ココロは建て付けの悪い扉をそっと開けて、外に出る。しかしキィという耳障りな音は、どんなに頑張っても鳴ってしまう。
風に乗って飛来する砂粒がすぐに目の中に入り込んで耐えがたい。でも今は、家の中に籠っている気分ではないのだ。
「はぁ……」
ため息をついたその時、隣の扉が勢いよく開く。
「やべ、またやっちゃった」
そこから飛び出して来た少女は、扉が壊れていないか確認しだす。
「カナエ……」
「あーココロじゃん。玄関の前座って何してんの?」
「別に……」
隣人のカナエは、膝を抱えて座り込むココロの隣にどっかりとあぐらをかいた。
「ねっ」
「なに」
「見てこれ。まだ使えそうでしょ?」
「……輪ゴム?」
「そそ。ココロにあげるよ。あ、たまにはヘアアレンジなんてどう? ボサボサのままじゃ面白くないよ〜」
「いいよ別に」
「そんなこと言わないで〜。二本あるから二つ結びにしてあげよう!」
「……」
カナエはココロの長くない髪をいじって、なんとか輪ゴムで結ぶ。
「よーし」
「いいかなあ。女ってすぐバレるのは、危ないよ。カナエももう少し切ったら」
「ん〜、そうかもね」
パチン。
「あ、切れた」
「くぅ〜、やっぱダメか〜〜!」
「……ふっ」
ココロは騒がしい隣人を鼻で笑いながら、目線の先に落ちているボロボロの新聞紙を眺めていた。
(2125年……何月だ? ボロくて読まないけど、まあいいか。どうせ何週間も前のやつだろうし)
ココロは立ち上がって、家に戻ろうとする。
「ね〜どこ行くの?」
「帰る」
「ちょいちょい、待ってよ〜! もうちょっと話そ?」
「……別にいいけど」
「やった〜。……ねえ、ほんとにここで何してたの?」
「…………お父さん、ぶっ殺されたらしい」
「…………そう」
「配給チケ狙いかな。ははっ。つぎは私の番だね」
「そんなこと……」
「いや、もういいんだ。殺されるの待つのも疲れるし、死ぬから」
「おい!」
「……いきなり大きな声出さないでよ」
「あ、ごめ……じゃなくて! そんなこと言われて、大声出さずにいられると思ってんの?」
「じゃあどうしろっての。私ら一般人はもう宇宙行けないんだし。頑張って生きてても無駄」
「無駄だからなんだあ! そんなことを考えるのは馬鹿のやることだ! ワタシは生きるぞ! 何も考えず毎日生きる!」
「すご。私は無理だから」
「無理って言うなぁ!」
カナエはココロに掴みかかる。
「なんだよもう! ガリガリのくせに力強いな……ううっ!」
「ココロはもっとガリガリだろうが!」
そこで、カナエの母が扉から顔を覗かせる。
「ちょっと二人とも! 静かにしなさい!」
「「はい……」」
二人は取っ組み合いをやめる。
「ねーココロ。死ぬのはやめてよ。だってワタシが寂しいもん」
「……ふん。そうだね。なんか怖くなってきたからやめる」
「ほんと? やりぃ。困ったことあったらなんでも言ってよ。力になるから」
「そう……」
22世紀。人類は地球の資源を使い切り、荒廃の一途を辿っていた。人類は地球の外に新たな生活圏を求めたが、完全には間に合わなかった。火星や月に住める数にさえ限りがあった。それらの星を生活可能な空間に変える技術があっても、全人類は救えなかった。
地球に残された人類を救う次なる方法は、居住可能な宇宙ステーションを作ってそれを宇宙に浮かべることしかなかった。地球に似た星なんてものは見つかるわけないのだから。
宇宙ステーション計画は順調に進んだ。開発も移住も滞りなく進んだ。ただし、それはお金がある人に限られていた。
ロケットに乗るのも、居住区を獲得するのもお金が必要だ。大多数の人類は結局、地球に残らざるをえなかった。
取り残された人々にとって地球は過酷な場所だった。環境問題が深刻化しており、悪天候や異常気象が続いた。食料は希少で、広く配給制が採用された。治安は乱れ、統治機構は役に立たなかった。
ココロやカナエも、地球を出ることができなかった側の人間だった。当然それぞれの両親も同じだ。彼らは地球の人生を各々の方法で生きた。
カナエの父親は半年ほど前、病に倒れて先に逝ってしまったが、それまでは家族のために懸命に働いていた。残されたカナエの母親も、厳しいながらも愛を持ってカナエを育てている。
それに対してココロの母は、良い親ではなかった。心がまだ幼いうちに、お金持ちの不倫相手と共に、宇宙船に行ってしまったのだ。地球から宇宙への移住ロケットは一方通行だ。地球を出て行った者はもう二度と戻って来ることはない。ココロが母親と再会することは絶対にないのだ。そして、父親は殺された。配給の横取りを狙った男が、無差別に何人も殺したらしい。それに巻き込まれたのだ。
家族を失ったココロだったが、独りになることはなかった。カナエとその母親がいつでも助けてくれた。
三人で暮らすようになって数ヶ月して、運命はまた悪い方に傾いた。
「ママ……なんでママまで死んじゃうんだよぉ……」
流行の感染症に、彼女の体は蝕まれた。劣悪な環境では病気を避けるのは難しく、十分な医療を受けることもできない。
「か、カナエ……」
「ココロ……へへっ。生きるの辛くなっちゃったな〜……なんて言うのはだめ?」
「……だめ。私が死のうって言った時、止めてきたじゃん。だから今度は私が死ぬのを許さない。仕返し……」
「……そっか。じゃあもうちょっとだけ、頑張ってみよっか」
何日二人で頑張れただろうか。日付を数えるのは無駄なことで、ただその時その時をどうにかやり過ごすだけだった。
数週間か、それとも数ヶ月は進めたのだろうか。カナエとココロは、二人で少しずつ少しずつ前に進んだ。
それでもある日、ゴールは訪れる。
(んっ……!?)
カナエは肺に強烈な違和感を覚えて、胸を押さえる。
「うっ……かはっ!」
そして口から、咳と、血が飛び出す。母親の罹った病の症状と同じだ。
(うわっ……サイアク……)
叶恵はふらふらと歩いて、ココロの家のドアを叩く。
「ただいま〜……配給、二人分もらってきたよ……」
「あ、ありがとう。待ってる間ゴミ漁ってみたけど……ははっ、微妙だね」
「ふふ……ねえココロ。ワタシの分のご飯も食べていいよ」
「は? なんで? もらえるわけないでしょ」
「いや……なんか腹痛くてさ〜……食べな。ワタシは隣で休んでる……」
カナエは配給を床に置いて、ココロの部屋を出ていく。
隣の部屋になんとか移って、ど真ん中に倒れ込む。
(くそぉ……やべ……なんかぼうっとしてきた……うぐっ!?)
ベシャッと、大量の血を吐く。
(きも……正直けっこう前から体きつかったし、限界だな……)
トントンと、ノックの音がする。
「カナエー? 大丈夫? 入るよ?」
カナエは返事をできなかったが、ココロは構わず入ってくる。
「ねえ、やっぱり食べなよ。うんこ出すだけじゃ空になって死ぬよ。……カナエ? カナエ!?」
異変に気づいた心が駆け寄ってくる。
「カナエ!? これっ、どうしたのよ!」
「あ〜……はは……」
「ちょっと! どうしよ、どうすれば……」
(もう無理そうだからどうもしなくてもいいよ……ってあれ。声も出ないや……)
「カナエ? カナエ! ねえ、聞こえてる!?」
(聞こえてる。聞こえてるけど、それだけだ……)
「急にこんなになるなんて……もしかして今まで我慢してたの? ねえ、大丈夫?」
(ワタシも……急すぎてビックリ……)
「ねえ! だ、誰か大人を……」
心は立ちあがろうとするが、その腕をカナエが掴む。
「カナエ! 動けるのね!」
「……ぃ……て」
「なに?」
「……ここにいて?」
「カナエ? でも、助けを呼ばなきゃ。カナエ?」
(あ〜あ。ずるいなぁワタシ。もうココロと一緒にいてあげられないのに、ワタシだけ最期まで一緒にいて、だなんて)
「カナエ! ねえ、ここにいればいい? そうすれば良くなる? ここにいるよ、ほら、手、握ってる……」
(あったか……ごめんね、ずっと隣にいられなくて……)
カナエの全身から、力が抜ける。ココロの手を握っているその手からも、一切の生命力が感じられなくなる。
「カナエ? カナエ! カナエ!!」
(おお……声大きいなあ……そんなに叫ばなくても聞こえてる……聞こえて……聞こえない……)
「カナエ! 聞こえてるなら返事して! えっ、声小さい? もお、仕方ないなあ……じゃあもっと大きな声で呼ぶよ。カナエぇ! カナエぇぇ!!」
(…………)
ココロは声が枯れるまで、喉が張り裂けるほどの大きさで叫び続けた。やがて自分の喉が使い物にならなくなって、叶恵も冷たく硬くなってからも、ココロはその場を動かなかった。
そして待ち受ける結末までの全てを、早見心は傍で見ていた。