「な……」
「……」
晴海とススキは言葉を失い、割れた球ではなく、球を割ったその存在に目を奪われる。
「わっしに任せろ!!」
それは晴海と同じくらいの背丈の少女のようで、宙に浮いていることから人間ではなく妖怪と思われた。
「知らない妖怪……」
「ススキちゃんも知らないの? でも、すごい……」
その妖怪は、馬鹿でかいハサミを振り回して空を飛び回り、悪運球をバッサバッサと切り刻んでいく。
「つ、強いね。あんなに大きなハサミ見たことない」
「あれ、ハサミなのかな? 切るとこ開いてないよ。横で切ってる」
「横……? ほんとだ。峰のところだね」
「ミネっていうの? はるちゃん物知りだね。じゃあ切るところはなんて言うの?」
「えっと、そっちは刃……」
先ほどまではこんな雑談をする余裕は無かったが、今や状況は好転していた。ハサミを、いや、ハサミのような見た目の刀を持つ妖怪が球を全て切ってしまうからだ。
「体も温まってきたし、そろそろ本体を切ってしまっても良いかのう!」
ハサミ少女は一気に上昇し、ウンノツキに接近し、狼狽える間も与えず、ザックリと斬ってしまった。
「う、うわぁ……」
霧となって散っていくウンノツキを晴海は唖然として眺める。辺りの闇もみるみる薄れていき、日が暮れる前の公園の姿が戻ってくる。
「一件着落?」
「落着だよ、ススキちゃん」
「んん」
二人の緊張は緩やかに解けていった。
難は逃れたが、謎は残っている。助けてくれた妖怪は何者なのだろう? ウンノツキを撃退した彼女はゆっくりと降下し、たった今地面に着地したところだ。晴海に背を向けて着地したので、彼女の髪に目が行く。明るい金髪は陽光を反射してキラキラと輝いている。そして毛量がとんでもない。腰の辺りまで伸びているそれは、もこもこでぼさぼさだ。毛先があっちこっち好き放題の方向を向いている。
(でもわたしも人のこと言えないかな?)
晴海も癖毛なので、髪にはイマイチまとまりがない。肩にかかるくらいの今の長さなら毛先は緩くカーブしていて可愛らしいが、これ以上伸ばしたら手入れに手間取りそうだ。ススキの方も長さは晴海と同じくらいだが、真っ直ぐに伸びていてサラサラだ。
「ススキちゃん髪綺麗だね」
「え? ありがとう」
と、一瞬ススキの方へ目を逸らした隙に、例の妖怪が晴海の懐に飛び込んできた。
「ごっ主人ーー!!」
「わああ!? なに、ご主人!? わたしは晴海だけど……」
「? 晴海様がわっしのご主人で間違いないじゃ!」
「ええ!?」
抱きついてくる妖怪を晴海は引き剥がす。丸くて大きな空色の瞳と目が合う。ニコニコ笑顔が可愛らしい、のだが……。
「ちょ、あなた、服は!?」
「服……? これじゃ駄目かのう?」
彼女の格好は、パンツがあるべき部分と、胸の部分にふさふさの毛皮に包まれているのみで、あとは堂々と肌が露出している。
「こ、これ毛皮?」
「犬、じゃない。ねえ、それ犬の耳?」
ススキは彼女の頭を指差す。もこもこの髪の毛に気を取られてさっきは気付かなかったが、頭には、いわゆるケモ耳が付いている。
「犬! 犬かもしれん! ご主人はどう思う?」
「わたし? う〜ん、犬かなあ。耳の形も柴犬っぽいし、この服代わりに、えっと、大事なところを包んでるやつもワンちゃんっぽいね……」
「じゃあ犬じゃ!」
「ええ……それにしては尻尾が無いしなあ……」
「ご主人は尻尾が欲しいのか? じゃあ尻尾じゃ!」
ぼん! と、柴犬の尻尾が彼女のお尻に出現する。
「うそお……」
「すごい。はるちゃんが言えば、服も着てくれるんじゃない?」
「そ、そうかな。そうなの?」
「じゃあ着せてくれ!」
「はあ……どんな服が良いかな。妖怪さんはみんなには見えないんだよな。それならちょっと目立って可愛いのとか……例えば……巫女装束、とか」
晴海は巫女装束を思い浮かべる。するとさっきの尻尾と同様に、彼女の服装は白い煙を吐きながら変化した。
「着替えたぞご主人!」
「ど、どうかなススキちゃん」
「かわいい。初めて見た」
「なんだかテンション上がるのう!」
彼女は空を舞いその場で一回転する。すると緋色の袴がめくれて、脚が見える。
「あっ、全然細部が違う……!」
「間違えたの?」
「確か上半身の白衣は下まで続いてて、袴をめくっても肌じゃなくて白衣が見えるんだったはず。あれは……ただの真っ赤なロングスカートになっちゃってる……」
「はるちゃんの考えたものをそのまま着てるからだよ。ちゃんとしたミコソーゾク? が良かったら写真とか見て、ちゃんとイメージするといいよ」
「そっかあ。ごめん妖怪さん。やっぱりそれは没で……」
「えー嫌じゃ嫌じゃ! これ気に入ったのじゃ。脱ぎたくない!」
「ええ……じゃあ……いっか……」
「んん。ゲンダイフウアレンジ」
妖怪の見た目が落ち着いたので、いよいよ何者なのか聞き出したいところだが、このまま話すには時間が経ちすぎてしまった。
「すすき、もう帰らないと」
「そっか。もうすぐ5時だもんね」
「妖怪さんのことは、次会ったら教えてね」
「わ、わかった。ばいばい」
「ばいばーい」
ススキはとてとて小走りに公園を去って行った。
「えっと……」
「わっしはご主人についていくぞ!」
「そ、そうなの? わたしも帰りたいんだけど」
「そうか! じゃあわっしも帰ろう!」
*
「なんでわたしの家、わたしの部屋に帰って来てるの!?」
あの後晴海が家に帰ろうとすると、彼女はスッと姿を消したので、どこか知らない住処に帰ったのだと思い、晴海は安心して夕食を食べた。そして自室に戻ると、そこにはエセ巫女服の彼女がいた。
「なんでと言われても、ここにわっしの根源があるからのう……」
「あ、あなたは何者なの?」
「わっしはあの筆箱じゃ」
そう言って彼女が指した方向は、勉強机の上のとある筆箱だった。
「正確には、ご主人がその筆箱を大切にしてきた気持ちが集まって生まれた思念体じゃ」
「これって……」
晴海はその筆箱に近づく。長方形で、薄型のペンケース。面の中心から少しずれたところにチャックが一つだけ付いている。カラーリングは、チャックを境に青色とクリーム色に分かれている。
(秋穂ちゃん……)
鈴木秋穂。それがこの筆箱を、晴海にくれた人の名前。
——「はるちゃん、これあげる! 誕生日プレゼント」
「わあ、筆箱? ありがとう!」
「それ、色がさ、海辺みたいじゃない? こっち側が砂浜でこっち側が海」
「ほんとだ、可愛いね」
「名前に『海』って入ってるはるちゃんにピッタリでしょ」
「! うん、ありがとう秋穂ちゃん!」——
晴海は当時の会話を鮮明に思い出すことができた。3年ほど前のことだ。
「じゃあ、この筆箱から生まれたから、妖怪さんの家もここなの?」
「そういうことじゃ。しかしご主人、わっしらのことを『妖怪』と呼ぶのか」
「違うの? ススキちゃんがそう言ってたし、ウニタさんも自分を妖怪だって……」
「あの小さいお友達殿か……わっしはそのススキ殿より頭が良く、自分をよく理解しておる。わっしはさっき自分のことを思念体と呼んだ。これが大事なんじゃ……」
フローリングでゴロゴロしていた彼女は起き上がって、晴海に顔を近づける。
「思念体?」
「それは、わっしらをこの星の大いなる力の流れと関わりのある捉え方をした時の呼び名じゃ」
「星の?」
「この星を駆け巡る力は、主に三つの形態に分かれておる。その一つが思念体なのじゃ」
「三つ……あと二つは?」
「それはご主人も知っているはずじゃ。『信念術』と『未練の世界』じゃよ。そこに『思念体』を加えて、三つの形態……!」
「……全然、知らないんだけど」
「なんと!? そんな馬鹿な。『未練の世界』見たことあろう? この星全体を取り巻いているんじゃぞ。その辺の雑念と結びついて、色んな形をして現れるやつ!」
「え、ええ……?」
「じゃあじゃあ『信念術』は? これは人間様が使えるやつで、普段は単なる信念として眠っているにしても、『未練の世界』を整えるために術として顕現するんじゃ! これはもちろん個人差というやつがあって強い術弱い術の他にそもそも使える使えないも人によるんじゃが……」
「ん?」
「え……ほんとに知らない?」
「……『信念術』は『未練の世界』に対して使うの? それで術には個人差があって、『未練の世界』は星を包んでる?」
「そうじゃ! 全部大正解じゃ!」
「……それって、『コード』と『トラップ』なんじゃ……!?」
晴海は二つの単語を初めて聞いたという彼女に、一切を説明した。そしてお互いの知識を照らし合わせて、それぞれが一致しているという結論に至った。
「いやあ参った! わっしら思念体と人間様では呼び名が違うとはのう」
「そうだね。でも、あなた達の呼び方の方が、本当のことをわかってる気がする。どうしてコードのことを『信念術』なんて呼ぶの?」
「さっきも言ったが、それは三つの形態の一つであって、根っこの部分は『思いの力』として同一なのじゃ。人間様の中で力が結集して一つの強い塊となったものが『信念』。それが世界に干渉するように表出したのが『信念術』じゃ」
晴海は自分の『透視』の能力と、夏前の新しい友達・心の『大声』の能力を思い出す。コードの差異は、信念の差異なのだろうか。
「それから『未練の世界』は大きな力じゃ。空間を歪めるほどの力があるからのう。それを信念術……コードで曲げ戻すのが、人間様のやってることじゃな」
「信念はわかったけど、こっちの未練ってなんなの?」
「それはわっしらにも分からんのじゃ……世界の力は大きすぎて、読み解こうとするとあっという間に呑み込まれてしまう」
「そうなんだ……」
「呑み込まれると言ったが、まさに『思念体』はちっぽけな存在じゃ。思いの塊というのは知っておるようじゃが、それは人間様の信念ほど強くなく、世界の未練ほど大きくない。ただ何かしらの、人間様の感情の余りが積もって体と意思を手に入れただけじゃ」
信念は小さいけれど強い。未練は端々は脆くても大きい。彼女の話し方からはそんな印象を受けた。
「なんだか、すごいこと聞いちゃった。わたし達人間が長年探してた答えが一瞬で、しかもわたしなんかが知っちゃった感じ」
「大袈裟じゃのう。そこには人間様の捉え方、思念体の捉え方があるというだけじゃ」
「でも……思念体さんの方が、正解っぽいもの……」
「くっくっくっ、だってご主人、思念体が見える超珍しい人間様だもんの! 感覚とか思念体に寄ってるんじゃないか?」
「え、ええ〜……」
「冗談じゃ。思念体は人間様の思念から生まれる。わっしはご主人の思念から生まれたから、ご主人は立派な人間じゃ」
「……ところで、あなた名前は?」
「まだ無いぞ! これは是非ご主人が付けてくれ。思念体に名前を付けることは、その思念体を定義することじゃから、とっても大事なことなんじゃ!」
「そうなんだ。それじゃあ……」
晴海は例の筆箱を手にとって、彼女と見比べる。
「テイギってなに?」
「わっしという存在がカッチリ決まるって感じじゃ。」
「……なるほど。なら名前を決める前に、こんなのはどう?」
晴海は集中して、あるイメージを彼女に重ねる。
すると、彼女の着ている巫女服のカラーリングが変化した。白衣は明るい砂色に、袴はいくつかの青がグラデーションされた海色に変わった。犬耳と尻尾は取り払われ、袖先にチャックが付いた。
「おお!? おお!?」
「筆箱の妖精っぽくしてみた。どうかな?」
「最高じゃ! ご主人センス抜群! あとは名前じゃな!」
「ふふ。じゃああなたの名前は…………フデコちゃんです!」
晴海はキメ顔だった。彼女は……フデコは、ご主人の気を悪くするようなことは、言えるはずなかった。
「最高! わっしは今日からフデコじゃ!」
(ご主人! それは安直すぎるんじゃあ……!)