異星の少女は未来(いま)を生きる   作:矢田悠進

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転校生 その2

 その後は誰も晴海に近づかないまま、午前中の授業は終わってしまい、そして昼休みさえも終了時刻が迫っていた。

「次音楽じゃん。……って教科書忘れちゃった。ちょっと他のクラスの友達から借りてくるね」

「じゃあ先音楽室行くね」

「おっけー」

 叶恵は隣のクラスの扉を開けて、誰かを呼んでいる。心は一人で音楽室の方は歩き始める。心の学校では、階ごとに学年が分けられており、二階が心たち一年生の教室だ。廊下の端から、一組、二組と順番に、整然と並んでいる。そして、階段の一つが一組教室と二組教室の間に位置している。音楽室は一階なので、階段を降りようとすると、一組の前に晴海が立っていることに気付いた。壁に貼ってある地図を見ているようだ。

(そっか、音楽室の場所知らないよね)

 心は晴海の側まで言って、恐る恐る話しかける。

「南条さん?」

「ひっ……」

「あ、あの良かったら一緒に行きませんか?あ、嫌だったら全然構わないんですけど……あ」

 心は晴海の肩に埃が乗っていることに気付いた。

「ごみついてますよ」

 そして手を伸ばすと。

「ひいぃ……触らないでッ!?」

 バチリィイ!!

 一瞬の出来事だった。ただの廊下で聞こえるようなものではない不気味な、電撃が駆け抜けるような音がして。

「え……」

 心と晴海が立っている場所のさらに奥、廊下突き当たりの壁に、大穴が空いていた。外に生える樹のてっぺんが奇妙なほど爽やかに揺れ動いているのが、はっきりと見えてしまっている。

「な、壁がっ!?今なにが」

「わたし、わたしまた……あ、ぁぁ……、ダメ、お願い、離れて!今すぐ離れて……はあ、はあ」

「な、南条さん大丈夫ですか?そうだ、先生を呼んで……」

晴海は完全にパニックになっていた。そして。

「うううっ……!!」

バギィ!

また嫌な音が鳴る。いったいどこから、なぜ。

そして二度目の音の後に起こった異変を、心は認識してしまった。

「う、うおわあ!?何ぃ!?」

大穴の空いた壁の次は。

「左手が無い!!」

自分の左腕、肘から先が綺麗になくなっている。

「えぇっ!?ええ!?えっ」

脚が震える。叫び出したい。しかしわずかな理性で分析すると、痛みはない。血も出ていない。床に「ちぎれた左手」が落ちているわけでもない。勇気を振り絞って右手で左の手首があったはずのところを触ると。

「つ、つかめる!見えなくなっただけですね!たしかに私の左腕は、ある!よし、よし、落ち着け自分……!」

すんでのところで冷静さを取り戻した心は、晴海を見る。廊下の角でうずくまって、頭を抱えている。

「やだ……やだあ……!!」

ビキリ。

今度は、まるで巨大な怪獣が爪で抉り取ったかのように、地図のかかっていた壁が消滅する。否、見えなくなる。恐らく奥の壁も、穴が開いたのではなく透明になっただけだろう。

「「ひゃあー!」」

悲鳴が響く。いつのまにか集まった野次馬達だ。心と晴海を囲むように集まってしまっている。壁がない、心の腕がない。混乱の渦が巻き起こっていた。

「心ーーっ!」

「叶恵っ!!」

「心ッ!?ひっ、左手が!」

「だ、大丈夫なの!透明になってるだけみたい。ほら触ってみて」

「え、うわ〜、ある……!」

「でしょ?だから私の心配より南条さんを」

「駄目だよ心、一回離れよう?」

「う、やっぱりそうかな。誰か大人に任せるべき……だよね」

「そうだよ。そうだ、これ巻いて」

叶恵は朝使っていた蝶のタオルを心の左手に巻く。見えない部分に布が巻き付くことで、そこに腕が在ることがはっきりとわかる。

「本当は汗拭いてあげようと思って持ってきたんだけど」

「へ?」

そう言われて初めて、自分がだらだらと冷や汗を流していることに気づく。

「と、とにかく下がろう」

そうしている間にも、晴海はうめき続けていた。

「ごめんなさい、わたし、わたしぃ……!」

ズキュン、ズドンと、奇怪な音と共に、壁が、床が、天井が、どんどん見えなくなっていく。教室の中が、下の階が、上の階が、どんどんみえるようになっていく。

「でも。こ、これ先生が来てどうにか出来るもの?そもそもこれは何……?」

やはり捨て置けない。立ち止まって心は考える。これは明らかに怪奇現象だ。そしてこの星で考えられる怪奇現象といえば、コードやトラップの類しかない。

(じゃあどうしてこんな時間にこんなことが起きているの?だって今は昼!トラップが発生するのは、そしてそれと合わせてコードが発動できるのは、朝だけって決まってるのに!)

ふと、心の頭の中にとある「会話」が思い浮かぶ。

 

——「もし『普通ならコードが使えない時間でも、コードが使える人』が近くにいたらね。自分もコードが使えるようになるって思わない?」

「トラップの代わりに、コードに反応してコードが発動するってこと!」

「仮にトラップが無い時間、昼や夜に。何故か、何故かコードが使える人間が近くにいたら。自分もコードが使えると」

「そのとーり!面白いでしょ?」——

 

先日、風邪を引いて病院に行った際に凜子と交わした会話だ。

「昼……トラップの無い時間……。でも今、この状況を作り出している謎の力。それはきっと南条さんのコード!透明にする力かな……トラップを見えなくして素通りする、そういう能力かも。ううん、どちらにせよ重要なのは、トラップ無しにコードが発動していること!」

心はぶつぶつと呟きながら、廊下の最奥で「コードを発動し続ける」晴海を見据える。

「凜子さんの仮説と、今の私の分析が正しければきっと……。むしろこんなに荒れてるんだもの。コードというより、廊下全体に張り巡らされたトラップって言っても問題ないくらい!それなら私は……!」

全て予想、さらに言えば妄想に過ぎない。だが信じるしかない。それしかこの状況を突破する方法は無いし、それが最善策だと、直感的に感じるのだ。

「叶恵っ!」

「なに!早く逃げようよ!」

急に止まって考え出した心に、叶恵は焦りと不安が混じった顔を向けている。よく見るとさっきよりも野次馬が遠のいているし、人も減った。この切迫した空気が伝わり始めているらしい。

「水筒、とってきて!」

「水筒!?……うん、待ってて!」

そう言って駆け出した叶恵が戻ってくるまで、ほんの10秒だった。

「パスっ!」

「うおっ!」

叶恵が投げた水筒を、見える右手と見えない左手の両方をしっかりと使ってキャッチする。

(これ……叶恵のだ)

「なんで私のじゃないの……ふふっ、むしろ、落ち着いた」

心は晴海に向き直る。

「何が起きてるかわからないけど……私にできることはきっとこれしかない……!」

叶恵が渡してくれた水筒の蓋を開ける。ぽんっ、と清涼感あふれる音が、耳に届く。飲み口を顔に近づけて、そして、飲み始める。

叶恵の家のお茶の味。いつもと違う味がする。今目の前に広がる非日常を物語るかのように、その差異が心の感覚をビリビリと刺激する。

そして、次の刺激は下腹部に訪れる。毎朝のうっとうしいあの感覚。しかし今、この感覚こそが切り札だ。

「これで叫べば……全部リセットできるかも……いや、やってみせる!」

ここで心の「すべてのトラップを打ち消す」能力が発動すれば、透過された全てのものをなおせるはずだ。しかし本当に発動する確証はどこにもない。

「……発動したとしても、威力が低かったら……?」

小さな力でも、晴海という力の発生源を鎮められるように近づくしかない。初めこそ隣にいたものの、その後かなり後退してしまっている。晴海との差は教室一つ分。

心は一歩一歩、前に進む。

「やめて来ないで、あなたをこれ以上苦しませたくないの……!」

近づけば近づくほど、晴海の焦燥は高まり、混乱は深まる。ビシリビシリと、透過の攻撃が乱射される。

「うっ……」

何発かは心に当たる。上履きはもう見えない。二つに結んだ髪の片方もなくなってしまった。

「大丈夫……大丈夫……見えないだけ……見えないだけ」

そう言い聞かせ、距離を詰めていく。恐怖もますますこみあげてくる。もし、シャツやスカートに当たったら?公衆の面前で、下着を晒す屈辱を味わうかも。もっと威力が強く、腹が透けたら?自分の「内臓」を見なければいけないかもしれない。そうなればスカートの比ではない。

「南条さんっ!」

心はたまらず駆け出した。彼女の目の前までもうすぐだ。息を吸う。肺に溜め込む。破裂しそうなほどに、吸って、吸って、吸って。

「いやぁ……わたし……わたし……!」

ピカリと、視界が光る。今までで一番強い『力』が、来る。

ドプンと、心は大きな力の波に呑み込まれるのを感じた。もう誰の目にも、心の姿は確認できなくなった。

しかし。

「『落ち着いてくださぁぁぁい!!』」

次に広がる光景は、別の力が暴れ狂う様子。叫び声が、力の暴風とな

って透けた世界に色を塗り直していく。力の中心にも、色が宿る。早見心の色だ。

そして、静寂が場を支配する。

「っ!」

後に残ったのは、すっかり疲れ果て倒れる晴海と、それを心配そうに眺める心の姿だった。

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