エンマ大王。
いつだったか、うんがい鏡さんの話で聞いた名前。人間の世界にまで伝わる、妖魔界のビッグネーム。王にして裁定者。霊魂漂う炎熱の世界を統治する超常者────
そんなすごい妖怪が、僕の目の前にいる。
「え、ええええええ⁉︎」
「モミジ、畏怖するほどの相手ではありません。たかだか
「そりゃあ、秘宝妖怪のお前から見れば、俺の
「ま!
「先に言ったのはユーダニ…………」
エンマ大王はゆっくりと、フサフサバリアーの囲いの中、僕たちの近くに着地した。
「イナホ。みんな無事か?」
「モチのロン! ワタシのクレバーな機転と、ふさふさんの力のおかげでね!」
「調子の良いやつダニ…………」
イナホ先輩は、エンマ大王と親しい間柄なのか、敬意も警戒も表さず、同年代に接するように喋っている。流石だ。
それにしても、近くで見ると、エンマ大王は実に凛々しいひとだ。少年漫画の主人公だと言われても不思議ではない。
そのとき、更なる来訪者が飛び込んでくる。
「イナホさーん! モミジくーん!」
声のした方を見ると。
絨毯は、風もないのに自在に飛び、ヨミどろの発する妖気を器用に避けつつ、僕たちの元に滑り込んだ。
「あー‼︎羨まし…………じゃなかったケータ先輩‼︎なんでここに⁉︎」
「エンマ大王とツクヨミを探してたんだけど、イナホさんから連絡入ってから『俺ひとりで全員は運べねえ』って。それでこういう形に…………」
「うう、絨毯、乗ってみた…………じゃなくて、助けに来てくださりありがとうございます…………」
ケータ先輩は絨毯からひょいと降りると、つま先で地面をトントン叩いて靴を履き直した。ウィスパーさんは酔ったのか、額を押さえてフラフラとその辺を飛び回っており、ジバニャンさんはぐったりと寝転がる。
「ふわぁあ、オレっち疲れたニャン。おやすみニャーン…………」
「目的地までの移動だけで疲労と達成感得るやつ⁉︎ジバニャン、まだ寝ないで! ウィスパー、バリアの外から出ないで!」
「ぎゃー‼︎的確に頬をぶつー‼︎」
「言わんこっちゃない‼︎」
魔法の絨毯は、ひとりでにくるっと丸められ、まるで時間切れのようにクタッと地面に倒れた。
絨毯。魔法の絨毯。スリル満点、ファンタジックアトラクション。世界三大乗りたいものの一つ*1…………
「雨村モミジィ! オレっちのマントに貼られたプリを剥がすのを手伝えニャン!」
「モミジ、この長毛種ヴァンパイアに新たなプリを貼るの手伝ってください」
「ユーは何しに来たんダニ…………?」
「時間がねえ。手短に説明するぞ」
僕たちの周囲には、赤みがかった妖力の膜が巡らされていた。
ふさふさんの例より、防御のみなら有効だと判明した。そのため、念には念を入れ、フサフサナチュラルバリアーの外側に、エンマ大王が結界を張ったのだ。
「あれはヨミどろ(仮)。ツクヨミとどんどろの一時的合成により生まれた妖怪だ」
「一時的? どういうことですか?」
「妖怪とは、妖怪である私たち自身ですらシステムを完全に解明できない、摩訶不思議な存在。何かの拍子で融合してしまうのも、よくあることなのです」
私とジバニャンも、たまにうっかりくっついて『ブチニャン』になってしまうんでうぃすよね〜、なんてウィスパーさんは語る。
何それ、とても気になる。きっと、赤と白の可愛いブチ猫なんだろうな。
「でも、一時的ってことは、分離もできるんですか?」
「恐らくな。…………ただ、外部のオレたちが分離させるのは難しいだろう。今のヨミどろは、ツクヨミの浄化の力、どんどろの呪詛の力が合わさり、一切の隙がない」
「なるほど〜。
イナホ先輩の要約に、エンマ大王は首肯する。
「ヨミどろの融合は、両者あるいは片方の故意によるものではない、と俺は思っている。今のヨミどろは、突然の合体により我を失い、混乱して力を暴走させている。…………周辺の土地に取り憑いて、人々の認識や時間の流れを狂わせていたのは、被害の拡大を防ぐためだ。誰もここに辿り着かせないようにして、しばらく安静にするつもりだったんだろう」
────だが、タイミングの悪いことに、その眠りを妨げる者がいた。
「じゃあ、僕は何もしない方が良かったのでは…………」
「いや。お前たちがここを見つけなくても、その内他の妖怪たちが居場所を突き止めていた。遅かれ早かれ、こうなっていたさ────それに、あのまま耐久戦を強いるのは、ツクヨミ、どんどろ、双方にとって毒だ。それに、ヨミどろと同格以上の妖怪の力押しで対処したところで、無傷の勝利にはならない」
そもそもが、性質を反する能力。その上、両者共に、妖魔界でもトップの強さを誇る妖怪と来れば、融合時の負荷は計り知れないものとなる。
壁の向こうでひたすら吠え、妖気を吐き出すヨミどろさんは、恐ろしいモンスターのようでもあり、苦痛に喘ぐ幼子のようでもあった。
「…………どんどろは、オレのともだちなんだ」
不意に、ケータ先輩が零す。
「人間のともだちとして、どんどろが苦しんでいるのを何とかしたい。そのツクヨミって神様も、どんどろも、どっちも傷つけずに治す方法はないのかな」
「先輩…………」
「ケータくん…………」
どんどろは、かつて世界を恐怖のどん底に叩き落とした災いなのだと、妖怪ウキウキペディアには記されていた。そんな恐ろしい妖怪が、今の今まで退治されずにいたのは、ケータ先輩のように、どんどろの身を案ずる誰かがいたからだろう。それはきっと、ツクヨミさんも同じはずだ。
崇高なる月の神様と、名もなき霊の集合体。どちらかを排除すればいいという話ではない。ふたりとも助けなければ、この任務は解決したことにはならないのだ。
考え込む僕たちを見据えて、エンマ大王は静かに提案した。
「…………方法は、幾つかある。一番早いのは、ヨミどろの内部に侵入し、内側から分離を促すことだ」
「そんなことできるダニ⁉︎」
「ああ。だが、それには条件がある。まず、
「ウィス⁉︎」
キッパリ告げたエンマ大王。寝ぼけ眼のジバニャンさんはピクッと耳を立て、ウィスパーさんとUSAピョンさんは互いに顔を見合わせ、ボケルさんとガブニャンさんはツイスターで争っていた。
つまり、僕の付き添いはふたりとも、話を聞いていないようだった。
「言っただろう、普通の妖怪ならまず祓われて終わりだと。ツクヨミの力は、蹴り一つで空亡を清められるほどだからな。オレならギリギリ近付けるが、それに比例してヨミどろの力も膨張する恐れがある」
それから、エンマ大王は2番目の条件を説明した。
「第二に、ヨミどろの
「光と闇、どちらの力にも対応できる存在じゃないと駄目ってことか…………」
ケータ先輩が呟く。
妖怪では、浄化されてしまう。だが、魔のものでなければ闇に憑かれる。ならば、最も適する存在がいるとすれば────
「な、なら、僕が…………」
「お前には危険すぎる。もっと他の方法を…………」
「でもっ‼︎」
僕は、これから我儘を通そうとしている。コミュ障のくせに、他人の話に水を差している。それがどんなに罪深いことか。
しかしながら、僕は僕の自尊心を守るために、我儘を言わなければならなかった。
「あ、ぼ、僕はツクヨミさんとも、どんどろさんとも、全然関係ないです! でっ、で、でも、僕なんかがふたりを助けられるなら、助けたいです!」
「モミジくん…………」
ここで僕がやらなくて、それで状況が悪化したら、僕は死ぬほど苦しむ。これまでのように、自虐で心を保つような、無意味で空虚な日々を過ごすのは嫌だ。
それに、僕は、先輩たちのような人間になりたい。こんな僕にも優しくしてくれて、友達思いで、いつだって前向きに行動し続けられる、先輩たちみたいに。
役立たずでも産業廃棄物でもいい。結果的に大迷惑をかけたとしたら、それはそれで後悔すると思う。けれど、僕は、周囲のツッコミなんて聞かず、自分のしたいことを迷わずできる人間になりたいんだ。
「お、お願いします…………‼︎ヘマしたら、ちゃんと責任取って死ぬので…………‼︎」
大王に向かって、深々と頭を下げる。
「…………駄目だ」
降ってきた言葉は、それだった。
「地獄の沙汰を決めるのは
でも、それだけじゃなかった。
「って、こと、は…………?」
エンマ大王は暫し頭を掻くと、ぶっきらぼうに言い放つ。
「一人で行くんじゃねえぞ。ヤマトボケルも連れて行け。向こう見ずな子供の単独行動は、死亡フラグだからな」
「大王様…………‼︎」
安堵したら、どっと疲れに襲われた。そういえば、お夕飯作ってない。お母さんやお父さんに怒られるかもな。そんな、関係のない思考が流れてくる。
「なんでお前なのニャン⁉︎こんなアホのボケのハニワが‼︎雨村モミジに付き纏うのはオレっちの役目ニャン‼︎」
「そんな役からはとっとと降りてください。うるさいお口にはプリ貼っちゃいますよ」
「何枚撮ってんのニャお前はー‼︎」
さて、これからどうしようかと思案している僕のところに、エンマ大王が歩み寄ってくる。スッと手渡されたのは、
記された名は────『エンマ大王』。
「え、えあっ、え」
「中で何かあれば呼べ。そのウォッチなら、オレを召喚するだけのパワーは足りてる」
「あ、ああ、はい」
エンマ大王のメダルを預かってしまった。
「やるからには、最後まで投げんな。…………ま、何事も気の持ちようだ。そこまでの勇気があるんなら、必ずやり遂げられる」
世界一の貴重品だ。NASAとFBIとCSIを呼んでくれ。僕では守れない。もし今ここに機関車が突っ込んできてメダルを攫われたら、もし今ここに大量のホイップクリームが落ちてきてメダルが汚れたら、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ。
「スイス銀行いってきます‼︎」
「ヨミどろはどうした⁉︎」