翌朝の晴海は、どうにも寝覚めが悪い。あんなことがあれば当然だろう。しかし花の世話を欠かすことはできない。ススキが綺麗と言ってくれたアサガオは、まだまだ花を咲かせる時期だ。
眠い目をこすりながらジョウロに水を汲み、道路側の塀のに据えたアサガオの所まで行く。ちょろちょろと水を流していると、上から声がかかる。
「元気がないとお花もびっくりしてるじゃよ、ご主人」
「わっ、フデコちゃん。いたんだね」
塀の上には、フデコがどっかりと座っていた。晴海の方を見下ろすことなく、不貞腐れたような顔で遠くを見つめている。
「……ススキ殿とは、話せたか」
「……フデコちゃんは知ってたんだね」
「最初から知ってたわけじゃない……わっしが聞いたから、教えてくれたんじゃ」
フデコは最後にススキとした会話を回想する。
——「……お願いしたいことがあるの」
「なるほどのう。わっしは良いヤツじゃから聞いてやろう!」
「ありがと。あなたがはるちゃんの隣に来てくれてよかった。じゃあすすきのこと教えるね。すすきは妖怪……いや、あなたにはより一般的な方を……そう、思念体なんだ」
「それはわかっとるわ! 奥の毛むくじゃらにも聞いてみい!」
「ウニタのこと? そうだね、そういえばウニタにもバレてたな。何も言わないでいてくれたけど」
「問題はお主がなんの思念体かということじゃ。なんでそんな、めちゃくちゃ『強い』んじゃ?」
「すすきは二人分なんだ」
ススキはフデコに、自分が晴海の会いたい気持ちと秋穂の会いたい気持ちの合わさった存在であることを説明する。
「すすきを構成するはるちゃんの思念の量と、フデコを構成するはるちゃんの思念の量は同じくらいだよ」
「お主はそこに、秋穂殿の思念も加わるから……わっしのおよそ二倍の量の思念で構成されとるということか」
「そう。あなたでさえ思念体の中では強い方なんだから、その二倍ともなれば、ものすごい強度だよ。自分でもびっくりする。すすきの体は強固すぎて、誰にでも見えちゃってるし」
「それで妙な感じがしたんじゃな。初めてお主を見た時、思念体のようなのに人間のような気もして困惑したよ」
「三つの形態で一番強度があるのは人間の『信念』だから。思念体は強ければ強いほど人間に近づくんだ」
「ふん。まあそれで人間になれるわけでもあるまいし、どこまでいってもお主は人間のフリした妖怪じゃぞ」
「……怒ってる? はるちゃんを騙してることは、悪いと思うよ。でもすすきも困ってるんだ。ほんとは明日の、再会の夜空の日に現れるはずだったのに、思ったより早く来ちゃったから……」
俯くススキを見て、フデコはなんだかばつが悪くなる。
「……ま、お主の正体についてはだいたいわかった。さっきの小技はなんじゃ?」
「『裂』? あれは二人分で構成された自分をわざと半分に割って、思念体のレベルを下げたんだよ。人間に近いままじゃはるちゃんの頭の中には突入できないけど、半分ならすり抜けて、あの悪い妖怪を引っ張り出せると思ったんだ」
「ほーお……思念の扱いが上手くて感心するわ」
「へえ、それフデコが言う? あのでかバサミ、思念体になる前の小さい思念を盗んでるんでしょ? それも随分扱い上手だと思うけど」
「盗んでるとか言うな! 筆箱として代表で、中の文房具の力を借りてるんじゃ! まあ確かに、わっしが使わずに放っておけばハサミの思念体となってご主人に奉仕する未来もあったかもしれんが? わっしだってご主人のために力を使ってるんじゃから、ハサミも文句ないじゃろう!」
「はは……ま、自我が芽生える前のハサミってわけね。いんじゃない?」
「チビのくせに上からじゃのう……」——
(こんなくだらん思念体トークは、ご主人に話す必要もないか)
フデコは一つ大きなため息をつく。
「ススキ殿が自分のことを当日まで黙っとると決めたなら、わっしはそれを受け入れるしかないからのう」
「大丈夫、わかってるよ。むしろ、ああいう妖怪だって言わずに一週間も一緒にいてくれたことが嬉しいくらい。フデコちゃんも。昨日の夜、窓からどこか飛んで行ったのは……わたし達を二人にしてくれたんだよね」
「ふん。ご主人は優しいの」
「どうかな。普段優しいって思われても、肝心なところで人を傷つけちゃうようじゃ、駄目だよね。わたし変われるように頑張るよ。自分を認められるようになるってススキちゃんと約束したから」
「そうか。無理せずちょっとずつで良いからの。ご主人なら、必ずなりたい自分になれるじゃ」
「ありがとう。……ところでフデコちゃん、今日なんか機嫌悪い?」
「むう、機嫌が悪いっちゅうか、体が重いんじゃー……」
フデコは、ススキとの会話の続きを思い出す。
——「じゃあ、そろそろすすきのお願い、聞いてもらおうかな」
「おう、そうじゃったな。なんでも言ってみい」
「大したことじゃないけど。はるちゃんのこと、これからも守ってあげてほしいんだ。すすきはもういなくなっちゃうと思うけど、はるちゃんの周りに変な妖怪が来ないとは限らないから」
「なんじゃ、そんなことか。ご主人がわっしを捨てない限り、わっしはご主人の側から離れないぞ」
「それは安心。はるちゃんは、多分すすきのせいで妖怪が見えるようになっちゃったから。危険な奴は遠ざけたいところだけど、それが出来ないことだけが心残りだったんだ。任せたよ、フデコ」
「のわっ!?」
フデコの体がガクンと重くなる。
「おぬしぃ! 念を込めすぎじゃあ!」
「へへ。5%くらいだよ?」
「お主の五はわっしの十じゃ!」——
「思念体同士でのみ出来るやり取りなんじゃが、自分の思念を切り取って相手に渡すことが出来るんじゃ。ススキ殿は、ご主人を守れという約束をかなりの塊にしてわっしに送ってきたんじゃ。文字通り『思いを託した』という感じじゃな」
「ええ……なんか、ごめんね?」
「謝るでない! プレッシャーがすごくて体が重くなっちゃったというだけで、わっしはご主人の力になりたいと思っとるんじゃ! ススキ殿に言われなくてものう!」
「それはありがたいけど、無理しないでね? わたしはご主人様なんて言われるほどすごい人間じゃないから。そんなに危険なこともないと思うし、これからも仲良くしてくれたら、それで十分嬉しいな」
「おう! 仲良くするじゃ!」
晴海は空になったジョウロを手に取り、フデコと一緒に家に戻る。
8月1日。夏休みはまだ続く。