ。芝生は剥げ煤のように燃え尽き、植えられていたみかんの木には霜が降りている。すさまじい戦闘が行われた跡。
その中のただ一つ無事に青々とした芝生があるところで、横になっている者がいた。
「光紀!」
駆け寄って抱き起こしてみると、身体は温かかった。意識がないだけで生きている。
「光紀。光紀! 起きて!」
「姉ちゃん……」
うっすらと目を開けた光紀を見て、あかりはほっとした。
「よかった。母さんたち……は……」
そして、光紀の顔が絶望に歪んでいくのを見てあかりは黙った。
「死んじゃったよ」
「え?」
「父さんも、母さんも、真白も、皆、死んじゃったよぉ」
和室の前に父親の死体、ダイニングに母親の生首があった。真白は見当たらず、ぼろぼろになった「鎌鼬」の傍に、炭化しかけている右腕が落ちていた。
「あ……」
右腕には醜い注射痕があった。あかりは何度も見たから覚えていた。これは真白の腕だ。光紀は、鼻水をすすりながら、口を開いた。
「皆、いきなり殺されたんだ。金色の光が近づいてきて……」
「光紀はどうして助かったの」
「わからない。でも、真白は死ぬ前にそいつを斬りまくってたから、それで逃げたのかも」
あかりは別れる直前、真白に言っていたことを思い出した。
『母さんと父さんと、光紀を守って』。真白を休ませるための方便だったが、彼女は愚直に約束を守ろうとしたのかもしれない。
彼女はその気になれば「鎌鼬」でいつでも逃げられたのだ。なのに真白が戦ったのは、きっと光紀を守るため。
「ありがとう、って言うべきなんだろうな」
「え?」
弟に泣いている顔を見られたくなかったので、あかりは顔をそむけた。
いつもこうだ。もう誰も死なせまいとしていたのに、あかりの手は涙をぬぐうばかりで誰かの命を救う役にはたたなかった。
(……泣くのはもうやめよう)
誰かを助けられるように。もう二度と大切な人たちを失わないために。
だから泣くのはこれで最後だ。あかりは嗚咽を押し殺しながら、そう決意した。
親戚。学校の先生。友人。怪異課の職員。近所の知り合い。両親の葬式にはたくさんの人がやって来た。
「あかりちゃんと光紀君、可哀想にね。怪異にやられたんだって?」
「光紀君は目の前で殺されたらしいな。こんなこと言っちゃなんだけどさ、よく生きてたね」
「あの家の娘は怪異課にいたんだろ? なんで退治できなかったんだ」
「二人を引き取ってあげたいけどうちじゃあ……ねえ」
皆から同情と憐憫の視線を向けられたが、あかりはただ黙々と作業を続けた。
(九尾の狐)
舌の根でそうつぶやいた。光紀は霊力がないので怪異の正体が分からなかったようだが、あの晩、時雨家にやってきた怪異はおそらく九尾の狐だろう。空へ上っていく九つの流れ星を思い出して、唇を噛んだ。
なぜあかりの家を知っていたのか。メリーさん一派と関係があるのか。それは分からなかったが状況を鑑みると、あかりの両親と真白を殺した仇は九尾の狐以外にはありえなかった。
(……凛の気持ち、今なら分かるな)
あかりは拳を握りしめた。たとえ自分の命と引き換えにしても狐を仕留めたい。家族を無惨に殺した怪異を八つ裂きにしたい。
「怖い顔してるね」
あかりは驚いて顔を上げた。考え事をしていて気づかなかったが、目の前には小坂部がいた。彼女は栗色の瞳をこすりながら、申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん。ハマヤンの葬式に行ってたから遅れちゃった。こっちももう終わり……だよね」
「はい。もう火葬もすみました」
あかりの言葉に、小坂部は目を伏せた。
「ごめん。私たちがもっとしっかり狐の足取りを追っていたら、君の両親は死ななかったかもしれない」
「見つけられなかったのなら、しょうがないでしょう」
「いや。これじゃ私たち対策本部の職員が来た意味がない。藤見市にいる職員も半分いなくなっちゃったし」
浜矢。神標。五幣。真白。藤見市怪異課は、ここ数日で4人の職員を失ってしまった。なのに怪異側はメリーさんと酒呑童子が健在で、相対したことのない九尾の狐の存在が明らかになっている。戦力差は絶望的だった。
「さすがに狐と鬼がいるってわかったから本部も職員を派遣してくれるとは思うけど。……ところでさ。真白の腕のことで聞きたいことがあるんだ」
「何ですか?」
襲撃があった次の日に、あかりは残されていた真白の腕を課長に渡していた。呪具にできるのなら、呪具にしてあかりに支給してほしいと希望して。
「真白って結局、何の怪異とのハーフだったのかな。呪具って怪異の性質を引き出せるように作るからさ。元が何なのか分からないと呪具にできないんだ」
「ええっと……」
知らなかった。結局彼女は記憶が戻る前に死んでしまったし、「鎌鼬」以外の能力を使っていることもなかったからだ。小坂部もあかりの反応は予想していたらしく、たいして驚きはしなかった。
「分からないか。それならしょうがないけど、新しい呪具を作るのは諦めるしかないね」
「いや、いるかもしれません」
そのときあかりは思い至った。真白の情報を知っているかもしれない者に。
葬式を終えると、あかりと小坂部は「彼」に会うべく怪異課に行った。用があるのは、丑三課長でも伊見でもない。職員の机がある部屋を素通りし、あかりは「個室」へ向かった。
メリーさんは「個室」へやってきて神標を殺したが、隣にもう一つ部屋があることに気づかなかったらしく、「彼」は今も部屋の中にいる。
あかりが部屋に入ったとき、「彼」―吸血鬼は、床に座っていた。あかりの存在に気づくと、吸血鬼は眼の炎を揺らがせ立ち上がった。
「お久しぶりです。手持ち無沙汰でちょうど話相手が欲しかったところ。今日は何のご用で?」
あまり話していて愉快な相手ではないが、彼に会ったのにはそれなりの理由がある。真白の血を吸っているとき、彼が「テイスティング」について言及したからだ。
テイスティングとはワインやウィスキーなどを飲んで鑑定することを指すのだが、吸血鬼にとってのそれは、血―生体情報の鑑定になるのではないか。
吸血鬼の首には真白と同じ「覚り」のチョーカーが巻かれている。隠れ屋敷のことを聞くため、小坂部が付けさせたのだろう。嘘を言えないのを確認し、あかりは訊いた。
「知ってるなら教えて。真白が何の混じり物だったのか」
メリーさんって絶対でんき/ゴーストだな……まあその理屈でいくならだいたいの敵にゴーストつくんですが