さくらニュータウンに引っ越してきて、早くも一週間が過ぎた。
町に慣れてくると、たまにはスーパーマーケット以外のところでごはんを買ってみようかという気分になってくる。
今日はお気に入りであるナメ吉柄のトートバッグを提げて、ボケルさんと2人でパン屋に向かっていた。
「それでですね、ケータ先輩から教えてもらったんです。『アッカンベーカリー』のクリームパンは絶品なんだって」
「へー」
「あと、1日数量限定のカレーパンやベーグルもあるらしいんですけど、そういうのはこれからいつでも狙えるし……ボケルさんは何がいいですか?」
「梅おにぎりと愛情天むす」
「こ、米派なんですね……?」
そういえば、いつも食べているのはおはぎやお饅頭や今川焼きだし、和食が好きなのかもしれない。後でコンビニに寄ろう。
「あとはそうですね、今はニンニクが入ってるものができるだけ多く欲しいです」
「ギョーザとかですか……?」
「なんの料理だろうが構いませんが……余計な災いを遠ざけるために必要なのです」
ボケルさんが何を言っているかはよく分からないが、なるほどニンニクか。ニンニクには血行促進効果のある栄養素が含まれている。これから寒くなる季節だし、冷え性対策も必要だろう。
確か、おつかい横丁のフラワー通りという商店街に、中華料理店があるとケータ先輩が言っていたような。
「あっ、ありました『アッカンベーカリー』!」
ピンク色の軒先テントと、膨らんだパンの形の看板が目印のパン屋『アッカンベーカリー』。幸い、並んでいる人はいない。
初めて入るお店は緊張するけれど、ここはパン屋、町のパン屋、なんの変哲もないただのパン屋……と心の中で唱え、勇気を出してドアを押す。
……これ引くタイプだった。恥ずかしい。
何はともあれ店内に入ると、焼き立ての香ばしい匂いがブワッと広がった。
「わ、わー……美味しそう……」
食パン、クロワッサン、クリームパン……いろんなパンが綺麗に陳列されている。あっちもこっちもこんがり焼けた小麦色。
休みの日にクラスメイトか誰かに遭遇したら気まずいなぁ、なんて考えていたが、店内には今のところ見当たらない。
「何買おう……クリームパンは絶対買うけど……ジャムパンとチョココロネもいいな……」
トレイを取って、トングでパンを取る。そんなにお客さんは来ていないから、ゆっくり選べた。
じっくりパンを眺めていると、一際目につくPOPで示されたパンがあった。
「……あっ、カレーパン! まだ残ってる!」
1日何個か限定のカレーパンが、奥の方に1個だけちょこんと残っていた。反射的に選び取る。パン1個分重くなったトレイは、ワクワクの大きさと同じ重さだ。
開店してから時間が経っているし、最初からカレーパンを買うことは想定していなかったが、これはとんでもないラッキーだ。この後もっとすごい不幸がやってくるんじゃないかと思ってしまうくらいに。
「お会計おねがいしまーす!」
カウンターにトレイを置いて、財布を開けた。ちょっと買いすぎたけど────僕は友達ができたし、学校でも大分上手くやれているし、このくらいは許せる。
「買い食いって夢だったんですよねー」
「転校する前だってやれたでしょう」
「友達いない他人と喋れないちゃんとできない、ナイナイ尽くしのヤツに買い食いする資格ないかなって……」
「そんな馬鹿みたいな資格を求める人間など、斬り捨ててしまいなさい」
河川敷のベンチに座って、パンの入った紙袋を開く。温かいパンの香りが立ち上ってくる。
目の前の川はサラサラと流れてゆき、風に煽られて草がそよぐ。
しばらく紙袋を覗いていたボケルさんが、僕を見上げて言った。
「……私にもひとく……半分ください」
「いいですよ!」
友達と食べ物を半分こするなんて、夢みたいだ。僕の人生のハイライトはここかもしれない。
最初はカレーパン……ああでも、すぐに食べてしまうのは勿体ない! よし、クリームパンで舌をパンに慣らしてからにしよう。
ふんわり柔らかいクリームパンをしっかり半分に割って、片方をボケルさんに渡す。
「それじゃあ、いっただっきまー……」
ぱくっ。がぶっ。じゃりっ。
サクサクの生地を噛み締める快い音────が、ボケルさんとは反対隣から聞こえてきた。
食べかけのカレーパンが、30センチほど浮いていた。
「ミ゜ッ!?」
「……なんだ、ガブニャンじゃないなら問題ありません」
「えっ、これ妖怪のしわざですか!?」
いやでもそれ以外ないか。
跳ねた心臓を押さえながらウォッチのライトを点けて、今も欠けていくカレーパンを照らす。
現れたのは、ヤマトボケルさんより若干背丈が低い影。緑色で、かわいくて、鼻水が垂れていて、2つのツノが生えていて、頭に水晶玉を乗せていて、カメレオンのように先を丸めた太いしっぽがあって可愛くて………………
「………………ドラゴンの子ども?」
「もぐっ、ごくん……りゅーくんはドラゴンじゃなくて龍なのだ!」
『りゅーくん』と名乗ったその妖怪は、呆気なくカレーパンを丸呑みすると、腰に手を当てて胸を反らした。
カレーパンを丸呑みされてしまった。
「カレーパン美味かったのだ。りゅーくんは中華が好きだけど、たまにはパンもいいのだ」
「そ……それは………………喜んでくれたのなら何よりです」
カレーパン。幸運の象徴カレーパン。りゅーくんは可愛いんだけどカレーパン食べたかった。やっぱり僕の人生こんなもんですよね、はい。
「ちょっとあなた!! 私のカレーパン返してください!!」
「おまえのじゃないのだ。この人間が買ったやつなのだ」
「チッ、それが分かってたなら食ってんじゃねえよ……しばいたろか……」
「ぼ、ボケルさん! えっと、ち、小さい子には、もう少し優しくしましょう……?」
最近分かったのだが、ヤマトボケルさんはいつもは敬語だけど、不満を表すときは口調が崩れる。あと舌打ちもする。
りゅーくんという妖怪が年上か年下かはよく知らないが、なんとなく喋り方は幼いから現状は年下として扱う。
「りゅーくん子どもじゃないのだ! さっきはお腹が空きすぎてやむを得ず食べちゃったのだ……」
涙で潤んだ上目遣いで見られる。やめてくれ、そんな目で見られたら絶対に責められない。仮に僕が公平公立な裁判長だったとしても即無罪放免を言い渡す。
「別に、きょ、今日しか売ってないこともないし、また買えばいいので……それより、お腹が空いてるんだったら、その……まだパンはあるので、よければどうぞ」
「モミジ? 私の分は? 私の分は残してくれるんですよね?」
「ありがとうなのだ! おまえ、良い人間なのだ!」
りゅーくんの笑顔は、確実にカレーパンの10倍の値打ちがあった。