二つの解決
明くる朝。心は眠い目を擦りながら唸り声をあげる。
「うぐぅ〜……あー、あー」
昨日は運動会並みに声を出したので、喉の調子が気になる。幸い、声は枯れていない。
心はぼんやりとした顔で朝の支度を進める。着替えの時も朝食の時も、一言も発さずにいた。しかしその頭はぐるぐると動いていた。
そろそろ出発の時間というときに、玄関前で母の結衣が声をかけてくる。
「心? ぼーっとしてるけど、大丈夫?」
「……平気だよ」
「はい、水筒」
「うん、ありがとう」
半年一緒に登校した水筒は、いくつか傷がついていた。それを見て、心はあることを決意する。昨日から今まで考えていたことを、実行するのだ。
「ねえ、お話聞いてくれますか?」
「うん? どうしたの?」
「その、お母さんじゃなくてね……詩真さんの方に、話があるんだ」
「…………」
二人はしばらくの間、じっと見つめ合う。そして沈黙を破ったのは。
「なんだよ、ガキ」
詩真の方だった。
「良かった、出てきてくれて」
まず詩真が応じてくれたことに、心はほっとする。
「詩真さん、私ね、中学に入ってから色んなことがあったんだ。晴海と友達になって、そのおかげで不思議な生き物が見えるようになったでしょ?」
「……へっ、あのハサミ女のことか」
「あなたも、同じなんでしょ?」
「まあな」
「それから外国のお友達もできたの。昨日はその人と喧嘩しちゃった……へへへ」
「お前それはお前の大好きな結衣ママに話せよ」
「ちょっと待ってくださいよー、私は詩真さんと話したいんです」
「……チッ」
いつもより柔らかく接してくる心に、詩真は居心地が悪い。
「それで、ウチにそれを話してどうするんだよ?」
「答えが出たんです」
「答え……?」
「春に詩真さん言ったでしょ。お母さんを治すことは、詩真さんを殺すことだって」
「あ〜、言ったな」
「私、ずっと自分に言い聞かせてました。詩真さんは病だ、生きてるなんてことない、消えちゃえばいいって」
「…………」
「でも、それは全部嘘でした。自分の本音に、嘘ついてました」
心はもう一度、一日考えて導き出した答えをなぞる。
晴海と初めて会った日、心は強く信じ込んだ。トラップなしでもコードは使えると。結果、コードを発動し、晴海の暴走を止めた。
詩真が思念体だと分かった日、心のコードでどうにかできるとフデコに言われた。それを聞いて『消えろ』と叫んだが、失敗した。失敗の理由は今なら分かる。こころの底から『消えろ』と願っていたわけではなかったからだ。
錦戸に絡まれた時も、心は一度失敗した。叶恵を返してと本気で怒ったらコードは発動した。一度目は気持ちが整っていなかったのだ。
そして昨日のヘレネとのやり取りを通して、自分のコードを自分のものにした。その確信があった。
「詩真さん。私は、あなたも生きてると思ってる! こうして一緒に喋ってるから。それだけじゃない、死んでほしくないとも思ってる!」
「なっ、なんでそんなこと言うんだよクソガキ! ウチを殺せよ! お前の大事なママの身体をいいように使ってる! 悪い奴だぞ!」
「それって詩真さんが決めたことでしょ! あなたはそれ以外、私達に悪いことしてない! すごく口が悪いけど……でも、なんだかそれって……あなた悪者になろうとしてないですか!」
「う、うううるせぇな! 悪役演じてるってか? そんなことねぇよ!」
「詩真さんがなんと言おうと関係ないよ。私はお母さんや叶恵達と生きるように、あなたとも生きるって決めたんだから」
「そんなの駄目だろ、結衣が不幸なままだ!」
「それも違うよ! ……私の知り合いはコードのことを色んな呼び方するんですよ。星の力とか信念とか思い込みとか……」
「なんの話だよ」
「でも要するにコードって『思いの力』なんじゃないかなって、私思ったんです。いえ、絶対そうです。私はそう決めました!」
そう話す心の目はキラキラと輝いて楽しそうだ。
「なんだよその顔……ウチと話す時はもっと、嫌な顔してなきゃ駄目なんだ……」
「私の思い……お母さんを助けたい、詩真さんも生きててほしい……そんな私の思い、詩真さんに届けるね」
まだ玄関で、外にも出ておらずトラップにも遭遇していないが、心は水筒の水をガブガブ飲む。
「詩真さん……そこでしっかり聞いててね」
心は息を大きく吸う。肺が膨らむ感覚と、冷水が腹の中を流れる感覚に、意識を傾けながら、一晩頭をひねって考えたフレーズを思い浮かべる。
そして、言葉にして放つ。
「『猫になっちゃえ』っっ!!」
「……は?」
豪と。
叫びと言葉と想いが風になって、詩真に吹きつける。
「ぐっ……!?」
(なんだこれ!? 心はなんて言った? 猫? 猫って言ったよな……どういうことだ……って、すごい力だ!)
「ぇぁああ!」
心は息が続く限り声を出し続けている。
(うおお!? 引き剥がされる! そうか、ウチは、やっと、消してもらえるのか……いや違う! 吹っ飛んだ分の『自分』が別の所に集まってやがる! なんなんだよこれはーーッ!?)
…………。
*
放課後。心、叶恵、晴海は揃って早見家の前まで来ていた。普通なら叶恵と晴海の家はすでに通り過ぎたので、心一人になっているのだが、今日は三人一緒だ。
「珍しいね〜心が遊ぼうって言いだすの」
「しかも、帰りにそのままなんて……何か良いことあったのかな」
「えへへ、見せたいものがあるんだ。上がって上がって」
心は扉を開けて、二人をせかせかと招き入れる。
「ただいまあ」
「お邪魔しま〜す」
「お邪魔します」
「あらお帰り。みんなも一緒なの? いらっしゃい」
リビングでは結衣がのほほんとテレビを見ていたが、突然の来客に気分を害することなく、優しく迎えてくれた。
三人は手だけ洗って、上階の心の部屋へと移動した。
「さ、座って座って〜」
部屋に入ると、心は早速二人を座らせる。二人は落ち着きのない心を見て苦笑いしながらも言う通りにする。
「心〜、ちょっと落ち着きなってー。何があったの?」
「ふふふ、ちょっと待ってて」
心は部屋の窓を開けて、キョロキョロと外を見回す。そして身を乗り出して屋根の方を確かめた時、何かを見つけたようだった。
「いた! ねえ、ちょっと降りて来たよ……えー、いいでしょ。叶恵達に見せるの! あなた叶恵達にもイジワルしたじゃん! こっち来なさい! そうそう、それでいいんですよ」
心は屋根の上の何者かと会話した後、叶恵の横に座る。
「誰と話してたの……」
「今来るから、待ってて」
「はあ……」
間もなく、屋根から窓枠へ、窓枠から室内へ、ぴょんぴょんと一匹の動物がやって来た。
「……猫だー!」
「シャー!」
「おう……」
それは猫だった。どっしりと丸みがあって、グレーの毛並みとクリクリの目が可愛らしい。
叶恵はすぐさま擦り寄っていくが、威嚇されて後退する。
「ブリティッシュショートヘア……?」
晴海は猫種を当てにいく。そこにフデコが現れて、猫を睨んで言った。
「おい待てご主人! こいつ猫じゃないぞ!」
「え、じゃあ何」
「猫又かぁ!?」
一同は心の方を見て答えを求める。
「この猫は、詩真さんです!」
「……詩真さん? ってあの二重人格の?」
「そうだぜ叶恵〜」
「うわあ猫が喋った!」
叶恵は部屋の隅まで逃げて、すぐに猫の前まで戻ってきた。
「今喋ったね!? じゃあやっぱり詩真さんなの?」
「その通りだ。心に今朝、猫に変えられちまった」
「すっごーい! 心、どうやったの?」
「コードを使ったんだ。昨日ヘレネと喧嘩して思ったんだよね、自分の気持ち次第で使い方は色々あるって。それで、『猫になれ』って叫んでみたの」
「そしたら見事に猫になっちまったよ。猫の思念体の方が正確か? とにかく、結衣からは離れたし、ウチも消滅してないし、万歳大成功だな全く」
「へ〜〜そうなんだ、心すごいねぇ。ねえ詩真さん? いいや、詩真ニャン? 語尾にニャって付けて喋ってみてよ絶対可愛いから〜。あと、撫で撫でしていい〜?」
「うるせぇ近寄ってくるな! べーっだ!」
詩真ニャンはタッと駆け出し、窓から外に逃げてしまった。
「あ〜ん行っちゃった」
「叶恵グイグイいきすぎ。あっちの方が小さいし、さすがに怖いって」
「そ、そっか。……でも本当に良かったね。これならみんな、幸せそう」
「うん。これでお母さんも、詩真さん……詩真ニャンも、前より幸せになれるかな」
「それもだけど〜」
叶恵は心の頬をつつく。
「心もね?」
「……そうだね」
詩真ニャンが逃走したが、せっかくなので三人はちゃぶ台を用意して麦茶を飲みながら、しばらく雑談をしていた。
そんな時、心の携帯電話に電話がかかってくる。
「誰だろ……ヘレネさんだ!」
「マジ!? スピーカーにしてよ」
心は電話に出る。
「もしもし? 今、叶恵達と一緒にいるんだけど、スピーカーモードで話しませんか? ありがとう!」
心は電話をちゃぶ台の上に置き、スピーカーホンに切り替えた。
『ハローみんな、ヘレネよ。その、元気かしら?』
「元気だよー」
「です!」
『うん、その声は叶恵と晴海ね。元気そうで良かったわ、本当に。それで、今日電話したのはクラウスの件なのだけれど……』
『やあみんな。コンサート以来かな?』
「「「クラウスさん!?」」」
電話の奥から聞こえてきたのは、クラウスの声だった。
「良かった! こっちに戻って来られたんですね?」
『ええ、おかげさまで。どうすればいいか迷ったけれど、結局この星はきっと、『信じる力』だから。クラウスの好きだった歌を歌いながら、クラウスは生きてるって信じて祈り続けてたら……気づいた時には、目の前に……いてくれてぇ……』
『泣くなよヘレネ。そりゃ僕だって、ヘレネが突然トラップに飛び込むなんて言い出して本当に飛び込んだ挙句、出てきたら全てを見てしまったと訳のわからないことを言いながら発狂しだして、ヘレネから放たれる謎のエネルギーにぶつかった後には真っ白な空間に閉じ込められて、何時間もそこで待たされて驚きの連続だったけど、こうして生きて帰って来られたんだから気にすることないさ!』
『ごごごごめんなさいぃ……本当にぃ……』
「わーおクラウス鬼畜〜」
クラウス怒涛の嫌味に、叶恵はドン引きだ。
「く、クラウスさん、その辺にしてあげて……」
『あっはっは。少し言いすぎたかな? ヘレネ、僕は本当に気にしてないから。それよりヘレネが無事で良かったと思ってるよ。助けてくれたみんなには感謝しないとね。ありがとう』
「い、いえいえ私達は、ヘレネさんと喧嘩しただけですから」
「もう殴り合いよぉ!」
「そ、そうです! わたしも、張り切っちゃいました」
『もう……あなた達は本当に、馬鹿な私を助けてくれた恩人なんだから』
「なんだか照れますね……」
『……そうだ、私達明日には日本を出て、国に帰るの』
「え、そうなんですか? 寂しいですね……」
『そうね。最後の挨拶が電話になってしまうのは少し申し訳ないのだけれど、さようならね』
「……むしろ電話なら、帰国した後も喋れるんじゃないですか?」
『……たしかに!』
『ヘレネその顔……まさか本当にもう会えないし会話もできないみたいに思ってたのかい?』
『全然気づかなかったわ。じゃあ離れていても時々お話しましょうね!』
「はい! でもたまには日本に来てくださいね!」
「ワタシ達がドイツに行くのもありじゃない?」
「もう少し大きくなったら、みんなで行きたい……!」
「それもそうだね! ヘレネさん、どこでだってまた会えますよ!」
『その通りね。心、叶恵、晴海。いつか絶対、また会いましょう!』
「はいっ!」