くもりくもらせ 作:aru
「課長、浜矢くんがミサキを1体殺しました」
「報告ありがとう。さっきこっちに3体来たから、2体は時雨君たちだな」
神標の報告を聞き、丑三課長は彼の近くに立っている高さ20メートルほどの巨大な骸骨を見上げた。骸骨の右手の中には何匹ものミサキが収まり、逃げようともがいている。
丑三課長の呪具、「がしゃどくろ」は人骨でできた万年筆である。世界各地の戦場跡で出現した小さながしゃどくろのかけらを集めて作られたもので、巨大な骸骨を精製し動かすことができる。
この骸骨は霊力のない一般人には一切見えないが、うっかり建物を壊したり人を踏み潰す危険があるので、今回のような大規模な戦闘以外では使われない。
数年前、東京の怪異対策本部にいたころは先陣をきっていたというが、こちらに出向してきてからは小規模な戦闘しか起こらないので、戦闘についてはあかりや浜矢のような小回りの利く職員に一任しているらしい。
「今捕まっているミサキは何体ですか」
「6だ」
戦いは順調に進んでいた。神標がカーブミラーを利用して移動をサポートしていたのもあるが、浜矢が敵を片付けていくスピードは速かった。あっという間に4体(そのうち1体はあかりたちが担当する場所で復活したと思われる)を片付けてしまった。
「この分だと、もうすぐ終わりますかね」
「そうだな。でも油断はしない方がいいよ。戦闘中は神経張ってるから意外と死なない。私が見てきた限りじゃ、職員の死因の5割くらいが油断だ」
丑三課長は少し考えるそぶりを見せ、首をかしげる。
「うん、そう。なんか嫌な予感がするんだよね。あっさりしすぎてるというか……浜矢君は大丈夫かい」
「はあ。特別心配なことはありませんでしたが」
「すると……アレか。時雨君たちの方を確認した方がいいかもな」
「彼女たちからはとくに救援の要請は来てないですが」
「いいから確認してみて」
長年の経験に基づく勘というものなのだろうか。神標は「雲外鏡」を取り出し、あかりたちに渡した鏡へのアクセスを確認する。一度自分が見た鏡なら、即座に位置を把握しワープ先に指定できるのだが―
「……あれ?」
「どうしたんだ」
「凛ちゃんに渡した手鏡が見つかりません」
「つまりどういうことかね」
「鏡が何らかの理由で原型をとどめていないということです」
「……連絡をとってみてくれ」
神標は凛とあかりの携帯に電話をかけてみた。しかしどちらの電話も応答はなく、ただ呼び出し音が続くだけだった。
「経験則なんだけどさ、
くるくると髪を人差し指に絡ませながら、怪異「メリーさん」はそう言った。
基本的に怪異は人語を解さないが、ドッペルゲンガーのようにある程度強い個体になるとコミュニケーションが取れるようになる。さらにミサキをおとりにして私たちを待ち伏せするだけの知能ももっているとなると、目の前にいるメリーさんはかなりの強敵なのだろう。
「凛! そいつから離れて」
「そうしたいのはやまやまなんですが……身体が動きません」
「私の力で縛っちゃったからね~貴女はもう、私のお人形さんよ」
かろうじて口や目は動かせるが、首から下は指一本動かせない。あの電話を取ったのがまずかった。おそらく相手を縛るこの能力を発動させる条件は、電話で声を聞かせるとかその辺りだろう。
あかりは私の現状に気づいた瞬間、メリーさんに向けて右手を向けた。
「待ってて、凛。今こいつを殺すから」
「そういえば、あなたは縛れてなかったわね。河童! 来なさい」
メリーさんが呼んだ瞬間、傍にあった排水溝から異様に手足の長い人型の怪異が現れ、あかりの前に立ちふさがった。その体躯はひょろりとしていて、腕は腐れて青黒い。ガスマスクのような顔は愛嬌のある「河童」のイメージとはかけ離れていた。
「俺に命令するな。あの方に言われているから従っているだけだ」
ふしゅるる、と口から洩れる吐息で聞きづらかったが、河童はそういうことを言った。こちらもメリーさんと同等の知能があるらしい。さすがにこれを無視することはできず、あかりは悔しげに顔を歪ませる。
「わかってるって。面倒ねー。……あ、そうだ。鏡を割っとかないと。助けが来たら面倒だし」
メリーさんは河童に悪態をついてから、私の上着のポケットをまさぐり始めた。そして神標のくれた手鏡を探り当てると、地面に叩きつけた。
鏡は派手な音を立てて砕け散った。増援の希望も絶たれ、私は初めて焦りを覚えた。
(……これ、あかりが死ぬかも)
私は動けないので間違いなく殺される。そしてあかりもこの2体から逃げられるとは思えない。「凛」としてはほぼ詰みの局面だ。
最悪の場合、首から上は動かせるので舌をかみちぎって自殺し、この場で肉体を再構築して2体を殺すということになる。しかしこの方法だと私の蘇生のタネが割れる可能性があるし、ごまかすのが大変だ。最大限これをしないで済む努力をしなくては――
私は顔をあげ、メリーさんに話しかけた。
「メリーさん。お願いします。あかりさんは見逃してくれませんか」
「彼女を見逃して、私になにかメリットがあるのかしら?」
「……ありません。でも、お願いです。私は殺しても構いません。どうか。お願いします」
メリーさんは、にやにやと笑いながら私の懇願を聞いていた。
「貴女、復讐のために戦ってるっていう狩人よね。プライドないのかしら?」
メリーさんに身体を押され、私は受け身も取れず地面に転がった。スカートをつまんで持ち上げ、私の頭を踏みつけると、メリーさんは勝ち誇るような笑みを浮かべた。
「人に何かを頼むときは、まず頭を下げるものよ。わかった?」
「……はい」
あまり調子に乗ってると殺すぞ、と言いたくなったがぐっとこらえ、私は答えた。あかりは死なず、私だけが殺されるという理想の状態になる可能性があるなら、耐えた方が得だ。
「ん~ほんとは全員殺せって言われてるんだけど。そうね、心をこめてお願いしてくれたらいいわ」
僥倖。私は悔しそうな顔をしながら、心の中でガッツポーズをした。
「……お願いします。メリーさん。あかりさんを」
「『様』でしょ」
「お願いしますメリー様。あかりさんを見逃してください」
「あ、貴女のお姉さんと貴女が殺した怪異への謝罪も盛り込んでね」
「……私と姉があなたたちにしたことを謝ります。こんな私が頼むのは厚かましいとは思いますがお願いしますメリー様。あかりを見逃してください」
「心がこもってな~い。テイク4行ってみようか」
注文が多いな。私は試行錯誤を重ねながら、ふと不思議に思った。
(この怪異は、どうして神標の鏡のことや私の来歴を知ってるんだろ)
細かい作戦や怪異課の人間に詳しすぎる。それにさっき河童が言っていた「あの方」という言葉も気になった。怪異の親玉的な存在がいるのだろうか。
もし情報収集や作戦立案を経て各地域の怪異課をはめたのだとすれば、この「メリーさん」や「河童」は、普段対処している雑魚怪異とは違い、組織化された怪異として動いていると言える。今までよりもずっと手ごわい相手だった。
「は~いオッケー! あなたの気持ち、よーく伝わったわ」
そんなことを考えているうちに、メリーさんのOKが出た。
「そこまで頼み込まれたら仕方ないわね~私たちは絶対、あの子に手を出さないわ」
言いながら、メリーさんはパチンと指を鳴らした。すると1体のミサキが電柱の影から現れた。
「……何をする気ですか?」
「約束通り、私たちは手を出さない。でも、貴女をミサキにして、貴女が彼女を手にかけるのは問題ないでしょ?」
「あっ」
「ずいぶん仲がいいみたいね。貴女たち、ちょっと殺し合ってくれる?」
私はとっさに舌を噛み切ろうとしたが、その前にミサキに頭を掴まれ、意識が暗転した。
『自害に躊躇がなくなるのは、殺生石所有者あるあるじゃな』
「河童」はやりづらい相手だった。シンプルに腕力があるだけでなく、体表から立ちのぼるガスは毒があるようで、肌に触れるだけでピリピリする。
「……凛。待ってて。今行くから」
河童にとおせんぼうされている向こう側では、メリーさんに頭を踏みつけられた凛の言葉が聞こえてきた。
「私と姉に殺された怪異の皆さんに謝ります。こんな……立場で言えることではないのですが、どうかあかりさんだけは助けてくれませんか」
凛は何度も同じようなことを言わされていた。復讐すべき相手に謝罪し、懇願させられることは凛にとってどれほどの屈辱だろう。その内心を想い、あかりは唇をかんだ。
「鬼火!」
火炎を放つが、河童はぬらりとした粘液を分泌して炎の威力を減殺させる。駄目だ、このままでは凛が危ない。そう思ったときだった。
「河童、もういいわ。行きましょう」
メリーさんが声をかけると、河童は動きを止めた。
「もういい……とは?」
「私のやりたいことは終わったから。こっちは最後まで見てみたいけど、そろそろ丑三光浩を殺しに行かないと」
「……俺の目の前にいるやつは?」
「放っておきなさい。そっちの方が面白いから」
そう言って、メリーさんはあかりに目を向け、にい、と笑った。
「特別に貴女は見逃してあげるわ。あの子に感謝することね。たぶん、意味ないけど」
言いたいだけ言うと、メリーさんの姿は消えた。河童もずるりと排水溝にもぐりこみ、あっという間にいなくなる。残されていたのは、倒れている凛だけだった。
「凛!」
あかりが駆け寄ろうとしたそのとき、凛はぱちりと目を開けた。
「……よかった。大丈夫?」
凛はあかりの問いかけに答えす、無表情のままあかりの方を向いた。
なんとなく不気味なものを感じ、あかりは後ずさる。凛は抜刀して短刀の切っ先をあかりに向けると、つぶやく。
「犬神」
凛の虹彩が青く輝き、同時にあかりの身体が青いオーラに包まれた。
「ねえ凛。冗談やめてよ」
凛は何も言わず前に進み出た。
「……面白くないって。だからさ。刀を下ろしてよ」
あかりは震える声でそう言ったが、凛はぴくりとも反応しない。その目つきは虚ろで、七人ミサキのそれとそっくりだった。
「やめて!」
次の瞬間、凛は刀を大上段に振りかぶり、あかりに斬りかかってきた。あかりが攻撃を「塗壁」で弾くと、凛は後ずさる。
「鬼火!」
牽制のため炎を放った。が、凛はそれをぎりぎりのところで見切り、果敢に攻撃を仕掛けてくる。あかりはそれを丁寧に防ぎながら、丑三課長の言葉を思い出した。
――ミサキにされた人間は元に戻せない
「……嫌だ」
凛がミサキにされてしまったことを認めたくなかった。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」
あかりの右手から火柱が迸った。凛は難なくかわすと、あかりの死角に回り込んでくる。ぎりぎりのところで短刀の突きを回避し、あかりは必死に呼びかけを続ける。
「目を覚ましてよ。舞の仇討つんでしょ」
「………」
「そうだ、帰って誕生日パーティやろうよ。ねえ」
「………」
「今度行くときはさ。映画も好きなだけ選ばせてあげるし」
「………」
「だから、頼むから、返事してよ」
凛は何も答えない。あかりを見すえ、自分の左腕を短刀で貫いた。
「いっ!」
あかりの左腕に鋭利な痛みが走り、血しぶきがあがった。腕を見るとちょうど凛と同じように制服がやぶれ、傷口が開いている。「犬神」の自傷ダメージだった。
左腕の力が抜け、塗壁のガードが下がる。これではもう次の攻撃を受け止めることはできない。あかりは涙で滲む視界の中、ゆっくりと近づいてくる凛を見つめていた。
殺される。あかりは傷を負った左腕を握りしめ、恐怖を押さえつける。身体もミサキと同質のものに変わりつつあるのか、凛の肌は死人のように青ざめている。
(……舞。ごめん。私もそっちに行くかも)
舞を死なせ、凛も守れなかった自分にはお似合いの最後かもしれない。結局、二人のためにあかりは何もできなかったのだから。
凛はあかりの前に立つと、短刀を振りあげる。あかりはぎゅっと目をつむり、死の瞬間を待った。
「……あ、かりさん」
あかりは目を開いた。短刀はあかりの頭の数センチ上で静止している。凛はあかりの左腕を見ていた。
「すみません。左腕の傷。私のせいですか」
「凛……?」
「はい。なんとか身体の主導権を握りました」
どこかぎこちないものの、話し方は凛そのものだ。あかりは思わず凛を抱きしめた。
「よかった……よかったよお……」
「私も、あかりさんを殺さずにすんでよかったです」
背後でからんと「犬神」の短刀が地面に転がる音がした。涙でぐちゃぐちゃになっているあかりの顔を見て困った顔をしながら、凛は口を開いた。
「頼みがあります」
「……なに?」
「犬神を手放しました。それを拾って私を殺してください」
言っている意味が分からなかった。あかりが茫然としていると、凛は申し訳なさそうな顔をして続ける。
「私は今、気合でミサキの殺人衝動を押さえていますが、長くはもちません。いずれ身体と心、どちらも完全なミサキになってしまうでしょう」
ぱき、という音がして、凛の頬の皮膚が少しだけミイラのようなものに変化した。
「だから、私がヒトであるうちに、あかりさんにとどめを刺してほしいんです」
『自分で死ねばいいのに。よっぽどあかりに殺されたいらしいな』
ふざけるなと思った。せっかく凛が助かったと思ったのに、そんなこと。あんまりではないか。
「む、無理」
「無理じゃありません。あかりさんは強いから、きっとできます」
諭すような凛の声を聞き、あかりは泣いた。一番怖いのは凛のはずなのに、復讐の半ばで人生を終えることに何も思っていないはずはないのに、彼女はきわめて平静だった。
あかりがしゃがみこんで短刀を拾うと、凛はにこりと笑う。
「そう。その調子。あとは簡単です。「犬神」を発動させれば、あかりさんの傷も治るはず」
ああ、この子はどこまで自分の死んだ後を考えているのだろう。怪異に侮辱され、人としての尊厳も踏みにじられてなお笑顔を浮かべられる凛を、ひどく哀れに思った。
「ごめんなさい。凛。もっとあなたといっしょに楽しい思い出を作っておきたかった」
「……もう十分、いただきました」
凛は震える手で首飾りを指し、ほほえんだ。あかりは涙をのんで呪具の名を呼ぶ。
「犬神」
突き出した短刀が凛の胸を貫いた。凛は血を吐き、糸の切れた操り人形のように倒れる。あかりが慌てて身体を支えると、凛はうっすらと目を開けた。
「あかりさん。泣かないでください。最後くらい笑った顔を見たいです」
「う、うん」
しかしどうしても無理だった。どれだけ口の端を釣り上げても、楽しい思い出を想起しても、涙が止まらない。
「あれ? おかしいな。いや私、頑張ってるよ。笑おうとしてるんだよ? 笑うのってこんなに難しかったっけ?」
「ふふ。しょうがない人ですね」
凛は笑うと、上着のポケットから血に染まったハンカチを取り出した。
「拭いて……あげます」
震える手で、ゆっくりとあかりの右頬をぬぐう。柔らかな肌触りのハンカチからは、鉄の臭いがした。
「次は……ひだり……を」
そのときハンカチを持った手が止まり、地面に落ちた。はっとして顔を見ると、凛は笑みを浮かべたまま動かなくなっていた。
「凛?」
体を揺さぶっても、魂のない人形のようにがくがくと揺れに合わせて動くだけで反応はない。凛の眼は、もう何も見ていなかった。
「あっ……あぁあ……あー……」
あかりは、自分の喉から言葉にならない声が出るのを聞いた。凛の亡骸を抱え、慟哭し続けた。