お喋りしながらもせかせかと歩いている三人に、声をかける者がいた。
「ねえ、もしかして早見と南条?」
後ろから呼ばれた心と晴海は立ち止まって振り向く。数メートル後ろに、心たちの通う中学の制服を着た男子生徒が一人で立っていた。マッシュルームヘアが印象的だ。
「はい! 平田もいるよ!」
呼ばれなかった叶恵は挙手でアピールしてみる。
「誰おまえ。それより二人の方だって」
「ひどーい! そんなこと言う奴にうちの心と話す権利ないからー!」
「叶恵のじゃないから。何か用ですか?」
心は荒ぶる叶恵をなだめながら、相手に話しかける。記憶の限り見たことがないが、同じ一年生だろうか。
「お前ら噂になってたじゃん。もう夏休み挟んでみんな忘れちゃったと思うけど僕は覚えてるんだ。気になってたから」
「噂? なんでですか?」
「心ちゃん、多分それはその……」
「昼間にコードバトルした転校生ってお前ら二人のことだろ」
「ああ……」
「やっぱり……」
法則無視でコードをぶつけ合うことになった例の事件は6月のことで、夏休みに入るまでの約一ヶ月ほど学校は続いていた。その間に事件の噂は学年中に広まり、心と晴海は危険視されていたのだが……。
「全然気づかなかったね?」
心は本心で晴海にそう言った。
「えっ……そう」
「ところでそういう君は誰だよ!」
ここで蚊帳の外の叶恵が無理やり混ざってくる。
「僕は錦戸。一年四組」
心たちは三組なので、隣の教室だ。
「というわけでさ、そのすごいコード、僕にも見せてよ」
そう言った直後、錦戸の姿は右から左へ透けていき、見えなくなった。まるで背景とピッタリ一致する魔法のカーテンが彼を覆い隠すようだった。
「消えた。錦戸君のコード?」
「わ、わたしじゃないよッ!?」
心は辺りを見回し、晴海は誰にも疑われていないのに無実を主張する。
「二人とも落ち着いて〜。変なの消えたしもう行こうよ」
叶恵だけが呑気だったが、すぐに冷静でいられなくなる。右手が、叶恵の左腕を掴んでいたからだ。
「うわあなんじゃこれ!? 手が浮いてる! 化け物ぉ!」
「なに!? 大丈夫叶恵!?」
「ひぃ……!」
三人の視線はその手に集まる。手首から先は見えておらず、右手だけが、ガッチリと腕を掴んでいる。そして、その右手は叶恵を勢いよく引っ張った。
「うわっ! わ、わ、わ!」
叶恵はバランスを崩し、そのまま姿を消した。空間に不可視の裂け目があり、そこに転がりこむような挙動だった。
「叶恵ーッ!?」
心は叶恵の、掴まれた左腕から順に消えていき、最後に残った右手の指先を掴もうとするが追いつかない。
「どうしよう、叶恵も消えちゃった。まるでどこかに吸い込まれるみたいだったよね二人とも。ただ透明になるんじゃなくて! どこ!?」
二人の消失の仕方は恐怖を感じるものだった。晴海の暴走能力『透過』は透明になるだけで、そうなった物に触れることができたのを心は覚えている。しかし今のは本当に消えてしまったようだ。叶恵がいそうな場所で腕を振り回しても、何かにぶつかる様子がない。
その時、消えた錦戸の声だけが聞こえ、べらべらと喋りだす。
「これが僕のコード『レイヤー』ね。この世界にピッタリ重ね合わせの異世界を作り出す能力さ。この世界はほとんど元の世界と一緒だけど、トラップが無いの。トラップに遭遇したらこの世界に入ってトラップのない道を通り、通過し終わったらまた元の世界に戻ればいいって使い方」
声の大きさと方向が次々と変化し、場所が特定できない。
「あなたのコードなんてどうでもいいですよ! 叶恵を返してください!」
「どうでもよくないよ。無能力の平田は異世界に引きずり込んだ。返して欲しかったら、南条の時みたいに早見のコードで僕のコードを壊すんだな」
「なんでそんなことしなきゃいけないんですか!」
「やらなければ、平田は異世界に置き去りにするぞ?」
「なんですって……っ」
トラップが発生する時間が過ぎるとコードも使えなくなることを考えると、人を異世界に置き去りにするとどうなるのだろう? 普通に考えれば、タイムオーバーで異世界は消滅し、閉じ込められた人間は出てくるはずだ。しかし、異世界が閉じられ、次にコードが使える時間まで監禁される可能性もある。そして錦戸の口ぶりからして答えは後者……。
「卑怯者ッ!」
心は錦戸がいるかもしれないしいないかもしれない正面を睨む。
「あ、それからもう一つ条件追加。もしコードを使わないとか、使っても失敗するとかそういうことがあったら次は南条を引きずり込むから」
「わたし!?」
次なる標的に指名された晴海は体がビクリと動く。
「や、やめといた方がいいと思うけど……」
晴海はさっきから鞄がゴソゴソ動いているのを感じていた。フデコのスタンバイはバッチリのようなので一応牽制してみたが、実際のところフデコに対応できるとは思えない。異世界にいる人間には触らないようだし、きっとフデコは錦戸を攻撃できない。
「いいですよ、やってやりますよ!」
心は水筒の蓋を開けて構える。あとは飲んで、尿意を感じるタイミングで叫ぶだけ。簡単なことだ。
「……」
「心ちゃん……?」
「正直、動揺してて……トイレって感じじゃない……」
さっき豆腐を消すのに飲んだ分のはすっかり収まってしまったし、追加で飲んでもツンと来る感じがしなかった。
「いや! もういらないです! このまま行きますよ。覚悟してください。すぅ〜……出てきなさぁぁぁい!!」
心は全方位に撒き散らすように叫ぶ。
錦戸は、現れなかった。叶恵もだ。
「ああもう役立たず! また駄目なの!?」
夏休みの詩真の件も含めて二連敗。自責の念に襲われる。
「失敗したね……? じゃあ、約束通り南条の方もこっちに入れるよ。次、失敗したら二人とも閉じ込めたまま僕は学校行くから」
「は、晴海!」
心は今にも泣きそうな顔で晴海の方を見る。まだ、そこにいた。
「心ちゃん……よし、大丈夫。わたしがなんとかするよ」
「え……もしかして、フデコさん?」
「ううん。フデコちゃんは、今日はお休みかな……」
晴海は自分のスクールバッグをそっと撫でる。荷物の筆箱に宿るフデコは大人しくなる。
「さ、そろそろ引っ張りに行くぜ」
「き、ききき、きてみなさい!」
晴海は鞄を地面に置いて、伸びすぎなほど姿勢を伸ばす。
そして、まずはある言葉を脳内に思い浮かべる。
——「これは秋穂というより、妖怪……いや、思念体ススキからのアドバイス。はるちゃんのコードって、自分では『透視』だと思ってるみたいだけど」
「本当は『見たいものを見て、見たくないものを見ない』能力なんじゃない?」——
(あの日言われたこと……ずっと考えてた……)
大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
(それでわかった。多分、わたしのコードの使い方は四通り!)
晴海は周囲の壁の向こうを透視する。叶恵も錦戸もいない。本当にコードで作り出した異世界にいるようだ。
(一つ目はこれ。『わたしだけが、見ない能力』……)
透視では本来そこにある壁や建物が透明になるが、それは晴海の視界限定で、他の人はそのまま見えている。
(二つ目は『みんなで、見ない能力』……)
コードが暴走して透過されたものは、晴海も含めて誰にも見えなくなる。あれは晴海が制御できていないだけで、能力の一部なのではないか。
(暴走は無意識のわたしからのメッセージなのかも。もっと色んなことができるって、教えてくれてたのかも……)
もう誰も傷つけないために、これからはコントロールする必要がある。しかし今重要なのはこれらではない。
(三つ目は、『わたしだけが、見る能力』!)
人間には見えないはずの思念体が次々見えるようになったのは何故か。答えは、そういうコードの使い方ができるからだ。不可視の物を可視化する、前の二つとは逆の使い方。
「これを使うよ……!」
晴海は目を凝らして、辺りをぐるりと見回す。
いた。右斜め前から錦戸が悠然と歩いてくるのが、はっきりと見えた。
思わず凝視していると目が合ってしまった。晴海はますます緊張する。向こうは自分が見つかっていると気づいていないが目が合ったので、若干困惑気味だ。
「そ、それから四つ目……!」
晴海は自分を奮い立たせて、更に能力を解放する。
四つ目は、『みんなで、見る能力』だ。
これを最初に使った場所は心の家だ。フデコが一時的に心と叶恵にも見えるようになったのは、この使い方に違いない。
「ま、まま丸裸になっちゃえ!」
晴海の眉間から一筋の電光が飛び出す。それは直進して、錦戸にヒットした。
「……えっと、心ちゃん……」
「いたぁぁああ!!」
心は錦戸の位置を捉え、指差した。晴海の能力は上手く発揮できたようだ。
「やった。成功……」
「お、お前らなんで僕が見えてるんだ!? まだ能力は解除してないのに……確実に異世界側にいるのに!」
「解除してない?」
心は錦戸を鋭く見つめる。
「だったら今度こそ私が壊してあげますよ。はあ」
顔が見えると腹立たしくて仕方ない。一言叫ばなければ気が済まない。晴海が狙われる焦りもないし、文句は一つに絞られる。トイレのことなど考える隙もない。ただ、
「叶恵を……『返しなさぁぁぁい』!!」
ドン、と顔面を殴られたような圧を受けて、錦戸は後方に吹っ飛ぶ。
同時にコードの異世界も破壊され、道の端に座り込む叶恵が出現した。
「叶恵!」
心は即座に駆け寄る。
「おーおー。心がやっつけてくれたのかな? ありがと」
「大丈夫? 怪我してない?」
「平気だけどびびったー。暴れたら心とお前を入れ替えるぞって言われてさー。心はワタシを助けられるけど、ワタシは心を助けられないだろって」
「なんて悪いやつ……」
心は大きなため息をついた。
いつの間にか起き上がっていた錦戸が腰をさすりながら立ち去ろうとしていたのを、叶恵は引き止める。
「おい待てい! この落とし前、あんたどうつけるつもりだ」
叶恵はずいずい詰め寄り、錦戸を追い詰める。
「か、叶恵ちゃん、そんな落とし前だなんて……」
「黙って行かせはしませんよ。ちゃんと謝ってください!」
「心ちゃんまで……」
相当ご立腹の二人は完全に錦戸の逃げ道を塞ぐ。
「悪かったって、許してくれ」
「絶対悪かったと思ってないだろお前ー!」
「そうだそうだ! 何に対して謝ってるかちゃんと言いなさい!」
「不利な勝負しかけてすみませんでしたあ!」
「なんですかそれまったくもう。だいたい、なんでこんなことしたんですか?」
「あーそれワタシも気になるー。意味わかんないんだけど」
「それは……」
錦戸は口ごもる。
「言えないんですか? コードを見せてと言ってましたけどそれなら隣で見学してればいいですよね。なんで勝負形式にしたんですか!」
「言っても伝わらないさ……」
「おーい誤魔化すな。伝わるかどうかはワタシたちが決めるんだよ。言えっ!」
「……グレートマザーの恩寵をかなりいっぱい受けてるんだろうなと思って、自分でその力を体験したかったんだよ……」
「グレート、マザー……?」
「おい心が困ってるだろ、わかるように話せ!」
知らない単語を使ってきた錦戸を叶恵はさらに追い詰める。
「しゅ、宗教だよ! グレートマザー教会っていう……部外者に言っても馬鹿にされるだけだから言いたくなかったんだ」
「じゃあなんだか知らないけど宗教上の理由ってやつで絡んできたってわけ……?」
「それが理由になるわけないでしょーーっ!」
「こ、心ちゃんも叶恵ちゃんも落ち着いて〜!」
『熱くなりすぎじゃ』
ヒートアップしてきた二人を、晴海とフデコが止めに入る。出る幕なしと思われたフデコも結局登場するはめになった。
「むう……」
「ふん。この辺にしといてやるよ」
「ひぃぃ、叶恵ちゃんいつの間にかヤンキーになってるよぉ……」
キーンコーンカーンコーン……。
「……予鈴鳴ってない?」
「やば、遅刻するね」
「あと5分……走れば間に合うかな」
「お、おう」
四人は学校に向かって一斉に走りだす。
「錦戸も付いてくるのかよー」
「同じ学校だからしょーがないだろ」
「これで遅刻したらっ、あなたのせいですからねっ」
「いやお前らの尋問がなければ……」
「「それもお前のせいっ!!」」
三人はそのまま口喧嘩を続けたまま(晴海は黙って走っていた)ギリギリで校門をくぐるのだった。