「妖怪大辞典?」
「昨日妖zonで注文したのが届きました。どうぞ使ってください」
「え、あ、ありがたくいただきます……」
ボケルさん、パソコンとかネット通販とか使うんだ。外見はハニワだけれど、ボケルさんは意外と現代文明に適応している。
ライム色のミニテーブルの上には、朱色の表紙と奇妙な紋様が目を引く、図鑑か辞書みたいに分厚い本の形をしたモノが置かれた。
表紙をめくるとハードカバー。中は、オモチャのブロックと噛み合いそうな丸い穴が整列している、真っ黒なページ。
穴を指で撫でる。浅い。このクッキーぐらいのサイズと分厚さには覚えがあった。
「……メダルを入れるんですか?」
「そのとーり。妖怪メダルをここに収納するのです。大分増えてきたでしょう」
確かに。ボケルさんと出会ったばかりのとき、自分が妖怪と友達になるなんて絶対に無理だと思っていた頃が遠い過去のようである。
僕は小物入れから10枚の妖怪メダルを取り出し、入手した順番で大辞典に収めた。キラッと光り、黒いページに映えるメダル。壮観だった。
ボケルさんは考える人のようなポーズを取って、あることを呟く。
「……そろそろ、レジェンド妖怪の解放が近いかもしれません」
「レジェンド妖怪?」
また知らない妖怪の区分が出てきた。レジェンド、つまり伝説。一体どんな妖怪なのかと思考を巡らせる。
「端的に言うと、その名の通り伝説級の妖怪です。大辞典の所有者が果たして妖怪を友とするに相応しい器か見定める役割があり、人間への深い造詣と特異な能力を持つとされています」
「そ……それって凄く、その、畏れ多い感じがするのですが……」
「そうでもありません。よっぽどのことがない限り怒りません。たぶん。メイビー」
「……よっぽど」
何がよっぽどなのかそうでないのか、僕には判断ができない。だって、大それた役目を担っているほど強大な妖怪だ。僕なんかが認めてもらえるか、不安で仕方ない。
「レジェンド妖怪は、本来そう簡単に人間界を出歩いてはいけない規則なんですよ。妖魔界の有事の際に働いてもらわなければならないし、神秘のヴェールに包まれていた方がウォッチ・辞典所有者の意欲を掻き立てますから」
「は、はぁ……」
「しかし、近年はどいつもこいつも全然規則守ってませんからね。元々罰則もないゆるゆるルールですし、最初からマナー以下程度の扱いだったんでしょうけども」
つまり、もしかすると、いつかどこかでレジェンド妖怪とすれ違った可能性もあるかもしれないのか。
だとしたら、尚更不安だ。どこで誰が見ているのか分からない。僕には、大荷物を担いで横断歩道を渡ろうとするご老人を助けるほどの優しさも気力もない。誰かに認められる功績を残したことなんて一度もなかった。
「不安……」
「気にすることはありません。レジェンドの封印解放なんてもう少し先の話で……」
でも、いつかは起きる未来なんじゃないか。不安でいっぱいになり項垂れていたそのとき。
広げられた妖怪大辞典が、ページ全面から黄金の光を放った。まるで、ライブステージに上がってくるプレイヤーを照らし出すかのように。
『レジェンド、召喚!』
「え、ええええええ!?」
妖怪メダルを用いた妖怪ウォッチでの召喚時と同じ声が、どこからともなく聞こえてきてレジェンドの到来を告げた。
『レッジェ〜ンド! レッジェ〜ンド! ぶったまげ〜ん〜ど〜!!』
豪華なオーケストラと合唱が響き渡る。大辞典は輝きを増し、何やら圧迫感が膨れ上がるのを肌で感じた。
華々しい光と音の共演が止む。
僕は両目を守るように覆っていた手を外した。
向かいにいたのは、変わらずおとぼけた可愛い顔のヤマトボケルさん。見る限り、特に部屋では何も起こっていないように思える。
「………………あれ? レジェンド妖怪は?」
「ここにいるぞ?」
「びゃあっ!?」
上から逆さの顔が降ってきた。いきなり暗くなる視界、突然の侵入者、緊張と緩和のベストコンビネーション。混乱で腰も抜かすというものである。
ひっくり返った僕の顔を覗き込むのは、トナカイのようなツノとストレートロングの赤髪を持つ、狩衣の人……いや、恐らく、妖怪。
「なんだなんだ? お前、我を見てびっくりしたのか? 驚くのも無理はない! 我は竜王にしてレジェンド妖怪だからな!」
「れっ、レジェンド妖怪!?」
フフン、と自信ありげに笑うレジェンド妖怪。身体の後ろでビチビチ動く、髪と同じ色の大きな赤い魚の下半身────ではない。これは、尾だ。
そう、先程この妖怪も自分でそう名乗ってたではないか。
「……龍、ですか?」
「うむ! 我こそがレジェンド妖怪『難陀竜王』だ! よろしく頼むぞ!」
難陀竜王さんは、凶器にも思える大きな尾を振り、王の称号に似つかわしい威風堂々とした風格で立っていた。
「は、はじ、初めまして雨村モミジです……」
「モミジだな! 話は聞いているぞ! お前、妖怪に取り憑かれない体質なんだな!」
「え、えええ、え、まぁ」
難陀竜王さんはふわりと浮き、一言ずつ喋るたびに僕の周りをぐるぐる回る。宙を蹴る白い裸足は、よく見ると獣の如く鋭利で硬そうな爪が生えていた。
りゅーくんにも、ツノと太い尾とツメが生えていた。やはり、この妖怪は龍らしい。それも、かなり地位が高そうな。
幸か不幸か、難陀竜王さんは僕に対して興味津々のご様子であり、ぐいぐい質問してくる。
「取り憑かれないってどのくらい防げるんだ!? どんどろが振り撒く究極の闇もか!?」
「ご、ごめんなさい、この体質に気がついたのごく最近の話でして……」
「なら、我が取り憑いてみてもいいか!?」
「え」
制止する間もなく、固体かつ液体かつ気体のような、妖怪が発するあの不思議な紫の妖気が降ってくる。
しかし、予測通りそれは僕の頭に触れた瞬間消し飛び、エネルギーが逆流するかのように白金色のビームらしきものが射出され、難陀竜王さんに“反撃”した。
「ッ!!」
「難陀竜王さん!?」
とりつきに対する免疫反応が止む。難陀竜王さんはやはりと言うべきか、いつかのボケルさん、ガブニャンさんと同じく真っ黒焦げになっていた。
「けふっ、けほっ……げほっ、うーん」
あんなに強く撃たれたにも関わらず、難陀竜王さんは元の体勢を崩さずしっかり立っており、犬が水気を飛ばすときのようにブルブルと頭を振った。
瞬間、焦げやダメージが塵となって綺麗に消滅する。魔法を使ったかのようだった。竜王は魔法使いではなく妖怪だけど。
難陀竜王さんは、親指と人差し指を顎に当てる動作を見せると、ふむふむと何やら良くないことを考えている。
「今のは痛かったな……なかなか後を引く痛さだ……あ、肩こりがちょっと解消されたぞ!」
「えーっと……大丈夫ですか?」
「よし、取り憑きの強さとカウンターの強さは比例しそうだな! もう一回試してもいいか!?」
「だ! ダメです! 『よし』ってなんですか? な、な、なんでわざわざ傷つきに行くんですか!?」
「知りたいからだ! 心配するな、我はそう簡単に死なない!」
そういう問題じゃない。目の前で妖怪が何度もダメージを喰らう様子、しかも自分のせいでそうなっているのを見て嬉しい人間などいない。
だが、難陀竜王さんは恐怖や警戒を好奇心が圧倒するタイプのようで、後ずさる僕の服の裾を引っ張って引き止めてくる。
「そ、その、これから僕、学校なので! お話はまた後日ということにさせてもらえないでしょうか!?」
「学校!? なんだなんだ!? 面白そうだな!? 我も人間の学校を見に行く!!」
「………………マジですか」
視線でボケルさんに助けを求めるが、ボケルさんは僕の付箋を顔に貼って、カラフルなタテガミを作っていた。
希望なんて無かった。