結局、あれから天野くんとは上手く会話できなかった。天野くんは休み時間のあいだ、クラスメイト(特に
僕は独りで下校していた。
溜息が止まらなさすぎて、地球温暖化を着実に進行させている事実に打ちひしがれて、なんとなく空を仰ぐ。
宇宙の闇を地上まで降ろしたら、どうしてこんなに透明な青になるのだろう。太陽のおかげだろうか。とても不思議だ。
たなびく雲は、ちぎって捨てた食パンみたいだった。今朝の僕のごはんも食パンだった。僕は米よりパン派なのだ。
僕はしばらく空を見上げていたが、すぐまたコンクリートの道路に目をやる。
前を向いて歩こう、なんて言うけれど、僕にはどだい無理な話である。ずっと上を向いて歩ける人って、きっと楽しいことばかりなのだろう。辛いこと、苦しいこと、理不尽なことがあっても、文句を言わずに我慢できる人なのだろう。
────僕みたいなのには、一生無理だ。
そこで、どんどん後ろ向きになる自分に気がついて、僕はますます深い溜息をつきたくなる。
「いや、ダメだダメだ……もっと進歩しないと」
せっかく、新しい環境に移ったのだ。心を入れ替えて努力しなければいけないのだ。
……そのためには、一旦気分をリフレッシュしよう。
僕は足早に家に向かった。ランドセル背負ったまま寄り道なんてご法度だ。
“その店”は、この町に引っ越してきたときから目を付けていた。何なら転校前日に一度行って、品揃えを確認している。素晴らしいお店だった。
そのときは、無駄遣いするといけないからと財布を持たずに来たのだが、今回は違う。
「す……すごい……ナメ吉のグッズがちゃんと入荷してる……!!」
キーホルダー、ラバーストラップ、ぬいぐるみ、ボールペン、クリアファイル、ペンケース、トートバッグや帽子まで、何でもある。
キノコ……正確には“なめこ”を模した人気のゆるキャラ『ナメ吉』。前住んでたところの店では、どんな大人の事情か期間限定グッズがほとんど入荷しない有様だったが、ここは違う。
つぶらな瞳と絶妙なバランスの表情。実に可愛い。何時間でも眺めていられる。
だが、ナメ吉だけじゃない。僕は店内を見回した。リボンやパステルカラーなどのオーソドックス可愛い系、ちょっと捻ったモチーフのユニーク系、アメコミ風のグッズなんかも揃っている。
ここは、ファンシーショップ『ククリコ』。さくらニュータウンに程近いアオバハラという電気街にある、大きな店だ。
「でも……これからの時期は、ハロウィンやクリスマスが待っている……きっと可愛い限定グッズいろいろ出るだろうし、それまで貯金しとくのが正解か……?」
でもなぁ、こんな可愛い子を置いて店を出るなんて僕にはできない。僕は昔からこうで、ついつい衝動を抑えられずに買ってしまう。
いや駄目だ、我慢だ雨村モミジ。まだその時ではない。
……でもなぁ。せっかくここまで来たんだから……何かひとつくらい買ってもバチは当たらないんじゃない? 悪魔の囁きが、僕をぐるりと囲み込む。
まぁ、うん、確かに。夏休みに貰ったお小遣いがまだ余ってるし。それに転校初日だし。明日もどうにか生きるための活力として必要だし。
僕は悪魔に負けた。そもそも、天使が僕の中にいたのであれば、最初から学校で失敗していないのだ。
さて、開き直って買い物に専念する。何買おっかな。ちょっと大きめの買い物でもいいかな。
そのときふと脳裏に閃いたのは、真っ白でピカピカした腕時計。
「……時計」
時計、時計か。ありがたいことに、両親からスマートフォンを支給されているが、腕時計は持っていなかった。時間はスマホで確認できるかもしれない……けど。
「あの時計、もしかしたらここで売ってるかも」
天野くんの白くてかわいくてゴツい腕時計は、ショッピングモールにあるスタイリッシュな時計屋さんで売っている感じではなかった。もしここで売ってて、それで僕が買ったら、話題作りになる? ……それとも、同じのを買ってくるなんて気持ち悪い、って思われる? ……それは、嫌だな。
店内を歩き回り、時計が置いてあるコーナーを吟味した。アナログ時計、デジタル表示、ゴム製、革製、プラスチック、カラーバリエーションや柄は様々……いろいろあるけど、あの時計はない。
貰い物って言ってたし、もしかしたら外国製の高いやつかも。だとしたら、諦めるしかないか。
(ていかにひゃくはちじゅうえん……)
定価280円? いやそんな安そうな感じでは……
「……はい?」
今。定価280円、と聞こえた。他のお客さんの会話……ではなかった。多分。さっきの声は、鼓膜の振動ではない。
(安いですよ安いですよ〜、今ならなんと定価280円ですよ〜)
「な、なに?」
店内アナウンス? 全然違う。もっとこう、声色こそぼんやりしているが必死さが伝わってくる。まるで、封印された妖精が勇者に助けを求めている感じの。
(フィギュアを大切に扱いそうなあなたの脳内に直接語りかけています……ファミ○キください……)
ファ○チキ!? 残念ながら持っていない。どうしよう……じゃなくて。一体全体なにが起きているんだ?
ただでさえぐったりした頭がバランス感覚を失って後ろに倒れ、足がよろけて背後の棚にぶつかりそうになる。
「あっ……ぶなっ……」
もし陳列棚を倒していたら、申し訳なさと損害賠償の想像だけで死ぬところだった。そっと振り返ると、何やらぬいぐるみや人形が、学校集会みたいにきちんと座って並んでいる。
その、一番手前にあった
「……ハニワ?」
手のひら大のハニワのフィギュアだ。真っ赤な鎧のようなものを着けていて、変わった髪型……社会の教科書で見たような、こう……聖徳太子の隣にいる人? みたいな髪型をしている。
見たことがないキャラクターだ。鎧と変な髪型を着けた、おとぼけた顔のハニワ。
随分とかなりヘンテコで、珍妙奇天烈で、奇々怪々で、それで────
「か……かわいい!!!!」
直感でハッキリと理解した。全米震撼、好みドストライク、
このハニワはかわいい。誰が何と言おうとかわいいのだ。『かわいい』は考えるのではなく感じる、どんとすぃんくふぃーるなのだ。
決めた。これ買う。絶対買う。内臓売ってでも買う。そうと決まればレジに直行────
「その『ふぃぎあ』に興味がおありですか?」
ぴぎゃっ、と情けない悲鳴を発射しかけたが、ギリギリのところで声帯を抑えた。
いつの間にか、僕の横に店員さんらしき人が立っていた。整った黒髪に煌びやかな和風アクセを着けたその人は、薄く微笑んで僕の回答を待っている。
落ち着け雨村モミジ。焦って喋ることはない。ゆっくりはっきり発音すれば失敗しない。
「は、はい、そうで
……………………死にたい。生まれ変わったら貝になりたい。
しかし店員さんはプロで大人で仕事人としての意識がしっかりしているのか、僕の醜態に眉一つ動かさず答えた。
「これ、実は一点モノなんです。お客様は、この商品とご縁がある様子……」
「ご縁……」
そんな大げさな、と思ったけど、一点モノは凄い。そう言われただけでますます欲しくなる、単純な性質の僕である。
「お買い上げになりますか?」
「も、もちろ、はい、そうです」
「では、オマケにこれもどうぞ」
店員さんが差し出したモノを見て、思わず息を呑む。
白い長針と短針。ピンクと緑と青と紫の勾玉みたいな模様が描かれた盤面。きらきらと輝くそれは、天野くんが左手首に巻いていたあの時計と全く同じモノだった。
「こ、ここ、これって」
「レンタルとは言わず、特別出血大サービス! 無料で差し上げるわ。何せとても数奇な“縁”をお持ちですから」
「むっ、無料ですか!?」
いや、いくらオモチャでも腕時計がタダで済むわけがない。タダより高いものはないのだ。もしかして騙されてる?
だが、店員さんはハニワと時計を握らせて、ぐいぐいと僕を押してくる。否応なしにレジを通り過ぎ、出入り口まで押される僕。大人の力ってこんなに強いのか? なんかおかしくないか? ベルトコンベアーに乗せられているみたいな気分だ。
「ま、待って! 待ってください! お金払ってないです……!」
「お代は要りません、人間の作った日本銀行券なんて幾らでも……いえ、何でもありません」
そうこうしている内に、毛糸玉がプリントされた自動ドアがウィーンと開いて、外の空気と繋がる。
「ちょっとぉぉぉ!?」
「またのご来店お待ちしておりまーす♪」
店員さんが笑いかけ、ドアが閉まった。自動ドアなんだから隔たりも何もないんだけど、僕は何だか再入店する気になれなかった。
電気街は人通りが多い。立ち尽くす僕を完璧に避けていく人々に、申し訳ない気持ちが湧く。
恐る恐る、両手を見る。左にハニワのフィギュア。右に腕時計。どちらも代金未払い。下手したら万引き。
「や、やっぱり返さなきゃ……」
(かーらーすー、なぜなくのー、からすのかってでしょー……ほーほけきょ〜!)
「また脳に直接……!?」
(かーらーすーといーっしょーにー、かーえーりーまーしょー)
やばいやばいやばい。ぼっちを極めたせいで、ついに幽霊か宇宙人の声を受信してしまったらしい。これ言う通りにしたら死ぬやつだ、ホラー映画でこういうの見た!
(私は怪しい妖怪ではありません……早く家にお帰りなさい……さもなくば何らかの不幸が寿命までに訪れるでしょう……)
「ひぇええええええ脅されたぁぁぁぁ」
この声どこから聞こえてくるんだ、とか。あの店員さんは何者だ、とか。街中で半泣きになっている今の僕を見てみんなが笑ってるんじゃないか、とか。とにかく疑問はいろいろ浮かぶが、僕の足は勝手に家まで動いていた。
何のことはない。帰巣本能だ。早く帰って早く宿題と予習復習をやって早く寝たい。寝て忘れたい。
「あ……明日は絶対学校休む……」
声は聞こえなくなったが、僕の脳内はパニック状態に陥っており、海馬やらニューロンやら灰色の脳細胞やらが右往左往している。
落ち着け、落ち着け、落ち着け……そう唱えるたびに膝が震える。このままじゃ不審な小学生として通報され、芋づる式に万引き(?)が露見してしまう。転校初日で万引きなんて人生終了だ。死にたい。
そのとき。左手に握ったあのハニワ人形が目に入った。
脱力感のある顔つき。変な髪型。かわいい。
「……かわいい」
思わず口に出るほどかわいい。ああ、なんだかちょっと冷静になってきたぞ。
そうだ、あの店はきっとものすごくものすごーく親切なのだ。フィギュアと時計を無料で譲ってくれたのも単なる親切の域を出ないのだ。他人を疑うなんて、僕はひどい人間じゃないか。
さっきまでの声だって全部気のせいだ。虫の知らせ、風の便り、砂上の楼閣。うん、そう考えると納得できる。
呼吸と意識が整理され、ちょっとだけ視線が前を向く。やはり、かわいいものは素晴らしく健康に良い。買って良かった……買ってないけど。
足取りがほんの少し軽くなる。
……やっぱり、明日は学校に行こうかな。こうして時計をゲットしたから、天野くんともまた話せるかもしれないし。
「カワイイ子、雨村モミジくん。“アメムラ”だなんて、ちょっぴり運命感じちゃった♪」
頭の葉っぱを落として変化を解く。大人の人間の肉体が消え、豪奢な装束を纏った童女がガラス窓に映った。最も、その姿を常人が視ることは出来ないのだが。
「さて────この出逢いは良縁か、悪縁か。どう紡ぎ、繋げるかは
運命の糸を繰るのは、あやとり好きのお釈迦様だけにあらず。
縁結びの神は、とんとんと小気味よく鞠をつきながら、人間の群れに戻っていった。
◇ファンシーショップ『ククリコ』
アオバハラにある、なんてことないごくごく普通のファンシーショップ。運命の出会いや縁を重要視している店員さんがいる。
ちなみに、“ファンシー”の定義はさまざまであり、人によっては『Poppy Playtime』もファンシーに含まれる。
なお、雨村モミジはヴィ◯ッジヴァン◯ードをファンシーショップと認識している人間。