異星の少女は未来(いま)を生きる   作:矢田悠進

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叶恵ちゃんの質問、よかったらぜひ一緒に考えてみてください


『犬』

 夏休みの間、制服は暇を持て余しているだろうか? それとも彼らも生徒と同じように休暇を満喫しているだろうか? 晴海をご主人と慕うフデコという存在は筆箱から生まれたらしいから、制服にも意思があるかもしれないと、心は夏用スカートを履きながら思う。半袖のワイシャツにはシワひとつなく、髪型もお気に入りの二つ結びでバッチリだ。

 時間になると心は水筒と通学バッグを肩にかけ、家を出る。

「行ってきます!」

 二学期の始まりだ。

 

 トラップに遭遇することなく、心は叶恵、晴海と合流した。

「ここまでは順調ですっ」

 心は水筒の中身を少し飲む。

「今飲んじゃって大丈夫なの?」

 晴海が少し不安そうに尋ねる。

「夏はあんまり飲まないでいると、トラップに遭った時にただの水分補給になっちゃうから」

「な、なるほど」

 トイレ我慢道は奥深いな、と晴海は一人脳内で変な言葉を作って盛り上がる。

「最悪漏らせばいいもんねー?」

「い、い、わ、け、ないでしょ? もう、お下品なんだから」

「へへっ」

 笑う叶恵の表情は思ったより明るくなかった。

「……叶恵?」

「んー?」

「さすがに気にしてるよね……この前のこと」

「んー、あの時みんなハイテンションだったし、後から考えると何がどうなったのかな〜って思ってた!」

 隣で晴海もフンフンと頷いている。

「ですよねえ……。でも、あの後何かがあったわけじゃないの」

 あれから約一週間。詩真が思念体で、結衣を彼女から救い出すにはコードが有効であるというのが真実と分かっても、心は何も行動していなかった。

「もちろんあの場でコードが使えなかったのは当たり前。だけど、朝トイレを我慢してる状況だとしても、詩真さんをどうにかできてる想像がつかなくて……」

「なんか引っかかってるの?」

「そう。そんな気がするの……」

「……ふーん」

 その正体を、叶恵は知っていた。心は無意識に、同じ話を何度も繰り返している。すなわち、「詩真を殺すのか?」という問いだ。そしてそれは心にとって「NO」なのだ。詩真も生きている。殺したくない。しかし母親の助けになりたい……。

 けれど、これを今の心に改めて言うのはイジワルだと叶恵は思って。

 

「んごもっ!」

 壁に埋まった。

「かっ、叶恵!」

「ひぃ、トラップだ! ごめん、わたしが先を透視しておけば」

「大丈夫だよ、私が消すから。叶恵ちょっと待ってて」

「んもー。んがんがまみまむ」

 叶恵が埋まっているのは当然朝の通学路に現れたトラップで、元からあった壁ではない。本来道があったところに、真っ白くて巨大な四角い物体がギッチリ詰まっている。そのど真ん中に叶恵の頭はめり込んでいた。物体は意外と柔らかく、頭を引き抜くために叶恵がついた両手もそのまま物体に沈んでいった。

「心ちゃん、これ……」

 晴海は叶恵を救出できないかと物体に近づいてそれが何なのか気づいてしまった。

「お豆腐だ……」

「ぶふっ」

 心は飲んでいた水を少し吹き出す。

「たしかにこのプルプル感……でか豆腐だ!」

 それは超巨大豆腐のトラップだった。

「め! まめあい! みゃむ」

 叶恵が何か言ってる。多分食べたいか見たいのどっちかだが、本人はその豆腐に食べられかけている。

「あ、もぐもぐしてる……」

 晴海は透視のコードで豆腐の中を見た。叶恵はもぐもぐしてた。

「本当にもう……窒息する前に助けなきゃ」

 心は水筒の中身をどんどん体内へ移動させる。ガラリガラリと氷の音が心地良いが、清涼感を楽しんでいる余裕はない。お腹の下の方がキュッと引き締まる。

「いきますっ! すぅ〜〜……『行かせてくださぁぁい!!』」

 声の波動をくらって、豆腐はブルブルと揺れ、やがてぼろぼろに崩れ去っていく。最後には前傾姿勢の叶恵だけが残った。

「叶恵! 大丈夫?」

「……食べてた豆腐も消えた!」

「調子良いんだから。口の中気持ち悪くない? 飲む?」

 内心安堵しながら、心は水筒を差し出す。

「え! 心のお茶飲んでいいの? オジサン嬉しいナァ」

「きもお……」

「ねーうそうそ。ちょうだい?」

「はいはい」

「んっ……ぷは。美味い。ありがと!」

 叶恵は水筒を心に手渡す。

「あ、そうだ! ワタシ面白いこと考えたんだけど聞いてよ!」

「ほう。聞く聞く」

 三人はトラップの無くなった道を歩きだす。

「じゃあワタシが今から一つ質問するから、ピーンと直感で答えてね?」

 叶恵は心と晴海の顔を覗く。しっかり目が合うのが確認して、

「質問! 『犬』!! はい、今何を思い浮かべた?」

 と問うた。『犬』のところは特別声が大きく、鋭かった。

「心は?」

「え、犬……」

「もっと詳しく!」

「ええっと、茶色くて小さくてもこもこの犬さん」

「ほんとにそれだけ?」

「あー、他の犬も思い浮かんだかも?」

「晴海は晴海は?」

「白くて大きいのが、外を走り回ってた気もするけど、室内でくつろぐ小さくて黒いのも思い浮かんだかな……毛並みもサラサラのもいたし、ふわふわのもいた……」

「そう! 色んなのがぐちゃっと思い浮かんだでしょ! それでワタシ思ったんだけど、犬っていっぱいいるけど、『犬』っていないよね!」

 叶恵は心をチラ見する。思ったより反応が薄い。

「犬は、いるでしょ」

「ちがーう! だからあ!」

 しかし晴海は叶恵の言わんとすることを掴んでいた。

「色んな場所に色んな種類の犬は存在してるけど、犬っていう言葉の正解みたいな……犬のお手本みたいな……『犬』はいないってことかな?」

「そう! そういうことなのよー。別に犬じゃなくてもいいけどね、物の名前の通りの物ってどこにもないの!」

「ちょっと分かったかも。完璧な円は書けないってテレビで見たことあるけど、そんな感じ?」

「そーそー! いやー、伝わって嬉しー! でもまだ続きがあるんだよ。ワタシは唯一『犬』とか『円』が存在する場所を見つけちゃったんだよね〜」

「えっ」

「どこ?」

 晴海は驚き、心も興味を持つ。叶恵はいよいよ楽しくなって答えた。

「人間の頭の中だよ。最初の質問覚えてる? あの時思い浮かべた一瞬の『犬』が完璧な犬だと思わない?」

「そうかなあ?」

 心はもう一度犬をイメージする。小さい犬とか大きい犬とか、具体性を持っていて『犬』そのものとは思えない。

「あーダメダメ。ゆっくり想像しても、色んなのが次々出てくるだけだもん。大事なのは最初の一瞬。それを確認しようとしたら、もうダメでーす」

「確認しようとしたら結局バラバラになっちゃうね……」

 頭の中に『犬』が存在するとしても、それを確かめることは出来ないと晴海は解釈する。

「叶恵ちゃん、すごく面白いこと考えてるんだね」

「どーでもいいことばっかりだけどね。今回は傑作かも! 叶恵チャン思想集に収録決定」

「そんなのあるの!?」

「あるって言ったらー、心は買ってくれる?」

「……ちょっと欲しいかも」

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