第二地球 その1
閑静な住宅街の一角、窓から差し込む朝日を浴びながら、学校へ行く支度をテキパキとすすめる一人の少女がいた。通っている中学校の制服であるセーラーに身を包み、鞄の中身を確認して肩にかけ、自室を後にする。玄関に向かう前に、リビングに立ち寄る。奥のキッチンに、必要なものを取りに行くためだ。
「あら心、もう準備できたの?」
心と呼ばれたその少女はキッチンに居た母親の結衣に話しかけられる。
「うん、後はアレだけ」
「それならもう準備しておいたわ。はいどうぞ」
「ありがとう!」
必要なものは、すでに結衣が準備してくれていたようだ。心が受け取ったのは愛用の水筒だ。これがないと学校に行けない理由がある。
「中学校はもう慣れた?」
「まあまあかな。でも叶恵と一緒だし平気だよ」
「そうね、昔っからの仲だし、お母さんも、叶恵ちゃんが同じクラスって聞いて安心したもの」
「本当にね」
心はリビングの壁に掛かった時計を流し見る。その隣に掛けられたカレンダーは、2553年4月のページが手前に来ている。
「そろそろ良い時間だから行くね」
「いってらっしゃい。気をつけてね?」
「うん! 行ってきます!」
結衣の柔らかな声に見送られ、玄関から外へ出る。表札に『早見』と刻まれた家から出発した彼女の名前は、早見心。白いリボンが際立つ紺色のセーラー服を身に纏い、スクールバッグを右肩にかけている。低めの位置で二つに束ねた後ろ髪はあどけなさがありながら、凛とした姿勢と相まって真面目さも感じさせる。そして、バッグの上から、肩に水筒がぶら下がっており、そこからカラカラと聞こえてくる夏らしい氷の音は、春の暖かくそれでいてわずかに肌寒い朝にはあまり似合わない爽やかさがある。
心はそのまま一人で数分だけ歩き、やがてある一軒家の前で足を止める。空色の屋根の二階建てだ。すると、ガチャリと扉が開いて、心と同じ制服を着た少女がでてくる。
「おはよー心っ!」
「おはよう、叶恵」
叶恵と呼ばれた少女は、心の顔を見るとニカっと笑う。心より頭半個分ほど背が高く、肩甲骨の辺りまで伸びたストレートの黒髪が美しい。そこから感じられる月のような美麗さとは逆に、ライトな喋り方やはじける笑顔からは、太陽のような天神乱漫さが感じとれる、変わった雰囲気の少女だった。
「よし行くかー!」
二人は並んで歩き始める。向かうは中学校。15分程で到着だ。カラリカラリと、心の水筒の音がする。
しばらくは住宅街の中を進んで行くので見晴らしがあまり良くはなく、曲がった先がどうなっているのかわからないため、二人を緊張させる。
叶恵の家から右折、左折、と来てさらに右折した時。それは姿を現した。
「うひょー、まだ3分ぐらいしか歩いてないのに大変だねー心」
「あ、自分はなんにもしないからって他人事みたいに言うんだ」
「もー、怒らないの〜」
「冗談。怒ってないよ」
一体二人は何の話をしているのか。答えは、目の前の道についてである。眼前に広がる道路には、ギラリと光る鉛色の太い「針」が何本も突き出ているのだ。それは道路全体に敷き詰められており、通ることはできない。上を行こうものなら針が刺さって大怪我を負うだろう。一言で表すなら、「針山地獄」だ。
しかし、そんな恐ろしいものを見ても二人は落ち着いている。慣れている、と言う方が近いかもしれない。
針山を見据えながら、心は水筒の蓋を開けた。
そして、中身を飲み始める。
ごくりごくりと、中身が喉を通る音が、叶恵の耳にまで届く。
一口では終わらない。飲む、飲む、まだ飲む。
そして、満タンだった水筒を半分ほど一気飲みしたところで、心は唇から水筒を離す。
「き、きた……!」
何が来たのか、心はほんの少しだけ表情が曇る。
「すぅ〜〜……」
心は針山を見据え、大きく息を吸った。
そして。力強く、叫んだ。
「『行かせてくださぁぁぁい!!!』」
大声を浴びて、針山地獄がぐにゃりとぼやける。そして、まるでそれがハリボテだったかのように、そのハリボテが暴風で飛ばされるかのように、針は吹き飛び、霧散し、景色は平凡な道路へと変化していく。
心の出した大声の余韻が消える頃には、針山も完全に消えていた。