海の生き物でもないのにウニタというのはどうだろうかと晴海は思ったが、結局妖怪本人が「なんだかしっくりくる気がしてきた」などと言い出したので彼の名前はウニタに決定した。この日はこれでお開きとなり、ススキは一人で家に帰った。晴海が家の場所を尋ねると「ちょっとあっち」と学校の方角を指してくれた。朝から小さい子供一人で散歩しているのは不安になるが、中学生の晴海が注意することでもないだろうから何も言わずに見送った。慣れた足取りで歩いていくススキの背中を見て晴海は少し安心し、自分も朝食をとるために自宅へ戻った。
翌朝。晴海は目覚めるとルーティン通りに行動する。着替え、洗顔、そしてジョウロに水を汲んで外へ。スリッパを履いて扉の前に立つ。
「……今日もススキちゃん来てるかな」
この街に越してきて一年以上経っているが、昨日初めて出会ったのだ。2日連続で会える確率は少ないだろう。頭ではそう理解しているものの、どうしても期待してしまう。人と接するのは苦手だが、ススキと関わるのは何故だか楽しかった。年下と相性が良いのか?
「むむむ……」
晴海は玄関のドアの向こうを『透視』する。塀が透けて見える。花壇が見える。朝の静かな道路には誰もいない。
「……うん」
能力を解除し、扉を開けて外に出る。アサガオに水をやって、そのまま家の中に戻ろうと思ったが、その前に振り返って向かいの公園の様子を見る。看板の上にはウニタがいた。
「あ! ウニタさんおはよう!」
「おう晴海。元気なあいさつだな! おはよう!」
「あ、えへへ……」
ハキハキとした挨拶ができたことに自分でも驚きながら、晴海はウニタに近づく。
「なんか静かだったから昨日のことは夢かと思っちゃった……ススキちゃんもいないし……」
「わっはっはっ! オイラたちを夢にしないでほしいのだ。ちなみにススキを見たのはオイラも昨日が初めてなのだ。きっと毎日ここを通ってるわけではないんだろうな」
「そうだよね。ウニタさんは毎日ここにいるの?」
「そうだ。この公園の妖怪だからな」
「へ〜。じゃあいつでも会えますね」
「そうだな!」
晴海はぽかぽかと満たされた気分で自宅へ戻った。夏休み前、心や叶恵に感じた以来の、友達が増えた時の気分だった。
*
結局、晴海が次にススキに会えたのは、初めて会った日から3日後の、7月29日のことだった。
「あ、はるちゃんだ」
公園でサッカーボールを蹴って遊んでいたススキは、エコバッグを抱えて道路を歩く晴海を見つけて駆け寄ってくる。
「ススキちゃん。うーんと、こんにちは」
晴海は空をちらっと確認して挨拶する。太陽は西に少し傾きかけているが、こんばんはと言うにはまだ早い。
「はるちゃんどこ行ってたの? これなにー?」
ススキは晴海のエコバッグの中を覗く。
「おつかいだよ。お母さんに頼まれて、今日の夕飯に使う食材を買ってきたの」
「ふーん」
特に興味深いものはないとわかり、ススキはエコバッグから離れる。
「はるちゃんも一緒に遊ぼうよ」
ススキは手に持ったボールを見せながら、晴海の手を引く。
「ええ、サッカー? あんまり得意じゃないんだけどなあ……あ、そもそもまずは買ったものをお家に置いてこなくちゃ。ちょっと待ってて」
晴海はススキを道路の脇に移動させる。大きな道ではないが、自動車に轢かれでもしたらひとたまりもない。
「公園に入るまでボールで遊んじゃ駄目だよ。ここで蹴ったら危ないからね」
「はるちゃん心配しすぎ。すすきバカじゃないからそんなことしないよ。安全だいーちだよね」
「そっか、そうだよね、えへへ……」
自分より小さい子の相手は難しいな、と思いながら晴海は一度家に戻って荷物を置いた。
その後二人は公園でサッカーボールを蹴って遊んだ。
「はるちゃんちいいな。家の前に公園あったらすぐ遊べるでしょ」
「うーん……あんまり遊ばないけど……」
晴海はゴロゴロと転がってくるサッカーボールを蹴り返す。たった今蹴り返したのに、すぐにまたボールは転がってくる。
「す、ススキちゃんサッカー上手だねぇ」
蹴り返す度に体力がごっそり持っていかれる気がする。対して数メートル先にいるススキは全く調子を崩すことなく、晴海が蹴ったノロノロの球を蹴り飛ばしてくる。
「すすきは普通だよ。はるちゃん下手なんじゃない」
「よよよ……年下に、下手って言われた」
元々運動が苦手なのに加えて引きこもりがちだったこともあるので、こうなるのは目に見えていたが、小学生に下手と言われるとさすがにちょっと辛い。晴海は中学生。ススキは小学生……。
「あれ? そういえばススキちゃんって何年生?」
「ねえ、はるちゃん、今日ウニタいないね?」
質問は遮られてしまった。いつの間にかススキはボール蹴りをやめて、公園中をうろうろしていた。
「ウニタさん……? そういえば、見てないね。いつもいるわけじゃないのかもしれないよ?」
定位置である公園の名前が書かれた看板の上にはいない。家に帰ったのかな、などと晴海が考えていると、
「いたー!」
と、ススキの声が響く。公園を囲うように植えられたツツジの木の一角を覗き込んでいる。晴海はサッカーボールを拾い上げて、ススキの方に歩いていった。
「どれどれ……」
晴海もしゃがみ込んで茂みを覗く。確かにそこには、縮こまったもじゃもじゃがあった。
「むむ! ススキと晴海! やめてくれ、オイラは今隠れているんだから!」
「かくれんぼー?」
「そんな遊びで言ってるんじゃないぞススキ。空を見ろ。こうして喋っていては見つかってしまう! 離れてくれ」
「んん……」
ススキはぼんやりと空を見上げた。晴海もそれに倣って上を向く。
「なんか、暗いね。さっきまで明るかったのに。夕立でも降るのかな?」
「ゆうだち?」
「夏の夕立に、急にたくさん降る雨のことだよ」
「……早く帰った方がいいかも……」
ススキは晴海からボールを取り上げて公園の出口に向かう。晴海も帰ろうと思ったが、なんだか不気味な感じがしてつい立ち止まってしまう。
「なんか変な感じ。だってこの暗さは、雨雲の暗さというより、まるで、夜…………」
「はるちゃん! 立ち止まっちゃ駄目だよ」
公園の真ん中で空を眺める晴海の姿を見るなり、ススキは慌てて晴海の隣へ駆けつける。
「ススキちゃん、どうしたのそんなに焦って」
「んん……だってほら、囲まれちゃった……」
「え? 何に……?」
ススキは晴海を庇うようにして立ち、周りを睨む。その様子を見て、晴海もようやく気づく。辺りの闇が、いっそう濃くなっていたことに。公園は霧のようなものに包まれている。しかし霧は白ではなく、黒。雨の暗さも夜の暗さも通り越して、ただ不気味な闇が広がっていた。
「はるちゃん、よく『見て』しっかり避けないと、あんまり良くないことになるから、あのね、頑張ってね」
「え、ええ?」
次の瞬間、晴海は全身に軽い痺れのようなものを感じる。
「うっ、この感じは……!」
晴海は夏休みで気を抜いて、忘れるべきではなかった。この星はそもそも不気味であることを。通学路を阻むトラップという超常現象のことも、それに抗うコードという学生の超能力のことも、そしてそれに加えて自分には、妖怪という不可思議な存在と関わりをもっていることも。
晴海は目頭に熱を感じたが、それをそのままエネルギーに変えるようにしながら目を凝らした。闇はだんだんと鮮明に、具体的な形を持つ。
「イーーヒッヒッヒッ!」
甲高い笑い声が響き渡るのと、晴海がその姿を『見る』のはほぼ同時だった。
「な、な何あれ!? なんか上の方に飛んでる!」
晴海は思わずススキの肩を揺らしながら、上空を指差す。焦茶色の、小柄なヒトガタの何かが、真っ黒な雲に乗って浮いている。
「あれは、ウンノツキっていう妖怪だよ。……くるよ!」
「何が……って、ふぇぇ!」
ウンノツキは、地上に向かって何やらボールのようなものを落としてきた。くすんだ土色のボールは晴海とススキの右側にぼよんと落下して数回跳ね、やがて消える。
「まだ来るよ」
「えぇ!? 無理……!」
ススキが言った通り、ウンノツキの球は次々と降ってきた。幸い、向こうは正確に狙って投げているわけではなく、大雑把に落としているだけなので絶望的な状況ではないが、それでも当たってしまうのは時間の問題だった。
「ススキちゃぁんこれ当たったらどうなるのぉ!!」
「ウンノツキは、運の尽きで、運の憑きで、うんのつ鬼。あの小鬼の妖怪は人間の、『運が悪かったな』という落胆の感情と、実際に悪運そのものが混ざって生まれた奴。落ちてくる球に当たると、悪運が憑いてしばらく離れないから、気をつけて。最初はただのモヤみたいな奴だったけど、同じく思いの塊である妖怪たちは、悪運の塊に触れることを恐れた。当たると、悪運が自分の中にいっきにたくさん入り込んじゃうから。その恐れから鬼のイメージと、ふらっと現れることから雨雲のイメージが混ざり込んで、今の形になったの」
「妖怪さんたちが怖がったせいでパワーアップしたってこと? というかススキちゃん詳しいね……全然、少しも、聞いたことない話だった!」
晴海は話を聞きながら悪運ボールを必死でかわす。ススキの方は比較的落ち着いてボールを避けている。
「第二地球の妖怪は新しいものばっかりで、たまたま妖怪って呼ばれてるだけだから。伝承にならないし、見えない人が知らないのは、当たり前」
「そっか、ひゃっ!ひええ!」
足がもつれて、とうとう晴海は転んでしまう。そこへ一直線に、悪運が降り注ぐ。
「はるちゃん!? あれは避けられない……! 『裂』」
(ボールに半分込めて武器にする!)
ススキは悪運球の真下にまわりこみ、球が眼前に迫ったところで、両手で掴んだサッカーボールをぶん回し、それを弾き飛ばした。
「はあ……このままこれ使った方が、強いかな」
二人の近くに落下してきた球を、ススキはそのままサッカーボールで弾き続ける。
「はるちゃん、大丈夫?」
「う、うん……わたしは平気だけど、ススキちゃんそんなことしてちゃ危ないよ!」
「すすきは大丈夫だから。はるちゃんはしゃがんでて」
「ひゃ、はい……」
「……もう。しつこい、なぁ!!」
ススキはとうとう、サッカーボールを真上に蹴り上げた。ボールはウンノツキに向かって上がって上がって……当たらなかった。
「「あ」」
ボールは、二人のいる場所から少し離れたところに落下し、明後日の方向に転がっていく。
「へへ。どうする?」
「わたしに聞かれても……」
打つ手なしの二人に、球の雨は止まずに降り続ける。
「ヒッヒッヒッ!」
一際大きい塊が落ちてきた瞬間、二人は避けることを諦めた。まさに運の尽き、不運続きの人生が始まってしまうのだ……。
しかし、それが二人に触れることはなかった。球は、真っ二つに割れたからだ。