くもりくもらせ 作:aru
私―「朝比奈八千代」とあかりがバディを組んで数日が経った。あかりの戦い方は熟知しているので、スムーズな連携ができるようになるまで時間はかからなかった。
「『雪女』」
排水溝の中から襲い掛かって来た泥人間は、私が吐息を吹きかけた瞬間に凍り付いた。凍ったまま叩き割れば普通の怪異は死ぬのだが、この怪異の本体は小さな細菌のようなものの集まりで、それが泥を動かしているだけなので、物理的な攻撃は無効だ。
「時雨さん、とどめお願い」
私が下がると、その意を汲んだあかりが前に出た。
「了解です。『鬼火』!」
泥人間は燃え上がり、悶えながらチリになっていく。完全に焼き尽くされると、残った泥がでろりととろけた。
「改めてなんていうか……すごい呪具ですね。本当に私はとどめを刺すだけっていうか」
あかりは私の首にかかっているロザリオを見て言った。ちなみにあかりにはこのロザリオが私の呪具、『雪女』だと説明したのだが、実は何の力もないただの装飾品である。九尾の能力の一つ、猛吹雪を小出しにしてあたかも呪具で戦っているように見せかけているだけ。
だから呪具についてはあまり突っ込まれたくなかった。私は話題を変えることにした。
「前はこれでも一人で頑張ってたからね。……ところでこの街って怪異の数が少ないけど、元からこんな感じなの?」
舞、凛、真白の頃は必ずと言ってよいほど怪異と遭遇していたのだが、今日は3時間ほど歩きつめてようやく1体だけ、という有様である。
「いえ、もっといっぱいいました。……隠れ屋敷が移動したからかも」
「あー、怪異たちのねぐらか。そういえば私が来る前の作戦でそこを襲撃したって言ってたね。結構そこの駆除が効いてたんじゃないの」
「……そうかもですね」
あかりの顔が翳り、白いマフラーを撫でた。しばらく一緒にいて分かったが、彼女は嫌なことを思い出すと「真白」を触るクセがついている。
(なんだか嬉しいな)
死んだ後も私を忘れないでいてくれている。身に着けて、頼ってくれている。私は昏い悦びを感じた。しかし同時に、彼女が私―九尾の狐を憎んでいるということを思い出して、憂鬱な気分になる。
あかりは鬼を追う私の姿を見ていたらしく、「両親と真白を九尾の狐が殺した」と考えている。せめて光紀が見える人間であれば、もしくは酒呑童子が一般人にも姿がはっきり見えるタイプであれば誤解はなかったのだが。
(……いや、誤解でもないか)
鬼を呼び寄せたのも、両親を守れなかったのも私。あかりの将来を奪って人生を狂わせた。何も間違ってはいない。私は憎まれて当然なのだ。
あかりと私が各々の理由でどんよりしていると、この前購入した私の携帯に、メッセージが届いた。小坂部からだった。
『怪異が出ないので、今日はもう切り上げていいそうです。せっかくなので、皆で飲みに行きませんか?』
「飲み会なんて久しぶりですね」
「ここしばらくずっと忙しかったからねえ」
課長、小坂部、伊見、白縫、あかり、私―怪異課の全員が居酒屋に集まっていた。現在の時刻は午前4時20分。今まであかりや私は0時をまたいで仕事をすることがなかったので知らなかったが、こんな時間にも開いている居酒屋はあるらしい。
料理と飲み物が運ばれてきて乾杯すると、小坂部はあかりに話しかけた。
「そういえば、時雨ちゃんは高校生だっけ。こんな時間まで起きてて大丈夫なの?」
「明日―じゃなかった、今日はお休みですから。きつかったら学校休みますし」
「……ちゃんと卒業はしときなよ。白縫君みたいに中卒で課に入っちゃったら怪異退治をやめたくなってもやめられなくなるから」
「俺は死ぬまで抜けるつもりないからいいんですよ」
勇はオレンジジュースを飲みながら、憮然とした顔になった。すると課長がぽりぽりと頭をかきながら笑う。
「うーん、君も課で働く以外の道は考えておいた方がいいよ。私の同期はだいたい死んだか転職してるし」
「でも課長は生きてるじゃないですか」
「私は用心してるからね。どんなに強くても死ぬときは死ぬし、君もまあ気を付けた方がいいと思うよ」
課長にたしなめられて勇が少しうつむいたとき、突然小坂部が泣き始めた。
「そのとおりですよ。十分強くても死ぬんです。ハマヤンとかハマヤンとかハマヤンとかさあ!」
白ワインを少し頼んでいただけなのにもう顔が赤かった。私があっけに取られていると、小坂部は拳をテーブルに叩きつけた。
「この前の作戦の後に付き合おーよって言おうと思ってたのにさあ! もうやってられんわ!」
「えっ、そういう関係だったんですか」
あかりの言葉に、小坂部はうなずいた。
「ていうか何度かそういうことは言ってるし。そのたびに縁起悪いからって断られてたの」
「縁起?」
「私に好かれたら死ぬみたいなこと言いやがって」
「そうなんですか?」
私が彼女のバディである伊見に訊くと、彼は銀縁の眼鏡の曇りを取りながら気まずげにうなずいた。
「浜矢君含めて4人死んでるからね……僕も小坂部に好かれませんようにって祈ってるよ」
「けっこうえぐいこと言いますね」
まあ、それだけ実績があるのなら死神として恐れられるのもわかる。課で生存し続けるには相性の良い怪異と戦うことが肝要だからだ。
例えば「舞」「真白」は普通の怪異なら一掃できる代わりに吸血鬼や酒天のような再生能力もちにめっぽう弱いし、「凛」は武器のリーチが短いため、視認できないほどの遠距離からちくちく攻撃してくる相手にはお手上げとなる。
二人一組で怪異を駆除しているのはそんな状況を減らすためだろうが、どうしようもない強敵と遭うことはある。それを避けるには、結局運に頼るしかないのである。非科学的と言われればそれまでなのだが、そういう状況で不運を呼ぶ人と付き合いたいと思うだろうか。
「はは、まあ小坂部君もそのうちいい人が見つかるよ。……しかし浜矢君が真白君をかばうとはね。確かに彼女は人間と見分けがつかなかったが、ヒトじゃないってことは分かってると思ってたんだけどな」
課長は串から焼き鳥を引き抜きながら、しみじみとつぶやいた。
「本当ですよ。異類なんか放っておけば……あ、ごめん」
途中まで言ってから、小坂部はあかりに謝った。大丈夫ですよ、と答えあかりは平気そうな顔を装っていたが、テーブルの下でマフラーをぎゅっと握っていた。
『……舞。聞こえるか』
玉藻が私の隣に座っていた。もちろん答えると虚空に話しかける人だと思われてしまうので応じることはできない。いいところだったのになぜ今出てきたのか。私が軽くにらむと、玉藻はほうとため息をついて私を見上げた。
『そろそろちゃんとしたものを食った方がいいと思ってな。お前は長時間人間の姿に変身しとるせいでだいぶ力を使っとる』
ちゃんとした食事。その言葉の意味するところを思い出し、私はげんなりした。もうヒトを食べないといけないのか。玉藻はその思考を読んだかのように言った。
「変身はかなり瘴気を食うからの。あと1、2日もすれば八千代の姿は維持できんくなる」
となると、明日はギリギリすぎる。今から人間の死体がある場所に行くしかない。覚悟していたこととはいえ、実際にやるとなると気分が悪くなる。それが顔に出ていたのか、伊見が心配そうに顔を覗きこんできた。
「朝比奈さん、大丈夫ですか」
「……はい。でもちょっと疲れたので、帰ります」
私は課の飲み会を抜け出すと目をつけていた葬儀場、「赤野やすらぎ会館」に行った。私は中で誰かと鉢合わせたときのため葬儀場のスタッフに変身し、堂々と正面から侵入した。
ちなみに、ここにターゲットを定めた理由は単純に警備が緩いからである。居眠りしている守衛の横を通り抜け、私は階段を上り安置室のあるフロアへと向かった。
幸い誰かに見咎められることはなく、安置室の並ぶ階にやってきた。私が「No.203」と書かれた扉を開けると、部屋の中は和風の作りになっていた。冷房はよく効いており、真ん中に白い棺がある。
私は後ろ手に扉を閉めて変身を解いた。棺を開けると、中には初老の男性の遺体が収まっていた。
『うーむ、若ければ若いほどいいんじゃが、この際贅沢は言ってられんな。舞、食え』
「わかってる」
私はひざまずくと、老人の腕を持ち上げた。おずおずと口を近づけるが、なかなか踏ん切りがつかない。これを口にしてしまうと、私の人間性を根こそぎ否定してしまうような気がして怖かった。
『早く食え。誰かに見られたら面倒なことになるぞ』
玉藻はじれったそうに言った。
(……ごめんなさい)
私は冒涜する遺体に謝ると、目をつぶって思い切り腕に噛みついた。八重歯が皮を突き破り、筋繊維がぷちぷちと切れていく感触がする。血の味が口内に溢れた。
むっとするような鉄の臭い。草食動物と違い人間は肉も食べるためか、妙な臭みがある。だが、吐き気がするほど美味い。肉を噛み、骨を砕いて飲み込む。あっという間に私は右腕を平らげた。
(……足りない)
どうやら死体はすぐ瘴気に変換されるらしく、満腹感を覚えない。だが、もっと食べたい、咀嚼したいという欲望は募ってきていた。私がすぐさま遺体の左腕に噛みついたのを見て、玉藻は嗤った。
『な。うまいじゃろ』
左腕、足、胴体、頭。きっと人間の頃であれば気持ち悪がっていたであろうはらわたも、目玉も、脳髄も全て美味しそうに見えた。ぬらぬらと光る腸を噛み千切り、髄をすすり、獣のように食い散らかす。
人1人を腹に収め、私は我に返った。棺の中の遺体はもはや原型をとどめておらず、ぐちゃぐちゃになっている。私は自分の両手が真っ赤に染まっているのを見て、情けない悲鳴をあげた。
「うあ……あああ」
口にしていたものを思い出してえずいていると、玉藻は呆れたように私を見上げていた。
『とうにお前は一線を越えたのじゃ。一度人の肉を食ったら、死体では我慢できなくなる。生きた人間を殺したくなるのも時間の問題じゃろうし、人間の良心なんぞかなぐり捨ててしまえ』
「……死体を食べたのはあくまで力の維持のためだから。私は殺さない」
そう言いつつ、「新鮮な分、美味しいのかな」と思ってしまい、戦慄した。玉藻には不殺を誓いながら、するりと鬼畜のような思考を始めていた。
たった今後悔したばかりなのに、ヒトの肉のことを考えるだけで獣の思考に引きずられている。もはや私は「舞」ですらない。わずかに残っていた良心も上書きされ、「九尾の狐」という邪悪の化身になりつつあるのだ。
文字通りの、
そのとき私は想像してしまった。自分の犬歯があかりの首筋を切り裂き、頸動脈を引っ張る様を。あかりの身体をめちゃくちゃに貪って、残った頭が虚ろに私を見ている様を。
どうしようもなく私は詰んでいる。発狂しそうになるほどの板挟みの中、この苦しみから逃れる方法を悟った。
「……そうか。私って、死ぬしかないのか」
『何か言ったか?』
「……何でもない。次の部屋に行くわ」
私は口にべったりとついた血を拭って立ち上がる。絶望のせいか、身体は鉛のように重かった。
「時雨ェ! 寝るな!」
軽く頭をはたかれて目を開けると、教師の顔があった。気づかないうちに眠っていたらしい。
「ふぁい……すみません」
あかりのあくび交じりの答えに、教師は剥げあがった頭をさすりながら不機嫌そうに顔をしかめた。
「最近居眠りが多いぞ。お前、前はそんなじゃなかったろ」
「ちょっとバイトが忙しくて……」
「水商売じゃないだろうな」
茶化すような教師の言葉に、クスクスと周りから笑い声があがる。教師としてその言い方はアウトだろうと思ったが、いちいち言い返すのも面倒だったので、反論せず机に突っ伏した。
「おい、寝直すな! 起きろっ!」
あかりは授業中に爆睡することが多くなっていた。一晩中夜回りを続けているので当然と言えば当然なのだが、事情を知らないクラスメイトや教師からは奇異の眼を向けられるようになった。
「あかり、大丈夫?」
職員室から出てきたあかりに話しかけてきたのは、友人の谷子だった。どうやら怒られているあかりを待ってくれていたらしい。
「うん。ご飯食べに行こっか」
学生食堂でうどんを頼み、谷子と向かい合わせの席に座る。谷子は心配そうな目を向けてきた。
「あかり、知ってる? あかりの……親が死んだからその……夜のお仕事してるって言われてるよ」
「へぇ。夜に仕事してるのは間違ってないけど」
「課で仕事してるって言い返したらいいじゃない」
「そんなことするくらいなら寝ときたいしなあ。最近は一晩中怪異を探してて寝不足なの」
あかりがこともなげに言っているのを見て、谷子はますます顔を曇らせた。
「……それって、あかりの家に来た怪異?」
「うん。今は行方を眩ましてるけど、怪異が出たとか、怪しいことが起きたとか噂話でもいいから知ってたら教えて。絶賛受付中だから」
「怪しいこと、ねえ……あっ」
それほど期待してはいなかったが、谷子は何かを思い出したようだった。
「お父さんからは言うなって言われてたんだけど……ある。私の実家、何やってるか知ってるよね」
「葬儀場でしょ」
赤野やすらぎ会館。あかりの両親の葬式を引き受けてくれたのも、この会社である。谷子の友人ということで、かなり料金をまけてもらった。
谷子は周りを窺い、あかり以外に聞こえないように小声で言った。
「……そこで、預かってるはずの遺体が食べられてたの」
安置されていた9人の遺体が無くなった。棺桶の中にはずたぼろになった死体が入っており、歯型がついているものもあった。死体の処理になれている社員も吐き気を覚えるほど凄惨なものだったという。
「なるほど、確かに怪異の臭いがぷんぷんする話ね」
谷子の話を聞き終えた朝比奈はそうコメントした。ここは葬儀場のロビー。あかりと朝比奈は怪異の調査をするためやってきていた。
「でも、それって1週間くらい前なんでしょう? どうして課に連絡しなかったの?」
朝比奈の疑問ももっともである。死体を食われたというのは確かに葬儀会社としては失態だろうが、怪異が潜んでいるかもしれないのなら、即座に連絡すべきである。
「一度でも死体を取られたと知られたら、信用が落ちるって言ってた人がいて……父さんも今回のことは秘密にして、警備だけ強化しようって話になったんです」
「でも葬式のときは死体を遺族に見せるでしょ? それはどうしたの」
「秘密にしようって言ってた社員の人がなんか……すごく精巧な死体のフェイクをもってきたんです」
あかりは朝比奈と目を見合わせた。間違いない。その社員は何かを知っている。知っているからこそ隠ぺいしようとしていたのだ。
「その社員、今日ここにいるの?」
「はい。いつも夕方から夜勤でしか入ってくれないんですが5時なんで、もういますね」
「ちょっとその人からお話聞きたいんだけど、いい?」
「たぶん大丈夫だと思います。案内するんで来てください」
そう言って谷子はソファから立ち上がった。あかりも同行しようと思ったが、自動販売機が目にとまった。そういえば昼食から何も飲んでいない。
「私ちょっと飲み物買ってくる。後でそっち行くから、どの辺に行くのかだけ教えて」
「すぐそこだよ。そこの突きあたりをまがって5番目の部屋だからね」
あかりはいったん二人から離れ、自販機でアールグレイの紅茶を買った。喉が渇いていたせいで、半分ほど飲んでようやく一息ついた。
(夕方から夜勤でしか入れない、か)
あかりはペットボトルのキャップを閉めながら谷子の言葉を思い出した。ひょっとすると、死体を食べられたことを秘匿するよう進言したその社員自身が怪異かもしれない。市役所や省庁のような公的機関はチェックが厳しいが、民間企業であれば怪異が潜り込む可能性は十分にある――
「……私が最初に淹れた紅茶ですね」
そのとき、後ろから突然話しかけられ、あかりは驚いた。振り向くと、黒髪を短く切りそろえセーラー服を着た少女が背を向けて走っていくところだった。そして少女が突きあたりを曲がったとき、一瞬だけ横顔が見えた。
「凛……?」
あの顔。声。後ろ姿。忘れるはずがない。あかりがこの手で殺したはずの少女、御剣凛だった。どうして。死んだはずでは。
「待って。待ってよ、凛!」
あかりは、朝比奈たちが向かった方とは逆――凛が去っていった方へと駆けだした。