7月31日。
晴海は今日もいつも通り、心地よく目を覚ます。
「んっ……!」
一つ伸びをしてベッドから這い出て、カーテンを勢いよく開けると、煌びやかな朝日が部屋中に飛び込んでくる。
「うん。今日も晴れ」
晴海は着替えて顔を洗い、日課の水やりに行く。
「ご主人は早起きじゃのう」
「あ、おはようフデコちゃん」
アサガオに水をやっていると、フデコが飛んでくる。
「フデコちゃん、どこから来た?」
「ご主人の部屋の窓からじゃ? こっちの方が近いじゃろ」
「2階から直接来たんだね……飛べるっていいなあ」
この日は、食事などを除いた時間を部屋の中で過ごした。
「宿題かー?」
「そうだよ。ちょっとずつやらないとね……」
「今日は公園行かなくていいのかー?」
「うーん……」
「さっきから窓の方チラチラ見とるじゃないか。ほんとは走り回りたいんじゃろ!」
「あはは、バレてた? でも遊びたいんじゃなくて、ススキちゃん来ないかなって気にしてたの」
「なるほど、そっちじゃったか」
「もうすぐ夕方だし、今日は来ないのかな」
「……かもの」
部屋の時間は、ゆっくりと流れていった。
そして迎えた夜。時刻は21時頃だ。晴海はベッドの上にぼんやりとしながら座っている。
「ご主人。カーテン閉めちゃって、星は見なくて良いのか? 再会のナンチャラなのじゃろう?」
「じゃーん! ってカーテン開こうと思って閉めたんだけど、なんだか気が乗らなくて……」
「どうしてじゃ! 楽しみにしてたんじゃろ?」
「よく考えたら、いつでも見られるような星空を見たからって、何も変わらないじゃない……そんなことで、再会したい人に会えるわけじゃ……」
「心から再会したい人がいるんじゃな」
「え?」
「本当に会いたい人がいるから、星を見るだけじゃ駄目って思うんじゃろう。会いたい人には会いに行かなきゃ会えないということが、わかってるんじゃろ。ご主人は頭が良いからの」
「そう、なのかな」
「そうじゃよ。じゃが会えないにしても、会いたい気持ちは大切じゃ。星を見ることが再会することの正しい方法じゃないにしても、会いたい気持ちが否定されるわけじゃないんじゃ」
「……」
「まずは気持ちが大事ってこと、ご主人はわかるじゃろ? わっしは思念体。気持ちの塊じゃぞ! この星では、なんでも気持ちから始まるんじゃ」
「そっか。じゃあ今日の星空に……『再会の夜空の日』の空に、願いをかけないとね」
晴海はカーテンを、レースカーテンごと大きく開ける。窓の外には、住宅街。そして視線を上げると。晴れた夜空に、ぽつぽつと星が浮かんでいた。
「山奥じゃないし、この辺じゃこんなもんだよね」
「ご主人! 窓を開けてくれ!」
「え、えっと……はい、開けたよ」
「わっほーい!」
フデコは外へ飛び出す。
「わっしはその辺を飛び回ってくるぞ! 夜の空中散歩じゃ。ご主人も少しの間、窓を開けて星を見ておれ。きっとガラス越しで見るよりも綺麗じゃぞ!」
「わ、わかったよ。虫、入らないかな」
「あー、それから。なんか妖怪が入ってきても気にするな。今この辺に、悪い妖怪はいないからのう……」
「え、それって悪くないのは入ってくるってこと? 入ってきてる時点で……」
晴海の話を聞かず、フデコは勢いよく飛んでいった。
「……入ってきてる時点で、悪いじゃない……」
晴海は、誰もいなくなった窓の外に向かって呟いた……。
晴海は、窓から流れてくるじめっとした空気を浴びながら、しばらくの間空を眺めていた。ご先祖様が住んでいた、第一地球はどのくらい遠くにあるのだろう、などと考える。そこに、思いもよらない人物が訪れる。
「おおっと」
「きゃああ!?」
「わ、ごめんごめん」
なんと人間が、上下逆さまで窓の前に現れた。晴海は悲鳴を上げて部屋の奥まで後ずさる。
「よっと」
その人物はぐるっと回転し窓枠に着地する。
「すっ……すっ……ススキちゃん!?」
「へへ」
「なんで!? どうやってここに!?」
窓から進入してきたのは、ススキだった。
「急に来てごめん。今日は、はるちゃんに大事なお話をしにきたの」
「ええ……? その前に中入って。そこじゃ危ないよ……」
「ううん。ここで平気」
ススキは部屋の方を向いて窓枠に座り込む。
「ねえはるちゃん。はるちゃんは、すすきのこと何だと思ってる?」
「何、って……近所の、女の子?」
「本当はそうじゃないんだ。今まで話さなくてごめんね。すすきも、自分が思ったより早くここに来ちゃって、どうすればいいか、わからなかったの」
ススキがどんどん話を進めていることにはもちろん困惑するが、晴海はそれ以上に、ススキがぐんと大人びて見えることに驚きを隠せなかった。しかし思い返せばそういうことは度々あった。見た目は小さな小学生なのに、まるで自分と同じくらいの年齢の子と話しているような感覚がしたことは、今が初めてではなかった。
「ススキちゃん……あなた一体……」
「すすきはね、妖怪なの」
「……」
なんと返すべきだろう。「嘘でしょ。信じられない」は少し違う。「ああ、やっぱり」の方が、正解かもしれない。窓から入ってきた時、分かってしまった。この子は、人間ではないのかもしれないと。妖怪たちは、いつも突然現れる。それにフデコが散歩の前に残していった、「妖怪が入ってきても……」という言葉。そもそも、この子の情報は、一人の小学生にしてはあやふやだった。名前も「ススキ」の一単語だけ。何歳かも、どこに住んでいるかも、正確には何一つ知らないままだった。さまざまな思考が駆け巡り、出た言葉は結局、質問だった。
「じゃあ……ススキちゃんは、なんの妖怪、なの?」
「すすきは、再会の妖怪。はるちゃんと、私だけの、私たちの再会の妖怪」
すすきの像が、少しぶれる。
「私たち……まさか、あなたは!」
「そう。ススキは半分ずつの妖怪。半分ははるちゃんの、引っ越して私に会うチャンスを失った、私と再会したいという気持ち。そしてもう半分は私の、同じようにはるちゃんに会うチャンスを失った、はるちゃんと再会したいという気持ちだよ」
ススキは窓枠から降りて、晴海の部屋のフローリングに足をつける。
「ススキの半分は、鈴木秋穂の思い。『ススキ』は『鈴木』なんだ。へへ」
「……秋穂ちゃん……っ!」
「今日はね、私の思いを、届けに来たよ」
ススキは部屋の奥にへたり込む晴海に歩み寄る。一歩ずつ進むごとに、ススキの像はぼやけ、別のものへと変わっていく。晴海の目の前に来た時には、ススキの体の大きさが、晴海と大差ない、中学一年生のものになっていた。
「秋穂ちゃん……秋穂ちゃんだ……う、ぅ」
「もう、泣き虫さん」
晴海は思わず秋穂に抱きつく。涙と鼻水も一緒に、秋穂の胸についていく。そんな服の汚れには構わず、秋穂は晴海の頭を撫でた。
「ほら、聞いてはるちゃん。私はこの夜限定の妖怪だから。もたもたしてたら消えちゃうよ?」
「ぅん……ん……きく、きいてるよ……」
「はるちゃん、私全然怒ってないよ。あの事故のこと」
「!? でも、でも……」
あの事故。晴海のコードが暴走して、秋穂を透過して、その秋穂にバイクが当たって怪我をして。晴海はそれ以来、学校に行かなかった。秋穂にも会わなかった。そしてそのまま引っ越してしまった。
「まあ痛ってえ! かったけどね。でも私生きてるもん。死ぬこと以外はかすり傷ってのは、人によると思うけど、私好きなこととかなくて、ぶらぶら生活してるだけだったからさ。足折れたくらいじゃ全然問題ないよ。だからまた一緒に遊ぼ! って言いたかったのに、はるちゃん一回も会ってくれないままどっか行っちゃったからさ。もしかして私が怒ってると思ってビビった? へへ」
「ちがう……ちがうの……ぜんぶわたしが、ひっぐ、わるいの……!」
「だから、それはもういいって……」
「ちがう、怪我のことじゃ、なぐて、会いに行かなかった、こと……怪我のことは、わたしがわるいけど……会わなかったのは、もっと、わるい……!」
「そんなこと言わないで……」
「言わせてッ! ……事故のことは、能力の暴走ってお医者さん言うから、もしかしたらわたし悪くないかもって……ぅ……思った。秋穂ちゃんも、秋穂ちゃんなら、笑って許してくれるって、ほんとは……わかってたッ! なのにわたし、お見舞いも、けが治った後の学校も……行かなかった……」
「……どうして?」
「わたしには、勇気が、なかったの……笑って過ごす勇気が……。事故に遭ったって、秋穂ちゃんは、絶対今まで通り、笑って過ごせるってわかってた……だからわたしも、事故のことは、反省できることを反省したら、気持ちを切り換えて、前を向かなきゃって思った……だけど…ッ! わたし臆病だから、絶対下を向いてしまうって思った……暴走にビクビクして、また秋穂ちゃんを怪我させないかビクビクして……絶対そうなるって! 笑顔で前みたいには、やっていけないって……」
「……」
「ううん……やっていけないじゃ、なくて……やっていこうって、勇気を出さなきゃいけなかった……臆病な自分を、変えなくちゃいけなかったッ……なのに、それが全然、できなかった……臆病な自分と向き合わなかったことが、一番の臆病なの……だから……だからあ! ……わたしが悪いの……」
「……そんなこと言わないで。って、もう一度言うね」
秋穂は晴海の頭を愛情を込めて撫でる。
「私はるちゃんのこと好きだったけど、今のでもっと好きになっちゃったな。はるちゃんはすごいね。そこまで自分の気持ちを考えて、整理して、言葉にできて。私びっくりしちゃった。私なんてはるちゃんとまた遊びたいな、しか考えてなかったのに。人生2周目?」
「ぅぐ……からかわないでよ」
「ごめんて。でもすごいと思ったのは本当に本当。もう十分、自分と向き合ってるよ。偉い偉い……」
どれくらい時間が経っただろう、晴海が落ち着いてきたのを見て、秋穂は立ち上がる。
「さて、そろそろ行かないとね」
「……帰っちゃうの?」
「うん。ねえはるちゃん。私は今、鈴木秋穂の格好をしてるけど、正確には鈴木秋穂じゃないんだ」
「……会いたい思いの妖怪、だから?」
「その通り。だから、私がはるちゃんの思いを聞いても秋穂に届いたわけじゃない。逆に、はるちゃんに伝えたい秋穂の思いも、伝わったことが秋穂にはわかってないんだ」
「……」
「だからはるちゃん、約束して。優しくて賢いはるちゃんが、自分を認められる勇気も手に入れたら、いつか必ず、また私に会いに来てよ」
秋穂は晴海に小さなメモを手渡す。晴海はそっとメモを開く。そこには数字の羅列。しかしこれは古来より人と人との架け橋となった、魔法の数字。
「これって……電話番号!」
「ん。もちろん私のだよ。使いたい時、いつでも使って」
「あ、ありがとう!」
秋穂はさっきより明るくなった晴海の顔を確認すると、窓枠に手をかけ、外に出ようとする。だが、その前に今一度振り返った。
「あ、忘れてたんだけど」
「なに?」
「これは秋穂というより、妖怪……いや、思念体ススキからのアドバイス。はるちゃんのコードって、自分では『透視』だと思ってるみたいだけど」
「うん?」
「本当は『見たいものを見て、見たくないものを見ない』能力なんじゃない?」
「……?」
「んん、邪魔な建物を透視するのは『見ない』方。暴走した時の透過も『見ない』方。逆に妖怪が見えるのは『見る』方なんじゃない?」
「ええ……? どうなんだろう……」
「ま、私も難しいことは分かんないから、忘れて! じゃあね!」
秋穂は窓枠の上に飛び乗る。彼女の像はサラサラと光の粒になって、風に消えてゆく。そして跡形もなく消失してしまうかに思われたが、まだそこには小さな人影が残っていた。
「あっ、ススキちゃん……!」
「この姿でも、お礼。一週間、遊んでくれてありがと。はるちゃん」
「あ……」
その時ようやく気が付いた。なぜ初めて会った時に気付かなかったのだろう。幼いススキの姿は、晴海が出会ったばかりの秋穂の姿と瓜二つなのだ。
「そっか……秋穂ちゃん、小三の時に初めて会って、わたしのこと『はるちゃん』って呼んでくれたよね……」
小さなススキは、小さく微笑んで、夜空の中へ溶けていった。
「じゃあススキちゃんは、小学3年生だったんだね」
もう届いているかわからないけれど。晴海は、彼女への最後の一言を投げかけた。