トラップやコードといった諸問題があるにしても、それは登校時に限られている。学校に到着してからは、移住前の地球と変わらない平凡な生活を送るだけだ。授業を受け、昼食を取り、休み時間を友達を過ごす。そうして一日はあっという間に過ぎ、放課後がやってくる。
「心、帰ろー」
「うん、行こっか」
荷物を詰め終えて、心は叶恵と一緒に教室を出る。登下校を共にするのは、小学校の時から続いていてもう七年目だ。今年度はたまたま同じクラスなのですぐに合流できるが、別のクラスだった年もどこかで待ち合わせをして一緒に行動していた。二人の関係はばっちり安定している。
帰り道にはトラップが無いので、二人はゆったりと歩いて帰る。朝が慌ただしく、帰りが落ち着いているのは誰にでも当てはまることかもしれないが、駆けるように登校している二人は特に差が激しい。
「最近あったかいね」
「うーん、制服暑くない? うちのセーラー黒いから余計に暑く感じるしさー。脱いでいい?」
「こんなところで脱がないで……五月になったら衣替えだからもうちょっとの辛抱だよ」
「う〜。もしかしてコレ、春は暑くて冬は寒いやつじゃない?」
叶恵は半年以上先のことを懸念しはじめる。
「あっはは、今から冬のこと考えてるの? 冬はコートとか着ても良いから寒すぎってことはないと思うけどな」
「心も冬のこと考えてるじゃん!」
「ええ、叶恵が言ったからじゃん!」
笑いながら歩いていた心だが、足元にあったあるものが目に映り、足を止める。
「わっ、なにこれ……」
「んー? なになに?」
並木の下になにか小さくて丸々としたものが落ちている。花のような鮮やかさではなく、肉の生々しさをもつピンク色をしている。ふにゃりと柔らかそうなその塊からは、三つほど突起のようなものが生えている。
「今踏みそうになってびっくりしちゃった……」
「とり……」
「え?」
「これ、鳥さんだよ心……」
鳥の雛。まだ卵からかえったばかりのようで、羽毛が生えておらず、一見すると鳥には見えない。羽のない細い翼が一対と顔があるが、目は開いていない。その小さな全身は、ぴくりとも動かない。
「し、しんでるの……?」
「えっとー……」
叶恵は周りを見渡す。すぐそばの木から落ちて来たのだろうと思うが、素人では巣は見つけられない。
(それに、見つけたって戻してあげられるわけじゃないしなー……)
「くぅっ! ワタシたちにはわかんないよっ! 悔しいけどどうにもできない……!」
「……そうだよね。い、行こうか……」
叶恵の言葉に、心は露骨に暗い顔でそう返す。
「多分まだ生きてるよ! そんで誰か技術がある人が助けてくれるよ!」
(技術がある人って誰だよお!)
自分へのツッコミは飲み込んで、叶恵は心を引っ張っていく。
「ちょっ、いてて。手、引っ張らないでえ!」
「おう、ごめんごめん。あ、そういえばどっちかの手首をもう片方の手でギュッてしたことある?」
「な、ないよ! どうなるの?」
「血が止まって色が薄くなる」
「なぜそんなことをっ!?」
「あ、葉っぱがだいぶ付いてきたね!」
叶恵は話題をコロコロと変えていく。
「葉っぱ? あ、桜の木か」
桜の花はもうとっくに散ってしまったが、代わりに新緑がめきめき成長している。
「ワタシさ、花が散った後の葉っぱパワフルで好きなんだ〜!」
「へえ、それは初めて聞いた。ちょっと変わった目の付け所だけどなんか素敵だね。私は綺麗な花のほうが好きだけど」
「桜の花が嫌いな日本人も少ないと思うぞ」
「それもそっか」
心の気もいくらか紛れたようで、いつものような明るい会話が戻ってきたところで、叶恵の家までたどり着く。心の家より叶恵の方がわずかに学校に近い。
「じゃ、また明日ね〜」
「うん、じゃあね」
そこから数分間、心は一人で歩いて家に帰る。
「……」
友達と別れた後すっと静かになった空気に包まれていると、またさっきの雛鳥のことが脳裏をよぎる。
(考えても仕方ないか)
自宅に着いた心は扉を開けて、中に入る。
「ただいま」
「あら、おかえりなさい」
玄関からすぐ左手にあるリビングから、母・結衣の声がする。靴を脱いで綺麗に揃え、家にあがる。リビングを覗くと、結衣はソファに腰掛けてくつろいでいた。
「お母さん何飲んでるの?」
「紅茶よ。ちょっと飲んでみる?」
ちょうど喉が渇いていたので、勧められるまま一口もらう。
「……ちょっと苦いね、えへへ」
「お母さん苦めが好きだから。お砂糖足す?」
「ううん、いいよいいよ。お母さんのでしょ」
心は洗面所に行き、手を洗ってまた戻って来る。次はリビングダイニングと一続きになったキッチンまで行って、冷蔵庫から麦茶を取り出す。それをコップに注いでいると、結衣が話しかけてくる。
「なんか元気ないね。なにかあったの?」
「え、そう?」
心は手を止めて顔を上げる。
「なんだか暗い顔してるもの」
「あー、顔に出ちゃってたか。たいしたことじゃないんだけどね。帰りにちょっと……」
心は例の雛鳥のことを話した。どうしても気になってしまうのだ。
「そう、そんなことが……それはちょっと、ショックね……」
「まあ叶恵の言う通り私たちにはどうすることもできないんだけどさ……!」
心は麦茶を一気に飲み干し、冷水ポットを冷蔵庫に戻す。
「しっかし苦いなこのお茶。よくこんなの飲めるよな、結衣は」
不意に聞こえた声に、心の背筋は凍りつく。ゆっくりと振り向いて、ソファの方をみる。先ほどまでのお淑やかなオーラはどこにいったのか、どっかりと脚を組んで紅茶を眺めている結衣の姿がある。
「実際、あんたも飲めてなかったしな。心……!」
「はあ、お久しぶりですね……詩真さん……」
心は紅茶の話を無視して、結衣にそう言い放った。正確には、結衣の別人格に、だ。
「おいおい、そう固くなるなって言ってるじゃん。ウチはあんたのこと家族だと思ってるんだぜ〜?」
「誰があなたみたいな下品な人と家族ですかっ! あなたは他人です!」
「相変わらず冷たいな……いいじゃんかよ別に。結衣と同じ体の中にいるんだぞお?」
『詩真』は結衣と身体の中にあるもう一つの人格だ。本来この身体の中にあったのは結衣の人格の方で、結衣が若い頃に後から発現したのが詩真の人格だ。その性格は結衣とは真反対で横柄。おまけに表に出るタイミングを詩真だけが任意に操作できるようだ。早見一家の悩みのタネの一つであり、心にとってはこの星のトラップやコードの問題より深刻まであった。
「お父さんが好きになったは結衣お母さんの方で、私を産んでくれたのも大事にしてくれるのも、そして私が大事にしたいのも、結衣お母さんの方ですと! 何回言ったらわかるんですか! 二度と家族ぶらないで下さいよっ! 不快です!!」
苛立ちまじりの心の言葉の数々を、詩真はヘラヘラと聞き流す。
「偉そうに言ってるけどよ、あんたのパパ上は、ウチの存在を知ってる上で結婚したんだぜ? そりゃいくら結衣のことアイシテルとしても、ウチとも結婚したようなもんだろ?」
「あなたの態度は家族と呼ぶに相応しくないんです! ……いつか絶対、あなたをこの家から、お母さんの中から追い出しますから!」
この宣言を詩真にするのは何度目だろう。いつからか心は、詩真が現れて喧嘩になる度に「追い出す」と言い放つようになった。母の二重人格の原因は解明できていない。医療の道に進んでこの謎を解明し、そして治療することが、心のいう「詩真を追い出すこと」であり、夢であり目標である。
「追い出すねぇ……医学の力で、ウチを治そうってんだろう?」
「そうですよ」
「そりゃ無理だね」
「今は無理でも、いつかはやってみせますよ」
「いいや、無理なものは無理だ」
「ふん、そうやって余裕ぶってれば良いですよ。絶対やってみせますから」
「ほ〜、そうかいそうかい。ところでさ」
心の夢を嘲笑っていた顔が、スッと冷たくなる。
「あんた、さっき鳥の話してたろ? 死んじまってるかもしれないって」
「え? ああ……そうですね……正直、あのまま助かるとは思えないし……」
嫌なことを蒸し返されて、心の表情は暗くなる。
「初めて見た鳥が死ぬのは悲しむってのに、ウチが死ぬのは平気なんだねえ!」
「はあ? 何言って……」
「わかんないかなあ?」
詩真はずずいと心に詰め寄る。いつも見ている母の体なのに、こいつが操っているだけで何倍も大きく、恐ろしく見える。
「ウチだって命があって生きてるつもりなんだ。けどたしかに所詮は結衣の体だしね、治療して成功したら消えるのはウチだ。そんで、あんたが治療を担当したなら……あんたはウチを殺したことになるんじゃないの?」
「そ、それは……」
「雛鳥が死んだらカワイソーって嘆くのに、ウチに向かってあんたは「いつか殺してやる」って言ってるようなもんなわけよ。わかる?」
「それは違いますっ!」
「何が?」
「……ッ」
とっさに否定したが、本当に違うのだろうか。反論の言葉が、うまく出てこない。いや、憎い相手自身に何か吹き込まれたからといって、決意を揺るがしてはいけない。向こうも生き残ってやろうと必死なんだろう。けれど相手は病魔なのだから、存在しない方が良いのは当然のことのはずだ。
「と、鳥は……小さな身体でしたけど、確かに一つの命だと思います! それとおんなじで、もともとその身体は結衣お母さんのものです! 詩真さんは後から入り込んで来たんだから、出ていくべきも詩真さんでしょう!? お母さんに身体を返してください!!」
「ふうん……ま、勝手に喚いてな」
口論に飽きたのか、心の勢いにやられたのか、詩真はソファに座り込む。そしてがっくりとうなだれて……次に顔を上げた時には、柔らかな表情の女性となっていた。
「心? 顔真っ赤よ? 平気?」
「えっ、うん。平気。顔洗ってくるね」
無事に結衣に戻ったことを確認すると、心は洗面所にいって、冷水で顔を洗う。肌がキュッと引き締まり、熱が引く。しかし、鏡に映る自分の顔には迷いが見てとれた。
「結衣の病気を治すことは、詩真を殺すこと?」
心は、静かに、己へ問いかけた。