くもりくもらせ 作:aru
時雨あかり:被害者
例の廃病院の再調査は、あかりと舞が突入したその日のうちに行われた。舞がやられたと聞いた丑三課長は万全を期し、課の全員を動員して病院に踏み込んだが、怪異らしい怪異に遭遇することはなかった。
ただ一つ、化け物がいた証拠として残っていたのは、両腕と両足を切り落とされ、虚空を見つめる舞の死体だけだった。
「傷口には凝固しかけていた血小板があった」
舞の無惨な死体の写真を見ているあかりの前で、丑三課長は首を振った。
「つまり彼女は生きたまま分解されたんだろう。可哀想に」
その瞬間、持っていた写真をぐしゃりと潰してしまった。蓋をしていた感情があふれ、涙となって床に落ちた。
「ごめんなさい……」
舞はあかりをかばって死んだ。あかりが油断していなければ怪異に奇襲されることはなかったし、舞が死ぬこともなかっただろう。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
人に油断するなと言っておいて、自分が警戒を怠っていた。そして彼女を犠牲に自分だけが生き残った。何が「誰かを守れる」だ。隣にいた親友も守れていないではないか。
丑三課長は、泣きじゃくるあかりを見て、同情するように言った。
「時雨君のせいじゃないよ」
「いいえ。私のせいです。だって舞は私をかばったせいで死んだんだから」
「二人とも、運が悪かったんだよ。いくら強くても、一つ間違えれば死ぬ。それがウチの仕事なんだよ」
そんなことは分かっていた。分かっていたはずなのに。
(……ああ、なんで私生きてるんだろう)
次の日、高校での授業が終わって課に行く途中。どしゃぶりの雨の中、あかりはそう思った。学校にも友達はいる。しかし、一番の親友であった舞はもういないのだ。その事実を思い出すたびに、あかりはやるせない気分になった。
そのとき、上着のポケットに入れていたスマホが鳴った。丑三課長からだった。
『舞君の遺族に会って彼女の死を通知しに行ってくれないか。君に頼むのは本当に心苦しいんだが、私や他の職員は仕事から手が離せなくてね』
「わかりました。責められる覚悟もあります」
『つらい役回りをさせてすまない。住所は藤見市笹ヶ原3丁目5-1のアパートだ』
そういえば舞の家には行ったことがなかったな。そう思ったとき、あかりは彼女が両親を失っていることを思い出して首をかしげた。
「……ありがとうございます。ところで、舞の遺族って誰ですか?」
『彼女の妹だ。名前は、御剣凛』
今日は怪異さんに腕をむしり取られてとても痛かったです。でもあかりがいい顔をしそうなので楽しみです、まる。
私は絶命した自分の体を見下ろしながら、心の中でそうつぶやいた。
今、私は幽霊になっている。うまくあかりをかばって死ぬことができ、満足だった。ただ死ぬのではなくあかりをかばって死ねば、責任感の強い彼女はより自分を責めるからだ。
怪異もいい仕事をしてくれた。四肢をもがれるというのは中々ショッキングな死にざまだ。欲を言えばちょっとかじるくらいすればもっと悲惨さを演出できたのだが、理性のない怪異にそこまで求めるのは酷というものだろう。
私が映画監督のように自分の死体の評価をしているうちに、「御剣舞」を殺した怪異はどこかへ行ってしまっていた。おそらくあれは、この病院で死んだ患者の霊が集まって怪異になったものだろう。
ちょうどナース型怪異が全滅してから現れたので、彼女らがあの怪異を封印もしくは世話をしていたという線が濃厚だ。ふらふらと別の所に行ってしまったのは、ナースたちと違ってあの患者たちの妄執が別の場所にあるからなのかもしれない。
「さて、あかりを見に行こうかな」
私は怪異の考察を打ち切り、思い切り伸びをした。
しかし今の私は幽霊状態なので、存在の本質は怪異と同じ。のこのこ怪異課に行けば呪具で攻撃されて本当に死んでしまう。姿を消しておかなければならない。
私が怪異課に行くと、休憩室で顔を覆って泣いているあかりを見つけた。しゃくりあげる声が指の隙間から聞こえてきて、私はえもいわれぬ幸福の予感に身を震わせた。
「ごめんなさい。舞。私が、私がもっとしっかりしていれば……」
漏れる懺悔の言葉。泣きすぎて少し変になった声。涙をぬぐう仕草。すべてが美しかった。
(こんな気持ちにさせてごめん。でも、あなたのその感情からしか得られないものがあるの……う~んたまんない!)
あかりの優しさを逆手に取ってつらい目に合わせていることに対して申し訳なさはあったが、彼女のこんな様子を見られるなら、死んだかいがあったというものである。
丑三課長に現場の写真を見せられた時の悲痛な顔もよかった。絶望しきっているところに写真という形で死を実感させることができ、二度おいしいというやつだった。
しばらくあかりの表情を眺めてから、私は「次」の準備をするため自宅へ戻った。
私の蘇生で使うのは、死ぬときに身に着けていた殺生石の力。これはかつて京で悪さを働いた大妖、白面金色九尾の狐が変じたもので、狐の蘇りと変身の力が詰まっている。
つまり、これを使えば元の自分とは違う姿で復活できるわけだ。殺生石のこの特性を活かすことで別人としてまた彼女の傷になれる。ここで考えどころなのが、どういう人間として復活するかということだ。
『いろいろな人間を見てきたが、こやつほんとこわい』
全くの無関係者として登場してもいいが、新しく家を借りる必要があるし、前世にもっていたお金を引き継げないのは痛い。その他いろいろ面倒なことがあるので、「御剣舞」の妹として再登場することは早くから決めていた。
そのため「御剣舞」の頃にいつ死んでもいいように裏で準備を進めておいた。戸籍に存在しない妹「御剣凛」を加え、近隣の中学校に行っていることにし、「凛」の携帯端末や持ち物も買った。
「あとは、身体の再構築をしとかないとね」
私はアパートの一室で体を再構築した。顔は「御剣舞」をベースに少し幼く変化させ、身長は6㎝ほど縮めておく。それが完了すると、私は身体のどこにも欠損がないかを確認し、用意していたサイズの小さい服を着た。
「……やっぱり肉体の再構築後は表情が動かしづらいわね」
殺生石の実験は何度かやっていた(ただし御剣舞として復活していた)が、身体がなじむまで少し表情や動作がぎこちなくなるようだ。まあ、これは数日もすれば治ると思う。あとは「凛」という個人を作っておかなければならない。
例えば、学校。怪異課の誰かが私の死亡を伝えに来るのを待ちながら、一般的学生としての生活を作っておくため中学校に通わなくてはいけない。中学程度の学習内容から学ぶことなどもうないが、まあ適当に流しておこう。
それと職員が来たら、うまいこと課に臨時職員として雇ってくれるよう掛け合わなくてはならない。怪異課はいつも人材不足なのに加え、私が死んで仕事が回らなくなっているはずだから、霊力のある人間であれば、義務教育期間中でも「公共の福祉のため」雇ってくれる可能性が高い。志願理由も「姉の仇を討ちたい」とか言っていれば納得してくれるだろう―
次の日に行った中学校では転校生として扱われた。クラスメイトたちが寄ってきて質問を浴びせてきたので、私は発言に矛盾がないよう気を付けながら、一つ一つ丁寧に答えておいた。
適当な女子グループに所属してとりあえずは無難に放課後をむかえるころ、雨が降り始めた。その勢いは激しく、帰り道は自然と小走りになった。自分の住むアパートの前までたどりつき、やっと着いたとためいきをついたとき、私は玄関の前に誰かが立っていることに気がついた。
その人物―時雨あかりは、ぐしょ濡れになった生気のない顔を私に向け、か細い声で問うた。
「……あなたが、舞の妹の、御剣凛さん?」
御剣凛は表情が顔に出ないタイプらしい。しかし、舞の面影を残した端正な顔立ちと綺麗に切りそろえられたショートカットの組み合わせからは、彼女とはまた違う、凛とした美しさを感じた。
「ええっと……時雨さん、とりあえずタオルをどうぞ」
「ああ、ごめんなさい。雨がひどくて」
「だいぶ寒そうだけど大丈夫ですか? シャワー使いますか」
「そこまで濡れてないから大丈夫。ありがとう」
あかりは凛の差し出すタオルを受け取りながら、じくじくと心が痛むのを感じた。あかりはこの子に、唯一の肉親であった舞の死を伝えなければならないのだ。
「紅茶があるんですけど、アールグレイとダージリンどっちがいいですか?」
「あ……じゃあアールグレイで」
違う。こんなことを話している場合ではない。そう思いながらもあかりはどうしても話を切り出せなかった。お茶の入った2つのティーカップをテーブルに置くと、凛はあかりの向かいに座った。
「姉からあなたのことはよく聞いていました。怪異課でいっしょに仕事をしていると」
「……舞は私のことなんて言ってたの?」
「いろいろうるさいけどいっしょにいたら一番楽しいって言ってましたね。まあ、あなたには絶対言うなって言われてますけど」
凛はほのかに笑みを浮かべ、話を続けた。舞は凛に怪異課のことを喋っていたらしく、会ったこともないあかりの好きな音楽まで知っていた。
「……こんなに可愛い妹がいるなら教えてくれればよかったのに」
そうつぶやくと、凛は少しぬるくなったお茶を飲みながら、まあ姉は教えないでしょうね、と当然のように言った。
「姉は人の記憶に残りたがらないから、私のことを教えなかったんだと思います」
「どういうこと?」
「もし姉が死んだら、私を見るたびにあかりさんは姉のことを思い出すでしょう? そういうのが嫌いなんだと思います。両親が死んだときもアルバムを捨てていましたし、姉の写真は家に一枚もありません」
そういえば、あかりのスマホには舞の写真は一つもない。恥ずかしー!と言ってカメラを指で隠していたからだ。今残っている彼女の写真は、無惨に殺されたときのものだけ。
(……だからってあなたのこと、忘れられるわけないじゃない)
あかりは目頭が熱くなってうつむいた。そして、
「……凛さん。ごめんなさい」
突然の謝罪に、凛は目を丸くしていた。
「あなたのお姉さん……舞は、昨日の夜、怪異に殺されたの。私をかばって」
凛は、あかりの重い雰囲気から、それが嘘でも冗談でもなく、真実であるということをさとったようだった。
「姉の最期はどうだったんですか。……写真はありますか」
「ある。けど、見ない方が」
「見せてください」
言葉に有無を言わせない力を感じた。あかりが写真を手渡すと凛はふっと無表情になり、しばらく無言で天井を眺めていたが、やがて話し始めた。
「最初から、何かあったんだなって思ってました。昨日は帰ってこなかったし、これまで怪異課の人が来たことはなかったし。でも、そっかあ……」
凛の声は、先ほどまでと同じ平常運転の声だった。それがかえって痛々しく聞こえ、あかりは歯を食いしばった。
「私、一つだけ怖いものがあったんです。起きたら姉がいなくなってる夢。帰りを待ってたらスーツの人が来て、姉は死んだって言われるんです。……もう、怯えなくていいんですね」
凛はぎこちない笑みを浮かべた。
『こやつの内面を知っているとむずがゆくなるのう。玉藻もそういうケはあったが』
(やめて。もうこれ以上言わないで)
改めて、あかりは自分が誰かの大切な人を奪ってしまったという事実を思い知らされた。心臓が苦しい。息ができない。
「ごめんなさい。私が……私がもっとしっかりしていれば」
からからになった喉からしぼりだすように言葉を紡いだそのとき、凛は突然立ち上がった。無表情のままだったが、その顔は真っ赤で、今にも泣きだしそうに見えた。
「すみません。ちょっとお手洗いに」
凛はしばらく帰ってこなかった。涙を見せたくなかったのだろう。性格は似ていないが、妙なところで人を気遣うところは、舞とそっくりだった。
「お待たせしました」
あかりの前に座った凛は、目を赤くしていた。抱きしめて安心させてあげたかったが、舞の死に責任のある自分がするべきことではないだろうと思い、自制する。そのとき、凛はあかりを見上げ口を開いた。
「お願いがあります」
「……なに?」
凛の言葉に、あかりは並々ならぬ決意を感じた。
「私を怪異課の職員として雇ってください。私が姉の仇を討ちます」
あかりの前にいる小さな復讐者の両目には、青白い炎が静かに、しかし激しく燃えていた。