「こ、心ちゃん達をどこやったのよーッ!」
晴海はパニックになりそうなのを必死に抑え込むように、できるだけ勢いよく叫ぶ。
「あら? 私の『救いの手』を跳ね除けるなんて……晴海さんあなた何者?」
「わ、わたしは何も……そんなことより二人はどこに行ったのッ!」
「ご主人落ち着け……逃げるんじゃ……」
「フデコちゃん……逃げてどうすればいいの! ヘレネさんが何したのか聞かないと!」
「そうじゃな……しかし……」
(なんだ今の攻撃は……)
フデコは息を切らしながら、自分の状態を確認する。
(さっきの一撃で、ススキ殿から預かった分の思念は全部バラバラに散ってしまった……そこまでしてもご主人一人しか守れんかった。心殿と叶恵殿は消えてしまった……まさか死んでおらんじゃろうな?)
鬼の形相で睨んでくるフデコを、ヘレネは冷たい目で眺める。
「思念体ねえ。感情だけで作られた虚像の世界の究極形って感じね」
「……力を使ったからか、段々と像が見えて来たのう。お主のそれも、思念体のようじゃないか……」
「……? なんのこと?」
「あくまでも無自覚か。ご主人、敵が見えるか? ヘレネの後ろの奴が」
「ええ……?」
晴海は息を整えて目を凝らす。『見る』能力は、一つの像を捉える。
「何これ……大きい」
ヘレネの背後に広がるのは、空白だった。白を超えた白色のそれは、光り輝く闇だ。横幅は、両手を大きく広げた程度だが、高さに終わりがない。空白が天高く続いている。空白の縁はゆらゆらとうごめいており、今はまだこの場に留まっているが、いつかは膨らんで世界を白で包み込んでしまいそうな予感を与える。
「まさか、心ちゃん達はコレにやられたの……!?」
「心さん達は、私が解放してあげたわ」
ヘレネは、心と叶恵の行方を語りだす。さっきから晴海やフデコと会話が微妙にズレている。ヘレネは背後の空白の像について自覚がないようだ。
「言葉で言っても伝わらないんだもの。全てを理解した私が把握している事柄を、直接二人のこころに届けてあげたのよ。そして二人の魂は、自分達が死んだ存在であることを思い出し、ここが偽りの世界であったことを自覚して、解放される。死者の魂は死者の魂として、余計な虚像を持つことなく、まっさらに消滅するのよ」
「そ、そんな……じゃあ、二人は、死……」
「死んだのは遥か昔の地球なのよ? それを思い出させてあげただけ。怖がらなくていいのよ、あなたもすぐに思い出すから。私は第二地球の全人類を解放する。でも一番最初はあなた達。私がこの答えに辿り着けたのは、あなた達のおかげだから。さあ、あなたの番よ晴海さん……!」
ギュルンッ!
空白の端が千切れて、大蛇の尾のような太い一つの曲線を形づくり、それが晴海に迫ってくる。さっきの一撃と同じものだ。今度はハッキリと捉えることができる。
「ぬうっ!」
衝撃は晴海に届かず、フデコが一身に受け止める。ハサミの刀はもう使えないが、今度は三角定規の盾を持っていた。
「ふ、フデコちゃん! 駄目だよ! フデコちゃんも死んじゃう!」
「わっしは元々生きてるのか死んでるのか分からんようなもんじゃ気にするな! それよりわっしはススキ殿と約束したんじゃ……ご主人を守るってのお!!」
「っ! ヘレネさん! もうやめてよおッ!」
「……」
空白の尾はゆっくりとヘレネの背中に戻っていく。
「どうして抗うのかしら。やっぱり理解してないのがいけないんだわ。晴海さんは賢そうなのに残念ね」
「か、賢いとかそういう問題じゃないです……」
「あなたは歴史とか科学とか詳しい?」
「え? えっと、そういう本は、いくつか読んだことあります……」
晴海は一年以上学校に行っていない時期があったが、その間よく読書や自分の興味のあることの勉強などはしていた。
「じゃあ、第二地球と第一地球の位置関係は知ってる? 何年にこの星を見つけて、何年に移住してきたの?」
「えっと……だいたい四百年くらい前?」
「だいたい、ねえ。じゃあこの星は最初どんな環境だった? 何を基準に国ごとの土地分配を決めたのかしら? 生物植物、食べ物が第一地球と変わらないのはなぜ?」
「そういうのは、全然聞いたことないです。あれ? 歴史の教科書にはなんて書いてあったっけ……17世紀くらいから順番にやってるはずなのに、古いところと新しいところしか思い出せない……移住した頃の歴史は……」
「ところでこの星の交通手段とか通信手段、社会制度がまるまる21世紀前半と変わらないのは知ってる? どうして何も発展してないのかしら」
「え……そんなこと……」
「しまいには、私達グレートマザー教会みたいなのを除いて、一般的にはコードの研究もトラップの研究もなんにも進歩がない。そもそも科学的に研究してる機関って存在するかしら。ねえ?」
「う……うう……」
「今言ったもの、どれも答えられないでしょ。何故なら、そんなものはないからよ。第一地球からの歴史はここには繋がってないから存在しない。宇宙に出たのが本当の歴史だものね。科学技術も、一番良かったところを都合よく妄想して出来た星だから発展しない。21世紀より先に進めば、発展どころか荒廃しかなく、星には住めないことを魂が覚えてるから。そして自分達の真相に関わることは誰も考えてはいない。この幸せな幻想にずうっと浸っていたいから。こんなところで、生きてる意味なんて無いわよね?」
「う……うぐっ……」
涙が込み上げてくる。晴海は一人追い詰められ、反論の一つもできなかった。
*
心は、無の中にいた。永遠に続く空白の上にいた。いや、もはや肉体はなく、「いる」ことすらできていないかもしれない。
(ここは……)
頭がぼんやりとして思考がまとまらない。頭とはどこだ? 自分はただ思考そのものじゃないのか。それがまとまらないのは、自分が無へと向かっているからだ。
(そっか……。あの時見たココロちゃんは、やっぱり私と同じこころの持ち主だったのかな。あの時死んだ魂がそのまま、第二地球で、幻想を見続けていて……)
「心〜?」
声が聞こえる。どこからだ。この空間には何も無い。方向も無いから、声の主が分からない。
「お〜い。あれ、もしかして身体の形、忘れちゃったのー?」
(叶恵……?)
「おー、叶恵だよ〜。あれ、ワタシも身体ないじゃん。どんなのだったかな……あ、でも心のは覚えてるよー? まず身長はこのくらいで……」
空白に、高さが生まれる。心は叶恵の手を通じてそれを思い出す。逆に、そのことが叶恵に手の記憶を与える。
「そうだそうだ、ワタシの身体はこんな感じだったかも。心の方は……お顔がとってもキュートなのに、いつも真剣でカッコいい!」
心は、叶恵をしっかりと目で見て、その声を耳で聞き、返事をした。
「叶恵の方が美人さんだと思うけど?」
「そう? 嬉しいな〜」
叶恵の顔は、ニヤニヤとして楽しそうだ。
「てか、今日は遅刻でも学校行かないとね。来月から冬服だね〜」
叶恵は心の肩をぽんぽんと叩く。心は、中学校指定の制服を着用し、カバンと水筒をぶら下げていた。
「あれ? まさか私達裸だった?」
「気のせいじゃない?」
心は叶恵の身体を改めて見る。同じように、夏の制服を着ていた。
「裸なわけないよね。何言ってるんだろ」
「それより早く晴海のところに戻ろー! また一人にしたら、フデコに切られるかも」
「それは嫌だね。でも道が……」
「あっちじゃない?」
叶恵が指差す方には、一本の道がある。周りの景色が曖昧で、どこだったかは思い出せないが、見覚えのある場所だった。
*
「ねえ思念体さん。もう晴海さんを守るのは諦めましょう? 晴海さんも苦しそうじゃない」
「そうはいくか……お前がご主人を苦しめたんじゃろ!」
「はあ。色々言ったけれど要するにね。私達は全部、思い込みなのよ! この星があるのも思い込み! 自分達は生きてるというのも思い込み! それでいて歴史や社会の矛盾には気づかない! 都合の悪いことは考えないようにしてるのよ! 都合の良いことだけ真実だと思い込んで、考えたくないことは考えないようになってる! 無自覚のうちにみんながそうしているの! こんな思い込みの世界からは、解放されるべきなのよ……!」
「ううっ……心ちゃん、叶恵ちゃん……」
逃げたくなるような言葉を投げられ続け、友達も失った晴海は、全てを諦めそうになる。
だが。
「ヘレネさん、あんまり晴海をいじめないで下さいよ」
「そーだそーだ!」
晴海の背後から、馴染みのある声が近づいて来る。
「あなた達、どうして……」
ヘレネは予想外の事態にわずかに動揺する。
「晴海お待たせ」
「大丈夫ー? 痛いことされてない?」
「心ちゃん! 叶恵ちゃん!」
やがて晴海の両隣に現れたのは、紛れもなく本物の心と叶恵だった。
「無事じゃったか……!」
「二人とも……良かった!」
二人の帰還に、フデコは安堵し、晴海も涙を拭いて笑顔を見せる。
「どうして戻って来られたのよ。確かにあなた達は、解放してあげたはずなのに!」
「ううん……」
心は腕組みして少し考え、やがて答える。
「それ、ヘレネさんの思い込みなんじゃないですか?」
「……ッ! ふざけないで! まあいいわ、もう一度同じことををしてあげる。そちらの思念体ももう限界でしょうから、今度は晴海さんも含めてしっかり解放してあげる!」
ズルリズルリと、背後の空白から三本の尾が伸びて、心達に突進してくる。
「わっしは……もう防げんぞ!」
「あ〜……」
焦るフデコを見て、叶恵は右手を前に突き出す。
直後、空白は目の前まで来て……。
ボヮン。
と、鈍い音と共に動きを止めた。分厚いガラスを、半端な力の拳で殴ったような音だ。
叶恵達の前には、半透明の壁が展開されていた。それに邪魔されて、空白は目標に到達することができていない。
「な、何が起きたのッ!?」
「落ち着いてヘレネ〜。さっきさ、全部は思い込みだ〜って言ってたよね」
叶恵は、悪い笑みを浮かべながらヘレネに話しかける。
「あれ良いね〜。思い込みでなんとかできることがあるなら、どんどん思い込みたいね。それからフデコ。フデコはコードのこと、『信念』って呼んでたよね?」
「あ、ああ……わっしらはその正体を把握できんかったが、直感的にあれは信念だと感じるんじゃ」
「うんうん、それも良いね。でさ、信念ってなんだろ〜って考えたんだけど、譲れないもののことだと思うんだよね。しかもそれを決めるのはワタシじゃなくて、地球で死んじゃったカナエちゃんから託された想いってのがあると思うんだよね。それが『信念』の正体!」
「……何を根拠にそんなこと言うのよ」
「あー違う違う。根拠とかないって。ワタシはそう思い込むことに決めたの! そしてもう一つ決めちゃいます!」
叶恵はダブルピースをヘレネの方に突きつけて、でかい声で宣言した。
「ワタシのコードは『今度こそ心と一緒に生きる能力』! 心やワタシがいなくなっちゃうような嫌なことからは、ワタシが守ります! 今、そう思い込むって決めました〜〜!!」
「何を馬鹿なことを言って……」
「いや、馬鹿なことじゃないですよ」
ヘレネが叶恵の話を一蹴しようとしたところに、心が割り込む。
「この透明なバリア、叶恵が張ったってことでしょ?」
「そのとーり! さすが心」
「思い込み……なるほどね。叶恵が思い込みで勝手に決めたコードがこのバリア! 叶恵はヘレネさんの攻撃から、私達をちゃんと守ってくれてる!」
「な、何を……それも所詮は偽りの現象よ。私の救いの前では無力よ!」
空白の尾が何本も生み出され、同時に襲いかかってくる。
「おりゃ!」
しかし、叶恵が改めて張ったバリアが、その全てを受け止める。そして、追い討ちをかけるように心が叫んだ。
「『ヘレネさぁぁん』!!」
力強い声は空気を震わせ、相手の力を分解する。尾は吹き飛んで消滅してしまった。
「私のコードは元からこんな感じですけど……ふふん。今ならどんな気持ちも、この声に乗せて飛ばせそう!」
「そ、そんな……私の救いが届かないなんて……」
「さあヘレネさん。これであなたの一方的な救いなんてものは意味がなくなりましたね!」
「心殿……」
ボロボロだがなんとか存在を保っているフデコが心の肩を叩く。
「ヘレネの背中の空白……あれはある意味、ヘレネの思考を反映した巨大な思念体なものじゃが、まずはあれをぶっ飛ばすんじゃ。ヘレネから生まれたものじゃが、破滅思想的なものが大きくなりすぎて、あっちがヘレネを引っ張っておる。あれを引き剥がせば、もう少し落ち着いて話し合えるはずじゃ。お主の能力と今の心持ちなら、絶対できるはずじゃ」
「わかりました! フデコの体調は大丈夫ですか? 後ろで休みながら、晴海を見てて下さい!」
「あとはワタシ達に任せて!」
「二人とも……分かった。ヘレネは任せたぞ」
フデコは晴海と一緒に、道路の中心から距離を取る。それを確認して、心と叶恵はヘレネの方に向き直る。
「ヘレネさん! ここから先は、口喧嘩です『よっ』!」
力のこもった語尾から、能力の風が吹き、ヘレネの前髪を揺さぶる。
「……っ。結局、言葉を通してしか分かり合えないってことかしらッ!」
ヘレネも負けじと空白を引き延ばし、叶恵のバリアを殴る。ガンガンと不安になる音が響く。
「いてて。腕にくるね、これ」
「叶恵平気? 無理しないでね」
「へーきへーき。バリア割れたらごめんね?」
「それ不安だね!?」
ドカンドカンと、二人が喋っているうちにも攻撃は続く。
「こんなバリア……思い込みでこうも世界が揺れ動くような不安定な場所なんて!」
ヘレネは頭を抱えながら攻め続ける。
「ヘレネさん! そんなにこの世界が嫌なんですか! 本当に私達は嘘の存在で、生きてないって思ってるんですか!」
「生きてない生きてない! 死んだ事実から目を逸らしてるの!」
「ヘレネさんから聞いた星の正体が事実だとしても! 私はそうは思いません! 『生きてないなんて思わない』っ!」
空白の像がわずかに揺らぐが、すぐに元に戻る。
「どうして理解してくれないの! とっくの昔に、死んでるのよ!」
「それは、地球の人とか、宇宙の人から見て死んだだけじゃないですか!」
「どういうことよ。それを死んでるって言うんでしょッ!?」
「それって関係ないでしょ? 宇宙の人達にとっての私達は死んでいても、私達にとっての私達は、今ここで、生きてるでしょ!」
「意味わかんない。意味わかんない!」
「自分の話を分かって欲しいなら……『私の話も聞いてください』ッ!」
心の、より一層の大声に、ヘレネはビクリと身をすくめる。
「生き方が違うだけですよ。第一地球のルールでは私達が死んだらからって、私達のルールで死んでることにはなりませんよ!」
「だから、それが思い込みだって言ってるんでしょ!? そうやってこの星のルールだけに目を向けて、真実を受け入れない!」
「じゃあ向こうが正しいルールだって証拠はどこにあるんだぁっ!」
「…………」
「なんで第一地球は正しくて本物で真実で、第二地球は間違ってて偽物で嘘だって分かるんですかっ! どっちも嘘かもしれないでしょ!」
「それは……それは……」
ヘレネは第一地球を疑い始める。もし、あちらの人々でさえ実は生きてないとしたら? この星に限らず、この世はどこまでもどこまでも嘘だったとしたら? 何も信じられない……。
「う、う、うわああアア!!」
ヘレネの空白が、暴風のように暴れ回る。空白は千の刃となって、横薙ぎに薙ぎ払おうとする。
「うおお!? 壁変形! 丸くなれ!」
叶恵は慌ててバリアの張り直し、みんなをドーム状に包み込む。
「けほっ……」
「心!? 平気? 喉痛めた?」
「ちょっと声出しすぎかもね。でも、まだいけるよ」
心は、ここで初めて水筒の蓋を開ける。そして中身をごくごくと飲み、十分に喉を潤す。
「ねえ叶恵。……お、お、おしっこ我慢しないとコードが使えないって、これも思い込むだったかもね?」
「このタイミングで大発見!」
心は照れ笑いしながら、息を大きく吸い込み、言葉と共に吐き出す。
「『ヘレネさああぁぁん』!!」
風がもう一つ吹きつけ、ヘレネの暴風を相殺する。
「ヘレネさん聞いて! 確実な真相とか、絶対って言える真実なんて、きっと一つもないですよ! 疑っていたらキリがなくなっちゃいます……!」
「じゃあ、どうしろって言うのよ!」
「だから私達は……信じるしかないんです! 今ここで生きてるって信じて! 疑ってる暇なんてないくらい、一生懸命生きていくしかないんです!」
「……できない」
「どうしてですか! 思い込みで良いじゃないですか! それってそんなに悪いことじゃないですよ。確かなことの方が少ないんだから、思い込んで、信じて、私達の世界を一緒に進むことが、生きるってことなんですよ! だから私も、叶恵も、晴海も、フデコだって生きてるんです! たとえ昔一度死んだ魂の生まれ変わりでも、この星で生きていることの否定にはならない! 生きてるって信じて、ここに立ってるから! だからヘレネさんも、一緒に生きよう?」
「……ごめん、できないの……私にはできないぃ……」
ヘレネはぽろぽろと大粒の涙を流し始める。
「どうして! 誰もあなたが生きてることを疑わない! あとはヘレネさん自身が、自分を信じてあげるだけだよ?」
「だって……私、もう一人、この星から消しちゃったから……だからのうのうと生きるなんてできない……私も死なないと駄目なの! もうみんな死なないと駄目なの!」
空白がガタガタと震えだす。早くヘレネを落ち着かせないと、また暴れ回りそうだ。
「ヘレネさん、さっきはわたし達が最初って言ってたのに……」
晴海は不安そうに呟く。心は恐る恐るヘレネに質問する。
「誰を、消してしまったんですか……?」
「うっ……うぐっ……クラウス……クラウスはもういないのよ……」
「く、クラウスさん……!」
「もう私は戻れない……クラウスが一人ぼっちじゃかわいそう……そうよ! みんなにも同じことをすれば解決するのよ!」
ヘレネは突然顔を上げる。それに合わせて、先ほどよりも鋭く尖った空白が、心達を貫こうとする。
「うわあっ!」
ビシッ。ブスッ。空白は叶恵のバリアに刺さる。
「やばい! ヒビ入った!」
「叶恵殿、守る範囲が広すぎるんじゃないか?」
「フデコ……」
「やはりわっしも戦おう。と言ってもご主人を守るだけじゃが、一人だけならもう少しは待つじゃろう。叶恵殿は壁をもっと狭く分厚くして、心殿の自分の身を守ることに専念しろ」
「わかった! 心、もう少しこっちに寄って」
「いや……私は、いいよ」
「いいって、何が?」
「このままじゃ、ヘレネさんのこころはずっと一人ぼっちだよ。私はヘレネさんのすぐそばまで行く」
「はあ? 何言ってるの、バリアの外に出るつもり? 駄目だよそんなの!」
「私、今すごく心強いよ。隣に叶恵がいて、晴海もすぐ近くにいる。でもヘレネさんは、あそこでずっと一人じゃない! きっと心細くてたまらないはずだよ……」
「近くまで行ったら、なんとかできる?」
「……するよ。なんとか」
「……じゃあ心に賭けるよ。ただしワタシが先に行く。ワタシが壁になるから、できるだけ後ろに隠れてて」
「わかった」
「あの! わたしにも協力させて」
「晴海?」
「わたしのコード、ちょっとは上手く使えるようになったから……準備はいい?」
「晴海? ちょ、何する気」
「えいっ!」
バチバチィ!
晴海の目頭から光線が発せられ、心と叶恵にヒットする。
「あ! 透明になった……! 晴海と初めて会った日以来かも」
「わーお! ワタシは透明初めて!」
「じゃあ叶恵、行くよ」
「うん!」
心と叶恵は、ヘレネに向かって走りだす。ほんの数秒でたどり着く距離だが、ヘレネの暴走のせいで進まない。
「ああ! クラウス! うわああん!」
ヘレネの鳴き声に共鳴して、空白の刃が飛び回る。
「ひぃ危ない! こんなに乱暴されたら、いくら透明でも当たっちゃうよ〜」
「う、『うわああ』!『わああ』!」
心は走りながら発声して、当たりそうな空白を消して進む。
「心危ない!」
一際巨大で素早い刃が心に直撃しそうなところに、叶恵が飛び込む。
「ぐふうっ! ……どわぁっ!」
「叶恵ーーっ!」
叶恵はバリアを張ったが、バリアごと奥に飛ばされていった。
「くっ……ヘレネさぁぁん!」
しかしヘレネは目の前だった。心は気になる叶恵の様子を確かめることは諦め、ヘレネに飛びついた。
「きゃんっ!」
心が思い切り抱きついたので、ヘレネは尻餅をつく。
「ヘレネさん! ヘレネさん!」
心にかけられた透過は、自身の声のコードを浴びてとっくに解除されていた。
「何よ! 離しなさいよ!」
「離しません! もう死んでるなんて言わせない!」
心はヘレネの手をガッチリと握って離さない。
「ほら! 私の体温が感じられますか!」
「い、痛い! 体温より力が強い! なによもう!」
「痛みでも、いいです! 私はヘレネさんの体温感じます! お互いにお互いを感じられてるのが分かりますか……私達が、生きてるからです! 自分じゃない誰かがいる。それだけで、生きてるんだって信じることができるはずです!」
「むり……むり……」
「じゃあ否定してみろ! その痛みとか体温を、思い込みだって否定してみろ!」
「う、ぐぅ……むりぃ……!」
痛みも温もりも重みもその声も、ヘレネは否定できない。ヘレネから引き離すことができない。自分の一部ではない、自分の思い込みではない、他者がいる。心の存在を、否定できない。そしてそれは心にとってのヘレネも同じことだ。お互いの命を、否定することはできない。
「ねえ、認めてよヘレネさん……信じてあげてよ、自分を……」
「…………っ」
「『私は生きてるって、言って』ッ!」
ぐらりと、空白が歪む。だんだんとその白は狭まって、元の世界を映し出していく。
「…………てる」
「もっと大きな声で!」
「私はァ! 生きてるッ!」
ぐんと、白は縮まる。ヘレネの絶望は、ヘレネのこころから逃げていく。やがて空白は、世界の鮮やかな色で埋め尽くされた。
*
一同はいつもの公園で話し合うことにした。
ベンチに落ち着きを取り戻したヘレネを座らせて、その隣には心が座り、ヘレネの背中をさすっている。叶恵は心の膝の上に座ろうとしたが、心に怒られてやめた。今は晴海と一緒に立ったまま話を聞いている。話題は、クラウスのことだ。
「クラウスさんは、取り戻せると思うんです。ヘレネさんの力で消えたのは私と叶恵も同じだけど、戻って来られたから……」
「ごめんなさい。本当に」
「それは、もう大丈夫ですよ。あの時の私達は、どんな状況だったのかな」
「なんか魂だけになったって感じたよね〜」
「うん、叶恵の言うとおりかも。死んじゃったというより、身体を失ったって感じた」
「死んだら戻って来られないし。だからクラウスも絶対生きてるよ!」
「そうかしら……でも、どうしたら呼び戻せるか……」
「うーん……」
四人は考え込む。心と叶恵はなぜ空白の世界から戻れたのだろう。
「うん、よし」
ヘレネは急に立ち上がる。
「何か思いつきました?」
「んーん、全然分かんないわ。でも、それを考えるのは私の責任だと思うの」
「そんな、一人で抱え込まないでも」
「違うのよ心さん。そりゃああれだけ喚いたから酷い顔してると思うけれど、今不思議と勇気が湧いてるの」
ヘレネはにこりと笑顔を作る。目が腫れて声も枯れているが、その笑顔は前向きなこころが生んでいるに違いなかった。
「ここまで助けてもらったんだもの。後は私が見つけるわ。クラウスはきっとどこかにいるわよね。絶対見つけて、また一緒にコンサートでも開くのよ!」
「ヘレネさん……分かりました。じゃあヘレネさんに任せますね。その代わり、何か困ったことがあったら私達を頼ってくださいね?」
「心さん……分かった。何かあったらお願いね」
「ワタシも力になるよ〜」
「わたしも、協力します……!」
「叶恵さんも晴海さんも、ありがとう。じゃあ、もう行くわね」
ヘレネはずんずんと出口に向かっていく。しかし出口手前で……。
「ぽへっ!」
こけた。
「あ、転んだ」
「ヘレネさんらしいね……」
「いつものヘレネさんで、ちょっと安心です」
三人は思わずくすくすと笑ってしまった。
「じゃあ……学校行く?」
心はカバンを持ち直す。
「えー、遅刻確定だけど」
叶恵は面倒くさそうに伸びをする。
「あはは……今日はわたしもこっち側かあ」
晴海は嘆きながらも、なんだか嬉しそうだ。
「よし! 今日はみんなでトラップに巻き込まれた設定にしよう!」
心は決心して走りだす。
「わー心ってば悪い子〜」
「じゃあ叶恵は何かいいアイデアいるの?」
「ない! トラップに責任転嫁じゃ! あっはっは!」
三人は、トラップのせいにすることに決定したが、一応小走りで学校まで行ったのだった。