20分ほど歩いて、三人は区役所の前まで到着する。
「あそこが市民ホールだよ」
叶恵は役所の奥に併設されている建物の扉を指差す。ガラス張りの自動ドアだが、まだ少し距離があるので中の様子は見えない。
「叶恵ちゃん達は入ったことあるの?」
転校生なので当然初めて訪れた晴海は二人に問いかける。
「ワタシは何年か前に友達のピアノの発表会で行ったことあるよー。心は?」
「私はないなあ。ここで見てても仕方ないし、早く行こ!」
三人は入り口が近づくにつれて足どりがぎこちなくなっていったが、それでも自動ドアの前までたどり着く。
「ちょっと緊張しちゃうね……」
「あ、開けるよ……!」
心は意を決してドアを開けるボタンを押す。ウィーンという音と共に、ドアが開く。漏れ出た冷房の空気が、まだまだ暑い九月の朝を歩いてきた心達の肌を撫でる。
「どう? 誰かいる?」
叶恵は心の背後からこっそりと顔を覗かせ、中の様子を伺う。
「うーんと……誰もいないね」
奥行きのあるロビーには誰もいなかった。左側にはいくつか重厚そうな扉がある。
「あのでっかいドアの奥に、ステージがあるんだよ。あと客席ね」
過去に一度訪れている叶恵が扉を指してそう説明すると、一番入り口に近い扉がゆっくりと開き始める。
「わっ! 誰か出てくる!?」
心たちはその場でわたわたとするが、逃げる間もなく出てきた人物に見つかってしまう。
「おや、三人もお客さんが。ヘレネの歌を聴きに来てくれたのかな?」
「お兄さんは誰ですかー?」
話しかけてきた男性に、叶恵は臆せず質問する。
「おっと、いきなり話しかけてごめんね。僕はクラウス。そうだなあ……このコンサートの主催者、と言うのがいいのかな? まあとにかく、ホールに入りなよ。もう空いてるからさ」
扉を一枚開いて、クラウスは三人を中へと促す。心たちは一瞬顔を見合わせたが、ここまで来て帰ることもできず、中に入ることにした。
防音のためか扉は二重になっていた。二枚目の扉を開けるクラウスの後ろを、心達は黙ってついていく。
クラウスは名前からして外国の人間で、顔つきはヨーロッパ風だったが、いかにも好青年であるという印象が伝わってくる。背は高いが痩せ型で、歳の離れた心達を怖がらせるような威圧感はなかった。
「さ、好きなところに座ってよ。なんたって君たちしかいないからね」
ホール内に入った心は唖然とする。ガラガラだ。
「え、誰もいないのー?」
客席に誰も座っていない状況を見て、叶恵は警戒を強める。
「もともとたくさん来るとは思ってなかったけど、まさか三人とはね……」
クラウスは時計を見ながらそう呟く。もう間も無く9時30分。ポスターにあった開演の時間だ。
その時、ステージ脇から一人の女性が姿を見せる。
「あら? あらあら? お客さん!」
女性はステージから降りて、心達の方へ向かってくる。冷静であるとアピールするような涼しげな表情だが、早足でこちらに来るのを見るに、興奮しているようだ。
「彼女はヘレネ。このステージの主役、と言ったところかな?」
「ヘレネよ。よろしくね、小さなお客さん」
ヘレネと紹介された彼女は、クラウスと違って小柄だった。心よりは大きいが、叶恵とは目の高さが同じだ。しかし、エメラルドグリーンの瞳とバストブロンドの髪がもつ美麗さは、クラスでは比較的美人な叶恵が霞むほどだ。彼女がまとう白いワンピースも相まって、神々しさすら感じる。
「嬉しいわ、人が来てくれて。絶対誰も来ないと思ったもの」
「ヘレネ、どうしてそんなこと言うんだい? 今までの公演では少なくとも十人くらいは来ていたし、誰も来ないは言いすぎじゃないか?」
「それはポスターをしっかり貼って宣伝しているからでしょう?」
「だから今回も貼ったじゃないか。今回はいつもと違って、僕ではなく君に任せたけど」
「それが問題なのよ。聞いて驚きなさい? 私、あれ全部間違えて捨てちゃって。予備の5枚しか貼ってないもの!」
「な、なんだって!? まったく君ってやつは! 君が『たまには私にも仕事をさせて〜』って言うから任せたんじゃないか!」
「つまり、そこから間違いは始まっていたってわけ」
「なんでドヤ顔なんだ! こら!」
クラウスはヘレネをチョップする。
「だから絶対誰も来ないって覚悟してたのだけれど。あなたたち、来てくれてありがとうね」
「はあ……」
カップルの喧嘩のようなものを見せられた末に突然話を振られ、心は困惑するしかない。
「せっかくだし何か披露するわ。みんな、是非前の方に座って?」
ヘレネに案内されるまま、一行は最前列の、二つ後列の真ん中に座った。最前列からだとステージを見上げる形になって座り疲れるという叶恵の意見を採用したのだ。
ヘレネは心たちに一礼してから、スタンドマイクの置かれたステージの中心に立って、喋り始める。
「あーあー」
「ヘレネ、マイクのスイッチ入ってないぞ」
「!? し、知ってるわクラウス。マイクなんかなくても、まるでマイクがあるみたいに私の声は通るのよ」
袖から野次を飛ばすクラウスに謎の言い訳をしているが、声が通るのは事実だった。芯のあるヘレネの声は、ホール中に綺麗に響いている。
「さてさて、お嬢さん達お名前は? さ、そちらからどうぞ」
ヘレネは、バシバシ客席に話しかけてくる。
「はっ、晴海です」
「心です」
「叶恵でーす」
「うんうん、素敵な名前ね。私はドイツ地域からやって来たヘレネ・シュテルン18歳よ。よろしく……」
ここでヘレネは一呼吸置く。歌うのかと思われたが、歌わなかった。
「じゃあ晴海さん達は、どうしてここに来てくれたのかしら?」
「へっ、わたし!? わたしは、えっと……」
「私が誘ったんです!」
「心さんが? そう。じゃあ心さんはどうして会いに来てくれたのかしら」
「私は……グレートマザー教会のこと、知りたくて」
会場に着いてから、意外にもこの単語を一度も見聞きしなかったので口にするのを少し躊躇ったが、思い切って口に出してみる。
「なるほどなるほど。それでは教えてあげましょう。グレートマザーのその世界……」
ヘレネはマイクを手に持つ。今度こそ歌うかと思われたが、歌わなかった。事前の情報と違う。
「そうだ、マイク入ってないんだった。グレートマザー教会って私たち二人のことよ」
クラウスが舞台袖から表に出てくる。
「二人ー? 全然教会じゃなくない?」
「叶恵さんの言う通りね。グレートマザー教会は、教会を名乗るほど大袈裟なものじゃないのよ」
「ヘレネのシュテルン家と、僕クラウスのフェルバルト家が代々やってる、いわば金持ちの道楽なのさ」
ヘレネはグレートマザー教会について丁寧に説明してくれた。
シュテルン・フェルバルト両家は、人類がこの第二地球に移住してきた頃から付き合いが続いているらしい。当時の当主二人が親友だったのだ。彼らは第一地球でのドイツ生まれで、この星に来てからは生活圏開拓の第一人者として着実に地位と財力を築いた。そしてそのお金を『星の力』の研究に費やし、財と研究成果は代々両家の子孫に受け継がれている。
「いつからか役割分担ができてね、主にシュテルン家が『星の力』の研究をして、フェルバルト家は事務的なことをやってくれてるの」
「だから、お金の管理とか、僕がやってるんだ。今日この会場を抑えたのも僕だね」
「そうなの〜。クラウスったら頼りになる〜」
「君はもう少し身の回りのことができた方がいいと思うよ」
クラウスは、ヘレネがポスター貼りを失敗した件をちょっぴり根に持っているようだった。
ここで、叶恵が質問を投げる。
「『星の力』ってトラップとかコードのことだよね。それを研究してる人たちがなんでコンサートなんかしてんの?」
「色んな国を旅して、『星の力』についてのヒントを探してるの。これはドイツだけの問題じゃないから」
「もちろん僕らもこの活動メインで生きてるわけじゃないから、たくさんの国をまわったわけではないけどね」
「なるほど〜……コンサートいる?」
「叶恵さん手厳しいわね。それとも、コンサートと銘打って会場を取り、ポスターを貼って……今回は貼ってないけど……そこまでしたのに全然コンサートじゃないから、ガッカリした?」
「うーん、そうかも」
「ちょ、叶恵……」
「歌いそうで歌わないのムズムズするんだもん! お喋りならファミレスでもできるじゃん!」
「それもそうね。ごめんなさい、じゃあ、歌うわ」
ヘレネは真剣な目になり、呼吸を整え始める。クラウスは袖にはけていく。
ヘレネは一曲歌った。それはドイツ語の独唱曲で、歌詞の意味はわからなかったが、聴く者の精神に直接届いて、憂いを洗い流してしまうような澄み切った歌声だった。
「バルドゥーア・H『夜空』でした」
タイトルも作曲者も、やはり心達の知るものではなかったが、そんなことはどうでもよくなるほどの歌声だった。
「すっごー! ヘレネ上手〜!」
「聴き入っちゃいました! どうすればあんなに、大きいのに綺麗な歌声が出せるんですかあ!」
「とっても素敵……感動しました……!」
三人は口々に感想を述べる。
「嬉しいなあ。グレートマザー教会は歌を媒介に『星の力』に干渉するから。研究を担当してるシュテルン家にとっては大切なものなのよ。それを抜きにしても、私は歌がとっても好きだから、小さい頃からいっぱい練習したの」
ヘレネはニコニコとそう語る。
「あ。結局まだ話してなかったわね。グレートマザーの世界」
ヘレネはマイクを手にとる。もう一曲歌う、わけではなかった。
「コード? トラップ? グレートマザー教会は世間の『星の力』に対する考え方をあんまり詳しく知らないの。自分たちで研究した、自分たちの考えがあるから。でも、相手を否定はしないわ。どっちを信じていても関係ないもの。最終目標が同じだから、方法はどっちでも問題ないはず」
「最終目標……?」
「この不可解な現象の謎を解き明かすことよ」
「なるほど!」
答えを聞いて心は安心する。最終目標なんて仰々しい言葉を使うから、どんな怪しい目論みをしているのかと思ったが、真っ当な目標だった。
「グレートマザーは一つの仮想的な根源よ。グレートマザーが私たちにコードの力を与えてくれてるの。でも私たちは神様を崇める宗教じゃない。グレートマザー様〜、トラップに抗する力を与えてくれてありがとうございます〜とは言わないわ。そのグレートマザーの正体がなんなのかを突き止めるの」
「ほお……」
だんだんと熱を帯びるヘレネの話に、心も引き込まれる。
「コードの根源グレートマザーだけじゃ駄目よ。トラップの根源アンダーアースの正体も突き止めないと! もしかしたら、どちらの根源も、同じかも……?」
「ヘレネ、ちょっと落ち着きな?」
「おっと、ありがとうクラウス。『星の力』の話になるとつい熱くなっちゃうのよ……」
「平気ですよ。とっても興味深いです!」
「良い目ね。心さんも『星の力』の正体に興味があるのかしら」
「私は……お母さんを助けたいんです。そのために、コードの力を上手く使わないといけなくて……」
詩真を母の体から消し去るには、心のコードを使うのが最善策のはずだ。だが、今のところ成功するキッカケが掴めていない。闇雲に叫んでも、前回のように失敗に終わる気がしてならないのだ。
「……よし、もう一曲歌っちゃおうかな」
ヘレネはマイクに触れる。今度は歌うようだが、マイクはオフだ。
「ねえクラウス〜? これついつい触っちゃうのだけれど。避けていい」
「はいはい……」
クラウスはヘレネのところまで来てマイクを回収していく。
「最初からこうしておけばよかったわ。ではでは小さなお客様方? 今から歌うのは教会の中でも特別な曲だから、じっくり聴いてくださいな。曲目は『生を讃える歌』」
それは不思議な歌だった。一曲目とは打って変わって、歌詞も旋律も無意味なものの羅列に感じられた。それにもかかわらず、ヘレネは何か意味があるように、丁寧に歌っていた。歌声は心達の魂を素通りして、どこか別の所へ届けられている……そんな感覚がした。
「今のは……少し変わった歌だから、面白くなかったわよね。叶恵さんは寝ちゃった」
「え。あー! 叶恵、何寝てるの! 起きて!」
「わっ、うんゃ……寝てない!」
「寝てたよ……ごめんなさいヘレネさん」
「いいのよ。人に聴いてもらうにはつまらない曲だから。じっくり聴いてなんてイジワル言ってごめんなさいね?」
ヘレネはそう言いながら伸びをする。
「うーん、今日はこの辺でお開きにしようかしら。みんな、来てくれて本当にありがとう」
クラウスも出てきてヘレネの隣に立つ。
「僕からもお礼を言うよ。君たちと話せたことは良い刺激になったと思う。ありがとう!」
「いえいえ! 私たちの方こそ、突然来たのに色々聞かせてくれてありがとうございました!」
「ヘレネの歌また聴かせて〜」
「あ、ありがとうございました!」
三人もヘレネとクラウスにお礼を言って、椅子から立ち上がり、ホールを出る準備をする。
「扉を開けよう。ああ、段差に気をつけてね。ヘレネは二度こけたよ」
「それ言う必要ないでしょう!?」
先導するクラウスをヘレネがプンスカしながら追いかける。三人は二人の後ろをゆっくり歩く。
「わちゃ!?」
「「「ヘレネさん!?」」」
ヘレネはやっぱり、客席通路の段差でつまづいた。
ロビーのドア前で、三人はヘレネ達の見送りを受ける。
「三人とも。今日は来てくれてありがとうね。誰も来なくても構わないと思ってたけど……やっぱり人がいると嬉しいから」
「気をつけて帰るんだよ」
「はい! ヘレネさんもクラウスさんも元気でね!」
「ばいばーい!」
「さようなら……あ、あの」
晴海はわかれぎわになって初めて自分からヘレネに話しかける。
「どうしたの? 晴海さん」
「お二人とも、日本語上手ですね……!」
「……ああ! 私たち日本語喋ってないのよ?」
「……え?」
「これを見て」
ヘレネは首にかけられたネックレスを晴海に見せる。ビー玉のような青い宝石が一つ、くくりつけられている。
「これはグレートマザー教会に伝わる研究成果の一つで、言語の壁をなくすのよ」
「まあ、お互い勝手に翻訳してくれるのさ」
クラウスも同じものを持っていた。
「す、すごい……! あれ?」
晴海が宝石を眺めていると、何故か宝石から視線を感じた。いや、何故かではない。小さくてつぶらな目がある!
「わっ!」
『なんだオマエ! ボクが見えてるのか!?』
(喋った!? そっか、この宝石ちゃんは思念体なんだ)
『ジロジロ見てんじゃねえよっ!』
(ひいっ、怖い思念体さんだ……)
「ご、ごめんなさいぃ……」
晴海は石から目を逸らす。
「どうしたの? 何か変なことがあった?」
「ううん、大丈夫です」
「晴海〜? かえろ〜!」
すでに少し先に行ってしまった叶恵たちが晴海を呼ぶ。
「うん、今行くね。じゃあ、さようなら……!」
「ええ、さよなら」
こうして、不思議なコンサートは幕を下ろした。